4:空のひび割れ
簡単に言うと、二人は『世界の平和を維持する機関』の一員なのだそうだ。
「臼杵君。君、空のひび割れ、見えているだろう?」
学校を逃げるように抜け出した先、自宅からそう遠くない喫茶店で自己紹介と状況説明を承っている。
若い男は
「我々は、あれを解決するために派遣されてきたんだ」
自己紹介の会場で選ばれた古めかしい喫茶店の店主も、組織の協力者であり、
「ざっくりというと、彼女……石長・穂希もその一人だ」
「や、勘違いしないでね。僕たちは君に目を付けていて、昨日たまたま彼女が告白したものだから、臼杵君のことを少し聞こうと思っただけなんだ」
「彼女は、協力員の家族、だったかな大白納くん」
木苺のムースケーキをすくい取りながら、木花さんは淡々と語りかける。
その口ぶりが引っかかって、
「なにか、他の可能性でもあるかのような言い方ですね」
「ちょっと、先輩! いやね、僕らも派遣されたばかりでさ。書類だけ読まされて、現地で一人暮らししている彼女の世話もついでに頼まれたわけで」
一息で言い切ると、氷の泳ぐコーヒーをぐいと飲み干す。
動作を急ぐ様子は疑わしい。が、嘘と断ずるには、言葉は理路が整っている。
こちらは、うさん臭い二人にうさん臭い話をされて、しかもこちらを懐柔しようとしている様子に、どうしても警戒心を抱いてしまう。
やけに友好的な訪問セールスマンに抱くアレだ。
「話を戻すけれども」
一番にうさん臭い大白納さんが言うには、
「あのひび割れの向こうでは、とんでもないバケモノがこちらに這い出ようとしているんだ。無論、誰かが見たわけじゃない。うちの機関で所有しているいろんな計測器、観測機で調査した結果だ」
「とんでもないバケモノ、って……そいつが出てくるとどうなるんです」
目撃者もいないのならば、どうなるかだってわかるわけがないはずなのだが、
「言ったろう、臼杵くん」
木花さんは、その冷たい頬に、ほんのりと嗤いを刻んで、
「我々は世界の平和を維持する機関の一員で、我々が解決を望んでいる。答えは簡単じゃないか」
「はあ……」
ピンとこないが、
「世界が滅びでもするんですか」
女の笑みは、またほんのり深くなり、
「我々は、ヒビとバケモノの呼称を『破滅』としているよ」
※
……何を言っているんだ。
正体は不明で、それが現れると破滅する?
なんだかもう、宇宙人の秘密基地で、侵攻中だとか言われた方が信憑性はあるだろ。
けれども、
「まあ、マンガとかアニメの話だよな、世界の破滅をもたらすバケモノだなんて。
だけど、可能性はある。可能性があるなら、排除するのが僕たちの仕事なんだ」
大白納さんもまじめな顔をするから、否定も茶化すこともできなくて。
「疑問に思わなかったかい? 君以外の誰もが、空のひび割れなんか見えていないこと」
いや、まあ、疑問には思ったけれども、大事には捉えてなんかいなくて、破滅とかいう大仰な単語を聞かされた今だって、正直気持ちは変わっていない。
「あのひび割れには『そこにあることがごく当たり前である』というような具合の、認識を阻害する力があるんだ。だから、うちでも発見が遅れた次第でね」
「ちょ……え? じゃあ」
俺が見えているのは、なぜ?
「なんでだろうね。正直わからないんだけど、だからこそ、事態の解決に繋がるかもしれないと判断して、こうして接触したし……協力をお願いしたいんだよ」
わからないのか……
と、引っかかるものがある。
言われて考えてみると、自分自身はいつの時点であのひび割れを認識していた?
思い返しても記憶の始まりには辿り着けなくて、もしかして、
……俺が見えるようになったんじゃなくて、向こうが俺を見つけたから、とか?
