第30話 噂の2人
次の日の朝、教室に入った鬼神は、明日香の周囲に人だかりができていることに気づいた。全員が、明日香と親しい友人である。
「おはよう」
「おはよう、鬼神君」
鬼神がやって来たのに気づいて、友人たちは蜘蛛の子を散らすように去っていった。しかし、明日香は気にも留めず、鬼神にあいさつを返す。
「もしかして、昨日のこと?」
「まあ、そんなとこ」
「ふーん」
何を聞かれたのか、おおよその想像はついていたので、それ以上、尋ねることはしなかった。そして、その想像通りの質問を、明日香が席を外した時、自分も受けることになる。
今度は、鬼神の友人たちが周囲を取り囲んだ。
「なあ、昨日は本当に図書館で2人きりだったのか?」
友人の一人が尋ねる。
「ああ」
「信じられねえ。お前なんかが木魂と2人きりとは」
別の友人が、嘆きの言葉を放つ。
「うるせえ。俺は真面目に勉強を教えてもらっただけだ」
「本当か? なんだか、2人を見てると、お互いよそよそしいんだよな」
昨日のことがクラス中で話題になっているように感じて、お互い話しかけづらくなっているのは確かだった。
「お前らが騒ぐからだよ。俺は別に平気だけど、変な噂を立てられたら木魂が嫌がるだろ」
「へー、優しいな、鬼神。もう彼氏気分かよ」
「お前ら、いい加減に・・・」
途中まで言いかけたところで、鬼神は言葉を飲み込んだ。明日香が戻ってきたのだ。明日香が席に着くと同時に、友人たちは潮が引くようにいなくなる。
正直な話、鬼神にとっては噂が立つことに抵抗はない。相手がクラスでも屈指の人気を誇る女の子だから、逆に嬉しいくらいだ。
しかし、明日香にとっては不本意なことだろうと鬼神は感じていた。ほんの親切心を持った結果、自分のような落ちこぼれと噂になってしまったのだから。
鬼神にとっては残念だが、今日の件は断ろうと思い、端末で明日香にメッセージを送った。
『今日の件、止めておこう。』
しばらく経って、送信したメッセージの下に新たな文字が表示された。
『どうして?』
『噂になってるの、嫌だろ?』
『私は気にならないわよ。』
鬼神にとって、予想外の回答である。鬼神は、少し考えた末に
『じゃあ、図書館までは別々で移動するか?』
と書いた。
『ナイスアイデア!』
明日香はその下に続けた。
『でも、鬼神君は私と噂になって気にならないの?』
『気になるわけない。』
ちらりと明日香の顔を見ると、彼女もこちらを見て微笑んでいた。
こうして、休日も含めて毎日、2人は図書館に通い詰めて一緒に勉強した。
途中からは、明日香も自分の勉強を始め、鬼神が分からないところを質問するというやり方に変わっていった。
それなら、学校でも十分に対応できるのに、どちらも止めようとは言わない。
いつの頃からか、いっしょに車で帰るようになった。明日香の家のほうが近いので、先に明日香を送り、それから鬼神の家へ向かう。
車の中では、話が尽きることはなかった。新しくできた店の話、学校の友人のこと、時には怪しげな怪談話まで話題になった。
「学校のB館の踊り場にある鏡の話って知ってる?」
「夜中に見ると、中に引き込まれるってやつだろ?」
「あれ? 隣に女の人が映るんじゃなかったっけ?」
「それは、どこかにある洗面所の鏡じゃない? 確か、目を合わせると取り憑かれるから、目を閉じないといけないんだよね」
「そう、それを教えてほしかったの。目を閉じればいいんだ」
「木魂、もしかして信じてるの? そんなの、デタラメに決まってるよ」
「だって、もしかしたら本当かも知れないじゃない」
明日香は眉をひそめた。
「こういう話は苦手なくせに、自分から話したがるんだよな」
「だって、話しているときは楽しいじゃない。夜、眠れなくなることがあるけど」
「じゃあ、この話は知ってる? 夜、寝ている時に、足のない女性の幽霊が現れるってやつ」
「幽霊は、足がないでしょ?」
「その幽霊は、足を切られたらしくて、這って現れるんだ。放っておくと、持っている鎌で足を切られるらしいぜ」
「なにそれ、怖い」
本気で信じているのか、怯えた顔をする明日香に、鬼神は話を続けた。
「足を切られなくても済む方法があるんだけど・・・」
「どうすればいいの?」
