第4話 汚染地帯

「ハンターからの報告で、紫龍匠の事件当時の所在がわかりました」

 マリーの言葉を聞いて、資料に目を通していた竜崎が顔を上げた。

「どこにいたんだ?」

「5月6日から5月17日までの間、D-2エリアの森林地帯にいたそうです」

「えっ、何のために?」

 浜本が驚いた顔でマリーに尋ねた。

「一人でキャンプをしていたそうです」

「キャンプ?」

「はい。5月6日の朝、車がD-2エリアの森林地帯まで人を乗せた記録は残っています。5月17日には、そこから紫龍匠の家の近くまで車が移動しているので、証言とつじつまは合います」

「10日以上も一人でキャンプしていたのか?」

 竜崎がマリーに念押しした。

「そのようですね」

 無表情な顔でマリーは即答した。

「その10日の間に、D-2エリアの森林地帯に車が停車した形跡はあるか?」

「一度もありません」

「森にキャンプに訪れる人なんて、めったにいないでしょうからね」

 浜本はそう言うと腕を組んでため息をついた。

 竜崎は、持っていた資料に目を落とし

「犯人が下水道を利用したのは間違いない」

 と断言した。

「すると、森林地帯から現場まで下水道を使ったと? しかし、エリアが違いますよね」

「最初の現場はD-4エリアの公園フロア、次がD-6エリアの商業スペース、そして最後がD-1エリアの居住区。すべてDブロックだ」

「でも、エリアが違えば移動手段は車しかありませんよ。まさか、チューブの中を徒歩で移動なんて無理です」

 竜崎は、浜本に目を移し

「だから、下水道を使うんだよ」

 と言ってニヤリと笑った。


「調子はどうだ?」

 紫龍の質問に、相手は

「少し苦戦しているところです。ですが、約束通り1週間で終わらせますよ」

 と柔らかな声で答えた。

「ハンターが来た。疑われているようだな」

 紫龍はそう言って、グラスの酒を飲み干した。

「スリーパーの犯行だと思われているんでしょう。・・・派手にやり過ぎましたね」

「ああ、失敗だったな。どうする?」

「しばらく隠れていたらどうですか?」

「どこに?」

「汚染地帯とか」

「あんなところ、入れるはずがないだろ」

「いや、手はあるんです」

 紫龍は男の顔をじっと見た。

「娘のことが心配だ。家を空けたくはないな」

「しかし、警察に連行されたら計画がパーですよ」

 男の言葉に、紫龍は目を伏せたが、やがて相手の目を見て

「どうやって入るんだ?」

 と尋ねた。


「また、しばらく家を空ける。今度は1週間くらいになるだろう」

 紫龍の言葉が伝わったのだろうか。本を読んでいた娘は顔を向けようとはせず、何も応えなかった。

「すまない、麻子」

 父の謝罪の言葉に娘がようやく顔を向けた。

「何を謝る必要があるのよ?」

「俺のせいで、お前を深く傷つけてしまったと後悔している。だから、お前が幸せになれるなら、俺は何だってする」

「だから人を殺したの?」

 娘は抑揚のない口調で尋ねた。しかし、その言葉が紫龍の胸に突き刺さるように感じた。

「俺は人など殺してはいないよ」

 できるだけ気を落ち着かせ、やさしく答える。

 娘は、父親の目をじっと見つめていた。父親はその真っ直ぐな視線に耐えられず、目が泳いでしまった。

「大丈夫よ、一人は慣れてる」

「すまない」

 もう一度、紫龍は娘に頭を下げて謝ると、荷物を持って部屋を出ていった。後に残った娘は、本をパタンと閉じると左手で額を押さえ、唇を噛んだ。


「公園から居住区へ、下水道を使えば監視カメラに映らずに移動できる。もしかしたら、もっと他のフロアへ移ったのかもしれない。他の事件も同じさ。現場の近くにマンホールがあるのは確認できた」

「森林地帯の場合も下水道を使ったと?」

「おそらくそうだろう。他のフロアから車に乗ったんだ」

 竜崎は、マリーの方へ顔を向けて

「マリー、森林地帯の地下に下水道があるかどうか調べられるか?」

 と尋ねた。

「お待ち下さい」

 検索モードに入ったマリーから浜本へ目を移し

「犯人は紫龍で間違いなさそうだな。しかし、動機がわからん」

 と話しかける竜崎に、浜本は肩をすくめて

「脳がやられたんじゃないですか?」

 と言うだけだった。その言葉に少し顔をしかめながら

「目的は、アンドロイドの頭だ。そこから何を得ようというんだ?」

 と竜崎は顎をさすりながらボソリとつぶやいた。そのとき、マリーの声がした。

「回答が得られました」

「どうだ?」

「残念ながら、森林地帯にはマンホールがありません」

 その声に、竜崎と浜本はどちらも動けなくなった。


「紫龍が家を出た」

 鬼神が端末に向かって話しかけた。目は、紫龍の行方を追っている。

 今は夜の時間帯だ。あたりは暗く、街灯の灯りが道沿いに並んで光っている。鬼神が紫龍の家を見張り始めたのはその日の昼頃からで、長時間待たなければならないと覚悟を決めていたが、予想に反して相手はすぐに動きを見せた。

「そのまま尾行を続けて下さい」

 端末から声が聞こえた。鬼神は、ゆっくりと紫龍の後を付いていった。

 紫龍が車に乗るのを見て、鬼神は物陰に隠れ、端末に向かって

「車に乗る。F-6エリアの17フロアだ。車の番号はFの13の11」

 と早口で伝えた。

「お待ち下さい」

 紫龍を乗せた車が走り出した。鬼神が車へと近づくと、自動的にドアが開いた。

 中に乗り込んだところで、端末から声がした。

「行き先はA-2エリアの2フロアです」

「汚染地帯に近いな」

 鬼神は、ナビゲーターに行き先を告げた。車は自動的に走り始めた。

 車は球体で車輪がなく、浮遊しながら音もなく進む。しばらくは直進していたが、やがて突き当たりを右折して大きく曲がったカーブを走り出した。左側の壁に、トンネルが等間隔で並んでいる。その中のひとつに車が入っていった。

 トンネル内は暗く、外は何も見えない。車内の照明以外に光源は何もないようだ。しかし、そんなことはお構いなしに車は走り続けた。ライトすらも必要がないらしい。

 やがてトンネルを抜けてカーブを大きく曲がりながらまた次のトンネルへ、これを何度か繰り返してようやく目的地へと到着した。

 車が停まり、ドアが開いたが、鬼神はすぐには外へ出なかった。顔を半分だけだして、紫龍が近くにいないかあたりを見回す。しかし、通りには誰もいなかった。

 鬼神が外へと出ると、車のドアが自動的に閉まり、また走り出した。今の場所には誰も乗ることがないのだろう。

 A-2エリアの2フロア、そこは汚染地帯、つまり人が立ち入ることのできない場所に近かった。今のフロアの下には、たくさんの工場があった。しかし、謎の病が発生してからは、入る者はいない。

(まさか、汚染地帯に潜伏するつもりか?)

 エレベーターで下のフロアへは行けない。空調設備は停止しているだろうから、入れたとしても生きていられるか分からない。そんな危険な場所へ自ら入るつもりなのだろうかと鬼神は思った。

 とりあえず、まずは今いるフロアを探ることにして、鬼神は歩き始めた。


「森林地帯に、移動する手段が必ずあるはずだ」

 竜崎が森の中を歩きながら浜本に話しかけた。柔らかい土の地面が足に心地よく、木々の清々しい香りが気分を落ち着かせてくれる。しかし、竜崎は頭に血が上った状態だった。

 散歩用の歩道として整備されているのだろう。広い道がまっすぐ続いている。確かに、気分をリラックスさせる効果は絶大だ。特に、密閉された空間の中では。

「地下も自然にまかせてメンテナンス不要だとは驚きでしたね」

 浜本が竜崎に返すが

「何かあるはずだ、絶対に」

 と竜崎は同じようなことしか言わなかった。

 森林地帯は、単に癒やしの場所として用意されただけのものではなかった。人間が生きていく上で欠かせないもの、酸素の供給源でもある。最先端の技術を使い、自然の森林が密閉されたフロア内に見事に再現されている。人工太陽に人工雲、そして時には雨も降る。公園などのフロアにもその技術は活かされているが、森林地帯は地面も自然に近いものであった。もちろん、下水道などといったメンテナンスの必要な設備はない。

