第13話 ジオフロントの魔女狩り

 麻子は、エレベーターを降りて我が家へと向かった。

 左手には外の景色が広がる。景色と言っても、見えるのは壁にある無数の窓の灯りだけ。それは整然と並び、何かの絵を描いているようにも見えた。天井の灯りが陰鬱に灰色の床を照らす。遠くにある緑色の非常灯が目に明るく映った。

 今は、とにかく誰とも顔を合わせたくはなかった。うつむいたまま、廊下を早足で歩く。できるだけ静かに歩いているつもりなのに、気にし過ぎるせいか、足音があたりに響き渡っているように感じた。気持ちだけが焦り、足はますます速くなる。

 ようやく扉に近づいたとき、何かが貼られているのに気づいた。それを見た瞬間、麻子はショックで硬直してしまった。

 扉の開く音に驚いて左を向くと、3つほど離れたドアから一人の男性が外に出る姿が目に入った。相手も麻子の存在に気づいたようだ。目があった瞬間、麻子は慌ててドアのロックを解除して中に入った。

 バタンと閉めたドアにもたれ、しばらく下を向いていた。照明が、柔らかな光であたりを自動的に照らす。麻子の目から落ちる涙の雫が、その光に反射して銀の糸のようにきらめいた。やがて崩れるようにその場にしゃがみこみ、麻子は手で顔を覆ってむせび泣いた。


 どれだけの時間を費やしただろうか。

 鬼神は、ようやく見覚えのある場所へとたどり着いた。もう少し進めば、非常階段があるはずであった。

 ほっと息をつくのも束の間である。背後から足音が聞こえた。振り返ると、2人の男が近づいて来る。それも尋常な速さではない。ハンターたちだ。

 鬼神は、すぐに駆け出した。超人たちの追い掛けっこが再開されたのである。

 しばらく走っていると、フロアの天井とつながった細長い建物が見えてきた。その中に非常階段がある。

 扉を開け、素早くライトを点けて、階段を二段飛びで駆け上がる。しばらくして2人のハンターも同じように階段を上り始めた。

 3フロアまではかなりの高さがある。超人的な力があったとしても、体は人間のままだ。だんだんと上るスピードが遅くなっていく。

 気が遠くなるほどの長い階段がようやく終わり、あとは狭い通路を抜ければ外に出られるというところまで来た。走りながらライトで前方を照らすと人影が見えた。

「ご苦労さんだね、鬼神さん」

 女性ハンターの姿が目の前に迫るのを見た瞬間、鬼神は観念したのか立ち止まり、座り込んでしまった。やがて2人のハンターも鬼神の背後までやって来た。

「まったく、無茶しやがって」

 大柄な男のハンターが、息を切らせながら声をかける。

「鬼神さん、いろいろと聞きたいことがあります」

 女性ハンターの後ろから現れたのはマリーだった。

 鬼神は、うつむいたまま荒く息づいていた。


 彩は、休憩室でコーヒーを片手に、電話の相手が出るのを待っていた。

 呼び出し音が何度鳴っても相手は出ない。

 電話を切り、悩ましげな顔で手に持った電話を眺めていたが、コーヒーを一気に飲み干してカップをゴミ箱へ捨てると、休憩室から飛び出した。

「ちょっと急用で外出します」

 そう言い残し、ボードに外出と書いてから、彩は急いで事務所を後にした。

 外へ出てすぐ、近くに停まっていた車へと乗り込む。

「F-6エリアの17フロアへ」

 行き先は、麻子のいる家だった。


 車から降りて、エレベーターへ向かう。

 エレベーターの前で、麻子が住んでいる家の場所を知らないことに気づいた。

(しまった、聞いておくの忘れてた)

