第19話 悪夢の祭壇
2人のアンドロイドに連れられて、若い男女はうつむき加減で歩いていた。
大きなため息をついた後、男はアンドロイドに
「今、何時なんだ?」
と尋ねた。彼には日付や時間を知る術がなかった。捕らえられた時にあらゆる携帯機器は取り上げられ、今は何も持っていないからだ。
「21時8分を少し過ぎたところです」
それを聞いて、男はあたりに目を移した。他の場所とあまり代わり映えのない景色。道路が複雑に交差し、銀色に輝くビルが剣のように上へと伸びている。
ほんの軽い気持ちで入り込んでみたが、予想以上に危険な場所だった。刺激を欲していた過去の自分に、もし会うことができたら張り倒してやりたい気分だ。今は、とにかく早く家へ戻りたかった。ふかふかのベッドで、安心して眠りにつくことができれば、他には何もいらなかった。
突然、アンドロイドたちが歩みを止めた。
「どうしたんだ?」
男も女もつられて立ち止まり、アンドロイドたちの不意の行動に眉をひそめた。
「今から、血液を採取します。どちらかの腕を出して下さい」
「どうして急にそんなことをするんだ?」
男は不思議に思い、アンドロイドに尋ねた。
「超人症の感染がないか、検査するのです」
その回答に、男はしばらく面食らったような顔になったが、小さくため息をついて、素直に右腕を差し出した。女も、男の様子を見て、アンドロイドの方へゆっくりと右腕を差し出す。
アンドロイドがポケットから取り出した注射器には針がなく、両端が丸くなった透明な円筒の形になっている。服の上から注射器をあてがうと、不思議なことに、筒の中に血液が入り込んできた。どんな仕組みで血を抜いているのか、全くわからないが、2人にとっては当たり前のことらしく、静かに終わるのを待っている。
注射器を腕から離す。服にはまったく血が付いていないし、穴すら開いてない。これなら、子供に注射するときも、怖がることはないだろう。
「ご協力、ありがとうございます。結果がわかるまで、しばらくお待ち下さい」
そう言って、アンドロイドは採取した血液を検査キットらしき器具の中に入れた。
その様子を見て、男はまた、ため息をついた。
「どうだった?」
竜崎が、アンドロイドの一人をつかまえて尋ねたのは、血液検査の結果のことである。
「3人全員を検査しましたが、陽性は一人もいませんでした」
「そうか、これでしばらくは一安心だな」
「しかし先ほどの情報では、逮捕した10名に陽性反応があったそうです」
「スラム街で大量感染か・・・どうして、こうもマスコミの喜びそうなネタが次から次へと出てくるんだ?」
「今回も『進化の選択』が絡んでいるそうですね。陽性反応があったのは、その信者たちでしょう」
「奴らがスラム街で活動していたのは間違いないだろうな。そして、『ノア』という人物こそが、その親玉なんだろう。集団感染は、その男の指示に違いない」
「『ノア』は、今もスラム街にいるものと予想していますが、まだ見つかってはいませんね」
2人が話をしているところに、竜崎の背後から浜本が近づいてきた。
「ここにいたのですか、竜崎さん。例の強盗事件の犯人ですけど、『ノア』と一致する顔は見つかりませんでした。今、顔の特徴を聞き出しているところですが、鬼神さんの時と同じで、特徴がほとんどないようですね」
竜崎は、浜本の方に顔を向け
「もうひとりの女はどうなんだ? 『ノア』の顔は見ていないのか?」
と尋ねた。
「彼女は直接会ったことはないそうです。もともと収集癖があるようで、缶詰集めもほとんど趣味でやっていたみたいですね」
「ふん、そんなのが趣味と言えるのか?」
「そうとうな変わり者ですよ。取り調べ中も、缶詰のことが気になるようでしてね。返してほしいと懇願してました」
「しかし、そんなに簡単に手に入れられるものなのか?」
「廃棄処分される缶詰の行き先を知っていれば、割と簡単に入手できるようですね。もちろん、見つかればやばいでしょうが」
「今まで、誰にも見つからずに盗んでいたわけだよな。よほど手際がいいのか、それとも運がよかったのか」
2人の会話を黙って聞いていたアンドロイドが、不意に竜崎に話しかけた。
「竜崎さん、今日はもう一度取り調べをしてもらわなければなりません。先ほど、新たに2人が送られてきたようです」
竜崎は、それを聞いてため息をついた。
「まあ、覚悟はしていたからな。早いところ、終わらせようぜ」
そう言って、取調室へと歩き出した。
