4:それしかなかった
彼らの所属する『世界の平和を維持する機関』は、同種の力を持っているのだろう。
超能力のようなものなのか、科学力によるものなのかは知りうるところにないが。
とにかく、認識を書き換えることができるというなら、学校内の石長さんに対する異様に好意的なくせに、情報が虫食いなのもこのせいではないだろうか。。
とすれば、俺自身の認識も改変されているはずだ。
石長さんを学校の高嶺の花と思っているし、夏澄が指摘した不審な点も当たり前のように呑み込んでいた。
不快感はないことも不思議ではあるが、これも認識阻害の一部なのだろうか。
確かめる必要があると思う。
だから石長さんとの楽しい下校を早々に切り上げると、自宅近くの古めかしい、二人が拠点としている喫茶店を、心を重くして目指していた。
夏に向けて、夜の足はどんどんと遅くなっていて、五時に迫る時刻だというのにまだまだ明るい。
しんと静かなのは、家々の並ぶ夕暮れのなかで、すれ違う人そのものが少ないせいだ。
仕事に出ているならまだ帰宅時間ではなく。
主婦であるなら夕飯の準備を始める時間で。
学生なら駅前などの街中で遊んでいる頃か。
入り組んだ生活道路だから車通りも少ない。
時折、すれ違う小学生らが駆け抜けていく。
あらゆる音がどこか遠くて、足取り重く進む静寂を掻き分けている気分にすらなる。
それほどに静かだった、だからだろう。
目的のドアノブに手を掛けたときに、
「本当に、これしかないんですか⁉」
ドアの向こうから、大白納さんの怒声が通るように届いたのは。
※
「人を一人犠牲にして、それが正しい解決だとでも?」
声のトーンが落ちたのは、相席者にたしなめられたのだろう。
なら、その相席者というのは、もちろん木花さんであろうし、
「知っているだろう。我々は決して正義じゃない」
変わらぬ、北風のような凍みる声で、後輩をなだめようとしていた。
一切効果があるようには思えないし、効果を与えるつもりもないような調子だが。
「我々は……」
「ただの、世界を維持するシステムでしょう。研修で耳のタコが潰れそうになるくらいには繰り返されましたよ」
研修があるのか。
正直、マンガやアニメに出てくる悪の秘密結社みたいなものをイメージしていたから、意外とちゃんとした組織なことに驚かされた。
イメージの大半は、木花さんのヒールムーブのせいなのだけども。
「だけど、納得できるかは別の問題でしょう」
人を犠牲にする、というのが命のことだとしたら、大白納さんの怒りはまっとうなものだと思う。
同時に割り切っているような木花さんの声から、朝の会話を思い出された。
……こうやって切り捨てながら生きて、なお無駄が好きだと言えるのは、彼女がイカレているか、もしくは諦観の果てに立っているのか。
「納得なんか必要なものか。状況は、確実に解決へ向かって動いているぞ」
どちらにしても非人間的な物言いには違いないし、夏澄の記憶をあっさりと奪ったことへの怒りからも、大白納さんの物言いに肩入れしてしまう。
「あの子が望んで、我々は対価を払った。それでいいだろう」
「でもですね……なんですか?」
あの子? 対価? それは『破滅』への解法は見つかっているということか?