 ちょうどそこに一人の男性がやって来て、エレベーターのボタンを押した。

「すみません、紫龍さんのお宅はどこかご存じないですか?」

 彩が尋ねてみると、その男は彩の顔を見て

「あら、あなた紫龍さんのお知り合い?」

 と聞き返してきた。

「はい、そうです」

 男の話し方に違和感を覚えながらも、彩は答えた。

「それなら、私のうちのすぐ近くだから、いっしょに付いてきて」

 ちょうどそのとき、エレベーターのドアが開いた。2人は、中に乗り込んだ。


「ここが紫龍さんの家になるわ」

 男性は、扉を指差して言った後、その扉を見ながら

「大丈夫かしらね・・・」

 とつぶやいた。

 彩は、ドアホンを一度押してみた。しばらく待ってみたが、反応がない。

「麻子さん、開けて。彩よ」

 ドアを軽くノックしてみる。

「彼女、かなりショックだったんじゃないかしら」

 男の声に、彩は

「何かあったのですか?」

 と問いかけた。

「ドアに張り紙が貼ってあったの。ひどいことが書いてあってね。『人殺し』とか『死ね』とか、『ばい菌』呼ばわりしていたのもあったわね。頭にきて全部捨ててやったけどね」

 『ばい菌』という言葉を聞いて、彩はハッと気づいた。麻子はスリーパーであった。今まで、そのことを意識していなかったのだ。

「まさか、早まった真似をしてないでしょうね」

 男はそう言って、もう一度ドアホンを押してみた。

 彩は心配になって、ドアを何度も叩いた。

「麻子さん、お願い、返事をして!」

 彩の願いが通じたのか、天の岩戸がゆっくりと開いた。

 中から出てきた麻子は、目を真っ赤に腫らしていた。さっきまで泣いていたみたいだ。彩と別れたときと同じ服を着ている。

 最悪の事態にはならず、彩も男もほっと胸をなでおろした。

「あなたのことを何も知らないような人間が書いたことなんか気にしちゃだめ。こうやって、あなたのことを心配してくれる人もいるんだから」

 男は、麻子にそう声を掛けた後

「じゃあ、あとはあなたに任せるわ」

 と言い残して立ち去っていった。


 気分がさっぱりするからと、彩は風呂に入るように勧めた。

 言われるがままに麻子はシャワーを浴び、新しい服に着替える。

「今日も、記者が押しかけてきた?」

 濡れた髪を乾かすため、洗面所にあるドローンを頭の上に浮かべていた麻子に彩は尋ねた。

「何回か来ましたが、無視しました」

「私が来たときは、それらしい人は見かけなかったわね。もう、あきらめたのかな?」

「そうだといいんですけど・・・」

 麻子は、ふと彩が昼間に来たことを不思議に思った。

「あの、仕事はどうしたんですか?」

「電話しても出ないから心配になったのよ。電話はどうしたの?」

「昨日の夜に、知らない人からダイレクトメッセージが何件も届いて・・・」

 彩は、それが誹謗や中傷の書き込みであったことを悟った。

「まったく、どうやって調べるのかしらね。それで電話を切っていたのね」

「はい」

 髪を乾かし終えたことを検知したドローンが、洗面所へと戻っていく。その様子を見ながら、彩が

「ところで、学校はどうしたの?」

 と尋ねた。

「今日も休みました。とても勉強なんてできません」

「それなら、私の仕事場へ来る?」

「いいんですか?」

「なんなら、モデルの格好して写真を撮ってみない?」

 麻子は、じっとしたまま真剣な顔で考えていた。迷っているのだ。

「ごめん、そんな気分じゃないわよね」

「いえ、そんな・・・」

「でも、ここでふさぎ込んでいても体によくないわ。社会見学のつもりで、いっしょに行きましょ?」

 麻子は、彩の提案を受け入れ、小さくうなずいた。


 受付で来客用のバッジを受け取り、麻子は初めて『セーラム通信』社の中へ足を踏み入れた。

 たくさんの人が、グレーの絨毯が敷かれた廊下をせわしなく行き交う。ガラス張りの部屋の中で、吊るされたマイクに向かってなにか話しているのは、ラジオの放送であろう。反対側の部屋の扉が開いていて、中でソファに座った何人もの人たちが何かを待っているのが見えた。

