2:間違っているものを見過ごせるわけがない
突然の物音に最初、石長さんはさほど驚いた様子を見せなかった。
誰かが訪れることをわかっているような振る舞いで、だけど振り返ってこちらを確かめると、
「臼杵くん……?」
狼狽えるように腰を浮かせた。
誰か、の中に俺は入っていなかったのだろう。
「あのね、これは……その」
「うん、大丈夫。事情は聞くけれど、どんなことだって大丈夫だよ」
だから。
「これから俺がする話も、信じてほしいんだ」
「え?」
不信や、疑問、恐れはある。
けれども、なにより優先するべきは、
「あの人たち……大白納さんと木花さんが話しているところを聞いたんだ」
誰かを犠牲にして、事態を解決させようとしていること。
その対価はすでに支払われているということ。
「大白納さんにいろいろと説明をされたけど、あの人は嘘を吐いていると思う。正直なところ、君も俺に、いろいろと隠し事をしているだろう? こんな時刻にこんなところに、一人でいることだってそうだ。君の家族の話だって」
だけど、
「全部、ひとまず置いておこう」
なにより大切なのは、
「俺は君を失いたくない」
この気持ちだ。
認識阻害に塗りたくられた末の言葉かもしれなくて、それに耐えられる自信がないから確かめるためにここまで彼女を追いかけてきた。
けれど今、真実は二の次まで順位を落としている。
胸のこの思いが誰かの作り物だったとしたって、じゃあ、それが確定した時に彼女が失われていたりしたなら、俺はそれこそ耐えられるのか?
「あの、臼杵くん? なんの話なの? 大白納さんからお話聞いたとか、その……」
「はっきりと聞いたわけじゃない。けれど」
「けれど?」
「たぶん、あの二人は君を殺そうとしている」
彼女の可愛らしい表情に、一瞬の穴が開く。
それから苦笑のように、困惑するように、眉尻を下げると、
「その、ね。複雑な話なの」
石長さんは様々な現状の把握をしていて、意図的に俺へ情報を隠している。
思索の及んでいた範囲のうちだ。わかったうえで、彼女を救いたいと思って、ここにいるのだから。
じゃあ、次はその複雑な話の内容を、君を救うために教えて欲しい、と思ったところで、
「その憶測はおおむね間違っちゃいないよ、臼杵くん」
凍てつく木枯らしのような声が、俺の背を震わせた。
驚いて、こわごわ振り返れば、
「なんにしろ、予定よりも早く、事態が進んだのには間違いない」
月明かりに眼鏡を光らせ目線を隠す木花さんが、茂みの闇から現れていた
※
前門の虎後門の狼とはまさにこのこと。
行く手を遮る恐怖から退路を探せば、そこは崖なのだ。
ならばと見渡せば、夜の藪が先行き不明なれどいかがだろうかと、風に揺れて不気味な手招きを見せている。
俺一人なら、と思わなくもないが、それでも看過できないリスクが付きまとう。
下草に足を取られたら。
見通しの悪いまま走って、急斜面に転げ落ちたら。
さっとよぎるものだけでも危険は大きくて、石長さんと一緒となればなおさらだ。
こちらの焦りを大きくするような沈黙を見せつける木花さんの後ろで、草が鳴る。
「勝手に出ていかないでくださいよ! こっちも準備があるんですから!」
「なんだい、大白納君。せっかく、気をつかってやったのに」
虎その二が現れた。その一に比べれば、意思疎通が容易ではあるのだが、
「乗り気じゃなかっただろうに、君は」
「子供一人を殺すために追い回すのに乗り気な人間なんかいるんですか……おっと」
バツが悪そうに言葉を切るのは、言葉を実行することに否定的であるが拒否はしないということで、まあ、虎は虎ということでしかない。警戒はそのままだ。
「言葉は選んだ方がいい。無意味に敵対心を煽ってどうする」
「その言葉、忘れないようにハンコでも作った方がいいですよ」
嗤う木花さんに、肩を落とす大白納さん。
二人は並んで、石長さんをかばうように立つ俺と向かい合う。
「じゃあ、どこから話せば君は満足するだろうかな、臼杵くん」
「先輩! 無意味に敵対心を煽らないって言ったばかりでしょ!」
「……満足しようが、敵対的だろうが、結局死なせるのには変わりないんでしょ」
自分で驚くほど、低い声がでた。
緊張なのか、怒りなのか、恐れなのか。自分でも明確な意思は持ち合わせておらず、きっとそれら全部をごちゃ混ぜに煮詰めたものなのだろう。
「対価ってのがなんなのか知りませんけど、それでも好きな人の死を見過ごせるほど、投げやりにはなっていませんからね、俺だって」
「臼杵君? ええっと……どういう意味かな?」
「聞いたんですよ、子供を一人犠牲にしてあの『破滅』をどうにかするって」
自分はいま、どんな顔をしているのだろう。
言葉を呑んだ大白納さんの頬が歪んでいるのが、自分の言葉と表情の強さであれば、少しは自信が持てるのだけども。
「それが誰かなんて、俺に思いつくのは一人だけだ」
ちら、と背後の恋人に目を投げれば、彼女は不安そうにこちらを見つめていて、なんか状況関係なくとんでもなく可愛く見えてしまって。
慌てて、視線を虎らへ。
「周囲の人間は軒並み認識阻害を受けているのに、彼女だけその影響がない、それどころか施す気配もないじゃないですか」
そう仮定すれば、筋が通る。
「認識阻害のエラーになっていると説明されましたけど、恐れているのは『綻び』からの『破滅』の露見だって言ってましたよね? それじゃおかしいでしょ」
周囲の人間にエラーを撒くということと、彼女の認識を許容するということは、イコールでは結ばれないのだ。
「石長さんは『破滅』を認識しているのに。そこでもう『綻んで』いるのに」
いや、もう、木花さんのにやにや笑いが気に障るな……!
