第31話 鬼神女難
「鬼神さん、学生時代から女性に人気があったんですね」
「思えば、あの頃が一番モテた時期だったのだろうね。今は、そんなことは全く起こらないな」
「そんな・・・鬼神さん素敵だから、今だってモテるんじゃないですか?」
彩の言葉を聞いて、鬼神は照れくさそうに笑う。
「ははっ、アンドロイドにはモテるのかもね」
「アンドロイド?」
「いや、気にしないでくれ」
彩は、鬼神の言ったことが理解できず、首を傾げたが、鬼神はそれに気づかず話を続けた。
「これは、かなり後になって明日香に聞いた話なんだが、若菜は明日香に、俺に恋人がいるのかどうか代わりに聞いてほしいと頼んだそうなんだ。実は2人は幼馴染でね。それも後になって知ったんだけど・・・だから、困ったときはプライベートなことでもお互いに相談し合うくらいの仲だったらしい」
「だから、鬼神さんを勉強に誘ったわけですね」
「そういうこと。その頃は、明日香も俺のことは全く意識していなかったそうだ。若菜は、敵に塩を送ってしまった、ということかな」
「意図せず、恋のキューピット役になったんですね。でも、それって好きな人を取られたことになるんですよね」
「そういうことになるけど、2人は、俺と明日香が公然と付き合い始めてからも仲はよかったよ」
「信じられない。女性の場合、恋の恨みは恐ろしいんですよ」
「その頃の若菜の気持ちは今になっても分からないな。明日香が亡くなった時、葬儀で若菜に久しぶりに会ってね。彼女、明日香のことをかけがえのない親友だったって、泣きながら言ってたよ。もう、2児のママになってたな」
「もしかしたら、若菜さんが奥さんになってた可能性もあるんですね」
「どうかな。付き合ってた可能性はあっても、結婚まではしなかったと思うな」
「それだけ、木魂先輩が特別だったってことですか?」
「そうなるのかな?」
鬼神は、そう言って照れ笑いする。彩は、自分が明日香の代わりとなることが、叶わぬ夢であることを嫌というほど思い知らされた気がした。今でも、鬼神の心は明日香に支配されているのだ。
一目惚れというのは、こういうことを言うのだろうと彩は思っていた。セーラム通信社の創立100周年記念パーティーが、巨大なホールで社員の家族も含めて行われた時、彩は、初めて明日香から鬼神を紹介された。ひと目見た瞬間、体が電気で硬直したように感じた。自分の理想とする男性そのものが、今、自分の目の前に現れたのだ。そして、悲しいことに、その男性は会社の先輩の夫だった。当然、誰にも、そんな話をすることなどできない。それは、彩だけが知る超極秘事項であった。
明日香が亡くなった時、自分にその大きな穴を埋める役目ができれば、どんなに幸せかと夢見ていた。しかし、そんな自分の気持ちに対して嫌悪感を感じ、明日香の葬儀では、できるだけ鬼神のことは避けていた。それから鬼神と接する機会はなくなったが、運命の悪戯か、こうして2人は再会することになったのだ。
そんな状態になれば、誰でも思いを遂げたいと考えるのは自然だろう。しかし、死んだ今になっても、明日香の存在はあまりにも大きかった。彩は、無意識に大きなため息をついていた。
「どうしました? ご気分でも悪くなったんですか?」
鬼神が心配して声を掛ける。
「あ、いや、大丈夫です。ちょっと考え事をしていたんです。私も、そんな素敵な恋をしてみたいって。まあ、とにかく、これで交際が始まったんですね」
彩は、慌てて尋ねた。
「いや、それからも色々とあってね」
その頃を思い出すように、鬼神は上を見上げた。
「おはよう」
次の日の朝、鬼神が教室に到着したとき、明日香の周りには、いつものごとく友人たちが集まっていた。
「おはよう、鬼神。聞いたわよ、若菜さんと付き合うことになったみたいね」
