第6章 『勘太郎、ボウガン犯と遭遇する』  全25話。その3。

            三 勘太郎、ボウガンを持つ者と遭遇する。



 雨に濡れる窓ガラスが音を立てながら下へと下がると、助手席に乗っている切れ長の目をした綺麗な女性が勘太郎達にその顔を向ける。


「東山さん、堀下先輩、お疲れ様です。それとそこにいるのは赤城先輩のお知り合いのお二人ですよね。遅れて申し訳ありません。この雨で道が込んでいた物ですから少し遅れてしまいました」


「夏目先輩、もう遅いですよ。もしこのまま来なかったらと思うと、私、本当に、本当に……心細かったんですから!」


 助手席に乗る夏目と言う名のその女性に東山と呼ばれたその女性は、今にも泣きそうな顔をしながら心の底から安堵の溜息を漏らす。そんな東山とは打って変わり何やら不満そうな顔を向ける堀下は顔をしかめながら、夏目と呼ばれているその女性に悪態をつく。


「ミステリー同好会の部長の癖に、先輩をここまで待たせるとは一体どうなっているんだ。時間を計算して余裕を持ってちゃんと動けよな。夏目、お前少したるんでいるんじゃ無いのか。畑上の家のペンションに着いたら部員の奴ら全員を集めて俺の前で反省会だからな!」


「す、すいません、堀下先輩。本当に申し訳ないです!」


 申し訳なさそうに頭を下げる夏目という女性の背後から、これまでに無い元気な声が堀下に向けて飛ぶ。


「随分と横柄でお偉くなったわね、堀下君。この雨で道が混んでいたと言う夏目さんの今の話を貴方は聞いてはいなかったのかしら。それとも貴方、もうその年で頭に耄碌が来ているのかしら。まさかそんな事は無いわよね!」


 その思いもしなかった声の主に堀下は目を大きく見開き、冷や汗を掻きながら顔をぎょっとさせる。


「お、お前は、ま、まさか……赤城文子か。なぜ俺と同じ同期だったお前がここにいるんだよ? 確か風の噂じゃ警視庁の刑事になったって聞いたが」


「ええ、そうよ。私は可愛い後輩の夏目さんの頼みで、わざわざスケジュールを調整して、休暇を取って、そこにいる以下二名と共に……この合宿に参加しに来たのよ。何か文句でもあるの!」


「夏目の話だと可愛い女子二名と男子一人を特別に参加させるとか言っていたが、まさかその参加するメンツっていうのが、このいかれた風貌をした凶暴な羊女と、何やら胡散臭そうな黒いスーツの男に、そして極めつけが……あの高飛車な正義馬鹿で有名なトラブルメーカーでもあるあの赤城文子か。夏目、お前……よりにもよってとんでもねえ奴らを連れて来てくれたじゃねえか!」


「何よ堀下、私達が来たら何か不都合な事でもあるのかしら。ハッキリ言いなさいよ!」


「な、何もねえよ。いいから早く行こうぜ。この雨だ、天気予報の話じゃこれからが大雨の本番らしいからよ。大雨は今夜の十時頃がピークとの話だぜ」


 まるで口うるさい赤城文子との会話を避けるかのように堀下はそそくさとワゴン車に乗ろうと動き出す。どうやら堀下にとって赤城文子はかなり苦手な女性の用だ。

 大学時代に堀下と赤城文子との間に一体何があったのだろうか。その想像は、物凄くバツの悪そうな顔をする堀下と不適な笑みを浮かべる赤城文子の態度を見たら何となく二人の関係性が分かってしまう。そんな一コマだ。


 堀下と呼ばれている男の横柄な悪態も運転席に座る赤城文子の言葉でどうにか収まり、正直夏目はかなりホッとする。今回のお泊まり会はこの赤城文子がいる限り恐らくは大丈夫だとそう思ったからだ。

 そんな事を思いながら夏目は、勘太郎・羊野・東山にも早くワゴン車に乗るようにと勧める。


「では皆さん、急ぎましょう。他のミステリー同好会のメンバー達も、皆先にペンションに向かっているらしいですから」


 急ごうとする夏目の言葉に、赤城文子がそれを止める。


「その前に私の連れの自己紹介をさせて頂戴。この如何にも怪しげな黒一色のスーツを着た男性が『黒鉄勘太郎』と言う私の高校時代からの可愛い後輩よ。そしてその隣にいる女性が白銀の長い髪に白一色の服装を着た『羊野瞑子』さんよ。二人とも私の大事な友人であり、黒鉄探偵事務所と言う探偵業を生業とした特別な探偵よ。人呼んで『白い羊と黒鉄の探偵!』この二人を知る関係者達は皆がそう呼んでいるわ!」


