第38話 それぞれの想い
「椅子に鎖で縛られて、生きたまま燃やされたそうだな。ひどい話だ」
竜崎は、資料を机に放り投げて話を始めた。
「古池信明、本人であることは間違いなさそうですね。古池は、若い頃に大怪我をして、肺と心臓を人工のものに置き換えています。顔の下半分も失っていて、サイボーグ化されていました。念のため、現在DNA鑑定を進めています」
マリーが竜崎に説明する。
「黒焦げになる前の写真はないのか?」
「失踪直前の写真があります」
マリーは、竜崎に端末を渡した。
そこには、奇妙な表情をした一人の男性の顔が写っていた。怪我の跡は全く感じられないが、心なしか、微笑みを浮かべる口元にぎこちなさが見える。そして、口元とは対象的な厳しい目つきの黒い瞳に吸い込まれそうな思いがした。
「この男が『ノア』の可能性はないか?」
竜崎はマリーに尋ねた。
「少なくとも、監視カメラに写っていた人物とは別ですね。鬼神さんがスラム街で会ったという人物に一致する可能性はゼロではありませんが、説明して頂いた顔の特徴には似ていませんから、別物と判断したほうがよさそうです」
「顔を変えられる仕組みとかはなかったのか?」
「ありません。ごく普通の人工関節と人工皮膚の組み合わせですね」
竜崎は、もう一度、端末の写真を見つめた。
「殺されたのは間違いないわけだよな」
端末の写真を、竜崎の背後から覗いていた浜本がマリーに尋ねる。
「自殺でないことは間違いないですね。それに事故だとも思えません。殺された可能性が極めて高いです」
竜崎は、マリーに端末を手渡しながら、さらに質問した。
「いつ頃、殺されたのか分かるか?」
「およそですが、一週間ほど前くらいですね」
「端末の中には何かなかったのか?」
「映像データがひとつだけ。しかし、暗号化されていました。現在、解析中です」
「それで、何か分かればいいがな」
竜崎は、大きなため息をついた。
彩は、屋上の庭園を、母親と一緒に散歩していた。
「昨日は、どうだったんだい?」
唐突に尋ねる母親に
「なにが?」
と彩は聞き返した。
「あの、鬼神さんって方よ。いろいろとお話できたの?」
そう言って、母親は歯を見せて笑った。
「お話って・・・いろいろと励ましてもらえたわ」
「そう・・・本当に優しい方なのね。思い切って、彩のほうからトライしてみなさいよ」
指で肩を軽くつつかれ、車椅子上の彩は、あきれ顔で母親の顔を見上げた。
「何言ってるのよ、もう」
「ぐずぐずしてたら、誰かに取られちゃうわよ」
「それなら大丈夫。鬼神さん、まだ奥さんのこと忘れられないみたいだから」
「あら、それは当然でしょ。それでも、新しい恋は始められるわ」
彩は、上空に目を向けた。人工太陽の光がキラキラと木々の緑の間から差し込んでくる。
「鬼神さんと木魂先輩の馴れ初めを聞かせてもらったの。とても敵わないなあと思ったわ。職場では頭脳明晰なキャリアウーマンって感じだったけど、それ以上に意志の強い女性なんだって初めて知ったの」
「ふーん・・・でも、彩がその奥さんの代わりになる必要はないでしょ? 自分は自分よ。要は好きになってもらえればそれでいいじゃない」
「・・・うん」
母親の言葉に、彩はゆっくりとうなずいた。
「やっと白状したわね。応援してるわよ。もちろん、お父さんには内緒にしておくから」
彩は、顔を赤くして母親の顔を見た。
検査が終わり、いよいよ鬼神の施術が始まる。
しかし、体を切開したり、チューブを通すなどの処置は不要だ。呼吸可能な特殊な液体に体を浸すだけで、液体に満たされたナノマシーンが勝手に体内へ潜り込み、血管をコーティングする。
人間の血管の長さは、およそ10万キロメートルあると言われている。それだけの長さの血管を全てコーティングするには、施術を何回も繰り返さなければならない。予定では一週間、入院することになっていた。
「最初は慣れないかも知れませんが、すぐに順応できますよ。仰向けの状態で、ゆっくりと液体の中に身を沈めてください」
液体は青く、蛍光を発している。裸の状態の鬼神は、顔を少しずつ液体に沈めていった。
鼻から液体が入る。一瞬、呼吸ができなくなり不安になった。肺に液体が満たされていくのがわかる。不思議なことに、すぐに呼吸ができるようになった。
「時間がかかりますから、そのまま眠っていて下さっても問題ありません。終了したら、起こして差し上げますよ」