気になる単語が耳に届いたところで、唐突に会話が切り上げられた。
大白納さんの反応を見るに木花さんが止めたようで、その理由は、
「ドアの前を占拠していては店に迷惑だぞ、臼杵くん」
「……っ!」
こちらに気が付いて、中からドアを開くために席を立ったからであった。
見つめる表情は冷たく、
「宮さんはこないのかい?」
こちらの逆鱗に近い部分に触れ、
「彼女は説明されることを望まなかったのかな?」
逆撫でしてきた。
荒れたままの声を発しかけて、一呼吸おいて呑み込むと、忍耐で研磨しなおして、
「言いましたよね」
「何をだい」
「あいつは、大切な友人なんだって」
勝手に頭の中をいじられるとか、許容できない話なんだ。
「そうだな、だから謝ったじゃないか」
「え?」
「君には軽いと言われたがね」
言われて、確かに思い出す。
あれは大切な友人をからかわないでくれ、という意図であったのだが、木花さんにしてみたらそれまでの無礼とこれからの記憶の改竄、二つの謝罪を込めていたのか。
あんなにも軽い調子で。
そりゃあ、人の命が軽い人間にしてみたら、記憶程度どうということもないだろうさ。
どうすれば、この膨らみすぎた怒りのようなものを上手に破裂させられるものか、見当もつかず、夕暮れに立ち尽くしかなかった。
※
「好きなものを頼んでくれ。俺が持つから」
座れば柔らかいと感じられる木造りのチェアに腰を預けて、しかし言葉を作れずに、大白納さんが差し出したメニューに視線を落とす。
木花さんはいない。
俺と入れ替わるように、仕事があるとのことで離席したのだ。
頼んだよ、と無責任な振りで大白納さんに押し付けると、さっさと姿を消してしまった。
あの人の今までの振る舞いから、こちらから逃げたとは思えないが、それでも疑ってしまうほどに悪感情が膨らんでいる。
「そうだな、まずは謝らないとね。友人にはすまないことをしたよ」
夏澄のこともあるが、彼らの言葉を信用するなら近隣のほぼ全員、少なくとも学内の大半は認識を改竄されているはずだ。
俺自身も含めて。
無言の意味を察したのか、
「……ああ、わかっている。黙っていたのは悪かった」
頭を下げられた。
こうまでなると、態度を固くしていることに罪悪感を覚えてしまって、張っていた肩を少しではあるが落とさざるを得なかった。
そもそものところ、不信はあの冷血とも思える彼女に向けられているものなのだし。
俺の口角が緩んだのを見て、大白納さんは小さく笑みを作ると、
「認識を阻害してくる力ってのはこっちでも再現できていてね」
有用なものがあるなら利用しようとする、浅ましいまでの人類の性には、常識の枠外にあった不可思議な力も勝てなかったらしい。
「前に話した通り『破滅』は、それ自身を見つけた人に『そこにあることがごく当たり前である』という認識を植え付ける」
「ええ」
「そのうえで」
一度、喋ることを切って、コーヒーを一口。
まるで、口を滑らかにでもするように。
「今回の我々の作戦区域内においては、万全を期するために同じ内容の認識阻害を実施したんだ。正確には『我々の存在』も曖昧にするような内容で。認識阻害はしょせん阻害でしかないから、我々が動くことで綻びが出てしまわないように、ね。ところが、そこで一つ問題が起きちゃって」
大白納さんは若干早口で、
「すでに我々と接触していた石長・穂希への認識に、イレギュラーが起こってしまったんだ。おそらく『我々』のカテゴリーに入ってしまったんだろうけど、多くの人が彼女に関する記憶を虫食いのように失っていてね。君もそうじゃないかい?」
応えようと息を浅く吸うが、しかしこちらの言葉を待つことなく、
「夏澄さんもそうだった。完全に元の状態に戻せたならそれが理想なんだけど、話した通り綻びが出来てしまってそこから『破滅』が露見してしまうなんて最悪のシナリオで。申し訳ないことだけども、当たり障りない記憶処置を施させてもらったんだ」
一息で言ってのけた彼は「悪かった」ともう一度頭を下げたから、表情までは伺えず。
俺は、そんな一連の出来事に既視感を覚えていて、はてどこからのものかと記憶を辿れば、
……最初にこの喫茶店に来た時だ。
石長さんと二人の関係を、大白納さんが説明しているときの光景。
少し早口になり、動作を急ぐようになり、確信はないけれども俺はそこに嘘を感じた。
だから、今回もまた、確信はないけれども、
「……わかりました。じゃあ、俺はこれで帰るんで……木花さんにも伝えてください」
嘘があるだろうと、感じてしまったから。
これ以上言葉を聞くことも、まして最初に盗み聞いた恐ろしい言葉の真意を訊ねることもできるわけがなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます