炎になる人

 燃え上がるの。一瞬だけ。

 その時のエネルギーのおかげで私は何色にでもなれる。永遠はないって世界中の誰もが知ってる。だから一瞬を繋いで永遠を作ろうとしている。

「チッ!」

 舌打ちの良くない所は取り返しの付かない所。

「引き上げるよ! ねえ、聞こえてる?」

 チーズ色の洋服を着た同胞の肩を大きく二度叩く。寝てるっていうの? 図体が私より大きいくせにすばしっこく動けるのに、変なところで繊細なやつ。それが私の同胞だ。

「ばか! 触んなよ、てめえも燃やされてえのか! 火薬落としたらこっちも燃えるんだぞ」

 黒っぽい粉を同胞は丁寧に紙の中にしまい直す。始末が遅い。形相は悪人そのもので私の見慣れた顔。私もいつかこんな顔をする日が来るのかしら。

「手際最悪! 早くしないと、見回ってる奴らに!」

 路地裏でも遠くから声が聞こえる。炎の匂いを嗅ぎつけられたかもしれない。市街地は入り組んでいるが、炎を目印にされては追い付かれてしまう。

「置いていって!」

「はあ? ばか、貴重な火薬だ、ーーッチ! お前、火ぃ付ける時は言えよ!」

 手元のマッチを家の壁に擦って火を付ける。二人で掛けながら、同胞が路地裏に火薬を撒いていく。

「大丈夫よ。加護持ちだもの」

「ふざけんな! オレに加護は無えんだよ!」

 同胞は家と家の隙間を壁伝いで屋根へ登っていく。私も奥に進み、マッチの火にキスをしてから火薬が巻き散った地面に放り投げる。

「燃え上がれえ!」

「ははっ!傑作! 最高!」

 他人の家の裏勝手口を引いて、火を防ぐ盾代わりにする。暑い風が頰に宿る。息を吸うと喉が乾く。髪が少し燃えたのか、焦げた匂いが鼻に近い。

「炎の良い所は全部を消してくれる所よね」

「一瞬だから良いんだよ」

 心臓の鼓動が大きい。今だけは同胞と全て重なり合っている気がする。呼吸の速さも、見ているものも、熱も、全て。

「こっちだ! 火元があったぞ!」

 煙の向こうから声が消えてくる。

「チッ!」

 重なった舌打ちを合図に私達はそれぞれ姿を消す。炎のエネルギーはもう私達の目の前から消えてしまうから、また私はそれが欲しくなる。


 この街は爆発に悩まされていた。乾いた空気が何かの拍子に炎を帯びる。次はどこで起こるのか、皆が怯えている。

 しかし斯く言う私は別だった。

「よお、この前は良いもんを見せてくれたじゃねえか。オジョウサマ?」

「......。どちら様?」

 舌打ちの良くない所はどこでも使えない所。感情の吐露に使うものである所。声をかけてきたのは柄の悪そうな男だった。

「こっちは家の壁燃やされてんだよ、知らねえツラすんなよ!」

 巨漢の右から大被りな拳が来る。これくらいなら避けられるけれど、そんな事をする必要はない。

「おやめください」

 私と男の間に青年が割って入る。綺麗な茶色の髪に利発的な面持ちで私の付き人。

「女性に手を上げるなど非道な上に濡れ衣など!」

「はあ? 元はと言えばこの女が!」

 男のことは知っていた。三日前に燃やした路地に家を建てていた男だ。正しく因縁はついている。

「黙れ! 下賤!」

「乱暴は止めて」

 付き人が振り上げた手を私は納めさせる。

「どこの誰だか存じ上げないけれど、不幸な風の仕業で家が燃えたのでしょう。これでその壁を治しなさい」

 手元の袋から金須を差し出す。男は憤怒を顔に浮かべつつ手を椀の様に前に出した。私は加えて金須を二枚に増やしてやる。男は目を丸くして、苦々しい顔したまま金須を受け取る。

「ご加護を」

 役に立っているのか分からない言葉を口にする。男は口をあんぐりと開けて私の言葉を聞いた。街の聖女たる私の言葉だ。

「ご加護をお受けしているとは言え、あまりにお優しすぎます! これでは貴方様のお手元に残らなくなりますよ」

 付き人は不安げに言った。罪滅ぼしだから構いはしないけれど、それを彼は知らない。

「それが私の務めだもの」

「......そんな!」

 切実な顔をした付き人は私にこの後どんなことを言っていただろうか。私はそれを真面目に聞いていただろうか。男の言葉に疑問を抱かなかっただろうか。でも、きっと誰も気にしないだろう。

