第46話 第三の罪
麻子とドナ、そして鬼神も一緒に、麻子の新居へとやって来た。
「ここが和室か」
鬼神は、久々に見る和室に興味津々だ。
「鬼神さん、早く病院に行かなくていいんですか? 彩さんが待ってますよ」
ドナに急かされ
「分かってるよ」
と一言返した。
ジャフェスの動向が気になり、麻子とドナが新居の荷物整理をする際、鬼神も念のため同行することにしたのだ。新居の和室が気になったというのも理由の一つではあるが。
「ありがとうございました、鬼神さん。彩さんには、こちらが片付いたらすぐに行くと伝えておいて下さい」
「暗くならないうちに終えるように。用心はしておいたほうがいい」
「私も気を付けておきますから、心配無用ですわ。さあ、今度は彩さんのナイト役をお願いしますよ」
ドナに背中を押され、鬼神は後ろ髪を引かれるように、その場を後にした。
鬼神は、彩の病室のドアをノックした。
「鬼神です。遅くなってすみません」
「どうぞ、もう鍵は開いてますから」
誰かが侵入しないように、鬼神が来るまではロックを解除しない約束になっていた。不思議に思いながらもドアを開けると、中にはマリーが彩と相対して座っていた。
「20分の遅刻ですよ、鬼神さん」
マリーの忠告に対し、鬼神は
「怠けていないか、監視ということか?」
と笑みを浮かべながら返した。
「そんなことはしません。私は、白鳥が保釈されたのを伝えに来たのです」
「すると、今日からあいつは晴れて自由の身ということだな」
「ですから、あなたは今まで以上にしっかりと職務を遂行しなければなりません」
マリーは、そう念押ししながら席を立った。
「もう帰るのか?」
鬼神が笑顔のまま尋ねても、マリーは
「はい。まだ、たくさんの仕事が残っていますから」
と、相変わらず無表情な顔で答える。
「例の教団の残党は、まだ見つからないのか?」
「見つかりません。あなたが会った『ノア』が何者なのかも分かりません。それから、『ノア』があなたに何をさせようと考えていたのかも」
鬼神は、しばらくマリーの顔を見つめていたが
「俺は、奴のために何かする気はないぜ」
とだけ答えた。
「そう願います」
マリーは、そう言い残して立ち去っていった。
病室を出た鬼神と彩は、屋上へのエレベーターを目指し、廊下を歩いていた。
八千代が使っていた病室に近づくと、その前に一人の男が立っていた。
それは白鳥だった。
下を向き、顔の様子までは見ることができなかったが、八千代が死んでショックを受けているのは間違いないだろう。
白鳥が2人に気づき、振り向いた。目が潤んでいるのがはっきりと分かる。彩の存在に、白鳥は「あっ」と声を上げ、すぐに横を通り過ぎて行ってしまった。
「蘭くんのこと、今まで知らなかったのかな? ちょっとかわいそう」
彩が同情して口にした言葉を聞いて、鬼神は
「自業自得だな。しかし、最後の別れができなかったのは悔やまれるだろう」
と、やはり哀れに思ったようだ。
八千代と桜が亡くなってから4日経った。麻子も彩も、まだ心の整理はできていないようで、特に麻子は八千代のことを思い出すのか、時々涙を流しているのを鬼神も目撃している。それは鬼神も同じであった。感染者の最期を看取る場合、普通なら全く面識のない他人が相手である。しかし、今回は顔見知りを手に掛けたわけだ。心が穏やかでないのは確かだろう。
屋上の庭にたどり着き、2人並んでベンチに座る。今では日課のようになっていた。
「鬼神さん」
「どうしましたか?」
彩の呼びかけに、鬼神は彩の顔を見た。
「鬼神さんは、お体の具合はもう大丈夫なんですか?」
「ええ、治療したおかげで、2,3年は問題ないだろうと言われました。3年経ったら、また同じ治療をすることになりますけどね」
「そうですか。でも、無理はなさらないでくださいね」
「ふふっ、以前は自分の体なんて、どうなってもいいって考えてましたけどね。なぜだろう。今は生きたいという欲が出てきました。だからもう、無茶なことはしませんよ」