「じゃあ、対価ってなんだって話になるんですけど、今言った矛盾を埋めるものなんじゃないんですか?」
「つまり、彼女が認識阻害を拒んでいると?」
「ええ、木花さん。そうじゃなきゃ、あなた達が彼女を放置している理由がわからない」
なるほど、と眼鏡をかけなおして、
「筋は通っている」
嗤いを深める。
まるで、テストで赤点を取った時の言い訳を採点されている気分だ。
「臼杵くん」
その呼び方も、うちの物理担当を思い出されてしまうから勘弁してほしい、なんて思っていると、
「石長さんのこと、好きだろう?」
まったくもって、不意を打たれた。あほ面を晒していると、
「けれど、いま君の脳味噌は、いろいろとぐちゃぐちゃなはずだね」
おいおいおい、誰のせいだと……!
「それでもっても、心の底から彼女を好きだと言えるものかい?」
今度は、準備ができていたから、
「もちろんですよ。だいたい、そうじゃなかったら、今この状況はないはずだから」
石長さんが好きだから。
もしかして、仮初のものかもしれないけれど。
失われてしまってから確かめたのでは、手遅れだと思うから。
だから、彼女の正体を知るつもりでここまで来たのに、詰めを甘くして茂みから出てきたのだ。
背後で、小さく「ありがとう」と囁かれて、じゃあもう恐れるものなどなくて。
だが、
「それなら一つ、今の話の間違いを確かめよう」
冷たい声は、ぐっと眉根を寄せるのに十分だった。
※
「対価、についてはまあいいだろうさ。事情の矛盾を埋めるものに間違いない」
突きつけるように広げた手の平の、親指を折る。
「じゃあその矛盾だけれども、君は、石長さんの認識に我々が不干渉であることと、彼女が本来認識阻害を常備する『破滅』を認識していること、と考えているわけだ」
手短に、すっきりとまとめてくるな、この人は。
こっちの整理能力の程度を示されているようで腹が立つが、耳を傾けるしかない。
「確かに、君が言う通り特殊な状況にある」
けれど、と続けて、
「もっと特殊な状況に置かれている人間がいるだろう?」
……え?
そうは言われても思い至る人物はおらず、相変わらず嗤い顔は腹が立つし、後ろの大白納さんはどうして肩を落として、眉をしかめているんです?
「本来認識阻害を常備する『破滅』を認識していて、こちらのさらなる認識阻害の上からでも『破滅』を認識している『人間』が、一人いるじゃないか」
あん?
と、口を曲げるほどにピンときてなくて、
「臼杵くん……」
腕を掴んだ震える細い指に、ようやく、
「え、俺?」
「特殊性の大きさで『犠牲』を特定するなら、まず、真っ先に君が候補にあがらないかい?」
それとも、と深く嗤って、
「無意識にでも自分の死を躱して、愛する者に押し付けたのかい」
「そんなこと!」
「冗談だよ」
なんて顔で言いやがる! まったく冗談言ってるようには見えねぇよ!
とにかく、木花さんは俺を『犠牲』であると指し示しているが、
「だけど、俺、対価なんて貰った覚えがないですよ!」
はは、と冷たい嗤い声を上げて、
「言っているだろう。その矛盾を埋めるものが、我々が君に支払ったものだよ」
スーツの内ポケットに手を差し込んだかと思った途端、
「目は閉じておくといい。視覚的なトリガーは無いからな」
雷でも落ちたかのような閃光と重い破砕音が響いた。
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