 昼間の私は街の聖女。夜の私を誰も知らない。認めてもくれはしないだろう。

「聖女たるお前がそんな態度で居るなんてあの付き人は知りもしないんだなあ」

 哀れと言いたげに同胞は月に向かって呟いた。私の寝室は何人も立ち入り禁止。男子などもってのほかだけれど、同胞はその全てを犯している。

「お前が穢れないと思っている」

 月明かりが同胞の肌を青白く照らす。その色はあまり好きではない。

「そんな気持ちすら、お前にはないと思っているか。ははっ、お前が加護持ちの神さまだと思ってやがる」

「黙って。それよりも次はどうする?」

「......。熱りが覚めるのを待つのが得策だろうな。この前のお前のアレのせいで色々と警戒されてんだよ。光が多い。もしやるんなら一人でやりやがれ。火薬は合わせてやるよ」

 街での爆発事件の首謀者は私と同胞だ。

「ねえ、そんな退屈な事言わないで」

 同胞の首に後ろから腕を回す。石の銅像みたいに硬くて動かない。

「いいや、冗談なく本気だ。今騒ぐのは得策じゃねえんだよ」

 強めに首を絞める。少し呼吸が苦しそうになった。喉の嚥下を指に感じる。

「チッ」

「加護持ちでももうちょっと上手にやんな。落ち着くまでゆっくり次の候補でも上げとこう。それとももう決まってるか?」

 唇が色めく。奪えるけれど、触れるほどの熱はない。私は少しずつ冷えていく。

「......、なあ、お前」

 瞳の奥を同胞が見る。私は誤魔化しきれる確信があるから、恐れないように見返す。

「何よ」

「お前の加護ってどうなるんだ? 最後にお前は加護に飲み込まれるんだろう?」

 私の加護は幼少の頃に西の国の神さまから受けた加護。誰でも受けられるものではなく、一緒に行った二十人中に加護を受けたのは私だけ。加護を受ければ、死ぬまでこうして人々に幸福と安寧を祈る聖女となる。

「知らない。十年前にいた聖女は二十歳の誕生祭の夜に跡形もなく消えたらしいわ」

「......お前はいくつだ?」

「心配してるの? 止めてよ、まだ十九」

 また同胞の喉が嚥下する。乾いた髪に何の品もない面構え。目つきはいつも見えない。肌は熱に焼かれて浅黒い。

「飛んだ不幸モンだな」

「......一緒に不幸になってくれる?」

 前髪をどかして、私しか知らないその虚空のような黒い瞳を見つめる。

「お前とオレは共犯者だ」

 それってどう言う意味? と聞けない。同胞の肌はカサついて、なぞる気にもならない。

「同じ所でまた会おう」

 私の腕の中からするりと同胞は消える。窓辺から外へ出て、屋根を伝って静かな街へ出て行く。見下げる私が知っている所は一つしかない。

「あの世?」


 付き人は3歳違いの男で、初めて会ったのは大体五年前の事。私は加護付きとしての修行を終え国に戻ったばかりのところに現れた少年である。とても品の良い少年で、私に対して敬意を払ってくれる。口数は少なく、自分という物がない人間の様に思えた。けれど、私を神の化身のような扱いをして、むやみやたらに有り難がる人たちよりもよっぽどマシだった。まるで私はお姫様で王子様が現れた様で、当時は舞い上がっていたのだ。そして多感な私は彼の勤めを見誤ったのだ。私の側にいてくれるのなら、誰でも良かったのだと気がつかなかった。恋心を持った私は彼に迫りそうになった。けれど彼に恋人が居てくれて良かった。彼の前に人間としての私が出て行く事がなくてよかった。

 彼の勤めはいつも私の行く先々にただ黙って横を行くだけなのだ。私は社と集会所を行ったり来たり。教会の中だけを動くだけだった。

「また爆発が起きたのです。この厄災から我々をお護りください!」

集会所は当時起こったばかりだった爆発事件を厄災と呼び、騒ぎ立てる場になっていた。

その厄災は幸いに人への被害を出さないものだ。そして人々は私の加護を頼りにした。

 被害が自分にかからない様にと願ったのだ。

 私はその頃「神々の加護が貴方にもあります様に」その言葉と共に、面会に来た人々に右手をかざす。性分、ろくに人に触れたことも無い手だ。光が出るわけでもなく、施しがあるわけでも無いのにそれを人々は有り難がった。慢心するどころか気味が悪かった。私は加護を受けたこと以外はそこを歩く少女と何が違うのかわからない。