明日香は真剣な表情だ。それを見ていた鬼神は、意地悪そうに笑みを浮かべ
「実は、俺も知らないんだ」
と答えた。
「うそでしょ? ちょっと待って、どうするのよ」
明日香が、もどかしげに鬼神の隣に腰掛けた。
「おいおい、そんなに慌てなくても・・・」
「だって、今日にも現れるかも知れないでしょ。ちゃんと調べておかなくちゃ」
「ただの作り話だって。今どき、小学生だって信じないよ、こんな話」
「もう、それなら自分で調べる」
そう言って、端末を取り出し、検索を始めた。
明日香の横顔が急接近して、鬼神は身を固くした。ストレートの長い髪は、まるで黒い絹のように光を帯び、そこからシャンプーの香りがほのかに漂う。
「あっ、すぐに見つかったわ。えっと、身代わりの人形を置く、か。人形の足を切って持ち去ってしまう、ですって」
そう言って、明日香は鬼神の顔をさっと見上げた。鬼神も明日香の顔を見つめている。鬼神の表情は固まり、笑顔の明日香がだんだんと真顔に戻っていく。
明日香は、慌てて対面のシートへと戻っていった。そのまま、どちらも声を掛けようとはしない。
「間もなく、目的地に到着です」
ナビゲーターの声が鳴り響き、ようやく鬼神が口を開いた。
「いよいよ、明日は試験だな」
「うん」
「今まで、ありがとう。おかげで、赤点は免れそうだよ」
「平均点以上をとる約束よ。忘れないでね」
明日香は、笑顔を見せたが、鬼神にはどこか寂しげな表情に見えた。
「ああ、がんばるよ」
鬼神も、明日香に笑顔を送った。
車から降りた後、明日香は鬼神に手を振った。鬼神も、車の中から同じように手を振る。
車が発進し、明日香の姿は闇夜の中であっという間に消えてしまった。
化学の試験が終わり、その翌日の化学の授業には採点結果が返ってきた。
「今日は、びっくりするような発表があるわよ」
化学の先生は、長い茶髪を後ろで束ねた中年の女性だ。ひょうきんな性格で、生徒にも人気が高い。
「鬼神、あんた、やればできるじゃない。今回、クラスでも5番以内の成績よ」
クラス内が一斉にどよめく。鬼神は、いつも赤点の常習犯として有名だっただけに、誰もが信じられなかったのだ。
そしてこの事が、2人の噂を再燃させるきっかけとなったのである。
「お前、どうしたんだよ、いったい?」
授業後、友人たちが早速、鬼神の周囲に集まる。
「木魂から、勉強法を教えてもらったんだよ。それだけだ」
「なあ、何点だったんだよ。見せてくれよ」
そう言われ、鬼神は端末に映る答案用紙を友人たちに示した。
「信じられねえ。一回習っただけで、こんな点が」
「俺だって、本気になれば、これくらいできるってことだよ」
そう言いながらも、一番驚いていたのは鬼神だろう。まさか、ここまで高得点になるとは思っていなかったのだ。
「鬼神君、おめでとう。約束通り、パイをごちそうしてね」
明日香が話の輪に入ってきた。
「ああ、予想以上にいい点が取れたもんな。それくらい、お安い御用さ」
それを聞いて「やったあ!」と声を上げる明日香に、友人の一人が
「なあ、俺にも勉強法を教えてくれよ。鬼神がこれだけいい点とれるんなら、めちゃくちゃ効果あるってことだろ?」
と言い出した。
「私は、勉強のコツを少し伝授しただけよ。あとは鬼神君の努力なんだから、簡単にとれるなんて思わないでね」
明日香の言葉を聞いて
「そのコツだけでも教えてよ。俺もおごるからさ」
と、相手はなおも食い下がる。明日香は、少し困った顔をした。
勉強法と言っても、明日香が鬼神に説明したことは、大半が授業で習った内容ばかりである。コツがあるとすれば、せいぜい、眠らないためにアロマオイルを使う話くらいだろうか。
そんな明日香の様子を見て、鬼神が助け舟を出した。
「分かったよ、後で俺が教えてやるよ。でも、俺だって一週間がんばったんだからな。聞いただけでは無理だぜ」
「そう言えば、お前、俺達の誘いも全部断ってたもんな。本当に勉強してたんだな」
その言葉に、別の友人が疑問を持った。
「しかし、どうして急に勉強する気になったんだよ。いつもは全くやる気を見せないくせに」
「どうせ、いい点は取れないと言われたからだよ。そんなこと言われたら、悔しいだろ」
「それは今に始まった話じゃないでしょ。前にも『次は見てろよ』って言ってたことがあるけど、結局、赤点だったじゃない」
