第35話 四角関係

 鬼神たちが入口付近に戻った時、すでに一郎と明日香は2人の到着を待っていた。

「お待たせ。ああ、面白かった」

 若菜が待っていた2人に声を掛ける。

「いろいろと回ったみたいだね。僕はほとんど乗り物に乗れなかったから、明日香は物足りなかったんじゃないかな?」

 一郎が明日香に尋ねてみたが、若菜が

「お兄ちゃん、無理してでも乗らなきゃダメでしょ」

 と口をはさんだ。

「でも、『ライト・キャッスル』には入ったよ」

 一郎の言う『ライト・キャッスル』は、室内が複雑な3Dホログラムによる美しい演出で彩られた施設だった。

「あっ、そこに行くの忘れてたわ。昼から忘れずに行かなきゃ」

「もしかして、昼からもまだ回るつもりかい? おいしいものでも食べながら、楽しくお話したいと言ってたのは千春だろ?」

 一郎が、慌てふためいて若菜に尋ねる。

「ちょっとくらい、いいじゃない。まあ、昼からどうするかは後で相談するとして、今度は全員で『ミラー・ホイール』に乗りましょ」

 『ミラー・ホイール』は、いわゆる観覧車であるが、ゴンドラはただ回転するだけではなく、遥か高くまで上った後、テーマパーク内を一周する。

 ゴンドラを支えるフレームは全くなく、ゴンドラ自身が浮遊して移動する仕組みだ。しかも、外側からは鏡張りに見えるが、中に入ると360度全体がシースルーなので、高所が苦手な人は乗らないほうがいいだろう。

「高いところは苦手なんだよな」

 一郎が、ボソリと言ったが

「明日香ちゃん一人で乗れっていうの? そんな薄情なまね、許されるはずないでしょ」

 と若菜が一喝した。

 『ミラー・ホイール』でも、鬼神・若菜ペアと、一郎・明日香ペアが分かれて乗り込む。椅子以外は完全にシースルーであり、ゴンドラに乗っているという感覚はまるでなかった。

 向かい合いに座って待っていると、やがて浮かび上がり、空高く舞い上がった。遠くの景色がよく見え、下を覗けば地面が遥か彼方に離れている。

「これはすごいな。お尻がムズムズしてくる」

「あっ、分かるわその感覚。でも、景色は最高ね」

 しばらくは、外の景色を見ながら色々と話をしていたが、ふと会話が途切れたとき、若菜が急に話題を切り替えた。

「木魂さん、お兄ちゃんとは付き合ってないって話したでしょ。実はもう少し話が複雑でね。彼女、お兄ちゃんにずっと憧れていたみたいなの。それで、中学生の時、告白したんだけど、振られたみたい。もう、付き合ってる人がいるからって。一日中泣いてたのよ。その時は事情を知らなかったから、どうしようもできなくて慌てたわ」

「じゃあ、あの2人、気まずいんじゃ・・・」

「あら、鬼神君そんな事いえる?」

 鬼神も、若菜を振っていたことを思い出した。

「友達としては今だって仲はいいわよ。ただ、お兄ちゃんのことが今でも憧れの存在なのかどうかは分からないの」

 鬼神は、若菜の言葉を察した。

「それが、俺が振られた原因だと?」

「それだけじゃないわ。私達、幼馴染でしょ。その友達の好きな人を自分が奪ってしまうって考えたら、やっぱりつらいわよね? だから・・・木魂さんのこと、少し待ってあげてほしいの。気持ちの整理がつくまで」

 鬼神は、しばらく黙ったまま外の景色を眺めていた。お城のような外観の建物が間近にある。窓から顔を出している人の姿まではっきりと見えた。

「ありがとう」

 鬼神は、やっと一言つぶやいた。

「お前、すごく優しいんだな」

 鬼神が笑顔でそう話しかけても、若菜はじっと、鬼神の顔を見つめているだけだ。

「若菜、どうしたの?」

 鬼神の問いかけに、若菜は目を伏せた。

「保健室で、鬼神君の好きな人を教えてもらったときね、私、本当は喜んでたの。その時は、木魂さんが、鬼神君のこと好きなはずないと思ってたから。だけど・・・」

 若菜は、顔を下に向けて話を続ける。

「もしかしてと思ったときにね、鬼神君と木魂さんがくっつかないようにって願ったの。でも、彼女は私より前に大失恋しているから、今度はうまくいってほしいとも考えて・・・結局、どうすればいいのか分からなくなっちゃった。両方とも叶えばいいのにね」