「......、ねえ、このご加護を持ったまま、私が街を行くのが良いのでは無いかしら?」

 聖女はいつも社の中に篭っていなければならないという決まりはなかったが、いつも拝謁ばかりで飽き飽きしていた。だから、何か理由をつけて外へ出て行きたかった。その時に思いついたのがこれだ。外へ出てフラフラ散策して、「ご加護を」と言えればいいのだ。勤めもできるし、ようやく飽きた風景から外へ出られる。お飾りの付き人も護衛の役目が生まれる。

「いけません! そんな事」

 集会での私の提案に周囲は否定的だった。

「どうして? 街は厄災に怯えている。それを晴らすのが私の務めよ」

「ですが、貴方様にもしもの事があったら」

 融通が効かない。私がわがままを言ったのはこれが初めてだったから、周りは困惑した。世界はいつも私の思い通りにいかない。

「もしものことが起こらないために、私に付き人がいるのでしょう! 今厄災が起こっている人々を救いたいと思うことがいけないというの?」

「ですが、ここから出るなど......!」

「お願いよ。厄災が無くなればすぐにでも、戻るわ」

 意図が見透かされないように慎重に抗議した。加護持ちとして私の勤めを果たすべきと言い、それ以外に興味など無いと何度も告げた。付き人や加護を道具にして、私は全て利用する。他人の気なんて知りたくもない。もう充分知らせてくるのだから。

「怯える人々の力になりたいの!」

 その瞬間ぱちりと閃光が走った。

「ッ!」

 爆ける魂の様だった。私も、その場にいた全員、付き人も目を丸くした。

「......、何? 今の」

 数日後に私は祭事以外で街を出歩く事を許された。道の歩き方がわからなくて最初のうちは人並みの中で立ち止まってしまった。道を行く途中で私が聖女だと気づかれ騒ぎになった時もある。そんな時に付き人は私の道を先導した。それからはマントを着て動くようになったけれど、隣を歩く事はせずに少し前をあの凛々しい顔立ちが覗けた。