いつの間にか、明日香の友人たちまで話に加わっていた。
「だから、木魂の勉強法が役に立ったんだよ」
「前のときは、勉強しなかったって白状してなかった? 今回は猛勉強するなんて、信じられないわ」
なんて記憶力がいいんだと内心思いながらも、鬼神はなんとか言い訳しようと考えをめぐらせた。
「つまり、やる気を出させる勉強法なんだよ」
「ふーん。やる気かー」
女生徒はニヤリと笑い、明日香のほうへ顔を向けると
「明日香、いい加減、白状しなよ。あんたたち、今まで一緒に勉強してたんでしょ?」
そう言って、明日香の肩を指でツンツンと突っついた。
その声はクラス中に響き渡るほど大きく、一瞬にしてざわめきが消え去った。
さらに悪いことに、近くの席に座っていた若菜が突然、顔を手で覆って泣き出した。周囲にいた生徒が慌てて若菜に声を掛ける。
クラス中の視線を一身に集めている気がして、鬼神も明日香も身動きがとれない。そんな中、授業開始を告げるチャイムが鳴り響いた。
この後のことは、鬼神はほとんど覚えていない。鬼神にも明日香にも、休み時間に声を掛けてくる者はいなかった。
若菜は、ショックが大きすぎたのか、保健室で休んでいるらしい。彼女は非常におとなしい性格で、休み時間でも本を手放さないほどの読書好きだ。かと言って孤立しているわけでもなく、誰とでもフランクに接することができた。ショートヘアに日本人離れしたルックスで、明日香よりも活動的に見えるのだが、中身は非常に繊細。そのせいか、彼女のことは男女問わず、まるでお姫様のように扱っていた。
明日香と噂になり、さらに若菜を傷つけたことで、鬼神がクラスからの反感を買っていることは明らかだった。明日香のほうも、自分などと噂になってしまい、困っているだろうと鬼神は考えていた。
放課後になっても若菜は戻ってこなかった。まずは誤解を解くために、保健室にいる若菜の下へ行こうと立ち上がる。教室を出たところで、明日香が追い掛けてきた。
「若菜さんのところへ行くんでしょ? 私も行くわ」
どう声を掛けたらいいか思いつかない事もあって、明日香が一緒に来てくれるのは、まさに渡りに船だ。
保健室の前にたどり着いた鬼神は、中に入るのを少しためらった。
「どうしたの?」
「何を話したらいいだろう」
「まずは誤解を解かなくちゃ」
「誤解って・・・一緒に勉強していたのは本当のことだぜ」
「そうだけど、別に付き合っているわけじゃないから」
「そう言って、信じてもらえるだろうか」
明日香は、少し目を伏せた。
「若菜さんの気持ち、分かったでしょ? 鬼神君、彼女と付き合う気ないの?」
「言っただろ。クラスの男子全員を敵に回したくないんだよ」
「今って、そんな状態じゃないの? なんとなく、若菜さんと付き合うと、丸く収まるように思えるんだけど」
鬼神は、首を横に振った。
「それって、若菜がかわいそうだよ。クラスを丸く収めるために付き合うなんて、俺にはできない」
鬼神は、そう話しながら疑問を持った。明日香が、鬼神と若菜を、やたらと恋人同士にしようとすることに対してである。
「なあ、なんでそんなに若菜とくっつけようとしているんだ?」
「えっ? だって若菜さん、こんなにショックを受けるほど鬼神くんのことが好きなんでしょ。なんとかしてあげたいなって・・・」
「じゃあ、俺の気持ちはどうでもいいのかよ」
「それなら、鬼神君はいったい、誰が好きなの!」
今まで小声で話していたのに、突然明日香が大声で叫んだ。鬼神は少し驚き、思わず本当のことを口に出すところだった。それをぐっと飲み込んで、ため息をつく。
「お前、声がでかすぎだよ」
明日香は慌てて口を押さえた。
ドアに軽く触れると、保健室のドアがすっと開いた。保健室独特の、薬品の匂いが鼻をつく。
中には、アンドロイドの保健師が一人、常駐している。2人を見て、保健師が
「どうしましたか? 気分でも悪いのですか?」
と尋ねた。
「いいえ、友達の様子を見に来たのですが」
「ああ、若菜さんのお友達ですね。彼女、今は落ち着いていますよ。よほどショックな事があったみたいですね。こちらへどうぞ」
カーテンで仕切られたベッドの一つで、若菜は上半身を起こし、うつむいたまま目を閉じていた。
「若菜さん、お友達が来てますよ」
保健師の声に顔を上げ、その後ろに鬼神と明日香がいるのを見た瞬間、若菜はパッとシーツを頭からかぶってしまった。
「お願い、鬼神君、来ないで」
若菜の小さな声が聞こえた。考えてみたら、若菜は鬼神に好きだと告白したようなものである。死ぬほど恥ずかしいのは当然だ。
「ごめん、そのままでいいから、話を聞いてくれないか?」
若菜は何も言わない。鬼神は話を続けた。
「まずは、木魂と一緒に勉強していた話だけど、これは本当だよ。でも、今回のテストで、いい点をとりたかったから、純粋に勉強を教えてもらっただけだ。別に、俺が木魂と付き合っているわけじゃない。それは信じてよ」
シーツの中の頭がコクリとうなずいた。
「それから・・・これは、はっきりしておかなくちゃな。その・・・若菜が俺のこと好きだっていうのは何というか、すごくうれしいよ」
シーツがピクリと動く。
「俺は今、彼女なんていないけど・・・」
明日香が、鬼神の少し後ろに立って、真剣な顔で鬼神のほうを見ていた。心なしか、少し緊張しているようだ。それは、若菜も同じである。シーツは微動だにしなかった。
「でも、若菜以外に好きな人がいる。だから、その、ごめん」
意外にも、若菜は泣かなかった。散々、泣いた後で涙が枯れたのか、それとも鬼神の言葉を予想していたのか、それは定かではない。
シーツをかぶったままの若菜は、か細い声で話し始めた。
「お願い、誰が好きなのか教えて」
「いや、それは勘弁して」
「木魂さんがいるから?」
「まあ、そんなところだ」
「じゃあ、私にだけ教えて」
「聞いてどうするんだ?」
「誰が好きなのか分かれば、諦められるかも知れない」
「誰にも言うなよ」
「うん、約束する」
若葉は、シートから頭を出した。頭を振って、クシャクシャになったショートヘアを元に戻し、ちらりと鬼神のほうを見る。泣いていたためか、目が赤い。
鬼神が若菜に耳打ちしている間、若菜の目は明日香のほうを向いていた。明日香には、心なしか、少し微笑んでいるように見えた。
しばらくの間、保健室の中で歓談する。鬼神は、いつもは静かな若菜が、予想に反して話し好きであることに驚いた。
「若菜、意外とよく話すんだな」
「あら、女子の中ではいつも話の輪に入っているわよ」
明日香が代わりに答えた。
「だって、いつも本を読んでいるイメージしかないぜ」
「たしかに、本を読んでる時間のほうが長いかな」
今度は、若菜が言葉を返す。
「読んでて飽きないか?」
「だって、一生かかっても読めないほど本はあるもの。飽きることなんてないわ」
「鬼神君は、まずは教科書を読むようにしないとね」
明日香が話の腰を折る。
「余計なお世話だ」
鬼神が明日香に向かって叫ぶと、若菜はクスクスと笑った。ようやく笑顔が見られるようになって、鬼神は少し安心した。
「だいぶ元気になったようですね。もうそろそろ、帰らなくても大丈夫ですか?」
保健師がやって来て、3人に話しかけた。
「ああ、もうこんな時間か。そろそろ教室に戻ろうか」
保健室を後にして、教室に戻るまでの間、鬼神を先頭に、明日香と若菜は後ろでヒソヒソと話をしている。時々聞こえてくる笑い声に、何を話しているのか鬼神は気になったが、残念ながら声を聞き取ることはできなかった。
教室には、誰も残っていなかった。外は人工太陽が光を失い、もう暗くなっている。
「さて、パイをおごる件はどうする? なんなら、若菜もおごってやろうか?」
鬼神が2人に尋ねた。
「さすが太っ腹。若菜さん、どうする? 『オッカム』のパイが食べられるわよ」
明日香は若菜を誘うが
「私は何もしてないもん。おごってもらうなんて悪いわよ」
と若菜は断った。
「じゃあ、木魂はどうする?」
鬼神は、今度は明日香に聞いてみる。
「今日は遅いから、別の日にしましょう」
明日香が返事をすると、若菜がある提案をした。
「休みの日に行くのはどう? 休日にカップルで行くとね、ドリンクが2人分無料でついて、割引もされるのよ」
「えっ、それは知らなかったな。じゃあ、今度の休日は?」
「オーケーよ」
こうして、2人の初デートの日はすんなり決まったのだった。
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