第3話 第三の殺人

 真っ暗な通路の中を、ライトであたりを探りながら男は歩いていた。

 汚水の臭いが体に染み付きそうで、男は早く新鮮な空気を吸いたかった。

 しばらく進んでいくと、上へと昇るためのはしごを見つけた。

「これか」

 男ははしごを昇り始めた。

 臭いはだんだんと和らいだが、はしごが通っている縦穴はそれほど広くはなく、圧迫感に息が詰まりそうだ。

 ようやくはしごの一番上まで到達した。ハッチを開けて上に出ると、またさっきと同じような通路が広がっている。

 再び漂う汚水の臭いに顔をしかめながら、男はさらに歩を進めた。

 暗い路地の中、マンホールの蓋が開き、中から男が現れた。

 臭いを払い落とすかのように服を軽くはたくと、そばにあった大きなダストボックスの影に素早く身を潜める。

 男は、そのままの状態でじっと何かを待っていた。深夜の時間帯、人が通るとは思えないが、男は動こうとはしない。

 やがて、ライトの光が見えた。誰かが来たようだ。男は暗がりの中、身を潜めて相手が通り過ぎるのをじっと待っている。

 やって来たのは女性だった。制服から見て警官らしい。腰にはレーザーガンを携帯している。深夜の見回りだろうか。

 男のすぐそばを、女性は通り過ぎていった。男の存在に全く気づいていない。

 男が素早く女性の背後に近づいていった。まるで、獲物を糸で絡め取ろうとする蜘蛛のようだ。

 女性の口を左手でふさぐ。同時に右手の親指と人差指で、女性の目を思い切り突いた。

 女性が何か叫ぼうとしたが、口をふさがれていてうめき声がかすかに漏れるだけだ。

 男は、女性が開けた口に両手を入れると、一気に引き裂いてしまった。

 女性の顔の上半分が地面に転がった。驚いたことに、その断面は複雑な機械で埋め尽くされていた。

「ようやく当たりだな」

 男は、満足そうに頭の部分を拾い上げた。


「また、同じ手口ですね」

 浜本が竜崎に話しかけた。

「いや、今回は違う」

 地面を見ていた竜崎は、浜本の顔へと視線を向けた。

「頭の部分が見つからない」

 遺体の状態は、最初の被害者と同じだった。下顎だけを残し、上顎から上が引き裂かれている。

 しかし、今回は頭の部分がどこにもなかった。

「犯人が持ち去ったと?」

「そういうことになるな。しかも、今回の犠牲者はアンドロイドだ」

「そのようですね。警護用アンドロイド、深夜の警備に出ていたんでしょうね」

「これが目的だったということか」

「アンドロイドの頭が欲しかったと? そのために2人も犠牲にしたということですか?」

「そうとしか考えられん」

「でも、何のために?」

「犯人を捕まえれば分かることさ」

 竜崎が浜本の肩を軽く叩いた。

「・・・予想が当たってしまいましたね」

「ああ、冗談みたいな話だが、まさか本当に頭が目的だったとはな」

「お待たせしました、竜崎さん、浜本さん」

 背後からマリーがやって来て2人に声を掛けた。

「お仲間が殺られたようだぜ」

 竜崎が、そう言って笑みを浮かべる。

「そのようですね。AGF-Xタイプの第7世代モデルです」

「AGFというと、汎用タイプか」

「その通りです」

「汎用タイプが一人で深夜の見回りか。あまり褒められたものではないな」

「このあたりは治安がいいですから、これで十分だと判断したのでしょう。アンドロイドなら、映像記録から犯人が割り出せるかもしれませんね」

「いや、それは無理だろうな」

「なぜですか?」

「今までの被害者は真っ先に目を潰されていた。理由がわかったよ。自分の姿が記録されないようにするためだ。今回も、目を潰されて映像は残っていないだろうな」

「なるほど、理解しました」

 マリーがそう答えて破壊されたアンドロイドの下へと近づくのを見ながら

「目的が達成されたわけだ。もう、被害者は現れないだろう」

 と竜崎は口にした。


 森の中は薄暗く、墨で描かれたような無彩色の世界が広がっていた。

 黒の上下で全身を包んだ男と、白衣のようなコートを羽織った男が相対している。

「ようやく、手に入れたよ」

 黒ずくめの男はそう言いながら相手に袋を渡した。

「これで解析ができます。謎が解明されますよ」

 相手は、満足そうな顔で袋の中を覗き込む。

「どれくらいで解析できる?」

 男の質問に顔を上げて

「そうですね・・・一週間くらいはかかるでしょうか」

 と微笑みを浮かべながら相手は答えた。

「一度、家に戻りたい」

「やはり、娘さんのことが心配ですか?」

「まあな」

 相手が話を始めるのを男は辛抱強く待った。

「用心はすることです。すでに疑われている可能性が高いですから」

「心配ない。しばらくは時間を稼げるさ」

 男は肩をすくめて相手に応えた。


「一人、怪しい奴を見つけた」

 竜崎が部屋に入るなり、麺を啜っていた浜本に話しかけてきた。

「誰ですか?」

 口に頬張ったままの状態で浜本は竜崎に尋ねる。

「紫龍匠という人物だ。ハンターからの報告では、10日ほど前から家に戻っていない。監視カメラにも映った形跡はないらしいんだ。どこかに潜伏している可能性がある」

「文字通り、スリーパーということですか」

 持っていた箸を竜崎の方へ向けながら、浜本は冗談混じりに言った。

「家には娘が一人だけらしい」

「スリーパーの場合、家族とも同居はできないんじゃ・・・」

 浜本の言葉を受けて、竜崎は

「娘も感染しているんだ」

 とだけ低い声で言った。それを聞いた浜本は目を伏せて、また食事に取り掛かった。

「それを食べたら、もう一度最初の現場へ行くぞ」

 その声に、浜本はただうなずくだけだった。


 公園には雨が降っていた。

 生い茂る木々の枝から雨粒が地面へと落ちる。それを避けるように竜崎と浜本は公園の中を歩いていた。

「ついてないな、雨が降るとは」

 竜崎の不満げな口調に

「まったくです。傘を持ってくればよかった」

 と浜本もうんざりしたような顔で応えた。

 2人は、最初の被害者が殺された現場に到着した。あの惨劇がまるで嘘であったかのように、そこには何の痕跡も残されていなかった。

「犯人は、外周から侵入することなくこの現場へたどり着いている。中央のエレベーターは使ってないわけだから、他に侵入できる箇所が必ずあるはずだ」

 竜崎は、そう言いながら道のある方へと歩いていった。浜本も後をついて行く。

 雨が落ちてくる上空を見上げながら、浜本は

「天井から降りてくるのは無理ですかね?」

 と口にした。

「メンテナンス用の足場くらいはあるだろうな。そこからロープをつたって降りてくることは可能かもしれんな」

 竜崎がそう言って浜本といっしょに天井を見上げた。しかし、すぐに下を向いて首を横に振った。

「いや、危険すぎる。天井からぶら下がっていたら誰かが気づく可能性がある」

 竜崎のその言葉に、浜本も下を向いてしまった。

 雨に濡れた石畳が、まるで溶けたガラスを纏うかのように光を反射していた。道の両側にある側溝を、集められた雨が流れていく。

 その様子を見ていた浜本が

「地下ならどうです?」

 とつぶやくように言った。

「下水道か!」

 竜崎が思わず叫んだ。あたりを見回すと道の中央にマンホールがあるのを見つけた。

 2人はマンホールのそばへ駆け寄ると、フタを外してライトで中を照らしてみた。底に通路があるのが見える。おそらく、下水道の横を通るメンテナンス用の道であろう。

「よし、中へ入ってみるか」

 竜崎が袖をまくる様を見て、浜本が

「えっ、今からですか?」

 と尋ねた。

「当たり前だ。もしかしたら、別のフロアへと続いているのかもしれん。実際に入ってみないとわからないだろう?」

 浜本は、ため息をついて地下へと続く穴を覗き込んだ。


 鬼神は、部屋の中で一人くつろいでいた。

 部屋の中は薄暗く、間接照明の灯りがほのかにあたりを照らしている。

 目を閉じ、ソファに寝転がった状態で、何をするわけでもなくただじっとしている。

 突然の電話の着信音に、鬼神は目を開いた。

 ポケットから電話を取り出し

「鬼神です」

 と電話に話しかける。

「あの、紫龍です。父が帰ってきました」

 女の子の声に鬼神は起き上がり

「わかりました。私のことはお父さんには伝えましたか?」

 と尋ねた。

「いいえ、何も話していません」

「そうですか。じゃあ、今からそちらに伺いますね」

 電話を切ると、机の上にある銃を手に取る。強力なプラズマガンだ。一撃で相手の身体半分は炭と化す。できるだけ血液が飛び散らないようにするためだ。

 銃をホルダーにしまい込んで、鬼神は急いで部屋を出た。


「どうした、電話か?」

 紫龍匠は、娘に尋ねた。

「あ、うん。ちょっとね」

 娘の曖昧な答えに眉を上げながらも

「まあ、いいさ。それより、何も問題はなかったか?」

 と父は娘に聞いた。

「別に何も。それより、どこへ行っていたの?」

「森林エリアへ行っていたんだ。キャンプの下見のつもりでな」

「キャンプ?」

「ああ、森の中で食事したり、寝泊まりするんだ。今度、お前といっしょに行こうと思ってな」

「下見だけでこんなに長いこと留守にしなきゃならなかったの?」

「少し、羽目を外し過ぎたかもしれないな」

 父親はそう言って、娘に対してやさしく微笑んだ。

 会話が途切れ、しばらくどちらも黙ったままでいた。しかし、それに耐えられなかったのか、父親のほうが話しかけた。

「あと1週間くらいしたら、お前をあっと驚くような場所へ連れていけるぞ」

 父のその言葉に、娘は肩をすくめて

「そんなところ、どこにもないじゃない」

 と言った。視線は、全く別の方を向いている。

「そんなことはない。きっと驚くはずだ。期待して待っているといい」

 そう話しかけられても、娘は父を見ようとはしなかった。


 公園の下にある下水道の中を、竜崎と浜本の2人は歩いていた。

 中はコンクリートで固められた直径5mほどの通路が伸びていて、中央を水が流れ、両側に歩くための通路があった。

 灯りはなく、ライトの光だけが頼りだ。2人の足音だけが内部で反響する中、ときたま水に何かが落ちる音が聞こえる。

「不気味ですね。化け物でも出てきそうだ」

 浜本の声が周囲に反響する。

「こんな世の中だ。化け物が出てもおかしくはないな」

 竜崎が頭を掻きながら浜本に応えた。

 遠くから、かすかに水が流れる音が聞こえてくる。

「水が下へ落ちているのだろうか」

 竜崎がライトに映る先を注視しながら口にした。

 その予想は当たっていた。2人は、巨大なグレーチングに水が流れ込んでいる場所にたどり着いた。

「ここにハッチがあるな。下へ降りる階段じゃないだろうか」

 そう言って竜崎がハッチを開けると、中にはしごがあった。ライトで下を照らしたが、底に何があるかは見えない。

「よし、降りてみるか」

 竜崎が穴の中に入るのを見て、浜本は2度目のため息をついた。


 鬼神は、扉に付いたボタンを押した。

 スピーカーからは、男の声が聞こえた。

「どなたですか?」

「警察の者ですが、少々お聞きしたいことがありまして」

 スピーカーからは返答がない。鬼神はじっと扉の前で待っていた。

 扉から顔を出したのは、頬がこけて青白い顔をした中年の男だった。頭髪はきれいに剃られ、髪の毛一本生えていない。

「失礼ですが、紫龍匠さんですね」

 警察バッジを相手に見せながら鬼神は問いかけた。

「そうだが、何か?」

「ある事件の調査でスリーパー全員に対して聞き込みを行っていましてね。お時間は取らせません。形だけのものですから」

 そう言って、鬼神は笑顔を見せた。

「10日ほど前、5月8日からどこにいたのか教えていただきたいのですが」

「それなら、5月6日からキャンプに行ってましたよ。D-2エリアにある森林地帯にね。戻ってきたのは一昨日の・・・5月17日だったかな」

「証明できる人は誰かいますか?」

「残念ながら、一人で行ったんだ」

「キャンプにですか?」

「知らないのか? 一人でキャンプするのも楽しいものだ。まあ、今回のキャンプは下見を兼ねていたのだがね」

「森林地帯へは車で?」

「もちろん。戻ってきたときも車だよ」

「キャンプ中は、ずっと森林地帯の中に?」

「ああ、森から外には出ていない」

 鬼神は、携帯していた電子ペーパーにメモをとりながら質問をしていたが、ふと持っていたペンを口に当てて

「10日以上も森の中でキャンプしていたんですよね」

 と念押しした。

「その通りです」

 紫龍は、動じることなく答えた。

「荷物もそれなりに多くなりますよね。一人で運んだのですか?」

「10日程度なら一人で運べるよ。食料はキャンプ用の乾燥食品があるし、いざとなれば森の中で調達できる。あまり知られていないが、森の中にある木の実やきのこ、野草も食用のものばかりだ。毒のあるものは一切ない。まあ、キャンプにも利用できるようにした人工の森だからね」

 肩をすくめて早口に話す紫龍の顔を鬼神はじっと見ていたが、話が終わると

「なるほど、私はキャンプなんてしたことがないから、そういうことには知識がないんですよ」

 と言って笑みを浮かべた。

「あなたも一度、試してみるといい。きっと病みつきになりますよ」

「そうですね・・・ところで、キャンプの間、仕事は休まれていたのですか?」

「今は職がなくてね。スリーパーを雇う職場など、そんなにないからね」

「就労支援が受けられるでしょう? 人間と接触しない職場などたくさんある」

「ああ、そのうち行ってみるつもりだよ。もういいかな?」

「失礼、もう一つだけ。あなたには娘さんが一人いると思いますが、キャンプには連れて行かなかったのですか?」

「ふふ、どうやら反抗期でね。誘ってもシカトされるだけだよ」

「そういうことですか、分かりました。お手数を取らせてしまい、すみません」

 軽く頭を下げると、鬼神は立ち去っていった。その背中を、紫龍は無表情な顔でじっと見つめていた。


 はしごの通った穴は狭くはないが、それでも圧迫感があり息が詰まりそうだった。

 しばらく進むとはしごは終わり、はしごの横の床に、また別のハッチがある。そのハッチを開けると、さらにはしごが続いていた。

 そんなことが何回繰り返されたのか、2人とも数えるのを止めてしまった。

 またも現れたハッチを開けると、異臭があたりに漂ってきた。2人とも思わず顔をそむける。

 降りるに従い、異臭は強くなってゆく。あきらかに汚水の臭いだった。

「ひどい臭いだ。さっきとは大違いですね」

 浜本が思わず口にした。

「公園の下は居住区だったな」

 はしごを降りながら竜崎が尋ねる。

「そうです。高所得者層向けの居住区ですね」

「金持ちも、出すものは臭うということだな」

 冗談なのか、わからないようなことを竜崎は言い出した。

 ようやく、一番下の場所までたどり着いた。上側と同じようなコンクリート製のトンネルが続いている。しかしライトに照らされた水は濁り、汚物が浮かんでいるのが見えた。

「とにかく出口を探そう。ここにいたら臭いが染み付きそうだ」

 側道をしばらく歩くと、はしごを見つけた。天井には穴が空いている。

「ここから出られそうだな」

 はしごを昇り、片手でフタを持ち上げると、竜崎は外を眺めた。地面が自分の目の高さにあり、奇妙な感覚を覚えた。

「アリにでもなった気分だな」

 そう言って、竜崎は地上へと這い出した。

「ここはどのあたりかな?」

 ポケットから端末を取り出して、マップを確認する。

「居住区の端のほうだな。監視カメラは・・・」

 マップを確認しながら、竜崎は

「この付近にはないな」

 と浜本の顔を見た。

「居住区ですからね。プライバシーの問題もあって、監視カメラは少ないはずですよ」

 浜本が竜崎に説明すると

「わかってるよ、それくらい」

 と竜崎は肩をすくめた。

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