若い男は、明らかに不機嫌そうな顔で、目の前にある机の端をじっと見ていた。
その様子を、竜崎は苦虫を噛み潰したような顔で眺めていた。その横には、アンドロイドが一人、無表情なままで男の顔を見ている。
「もう少し素直に話せば、早く解放されるんだけどな」
低い声で、つぶやくように、竜崎は話しかけた。しかし、相手は固まったように動かない。
「あの場所は汚染区域ではない。汚染区域侵入罪にはあたらないから、他に何もしていなければ起訴されることもないんだ。まずは、いつ、あの場所へ侵入したのか、教えてくれないか?」
竜崎にしては珍しく、優しい声で説き伏せようとする。その説得が通じたのか、男は重い口を開いた。
「スラム街に入ったのは6月2日の夜」
「彼女といっしょに入ったんだな?」
男は、小さくうなずいた。
「中で何をしていたんだ?」
「ただ、歩きまわっていただけだよ。何か面白いものが見つかったら、写真を撮って投稿しようと思っていたんだ。でも、つまらないものばっかだから戻ろうとしたときに、変な集団に襲われて、しばらくの間、暗い場所に閉じ込められた。移動中は目隠しされていたから、どこにいるのかも分からなくて。でも、あのままいたら殺されそうな気がしたから、美紅と・・・彼女と相談して、隙を見つけて逃げ出したんだ」
「よく逃げられたな」
「見張りがいるわけじゃなかった。時々、食料を持ってくる奴が来る程度で、あとは放置状態だったよ」
「なら、どうして殺されると思ったんだ?」
「捕まってすぐ、あの集団のリーダーみたいな奴が俺たちのところへ来たんだ。見てすぐに、やばい奴だと分かったよ。隣にいた男に、『まだ生かしておけ。いずれ時は来る。』とか言っていた。何のことかは分からなかったが、そのままいれば殺されると思ったよ」
「そのリーダーの顔は覚えているか?」
「暗い場所だったから、顔ははっきり覚えていない。目だけが光っているようで、不気味だったな」
「他に、何人くらい人がいたのか分かるか?」
「それも分からない」
竜崎は、机の上に両肘をついて額に手をあてながら
「他には何か、見ていないか?」
と問いかけた。
「いや、特には・・・食事はやたらと豪華だったけど」
「何を食べていたんだ?」
「いつもステーキとワインだった。でも、何の肉かはわからない。あんなところで、まさかまともな食事ができるとは思わなかったな」
それを聞いた竜崎は、頭を掻きながら
「まともな食事、か・・・」
とつぶやいた。
「2人の供述に矛盾点はありませんね。嘘は言っていないようです」
アンドロイドが竜崎にそう伝えた。
「灸は据えたわけだし、とりあえず今日のところは解放でいいな」
竜崎は、自分もようやく解放されると思い、ホッとため息をついた。
「あの2人、この後どうなるでしょうね」
横にいた浜本が、ニヤついた顔で話しかけてきた。
「俺たちには関係ないことさ。まあ、女の方はかなり怒っていたようだけどな」
「彼女は嫌がっていたみたいですからね、あんなところに入るのは。それで、こんな目に遭ったわけだから、怒るのも無理はないですよ」
「まあ、あとは男がなんとか機嫌をなおす方法を考えるだろう。それより、あの4人はどうなった?」
あの4人とは、スラム街で拘束した『進化の選択』の信者たちのことだ。
「それが、全く食べようとしません。今日も、食事には手をつけませんでした」
アンドロイドが代わりに答えた。
「本当に、人肉以外は食べないということか」
「そのようですね。いろいろと説得しているのですが、体が汚れるからと言うばかりで」
「ここへ来てから一週間くらいか。いつまで耐えられるかな?」
「人肉だと嘘を言って、無理やり食べさせたらどうですか?」
浜本が話に加わった。
「人がどんな味なのか知らないが、他の肉ではバレるんじゃないか?」
「味付けでごまかせるんじゃないですか?」
「そもそも、警察が人肉を食べさせるなんて思っていないだろ。こうなったら、どちらが折れるか根比べだな」
竜崎は、そう言い残した後、2人をおいて立ち去っていった。
鬼神とマリーは、2人の後をついて廊下を歩いていた。
突き当たりのT字路にたどり着き、左側の通路の先にあるシャッターの前までやって来た。以前、鬼神が来たときは行き止まりだと思っていた場所だ。
一人の男が、シャッターをノックする。規則があるようで、リズミカルにシャッターを叩いていた。
ゆっくりと、シャッターが上がっていく。どうやら、利用できる開閉ボタンは向こう側のみにあるらしい。外側にもボタンらしきものがあるが、元から壊れたか、壊して使えないようにしたのだろう。
シャッターの先には、男と女が一人ずつ立っていた。見張り番だろうか。
「食料はどうしたんだ?」
中にいた男の問いに答える代わりに、2人は脇に寄って鬼神とマリーの姿が見えるようにした。
「我々は警察です。あなた方は、ここを退去しなければなりません。この中には何人いるのですか?」
マリーが前に出て話しかけた。警察という言葉に、中の2人は身構えた。
「抵抗すれば、近くで待機している20人ほどの仲間がすぐに駆けつけますよ。それだけではありません。現在、100名近くの部隊がこの中で捜索を行っています。我々は、無駄な争いはしたくありません。素直に指示に従って下さい」
無駄な争いはしたくない、というのはマリーの本心であった。だから、鬼神と2人だけで交渉によって解決しようと提案したのだ。鬼神は、危険だと反論したが、マリーは
「そのために、あなたにも付いてきてほしいのです」
と言うだけだった。いくらハンターでも、たくさんの人間が相手では勝てるとは限らない。しかも、スリーパーがいる可能性もあるのだ。
「どうして、ここを出る必要があるのだ? 我々は何も悪いことはしていない」
中にいた男が口を開いた。
「ここは管理区域外です。無断で立ち入ることは認められていません」
「今、長老は不在だ。我々だけで判断することはできない。長老が戻られるまで待ってもらおう」
「その長老はどこにいるのですか?」
「わからない」
『ノア』はここにはいない。しかし、『ノア』はおろか、ジャフェスさえも行方不明である今、必ずこのスラム街に潜んでいるに違いないと鬼神は思っていた。
「長老は、いつもはここに滞在しているのか?」
鬼神が尋ねてみた。
「週に一度、講話のためにここへ来られる。しかし、今週は姿をお見せになっていない」
「なら、いつもどこにいるんだ?」
「定まった場所はない」
「スラム街の中にいるのか、それとも外にいるのか?」
「それも分からない」
その答えを聞いて、鬼神はため息をついた。
「ここには何人いるのですか?」
マリーがもう一度尋ねた。
「今は20人ほどだ」
「ここに呼んでもらえますか?」
「さっきも言っただろ。長老が来るまで待ってくれ」
マリーは男の顔をじっと見たまま、しばらく口を開かなかった。
張りつめた空気の中で、マリーは全く違う質問をした。
「あなたたちは、感染していませんか?」
長い沈黙のあと、男が口を開いた。
「何名かは、血を受け入れている」
冷蔵庫にあった死体は全て持ち去るつもりであることを説明すると、先の2人と同じように、飢え死にさせる気かと詰め寄ってきた。
「あなた方が人間の肉しか食べていないことは承知しています。しかし、これ以上は遺体を口にすることは許されません」
「彼らを再生させるために必要なのだ。その機会を失うことに・・・」
「あなた方が行っていることは立派な犯罪です」
マリーは毅然として言い放った。その強い口調に、男たちは言葉が出ないようだ。
「中にいる人にも、外に出るよう説得する必要があります。ここに連れて来れないなら、私達が中へ入りましょう」
「部外者は立ち入りできん」
「これは命令です。あなた達に拒否権はありません。私達を中に入れるか、それがダメなら中の人をここに連れて来なさい」
一触即発の状態である。どちらも、自分の主張を曲げる気はないらしい。マリーは本気で交渉だけで解決しようと考えていたのか、鬼神は疑問に思った。
「マリー、ここまでだ。他の連中を呼ぼう。強制的に退去させるんだ」
鬼神がマリーにそう話しかけた時、見張りの男が口を開いた。
「わかった、中へ入ることを許可しよう。但し、条件がある。武器は俺が預かる」
男がすっと手を差し出すのを見て、鬼神とマリーは顔を見合わせた。マリーがうなずくのを見て、鬼神はホルダーからプラズマガンを取り出した。
マリーもスタンガンを手に取り、男に渡した。2つの銃を見て男は笑みを浮かべ
「では、案内しよう」
と、中へ歩いていった。鬼神とマリーは、その後を付いていく。
背後で、シャッターが閉まる音が聞こえる。しかし、鬼神もマリーも、表情を崩すことはなかった。
「なあ、悪かったよ。そんなに怒らなくても・・・」
そう言いながら、男は先を歩く女性の後を付いていく。
「あなたのせいで、とんでもない目に遭ったわ。おまけに警察に捕まるなんて、最悪」