「ねえ、あれ」

 出掛けの街角の折れた道端に私はあるものを見つけた。それを彼に告げようとしたけれど、付き人は先を行く。何を先導するのか、触れなければわからないのに。

「どこを見ているのよ」

 小声で言って、私は道を逸れる。道の行く先に黒い粉が溢れるように置いてあった。

「......、黒い、粉?」

 指先に触れてこびりついた黒いそれを私は舐めようとする。

「おい!舐める奴がいるかよ!」

「っ! ご、ごめんなさい。知らなくて!」

 同胞がいた。

「はっ! 冗談だろ? こんなのその辺で買える火薬だぜ?」

 乱暴な口調でガサツな態度、貧民街の姿をした男は、長い髪の隙間から私を見やった。それから乱暴な手つきで私を何者か確かめる為にマントを払いのけられた。

 日の光が私を熱する。

「チッ!」

 それから舌打ちをした。

「なんだよ、いい所のお嬢様かよ。つくづく気に入らねえなあ」

「例えそうだとしても、それは無礼な態度を取っていい理由にはならないわ」

 言われてばかりではいられず、私は男に言い返す。

「お生憎様、俺はこの態度以外がわからないんでね。むしろ、お前が俺に合わせるのは、如何?」

「やめて。そんな喋り方、聞いたこともないわ」

 私がそう言うと男は少し肩を落とした。向かう先のない怒りがすっと抜けた様だった。

「冗談だろ? お前、一体どんな人間と普段喋ってんだよ。世の中の半分くらいはこんな口調だってのに」

「残りの半分じゃないかしら」

「......、そういえばお前、良い発音してんな。訛りもないし。そうか、お前、本当に良い所のやつだな」

 私は男のその目を忘れられない。上から下までを見たわけじゃない。ただ私の顔をじっと見つめて、目色がその瞬間変わった。

「お前加護持ちだな?」

 背筋が凍る。今まで向けられたことがない目だったから。尊敬も嫌悪も嫉妬も嘲笑もない、男は、私の同胞はただ憐れんだ。

「箱入りの女か、世間知らずは火薬を舐めるのか。ははっ! 最高!」

「馬鹿にしないで!」

 感情が爆破して叫ぶ。

「チッ! あんまりでけえ声出すな」

「......、さっきからその音は何?」

 私は舌打ちを知らなかった。音の出し方すらも知らない。

「これか? ーーチッ。舌打ちだよ、気に入らない時に使うんだ」

「気に入らない事があるの?」

「ああ。俺は今追われてんのさ」

「何ですって?」

 男は私の問いにまたかと言う様に頭を抱えた。

「おいおい。証拠が揃ってるじゃねえかよ、裏路地、火薬。どんな馬鹿でも、少なくとも爆発の重要人物だって検討がつくぜ?」

 首謀者はこんなにもあっさり私の目の前に現れた。私が外を歩く理由を使ったものは、簡単に見つかったのだ。その時は神様のご加護を少し信じる気にもなった。

「そう。貴方なのね」

「俺を捕まえるか?」

「いいえ。私、貴方にはもう少し世間を騒がせておいて欲しいもの。そうしないと外へ出られないから」

「囚われの身ってやつかい?」

「そうよ」

「そうか」

 男はひどく深いため息を吐いて、通りの向こう側を見た。大通りは人々でごった返している。いつ私の付き人が私を見つけるかわからない。

「聖女って奴はもっと華奢なやつだと思ってた。それに女を例える時は色々あるだろう。花や蝶、鳥籠の鳥とかな。俺はどれもお前には似合わねえと思うよ」

「それなら、何かしら」

 私を神様の化身というのかと思った。

「何だろうねえ。頭が悪いと分からねえ」

 男は落ち着いた口調で言った。独り言かと思うほどに小さくて、私は少し背伸びをした。別段聞きたかったわけではないけれど、私を女と言ってくれたのが嬉しかったのだ。神様ではない、俗物にしてくれた。身体が重さを得て良いと言われた様だった。

「ああ! 探しました。ここにいらっしゃったのですね」

 遠くから声がした。付き人の聞き慣れた声だった。先程聞いていた物よりも数段聞き取りやすくて、耳馴染みも良い喋り方。

「ねえ、あれがーー」

 私は男にそれを伝えようとして、道の先から隣の男を見たがそこにはもう姿がなかった。付き人が私を見失った事は大事がなかったため不問となった。神様が消えたって言うのに、人々はそれを恐れなかったのだ。


 街を臨めない荒野側に付いた窓。城壁と衛兵見回りの人だけが見える私の部屋の窓だ。社の最上階に構えられており、唯一の扉はいつも前で誰かが見張っている。

「よっと。本当に居やがった! おいおいこりゃあ傑作だ」

「どうして!」

「チッ! 黙りな、ばか」

 口の悪い男がその晩窓から訪ねてきた。

「......。何の御用?」

「取引だ」

 男は息を潜めて喋った。風の音に搔き消えそうで、私は男のいる窓に一歩近づいた。

「俺は爆発事件の首謀者で、お前にはこの事を黙っていてもらいたい。そこで提案がある」

「何?」

「お前をここから出してやるよ」

 息が止まる。喉元が強く絞められる。うまく呼吸ができなくなった。

「どうして......?」

「取引に俺が出せる対価だ」

 男はいつも通り見えない瞳でどこかを疑う様に遠くを見た。

「それとも、ここを爆発してやろうか?」

 その言葉だけで私は喉元まで燃えるような熱を腹の底から感じた。言われもない高揚感。そして彼なら本当に爆発させることができるという事実が背筋を震えさせる。そんな人が自分のために何かをしてくれる。導火線を握らせ私は後、火をつけるだけなのだ。火種はいつでもくすぶっている。燃やしたい時に燃やせば良い。だから私は今でないとわかる。

「いいわ。それだけで。私をここから出して」

 条件付きは当然のこと、男は親切にもそれをのんだ。なぜ私にこんなにも親切なのかと私は男に問えなかった。理由を聞けば、きっとあの目をするのだと思う。私に加護持ちだと気がついた時の深く冷たい、深海に沈んでいく物を見やるような瞳。


 それから私と同胞は爆破事件の共犯関係となるべく歩みを進めている。持ちつ持たれつで、火薬は同胞が、マッチから着火までを私が担当する。加護のお陰か、散々街中に迷惑をかけるのみで終わっている。負傷者もなく、私達の足取りも取られていない。

