2:空
梅雨が明けて以来のここ数日、雨はかけらも姿を見せておらず、俺がスニーカーでグラウンドに立てば砂ぼこりが舞った。
風も弱いからしばらく立ち上るままになるが、俺は歩を進めるし、後ろの二人もお構いなしに進むから、ざらつく煙はしばらく収まることはないだろう。
舞台を学校にしようと言ったのは、木花さんだった。
山を背負っているために元々人通りの少ないのが良かったらしい。
来るべき時が来たのなら、学校関係者全員に「認識阻害」を施して、目撃者やそこから発生しかねない被害者を生まないための状況を作りやすかったのだそうだ。
ひらけた場所、つまりグラウンドがあることも決め手だった、とは聞いた。
そんな、あつらえられた舞台の真ん中に、俺は辿り着く。
緊張を吐き出すように息をついて、空を見上げる。
……なんか、中学時代を思い出すな。
着地の砂場を一番奥に、踏切板を望む戦場から、スタートトラックの真上の空気だ。
それに、全国大会の決勝も、こんな雲の少ない空だったと思う。
なんだか、誇らしくも物悲しくもあって、
たかが二年前のことがこんなにも懐かしいと思えるのは、まあ多分、俺が持っている残りの時間が少ないためだ。振り返った時の道程が行く先よりも長ければ、明日を見るより昨日を思い出すことのが楽しくなってしまうのは、今ならなんとなくわかる。
俺にはもう、成すことしか残っていないから。
どうしても視線が吸い込まれる空のひび割れに、もう一度息を吐く。
すると、唐突に木花さんが隣に並んで、何事かと横目をやれば、彼女も空を見上げ、
「空が、どうして青いか知っているかい、臼杵くん」
意図のつかめない問いを投げかけてきた。
俺はもちろん、
「科学の成績は地を這っているんですよ、俺」
「知っているさ」
陸上経歴だけじゃ飽き足らず、俺の成績まで把握済みなのかよ。
「光の波長の話じゃない。どちらかというと……世界史だな」
何を言い出すんだ、この人は。
空を見上げることでずり下がっていた眼鏡の太い柄を右の人差し指で持ち上げると、そのまま空を指し、
「空の色を維持している人間がいるんだよ」
こちらの疑問の視線は無視して、今度は左の人差し指を掲げて、
「で、それを気に入らない人間も当然いて、彼らは空の色を塗り替えようとしている」
今度は完全に理解できない話をぶち込んできた。
こちらの困惑は無視して話が続いて、
「そして、そのどちらもが『空を青くする』ために活動しているんだ」
「は?」
ちょっともうどうしようもなくて、ついに声をあげてしまった。
「どっちも青くしようとしているなら、その人たちがぶつかる必要はないんじゃ?」
木花さんは両腕を下ろして、俺に正面から向きなおる。いつもの無表情で、いつだったかと同じく吸い込まれそうな瞳で。
「そうなればよかった。けれど、人類はそうなるようにはできていないようでね」
「今度は生物の授業ですか?」
「世界史のままさ」
さて、と、今度は投げるような角度で空を見つめなおすから、俺も思わず追いかけると、
「なら、今のこの青さは、どちらの青なんだろうかね」
その問いかけで、なんとなく意図が読めた。
きっと、物の見え方の話なのだろう。
Aが言う『青』とBが言う『青』は同質であるが、互いは互いの言葉で『青』を説明したがっており、さらには世界を己の価値観で染めてしまいたい、という話なのだ。
と、納得しかかったところで、透けるような表情の木花さんが、
「つまり、物の見え方なんてものは、自分の気の持ちようっていう話だな」
世界史前提で考えていた俺の梯子を蹴倒してくれた。
軽いながら精神的転倒を味合わせられて、嫌味の一つでもと向きなおった俺に、彼女は、
「先の話と合わせて考えてごらん」
AとBが同じ青の見方で揉めている、って話ですか?
木花さんは少し、投げやるような視線をまぶたで隠しながら、
「自分の気の持ちようで、他人の視点を塗り替えることさえ、人間にはできるんだ」
吐息を弾ませた。
まるで、嗤うように、嘲うように。
なんでそんな痛ましく、と俺は問うために息を飲んだが、
「さ、時間だ。『破滅』の門が開くようだ」
吐き出すことを許されず、蠢きはじめた空の疵を見つめるしかなかった。
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