「森の中を歩くのは初めてですよ。こうして散歩するのもいいものですね」

 マイペースな浜本が口にするが、竜崎は何も言わず、苦虫を噛み潰したような顔で大股で歩き続けた。

「そんなに急いだら、何も見つかりませんよ」

 さらに浜本が忠告するのを聞いて、ようやく頭が冷えたようだ。

「そうだな」

 と言って、竜崎は微笑んだ。

「森林地帯にはエレベーターもありません。この場所にたどり着くためには車しかない」

 浜本の言葉に

「ここでも周囲は道路だよな」

 と竜崎が返した。

「まあ、そうですね。でも、まさか徒歩でチューブを伝って別のフロアへ移動するなんてできないですよ」

「天井までは100mほどか」

「ロープで途中まで降りれば、木を伝って地面までたどり着けるかもしれませんね」

「もしそうなら、どこかにロープが残っているはずだな」

 2人が上を見上げながら道を進んでいると、前から近づいてくる男がいた。

「こんにちは、あなた方も散歩ですか?」

 赤ら顔で大きな鼻が印象的な男だ。いつも陽気に歌うホビットが現実にいたらこんな感じかもしれない。

「いや、私たちは捜査のためにここまで来ました」

 男の存在に気づいた浜本が警察バッジを見せながら説明した。

「捜査ですか」

 男は少し警戒するような仕草を見せた。

「あなたは、この森には何度も?」

「ええ・・・ほぼ毎日ここで散歩を楽しんでいます」

「それでは、5月6日から5月17日までの間で、このような男をここで見かけませんでしたか?」

 そう言って、竜崎は紫龍の顔写真を男に見せた。

「いや、見ていないですね。ここには滅多に人が来ない。人に会うのは年に数えるほどですからね」

「そうですか・・・」

 今度は浜本が

「あなたはどうやってここまで?」

 と尋ねた。

「もちろん、車ですよ。それ以外では来ることはできない」

「5月6日から5月17日までの間もここに来ましたか?」

「もちろん、来ているよ」

 その言葉を聞いて、2人は顔を見合わせた。

「マリーは一度も車が停まった形跡がないと言っていたな。どういうことだ?」

「彼女が間違えることはないはずですが」

 竜崎が慌てて引き返すのを、浜本が追いかける。残された男は呆然と2人の後ろ姿を見送っていた。


 紫龍は、暗闇の中をライト一つで進んでいた。

 鉱石を採掘していた場所だろうか。ベルトコンベアにはまだ砕かれた鉱石が残っている。採掘のための設備が放置されたままの状態で、電気を通せばすぐにでも動かせそうに見えた。

 空気が淀み、鉄さびのような臭いが漂う。一応、呼吸はできるらしい。しかし、普通の人間ならすぐに感染する危険はあるのだが。

 このフロアに人は誰もいない。百年近くも前にこの場所で何があったのか、紫龍は話で聞いたくらいの知識しかない。それ以来、この場所を訪れた者はおそらくいないはずである。まさか、こんなに簡単に侵入ができるとは、紫龍も想像していなかった。

 ライトの光で一瞬、人影のようなものが見えた。その方向へもう一度ライトを向けると、そこにはミイラ化した死体が壁にもたれかかっていた。

(死体もそのまま放置か・・・)

 気がつけば、至るところに死体が転がっている。白骨化して骨が散乱しているもの、ミイラとなって横たわっているもの、なぜか頭蓋骨しか残っていないものもあった。何が原因でこんなに大勢の人間が死んだのか、紫龍には見当もつかなかった。

「さて、しばらくはここで過ごすことになるわけだ」

 紫龍は、なぜか薄笑いを浮かべた。

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