 うつむいた若菜の目から、大粒の涙がこぼれた。鬼神はどうしたらいいのか分からず

「ごめん、泣かないで」

 と謝るしかない。

「まだ、木魂が俺のこと、どう思っているか分からないよ。もしかしたら、もっと他に好きな奴がいるのかも知れないし」

 鬼神の言葉を聞いて、若菜は涙を拭い、顔を上げた。

「もしそうだったら、鬼神君は私と付き合ってくれる?」

 涙に潤んだ若菜の目は真剣だ。しばらくその目を見つめていた鬼神は一言

「・・・分からない」

 と答えた。

「鬼神君って、やっぱり正直なのね。『うん』と言ってくれればいいのに」

「だって、その時になってみないと分からないだろ。どんな気持ちになるか」

「じゃあ、木魂さんのこと、どうして好きになったの?」

 ストレートに質問された。鬼神は、目を閉じて真剣に考える。しかし、その答えは

「勉強を教えてもらっている時に、なんとなく」

 だった。

「なんとなく? 顔が好みだったとか、仕草だとか、勉強できるからとか、何かそういう理由はないの?」

「なら、若菜は、俺のことをどうして好きになったのか言える?」

 鬼神が逆襲に出た。

「だって、スポーツができて格好いいんだもん」

「スポーツできる奴は他にもいるよ」

「あとは・・・やだ、本人を目の前にして言えないわ」

「ルックスと中身のどっち?」

「両方」

「ははっ、なんだか聞いているほうも恥ずかしくなるな」

 若菜は顔を赤くしている。

「でも、木魂は美人だし、勉強ができるし、性格だっていいから、誰だって好きになるだろ?」

「じゃあ、私は違うってこと?」

「いや、若菜も美人だし、物静かだけど意外に明るいところもあるし・・・」

「鬼神君にとって、私と木魂さんの違いって何なの?」

 いろいろと追求され、鬼神も閉口してしまった。

「うーん、違いなんてないよ。いや、違いはあるけど、それが基準じゃないと言えばいいかな? それに、友達としてなら、どちらも同じくらい好きだよ。正直、2人とも今まであまり話す機会はなかったけど、こうやって接するようになってからは、一緒にいると楽しいし」

「私は・・・それでも、うれしいかな」

 若菜が少し微笑んでくれたので、鬼神は少し安心した気分になった。

「ねえ・・・『オッカム』では、どうやって恋人同士って証明したの?」

「えっ?」

 また、新手の攻撃が繰り出された。

「そっ、そうだ、カップルの証明が必要って、なんで教えてくれなかったんだ?」

「ごめんね。私もそれは知らなかったの」

 若菜は、小さく舌を出した。

「でも、私なんてお兄ちゃんと行こうと思ってたから、危なかったわ。で、どうやって切り抜けたの?」

「その、ほっぺにキスで許してもらえた」

「どっちが?」

「木魂が、俺に」

「そうなんだ。でも残念ね。せっかくキスできるチャンスだったのに」

「人前でそんなこと、できるわけないだろ」

「隠れてだったら、できるんだ」

「バカ、そういう問題じゃ・・・」

「私なら、全然オーケーなのに」

 そう言って、若菜は少し上を向き、目を閉じた。まるでガラス細工のように非常に繊細で、恋にも消極的だと思っていた若菜が、こんなに大胆な行動をするとは鬼神も思っていなかった。もしかしたら、明日香のほうが繊細なのかもしれない。

 鬼神は、何も言えず、ただじっとしていた。若菜も同じ姿勢のまま動かない。

「間もなく、地上へと下降します。お降りの際は、お忘れ物をなさいませんように・・・」

 アナウンスの声が室内に響き渡り、若菜はそっと目を開けた。

「へへっ、ちょっとからかい過ぎたかな?」

 そう言って笑う若菜に、鬼神は男を魅了する魔力のようなものを感じた。


「はあ、ようやく外に出られた」

 一郎がため息をついた。

「だらしないわね、お兄ちゃん。明日香ちゃん、退屈してなかった?」

「そんな・・・楽しかったわよ」

 若菜の問いかけに、明日香は笑いながら答えた。

「ほとんど会話できなかったね。明日香もなんか、上の空って感じだったから」

 一郎は続けて鬼神に尋ねた。

「そちらはどうだったの? 楽しめたのかな?」

「ええ、景色は最高でした」

「そうか、皆それなりに楽しく過ごせたみたいだね。よし、じゃあランチタイムにしますか」

 4人は、施設内にあるエスニック料理の専門店に入った。東南アジアの伝統料理が中心であるが、彼らにとっては当然、見知らぬ土地の料理である。

 特に決めたわけでもなく、鬼神と若菜、一郎と明日香が向かい合わせ、鬼神と明日香、若菜兄妹が隣り合わせで座った。

 注文の品が来る間、若菜は取り留めもなく話し続け、一郎が時々、話の腰を折るという感じで、鬼神も明日香も愛想笑いをしながら相槌を打つだけで、ほとんど聞き役に徹していた。

