第36話 パズルの解答は?

 病室へ戻ると、そこには麻子とドナの姿があった。

「彩さん、こんばんは」

 麻子が彩に声を掛ける。

「こんばんは、麻子さん。今から夕食なんだけど、一緒に食べていかない?」

「いいんですか? それなら喜んで」

 麻子の返事を聞いて、モニカはすぐに病室を出た。

「麻子さん、俺はしばらくの間、入院することになった。しばらくはドナと2人で家にいて下さい」

 鬼神が麻子に入院の件を伝えると、彩は驚いて口に手を当て、麻子は心配そうな顔で

「どこか悪いところが見つかったんですか?」

 と尋ねた。

「ずっと検診を受けていなかったでしょ。だから検査にも時間がかかるの。大丈夫よ」

 ドナが鬼神より先に麻子に応える。

「そうですか・・・」

「それより、あの話、今伝えておいたらどうかしら?」

 ドナに促され、麻子が鬼神に話し始めた。

「そうですね・・・鬼神さん、私、そろそろ自分の家に戻ろうかと思っていたんです。ドナさんが正式なパートナーとなったことですし、いつまでも鬼神さんのお世話になるのは悪いなと思って」

「そうか・・・こちらは毎日ドナの手料理が食べられるから助かっていたんだけどな。でも、家に戻っても大丈夫そうかい?」

「住所は変更しますわ。引っ越しが必要になりますけど、そのほうが安全ですし」

 ドナの説明を聞いて、鬼神も納得したようだ。

「分かった。いつ頃に引っ越すかは任せるよ」

「いろいろと、お世話になりました。ありがとうございました」

 麻子が鬼神に頭を下げる。

「住む場所が決まったら、またドナの料理を食べにお邪魔するよ」

 鬼神はそう言って笑った。


 マリーが、竜崎と浜本のいる部屋へ入ってきた。

「例の男と着ぐるみの足取りがわかりました」

「早速、教えてくれ」

 竜崎が素早くマリーに指示を出す。

「彼らは深夜の1時まで呼び込みをした後、そのまま車に乗り込んでいます」

「気ぐるみを着たままか?」

 竜崎はフンと鼻を鳴らし、尋ねた。

「はい。車に乗ったのは全部で4人。A-4エリアにある居住区に向かっています」

「車を降りてからの足取りは?」

「残念ながら、監視カメラがないため、細かい場所まで特定することはできませんでした。しかし・・・」

 マリーは、いったん間をおいた。

「しかし、なんだ?」

「スラム街で収集した遺留品の中に、GCS管理者の認識タグがあったのを覚えていますか?」

「ああ、行方不明のSVの持ち物じゃないかと推測していたな」

「はい。実は、その行方不明者の住居が同じ居住区にあります」

「偶然・・・にしては出来すぎだな」

 竜崎は顎を撫でながら考えをまとめようとしている。

「その管理者の遺体は見つかっているのか?」

 浜本がマリーに尋ねた。

「いいえ、見つかっていません」

「竜崎さん、その管理者が『進化の選択』に関与している可能性はないですか?」

 浜本の意見を聞いて

「そいつが生きているかどうかは分からん。いずれにしろ、住居を利用している可能性は高いだろう」

 と竜崎は推測した。

「その居住区はどこだ?」

 竜崎がマリーに尋ねる。

「30フロアにあります」

「高級住宅街だな。捜索してみるか」

「ところで、その管理者の名前は?」

 浜本の質問に、マリーは答えた。

「古池信明です」


 鬼神、彩、そして麻子の3人が、テーブルを囲んでいる。夕食が届くのを待っているのだ。

「さあ、鬼神さん。続きを聞かせて下さい」

 彩は鬼神に話しかけた。先の話を早く聞きたくてウズウズしているらしい。

「どこまで話したかな?」

「木魂先輩が、若菜さんのお兄さんと付き合うことになったところまでです」

「何の話ですか?」

 麻子は、訳が分からず彩に尋ねた。

「ふふっ、鬼神さんと奥さんとの馴れ初めをずっと聞いていたの。なかなかゴールしないから、もどかしいのよね」

「えっ? どんな内容だったんですか?」

「簡単に言えば、鬼神さんと奥さんの他に、若菜さんという女性がいてね。三角関係になるの。そこに若菜さんのお兄さんが登場して、鬼神さんの奥さんと付き合うことになっちゃうの」

