第6章 『勘太郎、絡まれている女性を助ける』全25話。その2。

            二 勘太郎、絡まれている女性を助ける。



 時刻は午後の十五時三十分。


『なあ、いい加減、座間なんかとは見切りを付けて俺と付き合えよ、東山。あんな真面目だけが取り柄の男と一緒にいたってつまらないだろう。俺ならいろんな意味でお前を楽しませる事が出来るぜ。どうだ、悪い話じゃないだろう。俺が前々からお前にぞっこんなのはお前も気付いていただろう。なあ、なあ、いいだろう!』


「や、やめて下さい、堀下先輩。こんな所で一体何を考えているんですか。私にはちゃんとお付き合いをしている方がいますし、先輩とはお付き合いは出来ないと前にもちゃんと言ったはずです。だからこんな事はもうやめて下さい!」



 ポツポツと俄雨が降り出したとある古びた八畳程ある小さな休憩所で四人の男女が二~三個ある長椅子に座りながら、迎えに来るはずの車をただひたすらに待つ。


 都会の道から少し外れた路上には小さな休憩所とバス停があり。町から離れれば離れる程に民家は疎らになり大きな田畑が広がる。

 久しぶりに嗅いだ土と草の匂いを感じながら勘太郎は、たまに水しぶきを上げて駅の道路を通り過ぎる車を何となく見つめる。


 そんな道端にポツンとある無人のバス停付きの休憩所には勘太郎と羊野、そして目の前で何やらもめている男女を入れた四人しかおらず。まだ午後の十五時三十分くらいだと言うのに上空の空は薄暗くよどみ、休憩所の中で迎えの車を待つみんなの雰囲気をも暗く陰気にさせる。

 そんな勘太郎の隣にゆるりと腰を降ろす羊野瞑子は、口から漏れる大きなあくびを右手で隠しながら、もう一つの左手で持っている文学小説の本をただひたすらに読み耽る。

 隣の座席に精巧に作られた不気味な白い羊のマスクを置きながら次のページをめくるその素顔は透き通るようなきめの細かい色白で、そこから見える長く白銀に光る髪はとても美しく、その白い色に着飾った純白にピッタリな服装をしている。


 その隣に座る黒鉄勘太郎の方は上下の黒のダークスーツに首には青いネクタイをしっかりと締め。そして椅子の下には様々な荷物を入れたボストンバッグがどっしりと置かれている。そうこれから勘太郎と羊野は腐れ縁の先輩でもある赤城文子刑事に呼び出されてこの古びたバス停からどこかへ連れて行って貰うようだ。


 そんな赤城文子刑事の連絡を持つ勘太郎は自宅で折りたたみ型の(自分の)携帯電話の充電をついうっかりし忘れていた事もあり、仕方なく羊野からスマートフォンを借りて、この場所に呼び出した赤城文子刑事に再度電話をかける。


(因みにバッテリーが切れた勘太郎の柄系の携帯電話は今はボストンバッグの中だ。)


 だがいくら呼び出しても当の赤城文子刑事には繋がらず、幾度も呼び出し音を聞かされる度に勘太郎は内心少し苛立ちを感じ始めていた。


「たく、今運転中なのかは知らないが、何時に着くかくらいはちゃんと連絡を入れてくれよな。もう既に待ち合わせ時間から三十分も過ぎているじゃないか!」


「黒鉄さん、余りカリカリしないで下さい。天気予報では今日は大雨になる予定らしいですから、事前の帰宅ラッシュに巻き込まれたのかも知れませんよ。まあ、気楽に待ちましょう」


「こんな大雨注意警報が出ている時にか。赤城先輩も先輩権限で無理矢理に俺達を呼び出すのは結構だが、もっと計画的に事前に動いてくれないと困るぜ。よ~し、赤城先輩にもう一度電話だ!」


「黒鉄さん、いい加減にうざいですよ。少し黙ってて下さいな。落ち着いて読書が出来ないじゃ無いですか」


「クッ、分かったよ。仕方が無いな」


 羊野の静かなブーイングにスマホの携帯電話から耳を離した勘太郎は、仕方なく電話をかけるのを諦め、代わりに伝言のメールを送る。


「これでよしっと……それにしても雨が本格的に降り出して来たな。こんなんで本当に赤城先輩が言っていた所に行くつもりなのかよ」



 ザァァァァァァーッ!