「白い羊と黒鉄の探偵……なんだそれは? この可笑しな男女の二人が着ている衣服が白黒だからそう呼ばれているのか。お前らがあの赤城文子と知り合いだと言うのなら、変わり者と言うのもまた頷けると言う事か。まあいいや、俺の名は『堀下たけし』だ。二泊三日という短い間だが、まあ、よろしく頼むわ」


 そう言うと堀下は大きな体を揺らしながら、白いワゴン車の一番奥の後部座席へと自ら乗り込んで行く。


「先程は助けて頂いて本当にありがとう御座いました。私は大江大学文学部二年の『東山まゆ子』と言います。よろしくお願いします」


 続いて東山が自らの名前を名乗ると、しなやかな綺麗な黒髪をなびかせながらワゴン車の中の一番前の長椅子に素早く座り込む。まるで成るべく堀下たけしとは遠くに距離を取りたいと言っているかの用に、そんな座席の座り方だ。


 なので勘太郎と羊野は中央の長椅子へと二人で座る事にした。


 堀下・東山・羊野・そして勘太郎の四人が直ぐさまバス停に止まっているワゴン車に乗り込むとそれと同時にドアが閉まり、白いワゴン車のタイヤが激しい水しぶきを巻き上げながら雨に濡れたアスファルトを勢いよく走り出す。


 ゴッオオオオオォォォーッ! 


 ザァァァァァァーッ!


 しばし車内で皆が落ち着いたのを見計らって、助手席に乗っていた夏目という女性が後ろを振り向きながら勘太郎と羊野に改めて自らの自己紹介をする。


「私は大江大学法学部四年の夏目さゆりと言います。今現在は大学内にあるミステリー同好会の部長を務めさせて貰っています。赤城先輩には大学時代からいろいろと大変お世話になっております。そして今回は特別にワゴン車も出して貰って本当に助かりましたわ。ミステリー同好会の人数を埋める為に、赤城先輩にはOBとして合宿への参加をして貰いましたが、まさか現役の探偵さんとその助手の二人をわざわざ連れて来て下さるだなんて有難い事ですわ。なぜならこれ以上に我がミステリー同好会に相応しいゲストはいないと私は思ったからです。なにせ現役の刑事さんのみならず本物の探偵さんにも会う機会を与えて下さったのですから。やっぱり赤城先輩に声を掛けて良かったです!」


 艶のいい長いポニーテールの髪を揺らしながらニッと笑う夏目さゆりの笑顔は万遍の笑みで輝き、それに釣られて今まで暗い表情をしていた東山まゆ子もまたつい笑みを溢してしまう。

 どうやらこのミステリー同好会の部長だけあって人望も厚く、周りを明るくする性格を持った人物のようだ。

 そんな夏目の感謝の言葉が気恥ずかしいのかワゴン車を運転する赤城文子刑事は微かに微笑むと、綺麗に整えられた形のいいボブカットの前髪を片手で弄りながら雨が激しく叩き付ける前のフロントガラスをマジマジと見る。


 勘太郎は車を運転する赤城文子刑事の後ろ姿を見つめながら、昨日赤城文子刑事から聞いた話をもう一度思い返す。


            *


 昨日の夜、行き成り赤城文子刑事から電話を貰った勘太郎は強引な赤城文子刑事のいつもの頼み事に話を断る理由を見失ってしまう。それだけ相手に考える暇を与えないほどの見事な語り口と交渉術だったからだ。

