第33話 悲しみの結末

「それって『リアル・ワールド』ですね」

 彩が目を光らせて尋ねた。

「その通り。今でも人気のあるアトラクションだよね。同じような施設はいくつもあるけど、今でも一番人気があるのかな?」

「私も、廃墟探索のときに入ったことがあります。すごく怖かった」

 夜に古い病院の廃墟を探索するホラー系のアトラクションである。しかし、内容があまりにも過激だったため施設内で失神する客が続出し、すぐに公開中止となった。今では、幻のアトラクションと呼ばれている。

「俺が明日香と入った頃は、まだそんなに過激なものではなくてね。それでも、明日香は2度と行こうとはしなかったな。よほど怖かったらしい」

 鬼神は、懐かしそうに当時のことを振り返っていた。

「どんな仕掛けがあったのですか?」

「すごく高い塔にある手すりのない細い橋を渡ったり、落とし穴に引っかかって長い滑り台で落ちていったり。でも、怪物みたいなのは登場しなかったな。たいてい、トラップで驚かす系のものだったよ」

「歩いていると逆さまになる階段はなかったですか?」

「あったよ。どこを歩いているのか分からなくなってね。2人でしばらくの間、さまよっていたよ。そう言えば、娘の咲紀は、あのアトラクションが大好きでね。よく一緒に行ってたな」

「ふふっ、お母さんとは全く違うんですね」

 彩は、口に手を当てて笑った。

「でも、最後の演出には彼女も喜んでいたよ」

「どんな演出だったんですか?」

 そう尋ねる彩の顔を見て、鬼神は少し寂しそうに微笑んだ。


 様々なトラップを乗り越えて、鬼神と明日香は、途中で拾った地図に書かれていた目的地らしき場所にたどり着いた。しかし、目の前には巨大な扉があって、押しても引いても全く動かない。

「まいったな。どうやって開ければいいんだろう?」

「ねえ、あれって鍵穴じゃない?」

 明日香が、扉にある前方後円墳のような形の穴を指差した。

「鍵穴?」

「昔の扉って、金属の棒を差し込んで開けるタイプのものがあるでしょ?」

 当時は全て電子ロックである。2人とも、実際の鍵や鍵穴は見たことがなかった。

「鍵ってやつだっけ? でも、そんなもの、なかったよ」

「そう言えば、途中で小さな箱を拾ったでしょ?」

 そう言われて、鬼神はポケットから箱を取り出した。小さな部屋にあった箱である。箱を取ると、出口が塞がれてしまうトラップがあったが、革袋に土を詰めて代わりに置くことで見事に脱出できた。