 強く降り出した雨のせいかは知らないが何だか落ち着かない勘太郎が気になるのは、目の前でさっきから何やらもめている男女の攻防劇だ。


 見た感じではどう見ても恋人同士には見えないその二人はハッキリ言ってしまうなら、まだ少女の用な幼さが残るおとなしそうな美女と、その女性に絡む陰険でねちっこそうな野蛮な叔父さんと言った感じだ。

 その体格の大きな厳つい男が嫌がる女性の肩に手を回しながら無理矢理にいいよっているのだから、その光景を目の前で見せつけられる勘太郎の心情は気が気では無い。


 もしもの時はここぞというタイミングで止めに入る事を心の中で考えていた勘太郎は、まだこの男女の二人の関係性がよくわからないので、もう少しだけ様子を見ることにしたようだ。

 思わぬ早とちりで恥を掻くのはなるべく避けたかったからだ。


 その関係性がよくわからない謎の二人の男女に時折目を向けながらどっしりと木製の長椅子へと座る勘太郎は、目の前にいる男女の服装を見ながら彼らに気付かれる事無く静かに観察をする。


 がっしりとした体格の男の方は、黄色と白の柄が入った長袖のワイシャツを上から羽織り。下にはだぶだぶの大きなジーンズを堂々と履いている。

 そして髪型は厳ついパンチパーマで、その素行の悪そうな出で立ちは容赦なく回りを不安にさせ、まるで威圧しているようにも見えた。


 そんな厳つい男に言い寄られているうら若き女性の方は、白と青の入ったチェックのセーターを可愛らしく着こなし、まるで清純派アイドルを思わせるその真っ黒な黒髪が彼女の美しさをより一層沸き立て目立たせる。


 そんな謎めいた二人がいずれも大きめのキャリーバッグを持っている事から、これから二人で何処かに旅行にでも行く所なのだろうと勝手に推察をするが、この不釣り合いな怪しい男女が二人だけで一緒に何処かに行くとはどう考えても不自然であり可笑しな組み合わせなので、勘太郎は心の中で矛盾を感じている程だ。何故なら女性の方は明らかに相手の男の方を嫌がり、とても親しい間柄には見えなかったからだ

 もしもこの男性がたまたまこの場所に居合わせただけの全くの赤の他人なら、人としてこの場を見逃す訳には行かない。


 そんな勘太郎の嫌な予想が的中したのかそのガラの悪そうなその男は、ネチネチと言葉巧みにその女性に言い寄りながらその体を強く、そして激しく密着させる。


 その瞬間その女性は蛇に睨まれた蛙のように体を震わせながらその場から動けなくなり、その可愛らしい顔の眉間にはハッキリとシワができる。


「なあ、もういいだろう」と言いながら肩に手を回していた男性の手が女性のふくよかな胸をセーターの上から鷲掴みに掴んだ時「きゃあぁぁぁぁぁぁーっ!」と叫ぶ女性の悲鳴が停留所内に響き渡る。


 そんなただならぬ雰囲気と状況にいてもたってもいられなくなった勘太郎は、心臓をドキドキさせながら仕方なくそのもめている男女の前へと静かに歩み寄る。


「ち、ちょっといいですか。一応ここに俺達二人も人がいることですし、ここでの破廉恥行為は控えてくれませんか。見ているこっちが目のやり場に困りますので」


 勘太郎の遠慮がちな言葉に今まで上機嫌で女性に絡んでいた男性の顔が鋭くなり、怒りに満ちた強ぼての顔に変わる。


「何だよテメー、俺のやることに何か文句でもあるのか。今俺の彼女と仲良く話し合いをしている最中なんだから部外者が口出ししてんじゃねえよ。隣にいる白髪の可笑しな彼女を連れているからって妙な正義感をちらつかせてんじゃねえよ。ぶん殴るぞ!」


(いや、こいつは彼女なんかじゃ無いし……ただの仕事上の部下ですから)と彼の誤解を直ぐにも訂正したかったが、そんな事を訂正しても始まらないので勘太郎はその言葉を敢えて無視しながら、睨みを効かすパンチパーマの男性に再度話しかける。


「その女性の方を彼女と言っているようですが、本当にそうなのですか。先ほどからあなた達の会話がこちらにも聞こえて来ていたのですが、彼女はハッキリと違うと言っている用に聞こえたのですが、そこの所はどうなのですか?」


 勘太郎は怯えと悲痛に顔を歪ませるその女性に視線を向けると、その女性はまるで勘太郎に助けを求めるかのように消え入る声で「私……この人の……彼女じゃありません……」と小さく呟く。


「どうやら女性の方はあなたとの関係をキッパリと否定している用ですが、あなたは本当は彼女とは一体どう言う間柄の方なのですか。場合によっては警察に連絡しないと行けませんので、教えてはくれませんでしょうか」


 その最終警告とも言える決意を表す言葉にパンチパーマ頭の男は顔を真っ赤に逆上させながら勘太郎に突っかかる。


「事情も知らないくせに舐めた真似してんじゃねえぞ。俺はこいつの大学の先輩だよ。とは言っても二~三年前に大学は卒業しているから大学のOBだがな。こいつは俺が大学時代にいたミステリー同好会の後輩なんだよ。だから赤の他人って訳じゃないぜ」


 その言葉に意を決したのか、そのおとなしそうな女性が反論をする。


「後輩と言っても堀下先輩とは去年一度だけミステリー同好会のサークルの合宿であっただけじゃ無いですか。私は……先輩のこと全然知らないし……」


「いいじゃねえか、これからゆっくりと互いのことを知っていけばいいんだからさ。別に恥ずかしがる必要はないだろう。メールを送ったり電話をかけたり、たまに部活に顔を出したりもしてるじゃないか。ハハハハ!」


「恥ずかしいんじゃなくて嫌なんです。メールも電話もいい加減に辞めて下さい! 私には座間隼人先輩と言う彼氏がいることは堀下先輩も知っているじゃないですか」


「だからあんなモヤシ男とは今すぐに別れて俺の女になれとさっきっから言ってるだろう。もし言いにくいんだったら俺が代わりに言ってやるからよ。あいつは俺の後輩だし俺が一括すれば縮み上がってション便を漏らしながらお前から身を引くだろうからさ」


「なんでそうなるんですか、いい加減にして下さい。う、うう……うう……っ」


 いくら否定しても全く話の通じない堀下という男の欲望に耐えきれなくなったその女性は、ついに小さく下を向きながらシクシクと嗚咽を漏らす。そんな光景に耐えられなくなった勘太郎は仕方が無いとばかりに大きく溜息をつきながら堀下先輩と呼ばれていた大男に言葉をかける。


「いい加減にして下さい、どう見ても嫌がってるじゃ無いですか。大学時代のOBだかなんだか知りませんがセクハラは歴とした犯罪ですよ!」


「お前はさっきからうるせえーぞ。てめえは正義の味方かなんかか!」


 勇気を出して立ち上がった勘太郎の左頬に堀下の硬く握り締められた右腕から繰り出された拳が勢いよくヒットする……かの用に思われたが、勘太郎の顔に当たるはずだった拳は空を切りその直ぐ横を通り過ぎる。


 咄嗟に目の前にいる大男の顔を見てみると堀下の顔には小さな文庫本がまるで手裏剣の用に豪快に叩き付けられ、その痛みに堀下は「うわっあぁぁ、い、痛い!?」と喚きながら、その文庫を投げつけた人物を激しく睨みつける。


「い、痛てえぇぇ、や、やりやがったな! おい、そこの白い白髪の女、てめえをぶっ殺してやるぜぇ!」


 その怒りに満ちたドスの利いた堀下の言葉に羊野は小さくクスクスと笑いながら座っていた長椅子から席を立つ。


「ぶっ殺す……いいですわね、それ。あなたの言っている殺すとは、それはこう言う事を言っているのでしょうか」


 そう言うと羊野は白いロングスカートの右側についてあるチャックを素早く開けると、太股に装備されている鞘からその獲物を素早く引っこ抜き、悪態を付く堀下という男の目の前にその得物を豪快に突きつける。


 赤い瞳をギラギラとたぎらせながら不気味に微笑む羊野の右手には(金属を鍛造技術と研ぎの技術による製法で作られた)大きく、そして長い打ち刃物でできた包丁がしっかりと握り締められていた。


「あなたの言う用にどうしても黒鉄さんをぶっ殺したいと言うのなら、代わりにこの私が喜んであなたのお相手になりますわよ。でも殺し合いをやるからには私に力の加減なんかを期待しないで下さい。私は殺すと言ったら嘘偽り無く絶対に相手を徹底的に殺す……そんな性分ですからね。勿論後から冗談でしたと言う話は私には一切通用しないので、その覚悟があるのならいつでもその拳を振り下ろして来て下さいな。ホホホホホホっ!」


 その目の前に突き付けられた鋭い凶器とその白い女性の口から放たれた異常な狂気に流石の堀下の顔も瞬く間に凍りつき、その表情がまるで痙攣をしたかの用にピクピクと引き攣る。


「な、何なんだよ、この如何にも危なそうな女は、ほ、包丁なんかを普通に持ち歩いて……いるのか。こ、こいつは頭がおかしいんじゃないのか。この俺になんの躊躇も無く平気で包丁を突きつけて脅して来るだなんて……あ、あんたはどこかいかれているぜ!」


 羊野の予想だにもしなかった言動に内心かなりびびり上がった堀下は、まるで助けを求めるかのようにその怯えた表情を近くにいる勘太郎に向ける。


 まあ、行き成りその場でたまたま行き会った女性に包丁を突きつけられたら誰だって恐れを抱くのは当然の話だ。それで無くとも長い人生の中で赤の他人に包丁を突きつけられる場面に遭遇する事は先ず無いことだろうから、その対応に堀下は本気でパニックを起こしていると言った所だろうか。しかもその包丁を突きつけて来る相手に明確な殺意と殺気が感じられると言うのなら尚更だ。

 そんな羊野の異常な危険性を知った堀下は、勘太郎にその怯えの表情を向けながら必死な声で叫ぶ。


「こ、このいかれた姉ちゃんはあんたの連れなんだろう。こいつを何とかしてくれ。もう大人しくするからさ、頼むよ!」


 どうやらこの白髪の女性にただならぬ異常性を感じた堀下は、この女とはなるべく関わらない事に決めた用だ。

 その白い衣服を着た殺気を漂わせる女性にすっかり怖じ気付いた堀下はまるで懇願するかのように勘太郎を見るが、その目はまるで追いすがる子犬のように怯えきっているようだ。そんな情けない姿を見せつけられた勘太郎は仕方が無いとばかりに今も著しく殺気立っている羊野に声を掛ける。


「もういいだろう羊野。いい加減、刃物を終えよ。その自前の包丁を喧嘩の相手に向けて行き成り出すのはお前の悪い癖だぞ」


「黒鉄さんの身が危ないと判断しましたので、黒鉄探偵事務所の探偵助手として手助けをしたまでの事ですわ」


「探偵の助手と言うよりは、殺し屋みたいな行動だがな」


「だってこの堀下さんという人が、黒鉄さんの事を『てめーは正義の味方か何かか!』とか言っていましたから、それは間違いですよと教えて差し上げたかったまでの事ですわ。『黒鉄さんはただの中二病のお馬鹿』だと言う事実をね。そこの所を是非間違いない用にして欲しいものですわ」


「ハハハハっ、お前、向こうのペンションに着いたら、夕食の前に取りあえずは説教だからな!」


 そんな何気ない二人の会話を聞きながら堀下は勘太郎と羊野に声を掛ける。


「探偵だと、あんた達は一体……?」


 その時である。行き成りバス停にある休憩所の真ん前で白いワゴン車が水しぶきを上げながら勢いよく止まる。そのワゴン車の助手席と運転席には二人の女性が乗っていた。

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