第50話 地上へ
弾丸が、拳銃の砲身内で爆発することを腔発という。
威力の異なる弾丸を誤って用いた場合はもちろん、砲身の過熱や、砲身内部の汚れによっても腔発は発生する。
特に、弾薬に手作業で火薬を詰めるハンドロードの場合、分量を間違えれば、悲劇的な結果につながることもある。
マリーは、火薬の量をわざと多くした弾薬を拳銃に装填していた。
今、それをジャフェスが持ち、トリガーを引く。
当然のごとく拳銃が破裂し、ジャフェスの右手を破壊した。
「目が・・・」
破片が両目に命中したらしい。ジャフェスは視界も失ったようだ。
麻子は、その様子を見て、お尻を地面につけたまま、両手両足で後ろへと下がった。
ジャフェスが麻子を人質にとり、銃を要求することは、マリーには想定内のことであった。そこで、銃が腔発するように、あらかじめ細工を施しておいたのである。問題は、麻子を腔発に巻き込む可能性があるという点だ。だから、ジャフェスが自分を狙って撃つ前に、何とかして麻子をジャフェスから遠くに離したかった。麻子が、ジャフェスを妨害しようと手を出した時は、マリーもかなり焦燥したに違いないだろう。だが、結果として作戦は成功した。
「貴様・・・」
ジャフェスは、マリーの立っていた場所を目掛けて突進してきたが、マリーは辛うじてそれを避けることができた。
マリーが避けたことに気づかないジャフェスはそのまま突進を続ける。そして、その先には深い穴が口を開けていた。
その穴に吸い込まれるようにジャフェスは落ちていく。声はなく、しばらくして床に衝突する音が響いてきた。
マリーが穴の底を覗いてみるが、暗くて何も見えない。ライトで床を照らすと、ジャフェスが仰向けで横たわっているのが見えた。
マリーは、麻子のほうに視線を移した。サラが、麻子の下へ駆け寄り、怪我がないか調べている。
「麻子さん、大丈夫?」
マリーも麻子に近づき、声を掛けた。
「はい、怪我はありません。助けていただき、ありがとうございました」
「礼には及びません。これも仕事ですから。それより、ここに入るために使ったタグチップは持っていますか?」
「あのチップは、さっきの男が持っています。まだ、捨ててはいないと思うけど・・・」
「分かったわ。それでは、あの男の生死を確認する必要があるので、少しここで待っていて下さい」
麻子が大きくうなずくのを見て、マリーは笑みを浮かべ、非常階段へと向かった。
マリーは非常階段を下りて、最下層へとたどり着いた。
ジャフェスの頭はザクロのように割れていた。顔は銃の腔発のために黒くなり、目からは血が流れている。見た目には即死の状態であった。
ところが、ジャフェスは何かうめいていた。まだ、息があったのだ。
「長老よ、お許しを・・・」
何に対して許しを請うているのだろうか? 自分が殺めてしまったことに対してだろうか。それとも、子供の頃の折檻を思い出しているのだろうか。当然、マリーには何のことなのか分からない。
「長老は、何をしようと考えていたのですか?」
マリーが尋ねてみた。
「・・・人は浄化される。選ばれた者が人々を導く。誰も、それを止めることはできない」
「それは、どういう意味なのですか?」
「私は・・・恐ろしい・・・」
ジャフェスは、口から血の泡を吹き出した。
「選ばれた者・・・スリーパーのことでしょうか?」
マリーは、ジャフェスを前に仁王立ちしたまま、一言つぶやいた。
ジャフェスの頭がある場所は、血溜まりができていた。マリーは、足の側からジャフェスに近づき、かがんでズボンのポケットを探った。
その時、ジャフェスの左腕が伸びてマリーの腕をつかんだ。ジャフェスはまだ、生きていたのだ。マリーは反射的に腕を引っ込めようとしたが、ジャフェスの腕を握る力のほうが強かった。
「空調システム・・・注意・・・」
「どういうことですか?」
ジャフェスの言葉の真意が分からず、マリーはジャフェスに問いかけた。
「長老・・・仕掛け・・・」
ジャフェスの手が震えだした。手を握る力が弱まり、マリーは、ジャフェスの手を振りほどいた。ジャフェスの手は力なく床に落ち、ついにジャフェスは動かなくなった。
マリーはすぐに、GCSの空調サブシステムに何か仕掛けられていないか調査するよう無線で伝えた。『ノア』は、気づかれることなく何かの仕掛けを施しているのではないかと考えたのだ。それがどんなものかは分からない。しかし、一度作動すれば、取り返しのつかない結果を生むのではないかとマリーは危機感を強めた。
麻子のいる場所へと戻ってきたマリーは
「麻子さん、今まで何があったのか、教えてくれる?」
と尋ねた。
麻子が、誘拐された時点から、この場所に来るまでの出来事を順番に説明した。
「すると、『ノア』を殺したのは、あの男なのね」
「そうです。鬼神さんの家族を殺した張本人が自分だとばらされて、怒って殺してしまったみたいです」
「『ノア』は、他にも何か言っていなかった?」
「あの人、私が地上に出れば、超人症が世界中に蔓延すると本気で思っていました。それから、インフェクターは学習すると言っていました。実験して分かったそうです」
実験と聞いて、マリーはスラム街にあったインフェクターのコロニーを思い出した。あれは、インフェクターを放置した時どうなるのか、実験するために作られたのだとマリーは理解した。
「ありがとう。地下に戻ったら、もう少し話を聞きたいんだけど、いいかな?」
「はい、それは構いません」
「それから、ここで見たことは決して他人に話さないでほしいの。約束してくれる?」
「約束します。どうせ、話しても信じてくれる人なんていないだろうけど」
「約束を破ったら逮捕されるから、注意してね」
「分かりました・・・あの、ドナさんはどうなったんですか?」
ドナはジャフェスに破壊された。どうなったのか、麻子はずっと気になっていたのだ。
「ダメージはかなり大きいけど、頭の部分は無傷だったから、修理すれば元に戻るわ」
麻子の顔に笑顔が戻った。
「そうですか、よかった・・・」
「じゃあ、地下に戻りましょうか」
「あの、もう一つ、お願いがあるんです」
麻子の口にした願いを聞いて、マリーはびっくりした。
扉をくぐり抜け、建物の中らしき場所に出る。
「この先については、データが残っていないの。私達にとっても未知の領域よ。用心するようにしてね」
マリーは麻子に話しかけた。
麻子の願いは、地上を一目でいいから見てみたいというものだった。マリーは一瞬、迷ったが、現在の地上の状態については自分自身、気になっていたのだ。最終的に、マリーはその願いを聞き入れることにした。
ライトの明かりに照らされた、その建物の中は、たくさんのガラクタで覆われていた。ゆっくりと、その間を縫って、前方にある出口らしき場所へ向かう。
出口を抜けると、目の前に幅の広い階段がある。その上からは光が差し込んでいた。階段は植物のつたで覆われ、何箇所かは割れて低木が生えている。
麻子は、急に暑さを感じるようになった。暑さだけでなく、肌にまとわりつくような湿気もある。地下世界では、あまり感じたことのない、少し不快になる蒸し暑さだった。
階段を上りきり、まばゆい光に麻子は目を細める。そこは半円の形をした広場になっていて、天井は高く、曲線を描いた壁には規則的に並んだ柱だけが残り、そこから外の光が差し込んでいた。
「あそこが外に違いないわ」
麻子が思わず叫んだ。
「いよいよ、地上の景色を見ることができるわね」
サラがうれしそうに麻子に話しかける。3人は、周囲に生えている植物の間をかき分けながら、建物の外へと向かった。
ついに、3人は地上へと到達した。
麻子は、初めて空というものを見た。太陽の強烈な日差しが目にまぶしく、一面に青く塗られた巨大なドームのような空の高さと広さに、麻子は少し恐怖すら感じた。
「これが空・・・」
「そのようですね。私も直接見るのは初めてです。こんなにも雄大だなんて」
マリーも感嘆の声を上げた。
湿気を含んだ風が吹き、初めて嗅いだ磯の香りが鼻をくすぐる。何もかもが、麻子にとっては初めての経験だった。
地面には、草が麻子の膝のあたりまで生い茂っていた。その中に足を踏み入れた途端、何かが草むらから飛び出し、麻子は思わず短い悲鳴を上げた。
「何かが飛んでいった。あれは何ですか?」
「バッタという昆虫ね。地下世界には全く存在しないから、実物を見たのはあなたが初めてよ」
草むらの中を進んでいく。草いきれの青く甘い匂いは、麻子にとって今まで嗅いだことのないものだ。足がだんだんとかゆくなり、早く草むらから脱出したかった。
草むらは、ちょっとした上り坂になっていた。草むらが終わり、地面が顔を出したところは高台になっていて、下の景色を楽しむことができた。
崖のすぐ下はちょっとした林になっていた。その向こう側には家が建ち並び、さらにその向こうには海が広がっている。