 彩はうれしそうに麻子へ内容を語った。

「なんだか、恋愛小説みたいですね。おもしろそう」

 麻子も興味津々だ。

 夕食が運ばれ、テーブルに並べられる。それを見ながら、鬼神は話し始めた。

「一郎さん・・・若菜のお兄さんのことだけど・・・食後のドリンクを注文しようって皆に声を掛けてね・・・」


「さあ、みんな何を注文する?」

「じゃあ、俺はコーヒーを」

「私はストレートティー」

「僕もコーヒーにしようかな。明日香は?」

「じゃあ、ミルクココアにします」

 注文を確認したウェートレスが、食べ終わった食器を片付け始める。その間、皆は無言でその様子を眺めていた。

 ウェートレスが去った後、最初に口を開いたのは若菜だ。

「明日香ちゃん、本当にオーケーしたの?」

 明日香は小さくうなずく。

「僕が明日香のことを振った時、明日香に言われたんだ。もし今の彼女と別れたら、私を恋人にしてって。それまで必ず好きでいるからってね。僕は、それを承諾したんだ」

 若菜にそう言った後、今度は鬼神のほうを向いて話し始めた。

「千春は・・・妹は君のことが好きでたまらないみたいでね」

「ちょっと、お兄ちゃん・・・」

 話を止めようとする若菜を制止して、一郎は話を続けた。

「家ではいつも君の話をするんだ。君が明日香に好意を持っていることも、その明日香に振られたということも知っている」

 鬼神はテーブルに目を遣り、黙って話を聞いている。一郎はさらに話し続けた。

「千春と付き合ってあげてくれないか。きっと、千春のこと、好きになるはずさ」

 沈黙の時間が流れる。周囲の喧騒だけが聞こえる中、鬼神はうつむき加減で動かない。ドリンクが運ばれてきて、誰もが無言でそれを口にする。

 コーヒーを飲み終え、鬼神は一郎に向かって話し始めた。

「俺、若菜と付き合うことにします。それで、全員ハッピーになるんですよね」

 その言葉に、一郎は笑顔になり、若菜は驚いて両手で口を押さえた。明日香はうつむき、固まったままである。

 そして、誰もが予期しないことが起こった。明日香の目から、一筋の涙が頬を伝って流れ落ちたのだ。

「明日香、どうしたの?」

 一郎が心配して声を掛ける。

「どうしたんだろう? 多分、うれしいから・・・」

 涙を拭うことなく、明日香は答えた。

「明日香ちゃん、どうして嘘をつくの?」

 若菜が、明日香に声を掛ける。

「えっ? 別に嘘なんかついてないわよ」

 ようやく、明日香は涙を拭い、笑顔になった。しかし、若菜の顔は笑っていない。

「鈍感なお兄ちゃんは気づかないかも知れないけど、長年親友だった私の目はごまかされないわよ。明日香ちゃん、鬼神君のこと好きなんでしょ?」

「別に鬼神君のことなんか、なんとも思ってないわ」

 明日香はすぐに否定したが、若菜はなおも追求する。

「いつもの明日香ちゃんだったら、本当になんとも思ってなくても、相手に気を遣って正直に答えないわよ。それに、あのデートの後、明日香ちゃん泣いてばっかり。今日もなんだか元気がないし。いつもはもっとおしゃべりじゃない」

