3:削ぐもの、削ぐべきもの、削ぎたくなんかないもの

 少し付き合ってくれ、という木花さんからのお願いで、車はいったん国道沿いにある二十四時間営業のスーパーに立ち寄ることになった。

 幾ばくかの食料品と、ジャムパン数個と紙パックのカフェオレをケースで購入。

 荷物を持たされながら車に戻ると、

「穂希が、弁当に気合入れすぎて朝食分まで使い切ってしまってね」

 カフェオレを二つとジャムパンを取り出して、後部座席に座らせる。

「弁当って、俺がごちそうになっている?」

 二つある紙パックの一つを手渡され、ストローを取り出しながら助手席へ。

「ああ。君のせいで、私たちは朝食を食べ損ねるところだった」

 口を付けながら、それは管理の問題じゃないのか、と片眉を上げると、

「冗談だよ」

 車が発進された。

 一番に驚いたのが、最後の一言だった。

 思えば、彼女は言い回しにユーモアを効かせることが多々ある。先ほどの夏澄との会話でもそうだった。

 表情が冷たくしゃべり口も固いから、ユーモアで緊張をほぐす、という目的に叶うものではないが。

 笑うことも少ないし、たまに見たと思えば笑顔は怖い。

 そんな彼女が、言ってしまえばただの「嘘」をついたことに、虚を突かれたのだ。

「冗談とか言うんですね」

「ひどい言い草だな」

「そういう無駄なこと、嫌いなのかなって。勝手な想像でしたけど」

 ハンドルを回して駐車場を出た木花さんは、少し重い声で「無駄なこと、か」と呟いたのが引っかかって、言葉を待つと不思議な問いをかけられた。

「臼杵くんは、無駄なことは嫌いかい?」

「無駄? あぁ……好きな人っているんですかね」

 結果に対して、自分の行為が無為になること。

 結果に到達するまでに、不要になるもの。

 いずれにしろ、ネガティブな要素を多く含む言葉であるし、陸上競技を真剣に取り組んできた身としては、嫌いと言っていい言葉だ。

「なるべく、そいつを削いで削いで、っていう生活をしてたもので」

 なるほど、と木花さんは表情を一つ変えずに、見解を述べる。

「私はね、好きだよ。無駄なことが」

 おいおいおいおい。

 全力で否定した後で、そんなこと言われると、居づらくなるでしょうが。

「結果のために、不要を切り捨てるという考え方が嫌いでね。なるべくなら」

 ちら、とこちらに冷たい視線を寄こして、

「なるべくなら、全部、なにもかも抱えておきたいものだ」


     ※


 思いもよらない言葉だった。

 付き合いが短いのだから、意外な一面、と言うのは傲慢なのだろうが、印象と違うという感想は許してもらえるだろう。

 それほど、彼女は怜悧に見えるのだ。

 言葉が切れたから、居心地の悪さもあって、こちらから切り出す。

「だけど、なにもかもを、ってのは難しいでしょう」

 だけど、問いはすぐに答えられず、まず、完全に顔を向きなおられて正面から見つめられた。

 運転中だ、という思いと同じぐらいに、

 ……すげぇ美人だ。

 わりに大きな瞳に浮かぶ疲労はこちらからもわかるほどで、とはいえ、美貌を損ねもせずに、逆にその気怠い力の抜けた雰囲気が、魅力を引き立たせている。

 好きとか、恋するとかではなく、

 ……吸い込まれそう。

 そんな美しさだった。

「そりゃあそうだ」

 一秒も、視線は交差していなかっただろう。

 進行方向に向きなおり、眼鏡をかけなおすと、変わらない冷たい声音で問いに返す。

「今まで、いろいろと……そうだな。いろいろと削いできたよ」

「そんなに?」

「ああ、ありとあらゆる、この手に収めきれなかったモノ、全部さ」

 いったい、どんな顔をして呟いているのだろう。

 きっと、あのセンスの悪い極太メガネフレームは、こんな時の為なのだろうな。

「だけど、生きていくってのはそういうことだろう。そうして削がれなかったものだけが残っていって、それが大切なものになっていくんだ」

 たかが高校生には理解しがたいが、それでも含蓄があり、意味合いを強く感じられる言葉を受け取ると、

「さ、着いたよ」

 気づくと自宅前で、車は止まっていた。

「悪かったね。買い物だけじゃなくて、くだらない言い訳にも付き合わせてしまって」

「言い訳?」

「彼女……宮さんには、学校で会うだろう?」

 それはもちろん。

 言い訳、が何を意味しているのか分からないが、夏澄への後ろめたさでもあるのだろうか。

 だから、念押しを込めて、

「本当に、石長さんのこと、説明してくれるんですか?」

「もちろんさ」

 含みを持たせるように、

「彼女が望むのなら、ね」

 端正なほほが、に、と嗤いを作った。


      ※


 登校して間もなく、木花さんの言葉と含むものを、突き付けられる形で理解することになった。

「朝のこと? ああ、ロードワークのコース変えたんだ。驚いたでしょ?」

 なるほど、と怒りとも嘆きとも言えない沸きたちが胸で跳ねた。

 仕事、言い訳、彼女が望むなら。

 それに、空の傷が持つという認識を阻害、つまり変更する力の存在。

 全部がつながってしまった。

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