 その箱にはダイヤルが5つ付いている。各ダイヤルにはアルファベットのAからZまでが刻まれていて、5つのアルファベットからなる単語を表すことができた。

「この中に鍵が入っているのかな?」

 鬼神は、ダイヤルを適当に回してみたが、当然、開く気配はなかった。

「なにか、ヒントがないのかな?」

 明日香は、鬼神の横へと近づいて、一緒に箱を眺めた。

「そうだ、地図に意味不明な言葉が書かれてたよな。あれがヒントじゃないかな?」

 鬼神が、地図を広げて、その言葉を読んでみる。

「『朝は4本足、昼は2本足、夕は3本足。我は何か?』なんだこりゃ?」

 有名なスフィンクスのリドルである。しかし、2人とも知らなかった。

「テーブルや椅子は4本足ね。はしごは2本足で・・・3本足って三脚のこと?」

 明日香は首を傾げた。

「足の数が変化していくんだから、生き物じゃないのかな? 2本足で立つことのできる生き物と言えば・・・人間しか思い浮かばないや」

 ちなみに鳥は地下世界に存在しないため、2人とも思いつかなかった。そもそも、動物など食用以外に大した数は存在しないのだから、候補はかなり絞られる。

 それが幸いしたのかも知れない。明日香が叫んだ。

「分かった! 人間よ。朝は赤ちゃんの頃で四つん這い、昼は大きくなってからだから2本足でしょ」

「夕は老人ってこと? どうして3本足?」

「杖をつくからよ」

「なるほど、そういうことか! じゃあ、人間と入力すれば」

「でも5文字の英単語よ」

「えっと、人間は英語で・・・」

「HUMANよ。今度は英語も勉強しなくちゃね」

「そう言えば、もうすぐ英語の試験か。嫌なことを思い出してしまった」

 ダイヤルを回し、文字をHUMANに合わせる。カチリと音がして、箱が開いた。

「やった、鍵が入っていたぞ」

 鍵を取り出し、扉の鍵穴に差し込んでみた。しかし、何も起こらない。

「あれっ、変化なしだな」

「鍵って、回さないとダメなんじゃないの?」

 鬼神は、試しに回してみた。バチンと何かが外れた音がして、扉が自動的に開きだした。

 目の前に崖がそびえ立つのが見える。扉の先は、巨大な穴の中だった。周囲は崖で囲まれている。

「ここからどうやって出ればいいの?」

「あそこに何かあるよ。行ってみよう」

 穴の中央には、4本の柱が、矩形の頂点の位置に立っている。その柱に囲まれるように、美しい幾何学模様の入った大きな絨毯が広げてあった。

 絨毯の上には、一見すると細長い急須のような形をした金色の器がある。

「何だろう、これ?」

 鬼神が、その器に触れた瞬間、器が光り輝き、目の前に巨大な男が現れた。頭にはターバンを巻き、豊かな黒いあごひげを生やしている。そして、下半身は煙と化して見えなくなっていた。

「おめでとうございます。あなたは、この不思議のダンジョンをクリアしました。これから、この魔法の絨毯に乗って、空の旅をお楽しみ下さい」

 鬼神も明日香も、目を大きく見開き驚いていた。状況が分かり、先に行動を起こしたのは鬼神のほうである。

「これで空を飛べるみたいだ。乗ってみようよ」

 鬼神は、明日香の手を引いて、絨毯の中央辺りに移動した。2人が座ると、魔法の絨毯は静かに浮かび始める。そして、あっという間に崖の頂上より高くなり、さらに空高く舞い上がった。

「ちょっと怖いな」

 明日香は、上目遣いで鬼神のほうを向いた。それを見て、鬼神は黙って手を差し出した。

「ごめんね」

 そう言って、明日香は鬼神の手を握った。

 太陽が傾き、山の向こうに隠れようとしている。空は赤く染まり、黄金色に輝く雲が複雑な模様を描いていた。

「きれい・・・地上ではきっと、こんな景色が見られるのね」

 うっとりした表情を浮かべて、明日香は空の景色を眺めていた。その横顔が、鬼神には儚げに見えたのだ。今、手元に置いておかなければ、やがて自分の前から消え去ってしまいそうな気がして、鬼神は無意識のうちに明日香に声を掛けた。

「なあ、木魂」

「どうしたの」

 明日香は鬼神へと視線を移した。心なしか、何かを予感して緊張しているように見える。

「その、俺と付き合ってくれないか?」

 明日香の目が泳ぐのが鬼神には分かった。少し寂し気な表情を浮かべ、しばらくの間、明日香は無言で鬼神の顔を見つめていた。

 目を伏せて、明日香は小さな声で言った。

「ごめん、少し考えさせて」

 鬼神は

「分かった」

 としか言うことができなかった。

 2人とも無言のまま、空の景色を眺めていた。やがて、魔法の絨毯は地上すれすれに滑空し、石造りの立派な建物の前で停止した。そこは、最初にスタートした場所であった。

「お疲れさまでした。建物に入られましたら、階段を降りると自動的に服が外せるようになります。服は、受付にお返し下さい」

 ランプの魔人が事務的な説明をして消え去り、2人は絨毯から降り立った。今はもう、手はつないでいない。

 どちらが声を掛けるわけでもなく、2人は並んで建物の中へ入った。階段を降りてすぐに目の前が真っ暗になる。服を脱ぎ、受付にそれを渡すと、相手はにこやかに話しかけてきた。