「欲ですか?」
不思議そうに見つめる彩に、鬼神は笑顔で正直な気持ちを伝えた。
「俺は今まで、復讐することしか考えていなかったんです。それが人生の全てだった。だから、復讐が終わるまで生きていられればそれでいい。そう思っていました」
鬼神は、彩の顔をじっと見た。
「でも、いまは違います。復讐を遂げて、明日香や咲紀が戻ってくるわけではない。それよりも、今を大事にすべきだと思うようになりました」
「今を大事に・・・」
彩は顔を伏せた。何か、思いつめているのだろうか。しばらくして、パッと鬼神のほうへ振り向いて、再び話し始めた。
「鬼神さんは、私の気持ちをご存知ですよね?」
鬼神は少し困惑して
「気持ち、ですか?」
と問い返した。
「その・・・私の鬼神さんに対する気持ちです」
ストレートに問われ、鬼神は返答に困り、彩の顔を見つめていた。その様子を見ていた彩は、耳を真っ赤にして顔を下に向けてしまった。
「ごめんなさい。今のは忘れて下さい」
彩は、そう言うのが精一杯だった。
お互いに気まずい雰囲気の中、鬼神が先に口を開いた。
「葉月さん、あなたのお気持ちは存じてます。なのに、俺の気持ちをあなたにお伝えしていないのは、ずるい事だとも承知しています」
うつむいたままの彩に顔を向けて、鬼神は話を続けようとした。
「俺は・・・」
その時である。彩の名前を呼ぶ、大きな声が聞こえてきた。
鬼神が声のする方向を見ると、彩の両親が2人に近づいてくるのが見える。
「あっ、葉月さん、ご両親がいらっしゃいましたよ」
彩が顔を上げたとき、母親は2人に手を振っていた。
彩の近くまでやって来た母親が
「彩、顔が赤いけどどうしたの?」
と尋ねた。母親の鋭い指摘に、彩は
「いや、なんでもないの。それより、今日は早かったのね」
と言ってごまかす。
「お父さんが、早く彩の顔を見たいって言うからね」
そう言われて照れ笑いする父親を見て、鬼神が立ち上がった。
「お二人とも、お座り下さい。せっかくの親子水入らずを邪魔しちゃ悪いから、俺は少し離れた場所で見張るようにしますよ」
鬼神はそう言って、その場を立ち去った。
彩の両親は夕方まで滞在し、入れ替わる形で麻子とドナがやって来た。
「部屋の片付けは完了したのか?」
「バッチリです。もう、いつからでも住むことができます」
鬼神の問いかけに対して、麻子は笑顔で答えた。
「いつから新居に?」
「今日、鬼神さんの家に置いてある荷物をまとめて、明日から新居に移ろうかと思います」
「気を付けてね。女性の一人暮らしはいろいろと危険だから」
彩が心配そうに麻子に話しかけた。
「ドナさんもいるから大丈夫ですよ」
「ピエロ男が出没する可能性もあるから、本当に気を付けてくれよ。明日からは、何かあった時に、すぐに助けることができなくなるからね」
鬼神に念押しされ、麻子はうなずいた。
その後、麻子が鬼神と一緒に帰るまで、鬼神と彩が2人きりになるチャンスはなかった。
そして深夜、彩はなかなか眠ることができなかった。
鬼神が何を言いかけていたのか、気になって仕方ないのだ。
もし、鬼神が自分に好意を持っていたとしたら、それこそ天にも昇る心地であろう。しかし、そうでないとしたら、立ち直る自信がない。
答えを聞くのが怖くて仕方ないのだが、早く知りたいという気持ちが頭をもたげ、心が揺れ動いている。
結局、寝ることができたのは、明け方近くになってからであった。
翌日の朝になり、彩は鬼神がやって来るのを待っていた。朝早くなら、2人で話ができると思っていたのである。
しかし、その考えは甘かった。鬼神は、麻子やドナとともに訪れたのである。
「今日は何も用事がないから、朝から来ちゃいました」
笑顔でそう話す麻子を見て、彩も笑顔で迎えるしかなかった。
麻子は一日中、彩から離れることはなかった。彩も、麻子の自分を慕う気持ちを邪険に扱うことなどできない。結局、夜まで鬼神だけと話すことのできる機会は訪れなかった。
「今日から、新居で暮らすのね」
スーツケースを持った麻子を見て、彩が心配そうに話しかける。
「念のため、鬼神さんに付き添ってもらうので、心配はないですよ」
「家にいる時は、呼び鈴が鳴ってもすぐに鍵を開けちゃダメよ」
「それも慣れてるから大丈夫。それにドナさんもいるし。なんだか、彩さんがお母さんみたいに見えますよ」
麻子にそう言われ、彩は頬を赤く染めた。
鬼神たちが去り、一人になった彩は、大きなため息をついてベッドに腰掛けた。
明日は麻子も学校があるから、鬼神と2人で話をする機会は必ずあるはずだ。今度こそ、鬼神の本心を聞くことができると彩は確信していた。
彩は、そのままベッドに横たわった。少し前から、頭が痛くて仕方なかったのだ。
「ジャフェス、くれぐれも傷つけることなく連れてくるんだぞ」
「分かってる」
ジャフェスはハムに拘束を解かれ、自由の身となった。黒のボディスーツに身を包み、顔には眼鏡をかけている。暗視スコープだ。暗闇でも自由に行動することができる。
「これを使うといい。暴れられると厄介だからな」
ハムが、ジャフェスに麻酔銃を渡した。ジャフェスを捕らえるときにハムが使ったものだ。
その麻酔銃を腰のあたりに装着する。磁石により固定する仕掛けだ。
「紫龍は今、どこにいる?」
「それは俺にも分からん。だが、お前は知っているんだろう」
ハムの返答にジャフェスは動揺した。
「長老を甘く見ないことだ。あの方は、お前の行動を全て把握しておられる。変な気は起こすな。今まで、命を奪われず済んだことに感謝するんだ」
ジャフェスは一度うなずき、床に落ちていたピエロの面を被って紫龍の居場所へと向かった。
鬼神、麻子、ドナの3人が、麻子の新居に到着した。
「異常はなさそうだな。俺はここで別れることにしよう」
「分かりました。鬼神さん、本当に今までありがとうございました」
麻子が深々と頭を下げるのを見て、鬼神は
「一緒に暮らしている間、にぎやかで楽しかったよ。また、いつでも遊びにおいで」
と言って微笑んだ。
「鬼神さんも、ぜひ遊びに来てくださいね」
麻子も笑みを浮かべながら言葉を返す。
「また、腕によりを掛けて、おいしい料理をごちそうしますわ」
ドナが鬼神に魅惑的な笑顔を見せた。
「おう、楽しみにしているよ。それじゃあ」
鬼神は、そう言い残して暗闇の中に消えていった。
麻子とドナがエレベータに乗り込む。
その様子を、植木に登ったジャフェスがじっと見ていたことに、3人が気づくことはなかった。
ジャフェスは、住居の反対側へ回った。
そこにはベランダが規則正しく並んでいる。麻子の新居に明かりが灯っていることをジャフェスは確認した。
木の陰に隠れて、ジャフェスは明かりが消えるのを待っていた。2時間ほど過ぎただろうか。ついに部屋が暗くなった。
ジャフェスは、建物の壁に手足を付けると、ゆっくりと昇り始めた。その格好はまるでヤモリのようだ。ボディスーツにある特殊な吸盤で、どんな壁でも昇ることができる。
ベランダに入り、ガラス戸を調べる。ロックはされていなかった。
「不用心だな」
ジャフェスはそうつぶやいてガラス戸をそっと開け、さらにカーテンを少しめくって部屋の中を見た。
中は真っ暗だが、暗視スコープのおかげで何があるのか全て分かる。人もアンドロイドもいないことを確認し、ジャフェスは部屋の中へ侵入した。
出入り口へと近づき、そっと扉を開けると、そこは廊下になっていた。廊下の先は右に折れている。おそらく玄関へと続いているのだろう。その方向へジャフェスが進もうとした時である。曲がり角から不意にドナが顔を出した。ジャフェスの存在に気づき、ドナはすぐに大声で叫んだ。
「麻子ちゃん、逃げて!」
麻子は、すでにベッドの中で眠っていたが、ドナの声に飛び起きた。部屋の出入り口へと駆け寄り、そっとドアを開ける。
ドナは、ジャフェスの顔に回し蹴りを食らわせようとした。しかし、その動きは読まれていたようだ。足首のあたりを右手でつかみ、逆にジャフェスがドナの腰のあたりを蹴飛ばした。
その一撃で、ドナの左足がちぎれてしまった。ドナは仰向けに転がったが、すぐに起き上がろうとする。
しかし、ジャフェスはドナに馬乗りになり、両腕をつかんで思い切り左右に引っ張った。
ドナは両腕を引きちぎられ、もはや抵抗することができなくなった。ジャフェスが立ち上がり、ドナの顔の上に足を上げて踏みつけようとした時、麻子が身を挺してドナをかばった。
「麻子ちゃん、来ちゃダメ。すぐに逃げて!」
ジャフェスは、そう叫ぶドナの顔ではなく、腹のあたりを踏みつける。足が腹の中にめり込み、ドナは動作を停止した。
腰の銃を手に取り、麻子に銃口を向けるジャフェスの姿を、麻子は怒りの形相でにらんでいた。ピエロの面のせいでジャフェスの表情は分からない。しかし、気味の悪い笑い声が聞こえる。
ジャフェスがトリガーを引いた。麻子は体を硬直させ、やがて気を失ってしまった。
大きな袋を担いだジャフェスが、玄関のドアから顔を出した。あたりを見回し、誰もいないことを確認してエレベーターへ向かう。
地面に降り立つと、すぐに車のある場所へ向かい、その中の一台に乗り込んだ。
「A-3の11フロアまで」
行き先を告げ、車が走り始めたことを確認してから、ジャフェスはピエロの面を外し、対面の席に横たえた袋を獣のごとく食い入るように眺めた。ゆっくりと手を伸ばし、端から順に、体つきを確かめるように手を滑らせる。
「ヒヒッ」
ひきつけを起こした子供のような声を出し、ジャフェスは歯をむき出しにして笑った。
ジャフェスは、袋の口を開けて、麻子の姿を見たい衝動に駆られた。それだけではない。麻子が恐怖に怯えながら犯される姿を思い浮かべていた。彼は、麻子を自分の所有物にしたかったのだ。そして、共に外の世界へと逃れたかった。
しかし、彼はすんでのところで麻子に触れることをためらった。どうしても、長老への恐怖を払拭することができなかったのだ。
このまま連れていけば、麻子は洗脳され、自ら地上へ出ようとするだろう。そのとき、きっと鬼神を頼るはずだ。なんとか、自分が代わりに導き手となる方法はないだろうか。
そのとき、一つの考えが浮かび、ジャフェスは邪悪な笑みを浮かべた。
A-3エリアの11フロアは工業地帯だ。ここは汚染地帯に近いこともあって、少数のアンドロイドしか存在しない。
ジャフェスは、巨大な倉庫の裏側に潜んでいた。麻子の入った袋も近くにある。
その袋が動き出した。麻酔が切れたのだ。ジャフェスは、袋の口を開けた。中から、麻子の頭が現れる。
麻子は口に布をかまされ、手足も縛られていた。袋の中に詰められてほとんど身動きがとれない。
「俺の言うことに首を振って答えろ。今、アンドロイドのタグチップは持っているか?」
麻子は、相手をにらんだまま首を動かさなかった。
「俺はタグチップさえあればいいんだ。それだけ答えてくれれば解放してあげるよ」
麻子は、ジャフェスの話を聞いて首を横に振った。
「誰が持っている? あの鬼神というハンターか?」
麻子は、首を縦に振った。
「ちっ、厄介だな。お前、奴の連絡先は分かるか?」
麻子は、首を横に振る。
「電話は・・・持ってるわけがないか」
タグチップがなければ、地上へ出られないことはジャフェスも把握していた。麻子がタグチップを持っているなら、そのまま地上を目指そうと考えていたのだ。
しかし、そんな浅はかな考えを、長老が放っておくだろうか?
「ご苦労だったな、ジャフェス」
ジャフェスは全く気づいていなかった。背後にハムが立っていたことを。
慌てて麻酔銃を手に取り、ハムに向けて撃とうとしたが、ハムはその手を軽くはたいて相手の懐に飛び込み、首をつかんだ。
「俺に勝てると思っているのか、ジャフェスよ」
首を圧迫され、ジャフェスは気絶してしまった。
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