 明日香は何も答えられない。若菜はさらに話を続けた。

「私に気を遣って、自分だけ不幸を背負い込んで、それで丸く収めようとしてるんでしょ。私、こんな形で鬼神君と付き合っても、ちっともうれしくない」

 明日香は耐えられなくなったのか、すっと立ち上がり、走り去ってしまった。

「もしかして、僕はお邪魔だったのかな?」

 一郎が、頭を掻きながら口を開いた。

「そんなことより、明日香ちゃんを探しに行かなきゃ。そんなに遠くへは行っていないだろうから、10分経ったらここに戻ることにしましょう」

 若菜の指示通り、3人は手分けして明日香を探しに行った。


 明日香は、店の近くにある公園のベンチで一人座っていた。

 鬼神が、明日香の姿をすぐに見つけ、また逃げられないよう、ゆっくりと近づいていった。

「木魂、みんなが心配してるから、戻ろうぜ」

 鬼神の声を聞いて、明日香はパッと振り向いた。まだ、涙で目が潤んでいる。

「ごめん」

 明日香は小さな声でポツリとつぶやいた。

「別に謝る必要はないよ。元はと言えば、俺が撒いた種だ」

「どうして?」

「だって・・・俺が告白してから、なんだかおかしくなったんだし」

「それって、本気だったの? 冗談じゃないの?」

「冗談で言えるわけないだろ」

 しばらく、2人は会話を止めた。少し離れたところで、ジャグリングをしているピエロがいた。周りには人だかりができている。

「どうして、若菜さんじゃなくて私なの?」

 明日香が若菜と同じような質問を投げた。

「それ、若菜にも聞かれた」

「なんて答えたの?」

「友達としてなら、どちらも好きだと答えた」

「答えになってない」

 少し不満げに鬼神の顔を見る。

「その・・・一緒にいると落ち着くというか、いないと不安になる」

「そう・・・」

 また、しばらく無言のまま時間が過ぎる。

「あの・・・そろそろ戻らないと。みんな心配してるから」

 鬼神が、明日香に声を掛け、明日香も小さくうなずき立ち上がった。

 明日香は、先を行く鬼神の背中に隠れるようにして歩いた。2人は、店の中に入っていき、すぐに外からは見えなくなった。


 店の中では、若菜兄妹が並んで立っていた。

 鬼神の後ろに明日香の姿を見つけ、2人とも安心したようだ。

「明日香、僕が今日、話したことは、忘れてくれ」

 一郎が、まだ鬼神の背後に隠れている明日香に話しかけた。明日香は、何も言わずに、ただうなずくだけだった。

 4人が、さっきと同じ並びで席に着き、一郎が話を続ける。

「実はね、僕が明日香に付き合おうかと言ったのは、本気じゃなかったんだ。ただ、そうしておけば、喜んでくれるかと思ってね。僕も忙しい身だから、そんなに構ってあげることなんてできない。そのうち、僕に飽きて、他に恋人を見つけるだろうと考えたのさ。余計なお世話だったみたいだね」

 一郎は、今度は若菜の方へ目を向けた。

「僕が明日香と付き合うことになれば、鬼神君は明日香のことをあきらめて、千春と交際してくれるかなとも思ったんだ。そのせいで、千春にも悪いことをしてしまった」

 最後に鬼神へと視線を移し

「鬼神君にも、嫌な思いをさせてしまったね。みんな、ごめん」

 と頭を下げた。

 誰も何も言わず、一郎がずっと頭を下げた状態で、だんだんと気まずくなったのか、鬼神が話し始めた。

「あの、頭を上げて下さい。悪気があってしたわけじゃないんですから」

「明日香と千春は、許してくれるかい?」

 一郎の問いかけに、2人は顔を見合わせている。

「冗談で口説いていたなんて、最低」

「そんなんだから、彼女にも振られるのよ」

 2人とも容赦はなかった。一郎は、笑いながらも顔をひきつらせていた。


「ところで、話はまとまったのかな?」

 新たにドリンクを注文し、それを飲みながら一郎は鬼神に尋ねた。

 何のことか分からず固まっている鬼神に対して、一郎がもう一度尋ねる。

「明日香とのことだよ。さっき、2人で話し合ったんでしょ?」

「いや、その、まだ何も」

 鬼神は、慌てて否定した。

「ねえ、明日香ちゃん。大事なことだから、本当のことを教えてね。鬼神君のこと、好きなんでしょ? きちんと返事を聞かないと、私、鬼神君のことあきらめきれない」

 若菜から迫られて、明日香は、テーブルにある飲みかけのカップをじっと見つめたまま固まっていたが、しばらくして小さくうなずいた。

「ありがとう、明日香ちゃん。これで、気持ちが整理できると思う」

 そう言って微笑んだ若菜の顔が少し悲しげであった。

 鬼神も明日香も、お互いの顔を見ることができない。その様子を見ていた一郎は

「せっかくだから、今日は夜までここにいて、『バイオレット・ガーデン』を見に行こうよ。それまでまだ時間があるから、しばらくはまた散策するかな。今度は、鬼神君と明日香ペアと、僕たち兄妹のペアで回ろうよ」

 と提案した。

 若菜兄妹は、『ライト・キャッスル』へ行くというので、まずは鬼神達も一緒に付いていくことにした。

「学校では、2人のこと、どうしておく?」

 若菜が鬼神に質問する。

「話がややこしくなるから、隠しておきたいんだけど。それでいいよね、木魂」

 そう言って、明日香のほうをチラリと見た。明日香は前を向いたまま小さくうなずき、横目で鬼神のほうへ視線を移したが、目が合うとすぐに前方を向いて、一言「いいわよ」と答えた。