ひときわ背の高い、ボブカットの女性が突然、予想もしていなかった言葉を発した。名前は八尋だが、その体の大きさから、少し前に流行った巨大娘のキャラクター名をとって『ナンシー』というあだ名が付いていた。スポーツ万能で男子顔負けのパワーがあり、バレー部では期待の新人として学校中で注目されている女の子だ。中性的なルックスで、一部の女性に熱烈な人気があり、夏休み前に8人の女子から告白されたという噂もあった。
「なんだよ、ナンシー。どうして俺が若菜と付き合う話に・・・」
そう言いかけて、鬼神は若菜が席にいないか確認した。さすがに、これ以上は若菜を傷つけたくない。幸い、若菜はまだ到着していないらしく、鬼神はホッとした。
「どうしたの? 彼女のことが気になる?」
「そんなんじゃないよ。また、泣かれたら大変だろ」
「そうよね、心配よね。だから、昨日は保健室まで行ったんでしょ?」
「誤解を解くためだよ」
「で、付き合うことにしたんでしょ?」
「だから、そこで話が飛躍しすぎだろ」
「だって、若菜さんに好きって言われたら、断る理由なんてないでしょ」
「いや、ないとは言えないだろう。もう彼女がいるとか、好きな奴がいるとか」
「万年赤点男のあんたに彼女なんているわけないわよ」
「鬼神君には、好きな子がいるのよ」
思いがけないことに、明日香が本当のことを喋ってしまった。
「おい、木魂、どうして・・・」
「だって、誰なのか教えてくれないもん」
「若菜さんより優先されるなんて、いったい誰なのよ? 鬼神、白状しなさいよ」
同性から告白されることの多い八尋は、その反動なのか、他人の恋愛沙汰には人一倍関心が高かった。そう簡単に引き下がる相手でもないだろうと考えた鬼神は、わざと怒らせることで回避する作戦を思いついた。
「それはな・・・八尋、お前だよ」
明日香と八尋の口から同時に「えっ?」という言葉が飛び出した。ここで何か八尋が口にしたら、嘘であることを伝えれば、怒って退散するだろう。
しかし、八尋は予想外の行動に出た。耳から頬へと順に真っ赤になり、何も言わずに自分の席へ戻ってしまったのだ。
「おい、待てよ・・・」
「鬼神君、今のって本当なの?」
鬼神が八尋に声をかけようとしたのと、明日香が鬼神に尋ねたのが、ほぼ同時であった。
少しの間の後、鬼神は明日香に答えた。
「バカ、嘘に決まってるだろ」
「最・・・低・・・。八尋さん、今の言葉、信じてるわよ」
「まさか、本気にするとは思わなかったんだよ」
そう言いながら、八尋の席に目を移す。八尋は、うつむいたまま動かない。
同性からの告白には慣れていても、異性から告白されたことはないのかもしれない。どうしたらいいのか、分からなくなってしまったのだろう。ちょっとかわいそうな事をしたかなと鬼神は後悔した。
そして、この後さらに後悔することになるのだ。
「とにかく、誤解を解かなきゃ」
「許してくれるといいわね」
明日香の蔑むような言葉を背に、鬼神は八尋のいるほうへ向かった。
「なあ、ナンシー」
ゆっくりと顔を上げる八尋の目は潤んでいた。目が合った瞬間、八尋はすぐに目を伏せる。普段は見せない女性らしい仕草に、鬼神は少し驚きながらも
「ごめん、さっきの話、嘘なんだ」
と素直に謝った。
その瞬間、八尋の体から放たれる恐るべき熱気を鬼神は感じ取り、少し後ずさった。
「最・・・低・・・」
顔を上げた八尋の目からは涙が溢れている。すっと立ち上がると同時に、強烈なパンチを鬼神の顔へと放った。
辛うじて避けたものの、そのまま仰向けに倒れてしまった鬼神に、八尋は馬乗りになって鬼神を叩き始めた。
両腕で防ぎながらも、鬼神は叫び続けた。
「待てって、俺が悪かったよ。信じるなんて思わなかったんだ」
周囲がこの騒ぎに気づき、八尋を止めに入ろうとするが、なにしろ恐ろしいパワーの持ち主だから、簡単には止められない。
散々暴れた末に、息を切らしながら呆然と鬼神を見ていた八尋であったが、やがて両手に顔を埋めたまま、教室を飛び出していった。
「どうしたんだよ鬼神? 何があったんだ?」
「いや、ちょっとからかい過ぎた」
なんとか返答しながら立ち上がる。何度も叩かれた両腕をゆっくりと動かしながら、自分の席へ戻った。
この日、若菜は学校を休んだ。
八尋は授業に出ず、保健室で休んでいるようだ。
そのせいか、明日香も今日は完全に鬼神を無視している。
そして、その原因は全て鬼神にあった。
それをクラスの全員が把握している。
人には何度か、異性にモテる時期があるらしい。大半の人は、それを幸福だと感じることができるだろう。しかし、鬼神のように、それが不幸な結果を招くことだってあるかも知れない。
放課後になっても、八尋は結局戻ってこなかった。
クラスからの冷たい視線を一身に背負って、鬼神は昨日に続いて保健室へ向かった。
保健室にやって来た鬼神の顔を見て、保健師は優しく微笑む。
「おや、今日は八尋さんの様子を見に来たのですか? 彼女なら、奥のベッドにいますよ」
カーテンを開けると、上半身を起こした状態の八尋がいた。顔も体つきも全く異なるのに、なぜか昨日の若菜によく似ている気がする。
「ごめんな、ナンシー。こんなにお前を傷つけることになるとは思っていなかった。ちょっとからかうだけのつもりだったんだ」
八尋は何も言わない。罵倒してくれたほうがまだマシだと鬼神は思ったが
「クラスの皆も心配しているから、一緒に教室へ戻らないか?」
と聞いてみた。
「・・・私、男子と付き合ったことなんてないのよ」
静かな保健室の中でさえ、なんとか聞き取れるくらいの小さな声で、八尋は話し始めた。昨日の若菜の声よりもさらにか細い。
「そうなんだ」
「初めて男性に好きと言われて、すごく嬉しかったの。一人で舞い上がっちゃって、恥ずかしい」
「恥ずかしいことなんてないよ。誰だってそうだから」
鬼神にもそんな経験はある。中学生の時、特に意識していたわけでもないクラスの女子に告白され、そのまま付き合い始めてしまった。いわゆる、恋に恋する時期だ。当然、長続きすることはなく、学年が上がりクラスが変わるとすぐに別れてしまった。
「・・・ねえ、鬼神、本当に好きな子がいるの?」
「えっ? どうして?」
「誰が好きなのか教えてよ。そしたら、許してあげる」
昨日と同じ展開になってしまったようだ。
明日香は、八尋の件で多少の責任を感じていた。
鬼神に好きな子がいることを暴露したのは自分だからだ。
鬼神が保健室に向かったのは間違いない。一緒に謝ろうと思い、明日香も保健室へ向かった。
「あれ、あなたも様子を見にここへ? 鬼神君は、先に来ていますよ。一番奥のベッドです」
保健師にあいさつし、明日香は奥へと進んでいった。ベッドを仕切るカーテンは、内部の音を完全に遮断する。2人の話し声は全く聞こえてこなかった。一番奥まで進み、カーテンを開きかけた時である。初めて中から声が漏れてきた。
「・・・いないよ」
「明日香が嘘つくわけないでしょ。私は、今でも穴があったら入りたいくらいなのよ。あんたの恥ずかしい話を教えてくれてもいいでしょ」
「俺だって、お前にボコボコにされて恥をかいてるんだから、おあいこだろ?」
「それは自分が悪いからじゃない。ねっ、教えてくれるんなら一緒に教室へ戻るわ」
「人に言いふらしたいからだろ」
「私は、そんな事しないわよ。絶対に内緒にするから」
「絶対だな。その・・・相手にも内緒だぞ」
「約束するから、教えて」
明日香は、これ以上ここで盗み聞きすることをためらった。鬼神のプライベートをこっそり聞いてしまうことへの罪悪感もあったが、それが鬼神の好きな人のことだろうと考えた時、知ってしまうことが怖かったのだ。
そっとカーテンを閉じる。声はまた聞こえなくなった。中には入らず、そのまま2人を残して明日香は立ち去った。
「どうしましたか?」
保健師が、すぐに戻ってきた明日香を見て不思議に思った。
「あの、私が来たこと、あの2人には内緒にしておいてもらえますか。お願いします」
そう言って頭を下げる明日香を見て
「そうしてほしいのなら、2人には伝えないようにしますよ。安心して下さい」
と保健師は満面の笑みを浮かべ、応えた。
「ありがとうございます」
明日香がお礼を言って立ち去った後、保健師は無表情な顔で、2人のいる方向へ顔を向けた。
鬼神が八尋と教室へ戻った時、クラスにはまだ半分ほど生徒が残っていた。
「ナンシー、大丈夫?」
女生徒の一人が声を掛ける。
「ごめんね、心配掛けちゃった。もう、大丈夫よ」
八尋は明るく振る舞った。
「全く、鬼神君、いったい何をしたのよ」
今度は鬼神を攻撃してきた。
「いや、ちょっとからかったつもりなんだって。何をしたかはナンシーも恥ずかしいだろうから聞かないでくれ」
鬼神は苦し紛れの言い訳をする。
「ちょっと、若菜さんと付き合いだして浮かれてるんじゃないの」
他の女子がからかうように言った。
「だから、なんで俺が若菜と付き合うことになってるんだよ?」
「お前、若菜に好きと言われて選択肢なんかないだろ」
鬼神の問いかけを、男子生徒の一人が一蹴する。
「それなんだけどさ。どうやら本当に若菜さんを振ったみたいなの」
八尋が大声で言い出した。
「嘘でしょ? 鬼神君、もしかしてゲイ?」
女子が騒ぎ出す。
「バカ野郎、そんな訳あるか!」
鬼神は慌てて否定した。
「じゃあ、どうしてよ?」
「ふふっ、内緒にするように頼まれたから、訳は言えないかな」
八尋が意味深に語りだす。
「ええっ? 気になるじゃない。もしかして、もう付き合ってる人がいるの?」
「若菜を振ってまで付き合いたい女性といったら、一人しかいないんじゃないか?」
「えっ、もしかして、木魂さん?」
「そう言えば、若菜がダウンしたのって、木魂と鬼神が一緒に勉強をしていたって話が原因だもんな」
こういう話に展開することを事前に予想しておくべきだったのかも知れない。鬼神は慌てた。また、噂のネタにされてしまう。
「残念。今、鬼神は誰とも付き合っていないわよ」
意外にも、助け舟を出してくれたのは八尋だった。
「そうなると、いよいよ若菜を振った原因が分からない」
「そんなこと、どうでもいいだろ。とにかく、この話は終わりだ。俺はもう帰るぞ」
鬼神は、話の輪から強引に抜け出した。
席へ戻ると、明日香はすでに帰宅していた。
(そもそもの原因は、木魂なんだよな)
不満を口にすることもできず、鬼神は教室を後にした。
翌日には、若菜も登校していた。いつものように、熱心に本を読んでいる。
鬼神が席に座ると、若菜はその近くにやって来た。
「鬼神君、迷惑かけちゃってごめんね」
「えっ? いや、若菜が謝ることないよ。それより、もう大丈夫なの?」
「これ以上は皆に心配掛けられないしね。それにね、考えてみたら、まだ私にもチャンスがあるって気づいたの」
「チャンスって?」
「だって鬼神君、まだ告白はしてないんでしょ? もしダメだったら、ね」
「いや、はははっ」
鬼神は、笑うことしかできなかった。
「冗談よ。うまくいくことを祈ってるわね」
そう言い残して、若菜は自分の席へと戻っていった。
現在の、鬼神に関する噂は、『鬼神が若菜を振った』という内容になっていた。これはたしかに事実であるが、若菜がいる教室内で、その話題は禁句であることが暗黙の了解となっていて、鬼神をからかう輩は誰もいない。どうやら、鬼神が若菜を振った理由については様々な憶測が飛び交っているらしい。友人から聞いた話であるが、その最有力候補が、鬼神には他に好きな子がいるという説である。しかも、その相手の筆頭が明日香だった。試験前までずっと一緒に勉強していた事実はまだ明かしていないが、クラスの大半はそれを信じているようだ。
こうしてクラスの噂の中心となることに、鬼神は嫌気が差していた。しかも、明日香を巻き込んでもいる。とにかく、しばらくは教室で表立った行動は避けることに決めた。人の噂も七十五日という。季節が冬に変わる頃には、この噂もなくなるだろうと期待していた。
実際には、そうならないのだが。
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