「ここには、人が住んでいるようね」
マリーが家々を見てつぶやいた。
「地下世界への入口の近くには、何もないものと思っていました。こんなに身近に人がいるんですね」
麻子がマリーに話しかける。
「あの人達は、この施設のことを知っているんでしょうか?」
サラは疑問を口にしたが、それに答えられるものはいない。
海は、空よりも深い青色をしている。時折、太陽の光を反射してまぶしくきらめいた。
その海の向こう、それほど離れていない場所に、巨大な都市が見える。超高層ビルが建ち並び、チューブ状の道路らしきものが複雑に交差していた。中でも一際目を引いたのが、空高く伸びている一本のチューブだ。その上は何があるのか、黒い雲に隠れて見ることはできなかった。
ビルは、海の中に建てられている。都市の近くには山々がそびえているが、ビルのほうが遥かに高い。上空には黒い雲があり、ビルの一部を隠していた。雨が降っているらしい。
自分のいる位置は快晴なのに、少し離れた場所で雨が降っている。その異様な光景は、麻子の脳裏に強く焼き付いた。
背後から生暖かい風が吹きつけ、麻子の髪を激しくかき乱した。太陽の光は、肌を突き刺すように痛く感じる。体からは汗が噴き出し、Tシャツがジトジトと濡れていた。
これが、父親の見せたかった景色なのだろうか。ここでまた、人生をやり直そうと考えていたのだろうか。父親が困った顔で自分を見ている姿を思い浮かべた時、麻子の目から、自然と涙があふれてきた。
「紫龍さん、どうしたの? 大丈夫?」
サラが、麻子の様子を見て声を掛けた。
「大丈夫です。ちょっと、昔のことを思い出して」
そう言って、サラに笑顔を向けたとき、麻子は少し離れた場所を歩いている2人の姿を見つけた。
「あそこに人が」
麻子の一言に、マリーとサラは麻子の見ていた場所へ視線を向けた。
一人は少し太った背の低い女性、もう一人は男の子、2人が並んで歩いているのが見える。
「こんにちは」
2人が近づいてきたので、麻子が挨拶した。
「あら、こんにちは。見かけない顔ね。旅の人かしら?」
「まあ、旅のようなものですね」
マリーが笑顔で答えた。
「どこから来たの?」
男の子が問いかける。
「あっ、えっと、C-3エリアというところで・・・」
麻子が正直に答えてしまった。
「C-3エリア? 聞いたことないや」
男の子の受け答えを聞いて
「そんなに有名なところじゃないから」
と麻子は曖昧に答えた。
「あの、ここは静かでいい場所ですね」
マリーがさりげなく話題を変えた。
「あら、ここには何もないわよ。見るものと言ったら、採掘場跡が残っているくらいね」
女性がマリーに応える。
「採掘場跡?」
「ほら、ここから見えるでしょ? あの建物」
そう言って女性が指差したのは、3人が通ってきた地下都市への入口だった。
「あれは採掘場跡なのですか?」
麻子が女性にもう一度聞いてみた。
「ええ。昔、事故があって閉鎖されたらしいわね。廃墟好きがたまに来るくらいで、人もほとんど来ないわよ」
ここが地下都市の入口であることは、すでに地上の人々から忘れ去られているらしい。麻子だけでなく、アンドロイドのマリーやサラにとっても、それは衝撃的なことであった。
「この近くに、地下都市があったという話を聞いたことはないですか?」
マリーが女性に尋ねてみた。
「遠い昔に、人が住める場所を増やそうとして地下都市の建設を計画したことがあるそうね。でも、結局実現はしなかったみたい。今では海中都市があるからね」
「海中都市とは?」
「歴史で習わなかったのかい? 海岸に近い大都市はほとんどが海に飲まれてしまって、海中都市に切り替わったんだよ」
女性が少し呆れたような顔をして3人を見た。よほどの無知だと思われたらしい。
「お母さん、急がないと雨が・・・」
子供が女性に声を掛けた。
「ああ、あんた達、もうすぐこの辺りも雨になるから、早く戻ったほうがいいよ。それじゃあね」
そう言い残して、女性と子供は駆け出した。
「地下都市は、なかったことにされているんですか?」
麻子がマリーに聞いてみるが、マリーにもそんな情報は持ち合わせていない。
「私にも・・・分かりません」
マリーは困惑していた。ここは、マリー達アンドロイドの予想していた世界と、あまりにもかけ離れていたからだ。地下都市への入り口は荒れ果て、無人の廃墟と化し、しかも地下都市自体は、すでに歴史から抹消され、人々から忘れ去られている。