「ここが撮影所よ。今、ちょうど撮影中のようね」

 見ると派手な服を着た女性がポーズをとっていて、その周りでカメラマンがいろいろな方向から写真を撮っていた。女性の顔を見て麻子は驚いた。

「あの人、赤月優香さんですか?」

「あら、よく知ってるわね」

「だって、すごく人気があるじゃないですか。私も大好きなんです」

 麻子は、憧れの人に会えたことがすごくうれしいらしい。

「撮影が終わったら、少し話してみる?」

「いいんですか?」

 麻子は目を輝かせた。


 机を挟んで鬼神とマリーは相対していた。

「紫龍には、共犯者がいるのでしたね。あなたは、その共犯者に接しようとした。違いますか?」

 マリーの問いかけに鬼神は

「その通りだ」

 と素直に認めた。

「接することはできたのですか?」

「ああ。しかし、逃げられたよ」

「紫龍を追跡した時に遭遇した男でしたか?」

 鬼神は顔を上に向け、しばらく考え込んだ。

「それが・・・顔は違っていた。だが、同じ人物らしい」

「変装していたと?」

「いや、全く違う顔だった。どちらもつかみどころがないと言うか、特徴のない顔ではあったが」

 マリーは、何か考えているようだ。しばらく、無言の時間が過ぎた。

「なぜ一人で共犯者を追うような真似をしたのか教えてください」

「だいたい、検討はついているんじゃないのか?」

 鬼神が返す言葉を聞いて、マリーはその顔を長い間じっと眺めていた。

「5年前のことです。あなたの奥さんは『進化の選択』という組織に潜入しようとして殺され、娘さんが誘拐されました。共犯者は、それに関係する人物だったのではないですか?」

「どうして、そう思うんだい?」

 鬼神のほうがマリーに聞き返した。

「紫龍は、ダイイング・メッセージを残していたのではないかと思ったのです。そして、あなたの奥さんも同じく、何か言い残したのではないですか? どちらも、あなたが死の直前に立ち会っていますからね」

 マリーの鋭い指摘に、鬼神は何も言うことができなかった。

「私には、怒りや復讐心といった感情を持つことはできませんが、家族を奪った犯人を、あなたが憎んでいるということは理解しているつもりです」

「それが、どれくらい深いものかも理解できるのか?」

 鬼神の問いかけを聞いて、マリーの表情に一瞬、悲しみの感情が読み取れたように鬼神は感じた。しかし、それはすぐになくなり、いつもの無表情なマリーに戻っていた。

「少なくとも、私はあなたの力になりたい。どうか、犯人について知っていることを教えていただけませんか?」

 マリーは、鬼神が話し出すのを辛抱強く待った。やがて、鬼神は重い口を開いた。

「俺が知っているのは、『ノア』という言葉だけだ。おそらく、奴の呼び名だと思うが」

 鬼神は、スラム街での出来事を順番にマリーに説明した。

「奴らは人を狩って食料としている。そうすることが救いになると本気で考えているようだ」

「カニバリズムですか。かなり昔には、死人を食べる風習があったそうですから、あながち否定できるものではありません」

「インフェクターを作り出すのも正気だと言うんかい?」

「選民思想の一種でしょうか。褒められた考え方ではありませんが」

「ふふっ、あいつらから見たら俺は選ばれた人間ということだな」

「そういうことになります」

 皮肉を込めた鬼神の言葉にマリーは真顔で答えた。


「結局、共犯者を捕まえることはできませんでした。アンドロイドたちは5人でグループを組んで捜索をさせましたが、いたるところで襲われ、負傷者12名、機能停止したのが5名いました。襲撃者のほとんどは逮捕、連行しました。その数は23人で、全員が非感染者です」