何気ない連想と、転換。
けれども辿り着いた答えに、背中はじっとりとなめられて、
「どうした、臼杵くん?」
ケーキを頬張る木花さんが、怪訝に覗き込む。
「いや、大丈夫です」
……気のせいだ。
……気にしすぎなだけだ。
とは言い聞かせるものの、協力をふんわりと約束して退店する段になっても、もやもやは張り付いたままだった。
手を付けることのできなかったアイスコーヒーと、やはり並んで手が付けられていないアイスティのグラスを覆う、幾多の水滴のように。
※
黒服の二人と別れて帰路につくと、石長さんがまず謝罪と釈明を切り出してきた。
「黙っていてごめんなさい、突然だったから口を挟めなくて……」
まあそりゃあいきなり手を引かれて走らされたのだから、ゆっくり説明とはいかなかった。
「こっちこそ、早合点で迷惑かけた」
「ううん、木花さんが変なこと言ったんでしょ? あの人、そういうところあるから」
確かに、こっちの反応を面白がっている節はあった。
だから逃れるためにダッシュしたのだから、責任は木花さんにあるだろう。俺は悪くないみたいだ。
俺の罪というか、悪い部分があるとするならば、
「見てもらった通り、あの程度も距離も飛び越せない臆病者なんだよ」
守りたい、という気持ちを達せられなかったことだろう。
「中学の時に、目の前で同級生が学校の屋上で飛び降り騒ぎが起きてさ」
人が死んだ話だから、彼女の反応をうかがいながら話を進める。わずかにうつむき加減で、顔色はよく見えないが、あからさまに不快の色は見えないから
「そいつは旧校舎屋上にいて、俺はちょうど新校舎の最上階で授業受けていて。騒ぎになったとき、すぐに屋上へ駆けつけられたんだ。
後から知ったんだけど、旧校舎側の屋上入り口はそいつが外から鍵をかけてたみたいで、俺が一番乗りだったんだよな」
瞬くように、あの時の記憶が蘇る。
衝撃に、無力感に。
早まる動悸を拳で押さえつけながら、
「旧校舎と新校舎の間は三メートル弱程度で、パラペットがあるだけ。フェンスもなにもなくて、俺じゃなくたって、助走を取れれば簡単に飛び越せられる距離でさ」
でも。
「跳べなかった。怖くて、跳べなかったんだ」
躊躇っているうちに、ざわめきが悲鳴に変わったのを覚えている。
「それから、もう記録は落ちる一方で、未だに解消できていなくて……石長さん?」
不意に立ち止まられたから、咄嗟に振り返る。
と、胸に当てていた拳を、やんわりと両手で包み込まれ、
「大変だったね。それに……すごいと思う」
すごい?
「跳べないなんって、当たり前だよ。そんな怖いこと、平気でなんかできるわけない。それよりも、もう何年もなるんでしょ? 後悔をしていて、いまだに悩んでいるなんて、すごく真剣に向き合っているんだと思う」
「……引きずっているだけだよ。そんな大したことじゃ」
「ううん。本当に弱い人なら、とっくに忘れたふりをして蓋をしてしまうよ。嫌な記憶なんて」
だから、と続けて、
「臼杵くんはすごいと思うの」
……そうかな。
少し、動悸が治まって胸が軽くなった。
石長さんの慰めは、自分自身が欲しがっていた言葉だっただろう。
「……都合が良すぎるよな」
「え?」
吐息に乗せた笑うような呟きは、彼女の耳には全体像が届かなったようで、首を振りながら頬にも笑みを浮かべて、
「いや、ありがとう、って」
些細な嘘を、本心の言葉で隠した。
石長さんも微笑んで受け入れると、胸を押さえる役割を終えた手を、自然と下げていく。
でも、包んだ柔らかな両手の平のうち片方はほどかれることなくて、
「好きに、なってもらえそうですか?」
今更の問いに、笑顔で、
「このまま帰ろう。すごく、そうしたいんだ」
緩んできた拳を開いて、指を絡めなおした。
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