「お詫びに今度おごるからさ。次の休日にでもどうだい?」
「安い店じゃ満足しないわよ。店で一番高い料理を注文してやるんだから」
女性は男のほうへ振り向いて、いたずらっ子のように笑みを浮かべながら言葉を返す。
「ははっ、わかったよ。それで納得するなら構わないよ」
男も、つられて笑みを浮かべた。
「それより、会社には連絡しなくていいの? 無断欠勤になっているんでしょ?」
「今日はもう遅いし、連絡しようにも電話がないから、明日にでも直接行ってみるよ。クビになってなきゃいいけどな」
「結局、何日あそこにいたことになるの?」
「さっき、警察の人に聞いたんだが、今日は6月12日らしい」
女は目を丸くした。
「やだ、10日も監禁されていたの?」
「でも、何もされなかったんだから、結果としてはよかっただろう?」
「あと3日で原稿を書かなきゃならないのよ。いいわけないじゃない」
女性がまた不機嫌になったのを悟って、男は頭を掻きながら
「本当にごめん」
と謝るしかなかった。
小谷は、目の前の光景に、まるで悪夢でも見ているような思いだった。
そこは、広い部屋になっていた。中は暗く、アンドロイドたちのライトであたりの様子が浮かび上がっている状態だ。
鏡が壁一面に取り付けられているのを見るに、ダンススタジオかスポーツジムだったのだろう。鏡の何枚かは粉々に割れていた。灰色の無機質な壁には、どす黒い何かが飛び散っている。
木の床には、複雑な幾何学模様が描かれていた。焼きごてでも使ったらしく、その輪郭は炭になっている。所々には、溶けたろうそくが置かれていた。
最も目を引いたのは、横一列に並べられた太い鉄柱だ。それは先端が直角に折れ曲がっていて、手枷のついた鎖がぶら下がっている。その手枷に、腕の骨がぶら下がっているものもあった。
鉄柱の下には、骨が散乱している。明らかに人骨だった。おそらく、ここで拘束されていた者の成れの果てだろう。
イヴが、その骨の一つを拾い、目を凝らして見ている。
「人骨に間違いありませんが・・・おそらく、手枷でつながれていたのでしょう」
「こんな光景は初めてだな。夢にでも出てきそうだよ」
小谷は、額の汗を拭いながらイヴに話しかけた。
「なにかの儀式でもしていたのでしょうか?」
そう言いながら、イヴは前に置かれていた長机に近づいた。
机の上には、数枚の皿が置かれている。皿は赤黒く汚れていた。溶けた赤いろうそくが至るところに立っている。
「おそらく、例の教団の活動場所だったのでしょう」
「今は使われてないようだな」
骨の欠片を拾い、小谷が
「これは持ち帰るかい?」
とイヴに尋ねた。
「そうですね。犠牲者を特定しなければなりませんから」
その言葉に小谷はうなずいて、もう一度床に散乱した白骨を見渡した。
そのとき、光を放つ小さなコインのようなものが床に落ちているのに気づいた。
拾ってよく見てみると、それはコインではなく、何かの紋章だった。
「死体の誰かが付けていたのか?」
円の中に3つの矩形が重なって描かれている。その重なった箇所だけ赤・青・黄に塗りつぶされ、他の箇所は白色だ。
「こんなものを拾ったんだが、何か分かるか?」
イヴにその紋章を見せると、イヴは
「これは、GCSのSVに渡される認識タグですね」
と答えた。
GCSとは『ジオフロント・コア・システム』の略で、この地下世界の基幹システムのことを指す。SVはスーパーバイザー、つまり管理者のことであるが、現在のシステムはソフトウェアのみならず、ハードウェアにも自己修復機能があり、保守の必要は全くない。管理者というよりは、新たなアーキテクチャーを開発する専門家と言ったほうがいいだろう。
SVになるためには、かなりの知識と能力が求められる。このタグを持つ者は、非常に限られるということだ。そんな人物が行方不明になったのなら、もっと大きなニュースにでもなっているはずだが、小谷の記憶の中には該当するものがなかった。
「この中に、そんな人物がいるんだったら、大変な事になるな」
「それなら一人だけ、SVに行方不明者がいますね。しかも、子供の頃に話題になった人ですよ」
「そりゃ、誰だ?」
「わずか12歳で、コンピューターの新しいアーキテクチャーを発表してたちまち有名になりました。9歳で名門の三宝工科大学に入学し、16歳でSVに認定されています」
「聞いたことがないな」
「もう40年ほど前の話ですから。ですが、20代の頃に事故で重傷を負いまして。その後、行方不明となっています」
「すると、この白骨の中に、そいつが含まれている可能性があるということか」
「あり得る話ですね。とにかく、この骨を持ち帰りましょう。今日は、これで終了ですね」
「他の連中はもう戻ったのかい?」
「鬼神さんが、まだ最下層にいます。例の教団のアジトが見つかったみたいですね」
それを聞いて、小谷はもう一度あたりを眺めてみた。
「そこでも、これと同じ光景が見られるかもな。俺は、もう見たくないが」
そう言って、手に入れた紋章をポケットに突っ込んだ。
鬼神とマリーが目の当たりにした光景は、おそらく小谷が想像していたものを遥かに凌駕していただろう。とても同じ人間が行ったとは思えない惨劇が、ここでは繰り広げられていた。
部屋の中は広く、ほとんどの者は隅に固まって座っている。中央には不気味な幾何学模様が描かれ、たくさんの赤いろうそくの光があたりを照らしていた。
ずらりと横一列に並んだ鉄柱の一つに、肉がぶら下がっている。元は人間だったのだろう。その変わり果てた姿を見て、鬼神は吐き気を感じた。
あたりに漂う血の匂いに、酔いそうな気分になる。どこからともなく、苦しげな悲鳴に似た声が聞こえるが、その声の主が誰なのか、今は分からなかった。
「さて、中に入ることは許可したんだ。これで問題はないだろう?」
男が、鬼神とマリーの方へ振り返り、口を開いた。
しかし、マリーは、男の言葉を無視して、隅に固まっている信者たちの下へと向かった。
「あなた方は、自分の意志でここにいるのですか? それとも、強制的に連れて来られたのですか?」
マリーが尋ねるが、返事をする者は一人もいない。全員が、うつろな目をしている。考えることを放棄した、ただの操り人形であるかのように鬼神は感じた。
「もはや、ここにいることはできません。今からすぐに外へ出てもらいます」
マリーの言葉を聞いて、目に生気が戻った者が何名かいた。すっと立ち上がり、マリーに近づこうとする。
「勝手な行動は慎みなさい」
男の叫び声を聞いて、その足がピタリと止まった。
マリーは男を見て
「あなたこそ、私の指示に従わなければなりません」
と無表情な顔で言った。しかし、男は笑みを浮かべただけだ。
鬼神は、人肉がぶら下がっている鉄柱へと近づいた。その前には台が置かれ、何かが飾り付けられている。
その何かは、真っ赤に塗りつぶされ、丸く切り抜かれた布か皮のように見える。所々に大きな穴が空いていて、それは顔のように見えた。皿の中央に広げられ、ろうそくの炎で照らされている。
その横には、鈍い光沢を放つ鎖の束がある。鎖には鋭い棘が並んでいた。さらにその隣に長方形の大きな刃がついた中華包丁。肉を捌くのに使うのだろう。
「は・・・ふ・・・け・・・へ」
かすれた女性の声に、鬼神は顔を上げた。声の主が誰なのか、あたりを探しても見つからない。
鉄柱から吊り下げられた、元は人であろう物体が目に映った。手枷で固定された腕は皮が剥ぎ取られ、真っ赤に血塗られている様が暗い中でもはっきりと分かった。顔や頭にも皮膚はなく、性別も判別できない。しかし、全裸の体からそれが女性であることは分かった。頭から流れる血で体は赤く染まり、その凄惨さには、さすがの鬼神も正視に耐えなかった。
「は・・・ふ・・・け・・・へ」
また、声が聞こえた。そして、その声は鉄柱にぶら下げられた人肉から聞こえてくることに気づいた。
「なんてことだ、まだ生きてる」
鬼神が、慌てて女性の下へと駆け寄った。女性の頭が、わずかに持ち上がった。むき出しの口の中には歯が一本もない。全て抜き取られたらしい。
「マリー、すぐに救護を要請してくれ。ウォータージェルで保護したほうがいいだろう」
「余計なことをするな」
男が、鬼神から取り上げたプラズマガンの銃口を向けた。
「マリー、急げ。交渉は決裂だ。力ずくで、こいつらを排除するぞ」
鬼神は、銃を向けられても動じることはなかった。手枷のベルトを外すと、女性は力なく倒れそうになる。慌てて両腕で抱え、そっと地面に横たえた。体には、切り裂かれた痕が無数に残っている。
マリーが鬼神に近づこうとするのを、男が間に割って入る。今度はマリーへ銃口を向けていた。
「我々の邪魔をするものは、裁きを受けることになるだろう」
男はそう言って引き金を引いた。
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