 そんな強引な勢いと話の上手さに勘太郎は毎度の事ながらまんまとはめられてしまうのだが、大まかな話の内容はこうだ。


「ねえ勘太郎、あんたどうせ明日は暇でしょ。実はあたしも明日から三日間ほど珍しく休暇を取ることが出来たのよ。だからたまには私と気晴らしに旅行にでも行きましょうよ。実は私が昔大学時代に所属をしていたミステリー同好会の後輩から、自然豊かな湖の風景が楽しめる豪華なペンションに共に来てくれないかというお誘いがあったのよ。二泊三日で当然宿泊費も食事代もタダだからお金の方は心配しなくてもいいわよ。いつも警察側の都合で無理難題を言ってあなたに迷惑を掛けている、そんなあなたに向けて贈る私からのささやかなプレゼントだと思って私についてきて頂戴。ん……なんですて、行かないですて、私の好意を断るなんて選択肢は勘太郎、あなたには最初から無いのよ。必ず羊野さんを連れて明日の午後の十五時までに指定したバス停に来ること。いいわね、分かった。必ずよ。絶対なんだからね。え……明日は雨が降るから外へ出たくはないですって。あれ、行き成り電波の調子が悪くなったのかあなたの声が聞こえにくくなったわ。もしもし……もしもし……勘太郎、聞こえる。え、嫌、あんたがさっきからなにを言っているのかよく分からないんですけど!」


            *


 そんな一方的な赤城文子刑事との会話の記憶を思い返しながら勘太郎は仕方がないとばかりに頭を振ってその記憶を掻き消す。

 本当はなぜ自分がこの合宿に連れてこられたのか……その赤城文子刑事の真意が全く分からないのだが、それでも自分の都合を強く押す赤城文子刑事には逆らえないので勘太郎は羊野を連れて一緒にこの合宿に参加をする事に決めたようだ。


 赤城文子刑事が運転する白いワゴン車が雨の町を走り抜け、高速道路の改札口を通過した時、勘太郎は羊野から借りたスマートフォンで暇つぶしとばかりにパズルゲームへと勤しむ。

 その隣では羊野が静かに読書へと読みふけり。その前の座席では東山まゆ子がイヤホンを耳に掛けながら静かに音楽を聞いている用だったが、車酔いの薬でも飲んでいるのか何かの錠剤を口に含むとそれをペットボトルの水と一緒に飲み込んでいる姿を真後ろの座席に座る勘太郎が目撃する。


 そして更に一番後ろの席に座る堀下たけしは車内の居心地が悪いのか直ぐにふて寝をし出し。助手席に座る夏目さゆりは車を運転する赤城文子刑事にやたらと話しかけながら他愛も無い会話を楽しんでいる用だった。


 そうやって各々が互いに時間を潰し合うこと約三時間、湖が見えるというペンションまでの道のりをただ浸すらに自分だけの時間を楽しみながらこれから向かおうとする小高い山の上にあると言われているペンションを目指す。


 だがそんな単調な車内で勘太郎はしばらくはスマートフォンのゲームに熱中していたがそのゲームにも飽きたのかスマホを顔の位置から放すと、雨が激しく降り続く外を眺めながらただボーと眠たげに外を眺める。


(はあ~、今日は見たいテレビの番組があったのにな……ああ~、帰りたい)


 そんな勘太郎の諦めにも似た思いを乗せて、警視庁捜査一課特殊班・赤城文子の運転する白いワゴン車は、雨の中の高速道路をただひたすらに走る。



 ゴッオオオオオォォォーッ、ブウウウウウウーン!



 時間をかけて走る事約三時間。赤城文子刑事の運転する勘太郎達を乗せた白いワゴン車は、広々とした木々に囲まれた大きな湖が見える場所へと辿り着く。

 雨さえ降っていなければなかなかにいい景色が楽しめるのだが、この大雨と今になって出て来たこの強い風ではせっかくの美しい景色も台無しである。

 その湖の端に見える緑豊かな大きな山の高台に、これから勘太郎達が向かうペンションがあるのだと夏目さゆりが笑顔でそう教えてくれた。


 何でもそのペンションは五~六年前に、大江大学の卒業生だったOB、畑上孝介の親が所有している別荘があるとの話だ。そんな話を聞くと、これから会うその畑上孝介と言う人物の実家がそれなりにお金持ちだと言う事が軽く想像が出来てしまう。

 そんな立派なペンションを所有しているOB、畑上孝介について、赤城文子刑事が「畑上の実家はお医者さん一家で個人病院を経営していると聞いたけど、ならなぜ彼は医学部系の大学を選ばなかったのかしら、不思議ね。やっぱり性格に問題があるからかしら?」と悪態をついていた事から、その話に出て来た畑上孝介という人物もまた一癖あるそんな人物のようだ。

 だがそんな彼が自分の家の別荘を気前良く貸してくれるのだから、赤城文子刑事が言う程悪い人物では無いのかも知れないと今はそう信じたい。


 赤城文子が運転するワゴン車が湖方面に近づくに連れ、賑やかな町の光景や明かりはその視界から完全に消えてしまう。いつの間にか周りに民家らしき建屋が全くない事に気付いた勘太郎は、森が続く暗がりの道路に少し嫌な不安を覚えながらついつい考え込んでしまう。


(なんだ……この嫌な胸騒ぎは。あれから更に雨がひどくなったが、この大雨でかなり気分がめいっていると言う事なのか。)


 言いしれぬ不安を抱きながら勘太郎が横の窓ガラスを覗いて見ると、その下を勢いよく流れる川の激流が目に入る。

 その川に掛かっている橋の上を赤城文子刑事が運転するワゴン車が勢いよく通過をする。


「かなり水かさが増している用だが、この橋は本当に大丈夫なのか?」


 物凄く不安がる勘太郎の心配も無理は無い。何故なら茶色く濁った川の激流は更に水かさを増し、後数センチで橋に届く所まで水量が近づいていたからだ。

 だがその橋に掛かる水かさを見た赤城文子刑事は「よし、特に問題はなしね。このまま突き進むわよ!」と言いながらまるで何も見なかったかの用に川の水からその視線をそらすが、そんな赤城文子刑事に勘太郎がすかさず突っ込みを入れる。


「ちょっと待てぇぇーっ。今通りすがり様にとんでもない光景を見てしまったんですけど!」


「なによ勘太郎、行き成り大きな声を出して、ビックリするじゃない!」


 まるで私は何も見ていませんとばかりに額から一筋の汗を垂らしながら赤城文子刑事はぎこちなく笑う。


「こ、このままそのペンションとやらに進んで本当に大丈夫なんですか。今夜中にこの大雨はやみそうにも無いですし、このままその高台にあるペンションの方に進んだらさっき通り過ぎた橋は後数分くらいで川の中に沈んで通れなくなってしまいますよ。つまりこの高台の山の上に閉じ込められてしまうと言う事です。なのでこの場所から引き返すのなら今しか無いと思うのですが」


 勘太郎の冷静かつ深刻な助言を聞いた夏目さゆりが、かなり慌てた様子でその話に割って入る。


「だ、大丈夫ですよ、探偵さん。畑上先輩の話じゃその別荘には管理人がいて、絶えず一週間分の食料を備蓄しているそうですから例えこの高台のある別荘に閉じ込められても大丈夫なはずです。それにもう既にミステリー同好会のメンバー達が全員ペンションにいるみたいなので、今更私達だけが解散をする訳には行きませんよ。夜の夕食の用意ももう既に出来ているとの話なので、せっかく準備をしてくれた畑上先輩の好意を無にすることはどうしても出来ません」


「まあ、そう言う事よ。今回のこの合宿では二泊三日もするんだから、その間に雨はやんで、帰る頃には橋も通れる用になっているはずだから恐らくは大丈夫よ。相変わらず勘太郎はビビりなんだから」


 楽観的に言いながら赤城文子刑事は、勘太郎の抱いている不安を笑い飛ばしこれを一蹴する。全てはこの場にいるみんなの不安を安心させる為に。


「ううぅ~ん……一体なんの騒ぎですか。もうペンションには着いたのですか?」


 東山まゆ子はあまりにも長い移動の時間の為かいつの間にか眠ってしまっていた用だったが、勘太郎と赤城文子刑事の忙しない会話のせいで流石に目を覚ましてしまったようだ。


「大丈夫ですか。東山さん。なんだか起こしてしまって。せっかく気持ち良く眠っていたのに俺達が騒いだから」


「いえいえ、いいんですよ。私もそろそろ起きようとしていた所ですから」


「でもなんだかまだ眠たそうにしていますね。それになんだか覇気も無くかなりけだるそうにしていますし、もしかして疲れが溜まっているのではないのですか?」


「え、ええ、三時間前にお薬を飲みましたから、少しの時間でしたが久し振りにぐっすりと眠る事が出来ました。やっぱり傍に夏目先輩や探偵さん達がいてくれたから精神的に安心ができたお陰かしら。普段はこんなに寝付ける事はないのに」


「はあ、そうなんですか。でもなんだか顔色も優れないみたいですし、体調には充分に気をつけて下さいね。気分が優れないのなら直ぐに俺達に教えて下さい」


「あ、ありがとうございます。探偵さん」



 そうこうしている内にワゴン車は山の坂へと差し掛かり、道沿いに上へ上へと進んでいく。

 緑に囲まれた薄暗い山道を進み、後一キロメートルくらいで目的地のペンションに付こうとしたその時、フロントガラスに映る道路の右側に、黒いフードを深々と被り雨合羽を着た正体不明の人物が身動き一つすること無く不気味に佇んでいるのを赤城文子刑事・夏目さゆり・勘太郎の三人が先に発見する。

 この大雨が降りしきるもう既にすっかり辺りが暗くなった午後の十八時三十分の時刻に、誰もいない登り坂の薄暗い道路で一体何をしているのか? 勘太郎を始めとした赤城文子刑事・夏目さゆりの三人が共にそんな事を考えていると、そんな静けさを破るかの用に直ぐに話を切り出したのはそのフードを被る雨合羽を着た人物をだれよりも怪しんでいた夏目さゆりの方だった。


「何かしら、あれ? もしかしたら道に迷った人がヒッチハイクでもしているのかしら?」


「こんな所でヒッチハイクは流石に考えづらいですね。でもこの辺りにいるという事は、どう見てもこの高台にあるペンションに何かしらの用がある関係者じゃないかしら」


「そ、そうなのかしら? でも私達以外にこのペンションに来るお客さんが他にいるだなんて話は聞いてはいないんだけどな。それで……どうします、赤城先輩。車を止めて事情だけでも話を聞いて見ますか。もしかしたらこの大雨で本当にただ困っているだけかも知れませんし」


「そ、そうね。話だけでも聞いて見ようかしら」


 そう言いながら赤城文子刑事がそのフードを被った人物にワゴン車を近づけ用としたその時、話を聞いていた羊野が何やら緊張をした面持ちでその行動を止める。


「赤城文子刑事、ワゴン車を止めてはいけません。今すぐにワゴン車のスピードを上げてこのままこの場を突っ切って下さい。今この場所で死にたくないのならね」


「それは一体どういうことよ、羊野さん?」


 赤城文子刑事がそう叫んだその時、道端にたたずんでいた雨合羽を着たフードを深々と被った人物が、後ろ手に隠していたボウガンを前に突き出しながら行き成りその矢先を赤城文子刑事がいる運転席に向ける。


「なっ!」


 咄嗟の事でどうする事も出来ない赤城文子刑事はワゴン車をそのままのスピードで走らせる。その瞬間雨合羽を着た人物が構えるボウガンの矢が行き成り発射され、大きな音を立てながら赤城文子刑事に目がけてその矢先が飛ぶ。


 パッシュン!


 物凄い音を立てながら赤城文子刑事が座る目の前のフロントガラスに見事な風穴を開けると、その貫通した矢先は物凄い勢いで赤城文子の眼前へと迫る。


 パッリーン!


 だが幸いな事に勢いよく発射されたボウガンの矢はフロントガラスを突き抜ける事は無く赤城文子刑事の目の前で止まり、そのボウガンから放たれた矢の運動エネルギーは完全に停止をする。

 どうやらフロントガラスに穴を空けられるくらいに貫通は出来た物の、運転席に座る赤城文子刑事の体までは届かなかったようだ。


 その間一髪な光景を赤城文子刑事のいる後ろの座席で見ていた東山まゆ子は、大絶叫を上げながらフロントガラスの外にいるフードの人物を仕切りに指差す。


『きゃぁぁぁーっ! あのフードの男の人……ボ、ボウガンを持っているわ!』


「ボ、ボウガンの矢が……あぁ、私の顔前に。きゃああぁぁーぁぁっ!」



「東山さん、それに赤城先輩も落ち着いて!」


 だが、どうやら運転手の視界を塞ぐだけの効果はあったらしく、蜘蛛の巣の用にフロントガラスにヒビが入った事にビックリした赤城文子刑事は運転操作を誤り、蛇行を繰り返しながら、左の道沿いに生えた大きな杉の木の一つに激突する。


 ゴゴゴゴゴゴーッ、ドッカン!


 ワゴン車のブレーキ音と木にぶつかった際の大きな激突音が外のみならず車内全体にも伝わり、強い衝撃となってみんなの体を大きく揺さぶる。

 それと同時にワゴン車のボンネット部分に内蔵されたセンサーが見事に働き、運転席と助手席のダッシュボード部分から飛び出したエアーバッグが赤城文子刑事と夏目さゆりの視界を完全に塞ぐ。


「い、痛えぇ!な、何だよ。赤城テメーもしかして事故でも起こしたのか!」


 一番後ろの後部座席で吠える堀下たけしを尻目に、勘太郎はみんなの無事を確認しながら前の運転席に乗る赤城文子刑事と夏目さゆりに話しかける。


「だ、大丈夫ですか、赤城先輩。それに夏目さん。ちくしょう一体何なんだ、あのボウガンを持った男は?」


「いいから黒鉄さんはもっと低く頭を下げて下さい。まだ外にはそのボウガンを持った犯人がいるのですよ。私が外の様子を見てきますから黒鉄さんはここでおとなしく待っていて下さい!」


 そう言って行き成り勘太郎の頭を下げさせたのは、隣に座る羊野瞑子である。羊野は外の気配に集中をしながら白い厚手のスカートの裾に手を掛ける。


「ふ、ふざけんな、当然俺も行くぞ。こんな大それた事をする奴を、一般市民を守る一人の探偵として見過ごす訳には行かないからな!」


「いや、そう言う事じゃ無くて、正直……黒鉄さんに付いてこられると、ハッキリ言って足手まといですから。なにせ黒鉄さんは思いのほか弱いですからね」


「な、なんだとう、羊野、お前ちょっと外へ出ろや。俺の真の力を今ここで示して、お前のその間違った認識を正してやるからよ!」


「いえ、黒鉄さんの実力はもう大体は分かりますんで……勿論、遠慮しておきますわ」

 

 勘太郎の抗議の声を無視しながら羊野が自身の専用武器でもある打ち刃物の包丁を太股付近から引き抜いていると、ワゴン車の車内にスクーターのエンジン音らしき音がこの場所から遠ざかる音が聞こえて来る。

 その犯人が乗っていると思われるスクーターが遠ざかる音に少し安心したのか、羊野の赤い眼光が優しく緩む。


「どうやらボウガンを持つ人物は、スクーターで山の上の方に向かった用ですね」


「用ですねって、お前。この上には俺達がこれから向かうペンションしか無いんだぞ。そうなるとそのボウガンを持つ男は、この高台の山の上から逃げられないと言う事になるぞ。一体あのボウガンの男は、これからどうするつもりなんだ。まさかこのペンションの近くで潜伏でもするつもりじゃ無いだろうな?」


「それは分かりませんが、私が考えるに今のは私達に対する警告を込めた矢による一撃なのではないでしょうか。その証拠に犯人は木にぶつかり止まったワゴン車には目もくれずにこの場を去ってしまいましたからね。もしかしたら何らかの時間稼ぎか、或いはただの愉快犯による犯行という事も考えられますが。でもここから逃げられないのなら普通に考えて、これから向かうペンションの中にいる誰かが犯人という可能性も否定はできませんわね。今の所ボウガンの矢を撃った犯人の動機はまだ分かりませんが、後で皆さんのアリバイを調べれば何かが分かるかも知れませんよ」


「アリバイって、行き成りまた事件に遭遇かよ。せっかくペンションについたら大浴場で一っ風呂浴びてから豪華な旨い夕食にありつけると思ったのに、全くよ!」


「そうですか……私は退屈しのぎの余興には丁度いい事件だと思いますよ。よくぞ私達の前に現れてくれたと、その犯人さんには感謝の言葉しかありませんわ」


「お前……この事件をリアルゲームの用に楽しむつもりだな。あの雨合羽を着たフードの男は極めて危険で殺傷能力の高いボウガンを持っているんだから、下手に刺激をしたら何をするか分からないんだぞ!」


「ホホホホッ、だからこそスリルがあって楽しいんじゃないですか。これからその犯人とのスリリングな一時が過ごせると思うと今からドキドキが止まりませんわ。これからもっと楽しい事が起こるといいですわね。ほんと嫌ですわ、黒鉄さんったら、そんな当たり前な事ばかり聞いて。全くもう!」


 だ、駄目だ、まるで会話にならない。そう思った勘太郎は、エアーバッグのクッションでもがく赤城文子刑事と夏目さゆりを助け起こしながら、これから宿泊する二泊三日のペンションでの犯人探しに頭を悩ませるのだった。

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