目を開けていても、周囲を見ることはできない。しかし、なぜか外の音はよく聞こえた。ポンプの低く唸るような音を聞いているうちに、鬼神は眠ってしまった。
暗闇に一人、鬼神は立っていた。湿り気を含んだ空気に、身体中が濡れているのが分かる。
少し離れたところに街灯がひとつ。他には何もない。
鬼神は、街灯まで歩いてみることにした。
しかし、いくら歩いても街灯へは近づけない。いや、かえって遠ざかっているように見える。
街灯の明かりが消え、しばらくしてまた点灯する。街灯の下で泣いている子供がいた。
「咲紀!」
それは、グレーのワンピースを着た咲紀の姿であった。鬼神は駆け出すが、やはり街灯に近づくことができない。
暗闇に、白い仮面が浮かび上がった。細い目の部分だけがくり抜かれ、鼻も口もない。その仮面を付けた者は黒いマントを羽織り、ゆっくりと咲紀に近づく。
「やめろ!」
鬼神は叫びながら全速力で走った。それでも、街灯と鬼神の間の距離が縮まることはなかった。やがて、咲紀が黒いマントの影に隠され、見えなくなる。
白い仮面が砕け散り、黒いマントが地面に落ちた。咲紀の姿はどこにもない。
鬼神は、あたりを見渡した。しかし、あるのは暗闇ばかり。いつの間にか、街灯も消えてなくなっていた。
背後に気配を感じる。振り向くと、そこには新たな街灯があった。しかし、その光は血のように赤く染まっている。
その下に、咲紀の姿が見えた。赤い光のせいで、着ているワンピースが血で染められているように見える。顔も赤く照らし出されているのに、目からは真っ赤な血の涙が流れているのが、なぜか鬼神には明確に分かった。咲紀は真っ直ぐ自分を見つめ、何かをつぶやいている。
「ナ・・・ゼ・・・コ・・・ロ・・・シ・・・タ」
鬼神には、何と言っているのか、はっきりと聞こえた。その声は、咲紀のものではなかった。それは明日香の声だった。
「なぜ、殺したの?」
咲紀が、ゆっくりと近づいてくる。腕をだらりと下ろし、足を引きずるように、一歩ずつ、鬼神のほうへ歩み寄る。
「『咲紀』というのはどうかしら?」
明日香の声が、脳内に直接語りかけてくる。咲紀は、両手を差し出して、なおも近づいてくる。
気がつけば、鬼神の手にはプラズマガンが握られていた。自分の意志に反して、照準を咲紀に合わせる。
「私達の子供よ」
咲紀は目を大きく見開き、泣きながら鬼神にすがりつこうとしていた。しかし、鬼神はプラズマガンを咲紀に向けたまま動かない。
赤ん坊の鳴き声が聞こえてくる。陣痛に苦しむ明日香の声が頭に響く。
「助けて、お父さん」
そう訴えかける我が子に向かって、鬼神はトリガーを引いた。
上半身を急激に起こしたため、薬液槽内の液体が周囲に飛び散った。
「鬼神さん、そんなに急に起きてはダメです」
医師の声を聞いて、全てが夢だったことを知った。
「今日の施術は終了です。シャワーで体を洗い流してください」
白衣に掛けられた薬液を手で払いながら、医師は指示をする。しかし、鬼神の息は荒く、顔は呆然としたままだ。
「大丈夫ですか?」
医師の声に、ようやく鬼神はうなずいて
「すまない、嫌な夢を見ていたんだ」
と小声でつぶやき、額に手を当てた。
「じゃあ、明日もまた来るからね」
「あまり無理しないでね」
夕方には母親が帰宅し、彩は病室の中でただ一人、退屈な時間を過ごしていた。
昼間は、白鳥、桜、八千代の姿は屋上になかった。
今なら誰かいるかも知れないと思い、病室を出ようとしたときである。
ノックの音が聞こえた。
鬼神が来たのかと思い、急いで扉を開けると、そこには白鳥が立っていた。
「やあ。ここにいたんですね」
露骨にがっかりした顔になったらしい。白鳥は
「あれ、今日はご機嫌斜めかな?」
と言って微笑む。
「あ、いえ。何か御用ですか?」
彩は慌てて作り笑いをした。
「いや、もしお暇なら、お話相手にでもなっていただきたいと思って」
特に断る理由はない。ちょうど退屈していたこともあり、彩は白鳥を中に招き入れた。
「ここの生活には慣れましたか?」
「特にすることもありませんから、退屈な時間をどう過ごせばいいか、まだ分からなくて」
「そうですよね。急に仕事がなくなるから、時間があり余ってしまう。でも、趣味が見つかればうまく過ごせるようになりますよ」
白鳥はそう言って笑顔を見せた。
「お仕事は何をされていたんですか?」
白鳥が、さらに尋ねる。
「ファッション関連の情報サイトを編集するのが主な仕事でした」
「へえ、どこの会社ですか?」
「セーラム通信です」
「じゃあ、大手ですね。すごいや」
白鳥は、驚いた風に目を大きく開けた。
「ご自身でもモデルとかされたことがあるんですか?」
予想外の質問が飛び出した。
「えっ、私がですか?」
「だって、非常にかわいらしいし、スレンダーな体つきがモデル向きかなと思って」
「そんな・・・モデルなんて、したことありません」
彩は、少し恥ずかしげに答えた。
「白鳥さんは、どんなお仕事をされていたのですか?」
今度は、彩が白鳥に尋ねてみた。
「僕ですか? 『超人症予防管理センター』に勤めていました」
『超人症予防管理センター』は、超人症の研究を行う唯一の機関だ。
「すごいですね。そんなところに勤めていたなんて」
「実はね、3年ほど前に休止状態のバクテリアが室内に飛散する事故がありましてね。僕はその時、感染したんです」
彩は、そのニュースについて記憶していた。たしか、スタッフの10名ほどが感染したらしい。
「たしか、多くの方が感染したんですよね。その方たちは?」
「僕を除いて全員、発症して死にました。僕が最後の生き残りなんです」
「そうですか・・・」
彩は、それ以上深堀りすることを止めて、別の話題に切り替えた。
「えっと、そう言えば昨日、桜さんと蘭くんに会いましたよ」
「蘭くんは、簡単には顔を見せてくれないでしょう? すごく人見知りするから」
「しばらくは、桜さんから離れてくれませんでした」
「彼女も僕も、ここでは蘭くんの親代わりのようなものです」
「じゃあ、蘭くんも寂しくはないですね」
「いやいや、同じ年頃の子供がいれば、寂しい思いをせずに済むのにと思うときもありますよ」
そう語る白鳥の目が少し悲しげに見えた。
「私の知り合いに麻子さんっていう女の子がいるんです。この間も屋上でお会いしたときに一緒だったんですけどね。蘭くんとは気が合いそうだったから、きっと仲良くなれるんじゃないかしら」
「ああ、あのかわいい女の子のことだね。蘭くんのガールフレンドか。うらやましいな」
そう言って白鳥は笑った。つられて彩も笑い出す。
「ここでは、出会いも少ないから・・・でも、あなたのような、きれいな方と出会えるなんて、僕はうれしいな」
上目遣いで軽薄そうな台詞を吐かれ、彩の笑いが固まったようになった。
「ねえ、こうして出会えたのも偶然じゃないと思うんだ。僕は君に運命を感じる。君はそう思わない?」
返答に困って下を向いていると、白鳥は椅子から立ち上がり、彩に近づいた。
「君は、足が悪いようだね。僕なら、君の足になることだってできるよ」
そう言って、車椅子に座る彩を抱きかかえようと膝裏と背中に手を添える白鳥に
「そんな・・・結構です」
と、彩はその手を払う。
「恥ずかしい? 心配ない、誰も見てないよ」
困惑する彩を抱きかかえ、白鳥はベッドへと移動し、彩をそこに横たえた。
上半身を覆いかぶせるようにして、白鳥は顔を彩のほうへと近づける。
パチンと大きな音がした。彩が、白鳥の頬を思い切り叩いたのだ。
上半身を起こし、ベッドから降りる。立ち上がった彩の姿を見て、頬を押さえていた白鳥は少し驚いた。
「出ていって! 2度と入ってこないで!」
大声で叫ぶ彩を見て、白鳥は両手を肩のあたりまで上げ、彩をなだめすかそうと前に押す仕草をした。
「そんなに怒らないで。君が魅力的だから、つい・・・」
「誰にでもそうやって手を出しているんでしょ。もう絶対に近寄らないで」
「これから一緒にここで暮らすことになるんだ。仲良くやっていこうよ、ね?」
「・・・今はとにかく出ていって」
彩の低い声を聞き、怒りが収まらないと見るや、白鳥は扉へと歩いていった。
白鳥が出ていった後、彩は一人、ベッドに座り、泣き出した。
夜は、ドナの取り計らいで、彩と鬼神が一緒に夕食をとることになった。麻子も見舞いに来ていたが、桜や八千代に声を掛けられ、彼女らと食事をすることになったのだ。
「今日は、なんだか元気がなさそうだが、大丈夫ですか?」
彩の様子を見た鬼神が、心配して声を掛けた。
「あっ、はい、大丈夫です。退屈疲れかしら。他の人が聞いたら、うらやましいと言われそうですね」
「そうですか・・・俺が感染していた時は、トレーニングに時間を使っていましたよ。体を鍛えると、発症が抑えられるんじゃないかと思ってね」
「私も、以前からトレーニングはしてたので、足がよくなったら再開しようと考えてます」
「そうか、足が完治してないんでしたね。まだ痛むのですか?」
「もう、痛みは引いています。普通に立つこともできるので、あと数日もすれば、歩いてもいいって許可が得られると思います」
「でも、いきなりトレーニングは止めておいたほうがいいね。最初は散歩から始めるといい」
「ええ、そのつもりでいます」
彩は、大きくうなずいた。
「そうだ、上半身だけでも効果のあるトレーニングがあるんだ。食事が終わったら、教えてあげるよ」
「本当ですか? ありがとうございます」
思いがけない鬼神の申し出に、どんより曇り空だった彩の心は晴れ渡った。
桜と八千代が隣り合い、対面に麻子が座って、3人で食事中のことである。
「えっと・・・麻子お姉さんは運命というものを信じていますか?」
八千代が麻子に妙なことを質問した。
「えっ? 難しい質問ね・・・」
麻子が返答に窮していると、今度は
「僕は信じています。僕は、麻子お姉さんに運命を感じます」
と言い出す。
「蘭くん、それって、どんな意味か知ってるの?」
桜が八千代に尋ねてみた。
「えっと、好きな人に出会うのは運命だって、白鳥さんに教えてもらったんだ。好きな人には、こう言うといいって」
八千代の説明に、桜はあきれ顔で
「あの男、またろくでもないことを蘭くんに吹き込んだのね。全く」
と言って、ため息をついた。
「じゃあ、私は蘭くんに告白されたわけね。うれしいな。でもね、好きな人には素直に好きだって言ったほうが、相手は喜ぶのよ」
「でも、それって恥ずかしいです」
麻子にそう言われ、八千代は顔を赤らめた。
「さっきの台詞のほうが恥ずかしいんだけどね。とにかく、さっきみたいなことはもう言わないこと。もっと普通にお話すればいいのよ」
桜に注意された後、八千代は言葉を発しなくなった。どうやら、普通の会話をするのは恥ずかしいらしい。麻子は、静かに人工卵の卵焼きを食べている八千代に言葉を掛けてみることにした。
「蘭くんは、いつもはお勉強をしているのよね。お勉強は楽しい?」
八千代は、麻子の顔を見て大きくうなずいた。
「何の授業が一番楽しいのかな?」
麻子の質問に、八千代は少し首を傾げた後
「算数かな?」
と答えた。
「へえ、すごいな。お姉さん、算数は苦手なの」
八千代は、麻子の褒め言葉を聞いて照れ笑いを浮かべた。
「蘭くんはすごいのよ。もう、中学校の数学を勉強しているの」
桜の発言に、麻子は驚いた。
「すごいわ! お姉さんも勉強を教えてもらいたいくらいよ」
「それなら、休みの日に一緒に勉強しようよ」
八千代の提案を聞いて
「じゃあ、お願いしようかな」
と麻子は微笑んだ。
男が、車を降りてエレベーターへと向かう。麻子の家の近所に住んでいた男性だ。
手には大きな袋を抱えていた。どうやら食料品らしい。
エレベーターが到着するのを待つ間、男はあたりを見回した。すると、歩道の一角に人だかりができているのを見つけた。
「あら、なにかしら?」
男は、好奇心に駆られて見に行くことにした。
その集団の半分は、壁に隠れて見えない。それを見るためには、歩道のある辺りまで移動しなければならない。
隠れていた部分が見えるようになった。壁の近くに大柄の男が立っている。その周りを人が囲んでいた。その大半は子供だ。
その男は、頭をすっぽりと被り物で覆っていた。それは、ピエロの面だ。顔は大きく、丸く、白く、中央には赤い鼻、口の部分はくり抜かれ、その中に異常に大きな口が見える。目の部分も穴が空いていて、時折、光の反射で瞳がきらめいた。
ピエロは、路上パフォーマンスをしていた。独創的な踊りで観客を魅了している。特に子供たちは大喜びだ。
もう、終了間際だったらしく、ピエロが一礼してショーは終わった。拍手が巻き起こり、子供たちがピエロの周りに集まる。
男は、家に帰ろうと思い、体をエレベーターへと向けたが、奇妙な視線を感じてピエロのほうへ振り返った。
ピエロは、男の顔を見つめていた。その目を見て、男は思わず持っていた袋を落としそうになった。
丸い大きな目の中の小さな瞳が自分を見つめている。男にはそれが、危険な獣の目に見えたのだった。
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