「何よ、退屈。アイツのことバラしてやろうかしら」

 言った通り同胞はしばらく顔を出さなかった。捜査が進展しているかわからない。先日の言いがかりに危険を感じているのか、私は外へ出ることも禁じられた。そんな時こそ出なくてはいけないのでは、と訴えたけれど駄目だと言われる。

「チッ」

 今では慣れた舌打ち。同胞も今頃何かに舌打ちしているのかもしれない。鬱憤を晴らすための共犯者ではないのか、弱気になるなんてらしくない。真っ暗な夜を窓が切り抜いて私に見せる。部屋の中央をランプの明かりが仄暗く照らす。私は自分を朧げな影で認識する。

「星が早く回ればいいのに」

 私は私でいる事を自分で証明することができない。他の人の前では私は加護持ちの神様から授かった幸福を人にばら撒く良い人間。同胞の前の私はただの爆発事件の愉快犯。どちらが良いかを決めることはできない。

 けれど、私が私として生きていると感じるのは後者だけなのだ。あの爆ぜた炎が心を焦がす。熱に悶える。それだけが私が私でいるのだと思える理由。燃え上がる炎のエネルギーが私を一瞬だけ私にしてくれる。何色にも私はなれる。

 だから、私は炎に魅せらせる。心は熱せられて、苦しくて、何者も触れなくたって熱く熱く滾っている。そうしたら、誰もいらない必要ない。爆発の熱は全てを忘れさせる。


「爆発魔が捕まったそうでございます」

 付き人は同胞と夜に会った二日後に私に話をした。心底ホッとしたように話したその姿に、私は悟られまいと同じように返す。

「それは安心しました」

 頭に後ろを強く槍で刺されたような痺れる痛みが走った。そのまま瞳に涙が溢れそうになるのをこらえた。同胞はこの世界に晒されてしまったのだ。私も同罪として裁かれることもある。それも厭わないけれど、そんな事を同胞が言うなどと思わなかった。

「......。ねえ、私もその者に合わせてもらえないかしら」

「いけません。重罪人でございます。それに、刑の執行日は貴方様のーー」

「どんなものにも加護は必要だわ」

 今使わずにいつ使うのか、慈悲などない私の安っぽい言葉に付き人は心の優しさなるものを見る。

「掛け合ってみます。きっと死罪になります故、お見苦しいことになると思いますよ」

「それを見守ることが努めよ」

 吐いて捨てるほどの言葉を以って、嘘に嘘を上乗せする。加護は私を都合のいい神様にしてくれた。

 人間の私など消え去って欲しい。人に恋をし、胸を引き裂く。そして気づかれまいと平静を保たす。無二の存在が死ぬのを目の前に涙を流す事すら許されない。心も無慈悲な神様にして欲しい。全てと向き合うには、私の心は小さすぎる。私は人としての自分を捨てきれない。

「......。どうして」

 付き人がいなくなるまで待てたのは、加護のおかげなのだろうか。瞳を覆う涙の粒がぼろぼろと溢れ出した。嗚咽を殺すのが難しい。静かに泣く事がこんなに難しいのだろうか。

 震える肩に手を乗せて、私の声を聞いて、正しい呼吸の仕方を教えて、自分以外の何かが欲しい。その温度で、私の孤独を変えて欲しい。

「どうして」

 同胞のあの姿が浮かぶ。焦げたような髪の毛、冷たい真っ黒な瞳、乾いた熱い肌。同胞の行方を案じたって意味がないというのに。

 逃げ出して、全て燃やそう。そうしたら私達はまたすぐに爆発する強い熱で全て忘れられる。けれど私は逃げられない。だから同胞に願ってしまう。目的を違えてはいけないのに。



「ーーチッ!」

 舌打ちの良くない所は取り返しのつかないところ。男は首と両腕に枷をはめられていた。夕暮れが男の姿を大きく伸ばしている。日暮れの冷たい風が千切れた服の裾をなびかせた。

「早くしろ! 外道!」

 枷を繋ぐ鎖を強く引かれ、男は歩調を乱して歩いている。絞首刑の台が広場の中央に置かれている。厳粛に人々はそれを見ていた。

 怒気が言葉を持つことはなかった。これが神様の加護を受けた国民の誠意ある態度なのだ。裁きを受けるのだから、自ら以外誰も責めることを許さない。神様は無慈悲で加護持ちが慈悲を以って、神様からの加護を与えるのだ。