「君も負傷したそうだな、マリー」

「左胸を撃たれました。冷却ユニットが半分使えません。この仕事が終わったら、修理に向かう予定です」

「逮捕者は、まだ何者かわからないんだよな」

「はい、『ノア』と関係しているメンバーがいるのか、まだ調べていません」

 竜崎が立ち上がった。

「そいつらの取り調べは俺達がやるから、マリーは早いとこ修理してもらいな」

「その前にひとつだけ、竜崎さんの勘は当たっていました。鬼神さんは、共犯者を家族を殺した犯人だと思っています。その可能性は非常に高いですね」

「10年前の亡霊がまた蘇るのか」

 天井を見上げながら、竜崎はつぶやいた。


 撮影が終わり、彩と麻子はスタジオの中へと入っていった。

「お疲れさん、久しぶりに会うわね」

 彩が赤月優香に声を掛ける。

「あっ、お久しぶりです、葉月さん」

 濡羽色の髪をボブカットにして、切れ長の目が印象的だ。着物をアレンジしたような服を着て、スラリと長い足を露わにしていた。

「新しい服かな?」

「普段は洋服しか着ないから、こういう服は新鮮です。ほら、帯がリボンになっているの」

 そう言って、くるりと背を向けた。

「あっ、きれい・・・」

 麻子が思わず口にした。

「でしょ。私も気に入って・・・」

 振り返って麻子に話しかけようとした赤月が、驚いた顔で麻子を見た。

「どうしたの?」

 赤月の反応を不思議に思い、彩が問いかけた。

「いや、あの、ちょっとびっくりしちゃって」

「ああ、初対面だものね。こちらは麻子さんよ。ここでモデルをお願いしようと思っているんだけど、まだ交渉中。今日は、見学ってところかな」

「あの、はじめまして、麻子です。いつも投稿見てます。あの、えっと、お会いできて、すごくうれしいです」

 麻子は目を合わせることができず、もじもじしながら挨拶した。よほど赤月のことが好きだと見える。

「ありがとう・・・」

 赤月の顔が、どことなく強張っているように感じる。彩が

「もしかしたら、あなたの後輩になるかも知れないのよ」

 と言いながらも、赤月の様子を不思議に思った。

「優香ちゃん、次の衣装に着替えて」

 マネージャーらしい中年の女性が赤月に声を掛けた。

「わかりました」

 そう言って立ち去ろうとしたが、なにか気がかりなことがあるらしく、歩みを止めた。

「優香ちゃん、何か気になることでもあるの?」

 彩の言葉にくるりと振り返り、麻子の顔を見ると

「麻子さん・・・だったわね」

 と聞いた。麻子がうなずくのを見て

「実は、あなたの写真が投稿されているのを見たの。殺人事件の犯人の娘だと書かれてた」

 と赤月が発した言葉に、麻子は呆然と立ちすくんでしまった。

「あなたが、その・・・感染しているということも書いてあったわ。それだけじゃない。あなたの家の住所まで記載されていた」

 マネージャーが後ろからやって来て声をかけようとしたが、話の内容を聞いてそれを止めた。

「私も、住所をばらされたことがあってね。家まで押しかける連中が現れて、すぐに引越したわ。あなたも、そういう危険があるということ。世の中には犯人の家族というだけで攻撃してくる輩はいくらでもいるわ。今の家に一人でいない方がいい」

 赤月は、彩に向かって

「麻子さんを守ってあげた方がいいわ」

 と言った後、麻子の肩に手を置いた。

「あなたはまだ子供だから、あまりこんなことは言いたくないけど・・・でも、知っておいた方がいいわ。人は集まると歯止めが効かなくなるの。平気で人の心を踏みにじる。心ない言葉は無視すればいい。でも、直接危害を加える人間は無視できない。信頼できる人を頼りなさい。あなたを守ってくれる人はきっといる」

 赤月は、麻子に笑みを送り、マネージャーの後ろについて去っていった。


 麻子は、青ざめた顔でソファに座っていた。

 彩は、額に手をあてたまま目を閉じて考え込んでいる。

 来客用の応接室の中で、これからどうすればいいか、考えはじめてすでに一時間が経過していた。

「とにかく、今の家にいるのは危険よ」

「でも、あの家しか帰るところはないんです」

 この問答を何度繰り返したのだろうか。

「だから、私の家に・・・」

「感染者がいっしょに住むのは禁止されています。それはできません」

 このやり取りも、さっきから何度も繰り返していた。

 それ以上、議論が進まず、いたずらに時間だけが過ぎていく。

「スリーパーの知り合いはいないの?」

 彩が今までと違う質問をした。

「知り合い・・・」

 麻子がふと顔を上げた。

「いるの?」

「ひとり、知っている人がいます」

「どんな人?」

「警察の人なんですけど」

 彩が少し顔をしかめて

「警察?」

 と聞き直した。

「以前、捜査のために家に来たことがあるんです。父親が死んだことも知らせに来てくれて、その時に何かあれば電話してくれと」

「じゃあ、電話番号も知っているのね」

「はい。でも、前にかけたときはつながらなくて」

「もう一度かけてみましょう。言いづらかったら私が聞いてみてもいいわよ」

「いえ、私から頼んでみます」

 麻子はポケットから電話を取り出し、画面をタップした。

 電話を耳にあてて、しばらく待っていると、電話がつながったらしく

「もしもし、鬼神さんですか?」

 と麻子が電話に向かって話し始めた。

 それを聞いた途端、彩が驚いた表情をした。

「鬼神・・・さん?」

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