 食事が運ばれてきてからも、若菜兄妹が会話しているだけで、鬼神と明日香は黙々と目の前の食べ物を片付けていく。

 おかげで、鬼神たちは先に食べ終えてしまい、若菜兄妹が食べ終わるまでの間、じっと待たなければならなかった。

 さすがに気まずくなったのか、鬼神が明日香に小声で話しかけた。

「今日は、乗り物には乗れたの?」

「えっ? ・・・ううん、公園や施設の中を散歩してただけ。でも、ここは久しぶりだから、いろいろ変わってて楽しかったわよ」

「そうか・・・俺も『ライト・キャッスル』は見たかったな。入ったことがないんだよ」

「それなら、後で若菜さんと見に行けばいいじゃない」

 言い方に少し棘があるように鬼神は感じた。

「そう言えば、お前って若菜と幼馴染なんだってな」

「あれ? 私って、そう話したことなかった?」

「いや、さっき若菜から初めて聞いたよ」

 明日香は、首を傾げるだけだ。

「どうして、学校では隠してるんだ?」

「別に隠している訳じゃないのよ」

「でも、学校じゃあんまり2人で話しているのを見たことがないぞ」

「若菜さんは本が好きでしょ。あまり邪魔しちゃ悪いから。それに、学校以外ではよくお喋りしてるし」

 たしかに、近所ならいつでも話はできるから、わざわざ学校で話すこともないのかも知れない。

「でも、ある意味すごいな」

「何が?」

「クラスで人気の2人が実は幼馴染というのがさ」

「なにそれ? 若菜さんはともかく、私は男子から告白されたことなんて・・・」

 明日香は、途中まで話しかけて止めてしまった。鬼神に告白されたことを思い出したのだろう。しかし、鬼神は気にせずに話し始めた。

「それはどちらも雲の上の存在みたいなものだからさ。恐れ多くて告白なんてできないってことさ」

「そんな雲の上の人を、振ったのよね、鬼神君」

「それは・・・」

 今度は鬼神が、何か言おうとして止めてしまった。

「ねえ、『ミラー・ホイール』の中で、仲直りできたの?」

「別に、喧嘩してたわけじゃないし」

「若菜さん、あきらめてなかったでしょ?」

 段々と明日香の声が大きくなってゆく。

「そりゃあ、俺、振られたからな」

 鬼神は当て付けのように答えた。

「ヒューヒュー! モテる男はつらいわね」

 明日香は鬼神をからかった。

「お前、いい加減に・・・」

 一郎の声が、鬼神の怒りの声を遮った。

「これこれ、喧嘩はよくないな」

 気がつくと、若菜兄妹はすでに食事を終え、2人の会話を聞いていたらしい。

「あっ、すみません」

 鬼神が謝り、明日香も小さく頭を下げた。

 その様子を見て、笑いながら一郎は話を続けた。

「そうそう、ここで千春に報告があるんだ」

 明日香が身を固くした。目を伏せる明日香の様子を見て、若菜が

「どうしたの?」

 と兄に問いかけた。

「実は僕、彼女と別れてね。それで、明日香に僕と付き合う気があるか尋ねたんだ」

 鬼神も、若菜も、一郎の顔を見つめた。明日香は、下を向いたままだ。

「で、どうなったの?」

 若菜が先を促す。

「オーケーをもらったよ」

 一郎は、にこやかに答えた。


「うそ・・・木魂先輩、承諾しちゃったんですか?」

 彩は耳を疑った。

「このときは、ショックだったな。でも、若菜のほうが驚いていたのはよく覚えているよ」

「若菜さんにとっては、うれしい話なのではないですか?」

「どうやら、その時は明日香が俺のことを好きだって確信していたらしいよ。2人とも小さい頃からよく知った仲だから、相手の考えていることが分かるんだろう」

「それなのに、鬼神さんに猛然と迫っていたんですね」

 彩には、その行動力がうらやましかった。

「本人も、どうしたらいいのか分からないって言ってたから、暴走気味だったのかな?」

「万が一、木魂先輩が他の人を好きなんだったら、なんとかして鬼神さんを自分に振り向かせたいって思うんじゃないでしょうか」

 鬼神は、彩の意見を聞いて、軽くうなずいた。

「とにかく、木魂先輩は、若菜さんのお兄さんと付き合い始めるんですね。すると、鬼神さんは若菜さんと?」

 彩は、その先を知りたいようだ。しかし、ここで邪魔が入った。

「葉月さん、そろそろ夕食の時間ですよ」

 やって来たのはモニカだ。彼女の言葉を聞いて、彩は空を見上げた。

「あら、もうそんな時間なの? すっかり話し込んでしまったわ」

「まだ、お話なさるのでしたら、鬼神さん、一緒に夕食を召し上がりますか? ちょうど、紫龍さんも病室でお待ちですから、3人分用意しますよ」

 モニカの提案を聞いて、鬼神は彩に判断を委ねた。

「葉月さんがよろしければ」

 彩は、鬼神を引き止めることができるので

「もちろんです。話の続きを聞きたいですし」

 と即答した。

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