もし、超人症を克服することができたら、地下の人々が地上に現れたら、この世界は受け入れてくれるのだろうか。マリーは判断することができなかった。
サラが、地下都市の入口に目を移した時、空に恐ろしいものが見えた。
「あれは何?」
サラの叫び声を聞いて、麻子とマリーがサラの顔に目を遣り、彼女の視線の先を見た。
巨大な黒い雲が、恐るべき速さで空を覆っていく。あたりは暗くなり、滝のような雨が降り出した。
「急いで戻りましょう。早く!」
マリーは、麻子の手を引いて草むらの中へ飛び込んだ。サラもその後を追う。
地面はあっという間に水がたまり、走る度に泥をはねた。あまりの雨の激しさに前方の景色はかすみ、すべての音をかき消すような轟音が響き渡る。雨は体が痛くなるほど当たり、呼吸をするのも苦しいくらいだ。
ようやく、屋根のある半円の広場まで到達した。中は真っ暗で、ライトの光が必要だった。
雨の轟音は、建物の中にも響いてくる。麻子は、この建物が崩壊するのではないかと不安になった。
3人は、体じゅうが濡れて散々な状態だ。マリーはショートヘア、サラは短髪なので、すぐに水を払うことができたが、麻子は髪が長いため、水を絞るだけでも大変だった。
「紫龍さん、大丈夫?」
サラが心配して声を掛ける。
「はい、なんとか・・・」
「紫龍さん、まだ地上の景色をみたいですか?」
マリーが麻子に尋ねた。
「いいえ、もう満足です」
「じゃあ、急いで洗浄ユニットまで戻りましょう。風邪をひいてしまうわ」
3人は、扉の前に戻ってきた。
「ちょっと待って」
マリーが、扉の横にある手動開閉用のハンドルを調べてみた。
「こちら側のハンドルは壊れているわね。今まで、ここに来た人も中に入ることはできなかったみたい」
「でも、修理すれば扉を開けられるということですよね」
一緒に見ていたサラが口を開く。
「もしくは、扉を破ればね。そして、いつの日か地下都市の存在に気づく人は現れるかも知れない。我々とは違って、何の監視もしていないからね」
3人は扉をくぐり、地下世界へと入っていった。やがて、扉がゆっくりと下がり、完全に閉められた後には外の雨の音だけが寂しく鳴り響いていた。
洗浄ユニットに入った3人は、ようやくずぶ濡れの状態から解放された。
サラとマリーは元の衣服を着用しているが、麻子が来ていたパジャマは血で汚れていたため、代わりに白いブラウスと赤のミニスカートが充てがわれた。
「なんだか、手や足がかゆくて」
マリーが麻子の手や足を見ると、赤く腫れたところがいくつもあった。
「これは、虫刺されね。悪化するから、掻かないように注意してね。とりあえず、ここから出たら薬を塗ってあげるから、それまで我慢してちょうだい」
「やだ・・・虫って、人を刺したりするのね」
「全部がそうというわけじゃないけどね」
マリーは、手や足に他の異常がないかを確認した。
「全部、蚊という虫に刺された跡です。蚊は、人間の血液を栄養にしているんですよ」
「吸血鬼みたい」
「ふふっ、そうですね」
マリーはそう言って微笑んだ。無表情なマリーに笑顔が増えたのは、鬼神の一言が原因なのかも知れない。
3人は、出口を目指して歩き始めた。
「地上って、あんなにすごい雨が降るんですね。ビックリしました」
歩きながら、麻子は話を始めた。
「いや、あれは異常です。あれほどの量が一度に降るなんて、我々のデータにはありませんでした」
マリーが、麻子の言葉に応える。
「そうすると、たまたまひどい雨に当たったのかな?」
「どうでしょうか。今ではあれが普通の気象のかも知れません」
「そうすると、地下の世界って安全なんですね」
麻子にとって、地上の景色は生涯忘れられないものとなるだろう。しかし、地上に出ても、そこで暮らしたいという気持ちにはならなかった。地上で感じたのは、たまらないほどの恐怖と孤独感だけだ。麻子があれほど嫌悪していた地下世界が、今では非常に愛おしいものに変わっていた。
鬼神や彩たちに早く会いたくなり、麻子はマリーに
「鬼神さんはどこに?」
と尋ねた。
「鬼神さんは、葉月さんのところにいます。実は、葉月さんが発症したのです」
マリーの返答を聞いて、麻子の顔が驚愕の表情に変化した。
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