「チッ!」

 その様が男は嫌いだった。人々は神様が無慈悲である事を知っていた。ある種の畏怖が強く、神様自身を崇拝だけしていられなかった。だから加護持ちはこの国に生まれた。無慈悲な神様から加護を受けた幸福者は、その溢れる幸福加護を民のために振るうべきであるという考えだ。

 甘い蜜だけを吸おうとするその思考が男は嫌いで、偶然神様に好かれた加護持ちを憐れだと思っていた。

「おい、あれ。聖女様ではないか?」

「本当だ! なんて慈悲深いお方だ。こんな下衆にまでご加護をお与えになるなんて!」

 広間の人々が見た一番高い建物の窓から加護を持った女がいた。

「確か今日は誕生祭のご予定ではなかったのか?」

「お祝いの席は準備をしていたはずだが......」

「祝辞よりもこんなところをお選びになるなんて」

 女の顔を男は見なかった。

「チッ」

 男は幼少の頃に加護を受けられなかった事に安心したのだ。そして、同じ時に加護を受けた少女の事を可哀想だと思っていた。時を経てそんな少女だった女と出会ってしまった。

「......」

「なんで居るんだよ、あのばか」

 刑は粛々と続いていく。絞首台の上に男が立つと裁判員が次々に罪状を読み上げた。人々を恐怖を与えた罪だった。反論の余地もない。静かに男はそれを聞いた。そしてあの女がこの後どうなるのかをぼんやり考えていた。自分を同胞だと言ったあの人間の女は、これからも神様と見られ生きていくのだろうかと。俗世的な考えを全て捨て、生き物であるという事実を消して、加護持ちとして生きていくのだろうか。

「似合わねえ所にいるなあ」

 乱暴で稚拙で粗暴、怠惰で高慢、それが男にとってのあの女だった。加護を持っているだけで、花や蝶、鳥に例えるような無垢さや上品さ、可憐さなんてどこにもない。ただ同じ人間のように弱い。

「何をぶつぶつと言っている? 最後に言い残すことはそれでいいか?」

 罪状を読み上げた裁判員は男に最後の言葉を残す様に言った。

「あ? ああ。最後に? そうだなあ、炎みたいだよ、アイツは」

「アイツ?」

「あいつはアイツさ。炎みたいに一瞬の感情で生きてやがる! 弱くて呆気ない。何者も寄せ付けない熱量で、一瞬を永遠みたいに繋げて生きている。お前ら全員その熱に焦がされないように注意しな! 炎は誰の指図も受けねえからな!」

 人々はどよめいた。死ぬ間際の男が口走った言葉に不安を思う。あいつとはだれか。共犯者がいたと言うのか。

「なんだ、気が狂ったな。おい、下ろせ」

「ああ」

 屈強な男が男のいる絞首台の足場を壊した。男は息を飲むと、自重で首を縛られた。少しの間もがいたがそれも大人しくなり、市場に吊るされている肉の塊と同じ様になった。回転の余力が男に働いている。

「さっきの言葉、どういう意味だ?」

「わからねえ。けれど、俺たちには加護持ちの聖女様がいらっしゃるだろう」

「ええ。そうよね? あら、執行の時は見ないのね。聖女様」

「そりゃ、聖女様は今日二十歳の誕生日だぞ」



 熱に浮かされる。熱くて、暑い。自分の中から溢れるエネルギーに気が狂いそうだった。肌が燃える様で汗が噴き出す。吐息は龍の吐き出す業火のようだ。

「ああ、ああ。あああ!」

 私はこの世から同胞を失った。どうしたらいいのかわからない。この胸を圧迫する何かから解放されたい。うまく息が吸えない。私はもう私で居られない。いたくない。この世に私を知っている存在が誰一人としていなくなってしまったら、もう私はこんな私では居られない。

「熱い! 燃える!」

 吹き飛べ。

 こんな世界なんて望んでいない。私の事を知っているのは、同胞だけだった。同胞がいないのなら、私は加護持ちの神様になんてならないから、だから、吹き飛べ。

「燃え上がれえ!!」

 頰を伝う涙が溢れてはその熱で蒸発していく。そして私の全てが燃えて消えていく。私は燃える。

 炎になる。

 消えて、消して。この世界ではもう同胞に会えないというのなら。神様、どうか、せめて私を炎の赤色にして。


 聖女は二十歳の誕生日に突然姿を消したという。

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