「2人とも、いつも通り自然体でいないと、すぐに疲れてしまうよ。ちょっと意識しすぎじゃないかな」

 ぎこちない2人に、一郎はアドバイスした。

 『ライト・キャッスル』の中は、巨大な空洞であり、そこでは3D画像で映し出された光のオブジェが目まぐるしく変化している。そのオブジェの中に身を置けば、様々なキャラクターが見ている者の周りを飛び交い、まるで自分が宙を舞っているかのような圧巻の映像を楽しむことができるのだ。

「うわあ、きれい」

 若菜が思わず叫んだ。目の前を、三角の羽を持った小さな生き物が羽ばたき、渦を巻きながらはるか上空へ昇っていく。色鮮やかでプリミティブな図形が集まり、華やかな模様へと変化する。床にはたくさんの光の粒がランダムに舞い、時々、それが規則的に動き出す。

 その光景を、鬼神と明日香は並んで見ていた。2人ともその光景に魅了されていた。特に言葉を交わすわけでもなく、ごく自然に、2人は手をつないでいた。


 夜になり、『バイオレット・ガーデン』は昼間と全く違う雰囲気を持っていた。ほとんどの植物はライトアップされ、その巨体を暗闇の中で浮かび上がらせている。道は暗く、静まり返って、少し不気味でもあった。

 その暗い道を、鬼神と明日香の2人は並んで歩いていた。

「夜になると、少し不気味ね」

「ああ、やけに静かだしな。あまり人はいないのかな?」

 しばらく進むと、例の奇妙な形の木がある広い場所に出た。そこでは圧巻の光景が2人を待っていた。

「これはすごいな」

「きれいね・・・」

 そこでは、『ライト・キャッスル』と同じ仕組みで、たくさんの幻想的な映像が、あの木を中心に展開していた。それを見るために、たくさんの人が集まっている。

 近くにあったベンチに腰掛け、しばらくはその光景をじっと見ていたが、ふと鬼神が明日香に尋ねた。

「いつ頃から、俺のこと好きになったんだ?」

 明日香は、少しためらいながらも、鬼神の質問に答えた。

「化学のテスト勉強をしたでしょ? 試験の前日になって、もう一緒に勉強することがないんだって思った時、すごく寂しい気持ちになったの。そのとき気が付いたのね」

 鬼神のほうへ目を移し、今度は明日香が尋ねた。

「鬼神君はどうなの?」

「・・・初めて一緒にテスト勉強した時かな。その・・・笑い顔を見た時」

「笑い顔? 変なの」

 明日香が笑い出した。

「変かな?」

 鬼神も笑顔になる。

 それからはまた、魔法のような演出をじっと眺めていたが、しばらくして今度は明日香が話を始めた。

「鬼神君、どうして合気道なんて始めたの?」

「ああ・・・この間、何もできず叩きのめされて、悔しかったんだ。だから、強くなろうと思って始めた。それに有段者になれば、警官の採用試験にも有利らしいしね」

「警官?」

 明日香は首を傾げた。

「警官が、あの3人組をあっという間に倒したのを見てね。人を守れる仕事って、格好いいなって思ったんだ。俺、高校卒業したら、警官になろうと思ってね」

「でも、危険な仕事よ、警官って」

 心配そうな顔になる明日香に

「分かってるって」

 と鬼神は笑顔で答えたが

「それに、普通の大学に入るより難しいのよ」

 と明日香に聞かされ、驚いた顔になった。

「そうなの?」

「倍率は結構高いから、難関と言われているわね」

 鬼神は、頭を抱えた。

「あきらめるのは、まだ早いんじゃないの? 勉強なら、また手伝うわよ」

「そうだな。頑張らなきゃな」

 そう言って、明日香の顔を見た。

「来週だったよな、英語の試験」

「そうね。明日も入れて、あと3日あるわよ。どうする?」

「じゃあ、また教えてよ」

「オーケー」

 このとき、閉館時間が近いことを知らせる放送が聞こえてきた。

「あっ、待ち合わせ時間を過ぎてるよ」

 鬼神が端末を見て叫んだ。

「いけない、若菜さん達、待ってるわ」

 2人は、慌てて出口へと向かった。

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