「お疲れさまでした。お楽しみいただけたでしょうか?」

「ああ、すごく楽しかったよ。ありがとう」

 鬼神は一言お礼を言って、出口へと向かった。その後ろを、明日香はうつむいたまま付いて行く。

 外は、もう暗くなり始めていた。かなり長い間、施設内にいたらしい。

「そろそろ帰ろうか?」

 鬼神は、明日香へ視線を移した。明日香はうつむいたままであった。

「うん・・・今日はおごってくれてありがとう」

 明日香がお礼を言うが、視線を合わせようとはしない。

「赤点にならずに済んだんだから、お礼を言うのは俺のほうだよ」

 鬼神は笑った。無理して笑ったせいか、少しぎこちない笑顔であった。

「あの、さっきの話だけど・・・」

 明日香がスッと顔を上げた。

「えっ?」

 鬼神の体が硬直する。

「ごめんなさい。友達のままでいさせて」

 そう言うと、明日香は頭を下げて足早に立ち去っていく。その後ろ姿を、鬼神はじっと見つめていた。


 彩は、鬼神の話に少し驚いた。

「えっ、断られたんですか?」

「そういうことになるね」

 少しもどかしさを感じ、彩は

「はあ、なんだかじれったいですね」

 と、ため息をついた。

「この日は他にもアクシデントがあってね。大変な一日だったよ」

「そうなんですね・・・でも、どうして木魂先輩は断ったのかしら?」

「一つは若菜のこと。やっぱり気が引けてしまったらしい」

 『一つは』という言葉に彩は疑問を持った。

「他にも理由が?」

「明日香には、憧れの男性がいたんだよ」

 予想外の言葉に、彩は驚いた。


 明日香が立ち去り、鬼神も車を探そうとあたりを見回していたとき、遠くから悲鳴が聞こえた。その声は明日香のものだった。

 鬼神はすぐに声のするほうへ向かった。3人の男が、明日香を取り囲んでいるのが鬼神の目に映った。その中のひとりは、明日香の手を強引に引いている。その先にあるのは車だ。どこかに連れ去ろうとしているらしい。

「離して下さい!」

「そんなに怖がるなよ。遊びに行こうって誘ってるだけじゃないか」

「嫌です。お断りします!」

「夜は長いんだからさ。もっと楽しもうよ」

 男たちは、明日香に気を取られて鬼神が近づいていることに気づいていなかった。鬼神は、明日香の手を掴んでいる男の腕を思い切り叩いた。

 鬼神の不意打ちに、男は腕を引っ込める。その隙に明日香の手を引いて男たちから離れた。

「鬼神君!」

「逃げるぞ!」

 鬼神は、2人で走って逃げようと考えていたが、明日香と一緒ではそれほど速く走ることができない。追ってくる3人組との距離はすぐに縮まった。

 鬼神は、明日香をかばうように3人と対峙した。

「お前は逃げろ!」

「でも・・・」

「誰か助けを呼ぶんだ!」

 明日香が走り去るのを足音で確認し、鬼神は前方に迫ってきた3人に意識を集中する。

 相手はどう見ても大人だ。近くには酒場も多いから、酔っているのかも知れない。中でも大柄で、金髪を逆立てた男が叫んだ。

「なんだ、このガキ邪魔しやがって」

「お前、あの娘の男かよ。格好つけやがって」

 小太りで長髪の男が、鬼神の胸ぐらをつかもうとする。鬼神は、とっさに後ろへ逃げようとしたが、いつの間にか、もう一人の男が背後に移動していた。

 背中を思い切り蹴られ、小太りの男に捕まる。顔を殴られ、地面に倒れた後は、自分がどんな目に遭っているのか鬼神にも分からなかった。

 どれくらいの間、足蹴にされただろうか。その後、覚えているのは、あっという間に3人をねじ伏せてしまった警官の姿と、泣きながら鬼神の名前を呼ぶ明日香の顔だけだった。


 気がつくと、そこは病院の中だった。近くには、鬼神の両親が座っている。

「気がついた? 母さんよ、分かる?」

 心配そうな母親に、鬼神はゆっくりとうなずいた。体の至るところに痛みがある。腕や足に包帯が巻かれ、顔の左目あたりは保冷剤で冷やされている。

「目が覚めたようですね」

 高校生には刺激が強すぎるくらい、肉感的な姿態の看護師が、声を掛けた。

「あなた、女の子を助けたそうね。格好いいじゃないの」

 それを聞いて、鬼神は明日香がどうなったのか気になった。

「あの、木魂・・・その女の子は今どうしていますか?」

「心配ないわよ。警察に家まで送ってもらったから大丈夫。でも、災難だったわね。ひどい連中に絡まれて」

 3人組は、警察に逮捕されていた。やはり酔っていたらしく、男ばかりではつまらないと明日香に声を掛けたそうだ。

「怪我の程度はどうなんですか?」

「幸い、骨折などはないわよ。顔にあざができているから、せっかくのいい男が台無しだけどね。今日はここで一泊して、問題なければ明日には退院できるわ」

 鬼神は、大事には至らずに済んでよかったと思った。しかし、それと同時に、明日香を一人で守ることができなかったことが悔しくもあった。

「警官は、あっという間に3人を倒してた」

「当たり前でしょ。鍛え方が違うわよ」

 母親の言葉を聞いて

「俺、警官を目指そうかな。強くなりたい・・・な」

 そうつぶやいたまま再び眠りについてしまった。薬が効いてきたのだろう。

 この出来事は、鬼神の人生を大きく変えるきっかけとなったのかも知れない。

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