枯れ木の世

「どんどん深くなってくなあ......。道を迂回するべきだった」

かさかさかさと乾いた葉がクコの足の付け根まで覆っていた。イチョウでも太ももほどはあった。濃い茶色や薄い黄色の枯葉が森一帯に広がっている。木々が乾いて、至る所からカラカラと枯れ葉が落ちる音が響いていた。

「足の付け根くらいの時に引き返すべきでした、ーーうわっ!」

「クコ!」

クコがその小さい身体を滑らせて、枯葉の中に姿を隠した。彼らが踏み進む地面すら、枯葉で作られた危うい道だ。

「むぐう、わあ!」

クコはイチョウに腰を持ち上げられて、息を吸える高さまで顔を上げた。

「もうどこから来たかわからないし、進むしかないだろう。聞いた話だと、そのうち森が抜けて人里がある、はず。たまに人が入っていくって言っていたろ」

イチョウは太陽の方を見ながら答えた。聞いた話というのは森に入る前に居た木こりの老人の話だった。見渡す限り枯れ木が続く森だった。そして見上げた木々は未だに葉を付けている。細かな枝が空に網目を張っていた。ゆり動かせば、もっと枯葉が落ちてくるだろう。

「きっと火を使わない人たちなのでしょうね。こんなに枯葉があったらすぐに森ごと燃えますよ」

「季節柄でもおかしな森だ。枯葉がこんなに降り積もるなんて」

季節は冬の手前で秋の終わりごろだった。道に生えた草木は少しずつ緑色を失い、黄色や茶色に姿を変えている。木々が集まれば枯れ葉は増えていくにしても、人を覆うほどの枯葉は度がすぎる。

「歩けるか?」

頷いたクコをイチョウは降ろした。クコの身体が少し前よりもっと沈んでいる。

「......本当に生き埋めになってしまいますよ」

「わかった、戻ろう。森の入り口で泊めてもらうのがいい」

荷物を背負い直してイチョウは言った。引き返すために自分達の歩いてきた道を見ると、わずかに枯葉の山が窪んでいる。しかし少し視線を遠くへ向けると同じような枯葉の海だった。

「遠くから音が聞こえません? 勢いよく葉っぱが擦れ合う音」

クコが呟くと、確かに遠くから一定のリズムで枯葉が蹴散らされている音が聞こえた。

「近くにくる.....!」

イチョウも音をききつけると近場の木を蹴りつけた。凄まじい音と枯葉が一気に舞い落ちる。向こうからもそれは目に取れただろう。遠くから人の声が聞こえ始めた。この枯れ森では距離の割に全く声が響かない。

「ああ。見つけた! なんて所にいるんだい。君たち常識知らずだね?」

馬に乗った男だった。男はマントにゴーグル、ストールまで巻いて容貌がわからないが、イチョウ達と同じようなものだった。二人も同じようにフードを被っている。イチョウがそれを外そうとすると男は制した。

「構わないよ。フードが無いと困るだろう」

馬にもゴーグルをつけているほどだ。イチョウは顔を見せるようにフードを少し上げて尋ねる。

「道に迷ってしまいました。里があると聞いていたのですが、近いのでしょうか?」

「里? そういうものはちょっと昔に沈んだよ。今は木こりのキリくらいしかいないんで、僕は君らを追ってやって来たんだよ。こんな時期にやってくるなんて何を考えてるんだい?」

木こりと言われて二人の頭に浮かんだのは森の入り口で暮らす男の顔だった。

「その木こりのキリさんに里があると聞いたのです」

「ああ、もうキリはボケているから数年前の事も昨日の事も覚えていないに違いない。それに定期的に僕がこの森を焼いているから、人がいると勘違いしているのかもしれない。とりあえず長話は後にしよう。この先の開けた丘に、僕は家を持っているから、向かうとしよう」

男はクコに手を伸ばし、馬に乗せた。イチョウは荷物だけを乗せてもらうと馬を先頭に歩みを進めた。しばらくしていくと男の言う通りひらけた場所があった。降り積もる枯葉もイチョウの膝丈まで下がり、木々も少ないため枯葉の落ちてくる量も減った。

「はあ、ようやく深呼吸できるよ」

丘の上に高床の家が建てられていた。簡素な壁も板で貼り付けただけの小屋だった。そこに馬ごと乗り上げて、馬は外で待たせて男は小屋の中へイチョウ達を案内した。

「すまないけれど、家には何もないんだ」

男は二人を椅子に座らせもせず、家の中をぐるりと指をさして答えた。

「もてなしの一つもできないよ」

「お構いなく、俺たちは助けてもらったんだ」

それから二人は簡単に自己紹介をした。

「この森は貴方のものですか」

確かめる為にクコは尋ねた。男は小屋の中のものを一通り確かめるように忙しなく動いていた。紙切れと本を数冊懐の中にしまい込む。

「いいや、この森は誰のものでもない。昔はここに町を作っていたみたいだけれど、この枯葉がそんなことをさせなくさせた」

男は小屋の中に入り込んだ枯葉を見やった。外で風が吹くたびにカラカラと音がなる。

「僕は、全ての終わりを見守るだけ。詩人はそう言うことがよく似合う」

そう言ってから、男はそれを否定した。

「ああ、自称詩人だ。全ては彼の前では自称に過ぎない。キリは自称木こりだし、君たちは自称旅人だ。本物は曖昧なものを偽りに変えてしまう」

自称詩人はその場を劇場と勘違いさせるほど情緒たっぷりに語った。一通りの遊説が終わったと思うとイチョウは口を開いた。

「この森の枯れ葉の量は異常のように思ったんだけれど」

「そうさ。この森は、落ち行く枯葉は彼だ」

「彼? 持ち主のことですか?」

「いいや、そうではない。彼は芸術家で、僕は彼以外の本物の芸術家を見たことがない」

クコは話が噛み合わないのに顔をしかめた。

「ごめんなさい。どう言う意味ですか」

その問いに男はやれやれといった様子で首を振った。

「この森は枯れ森と呼ばれているのさ。春夏秋冬で森は葉を落とし続ける。春の新緑の葉も、夏の深い緑の葉も、秋の色めいた葉も、冬の乾いた葉も。全てを散らし続け、葉を付け続ける。いつまでも、いつまでも。不思議な森。その発端が僕はあの芸術家だと思っているんだ。おや、これは良くないね」

馬が外で鳴き声をあげると男は語りをやめ、締め切られていた窓を開け外の様子を見た。それから口元に笑みを浮かべて、イチョウ達に状況を告げた。

「やっぱり秋に居るのは良くなかったな。馬が沈む。一先ずここを出よう」

その言葉にイチョウが外を見るために戸を開けた。それと同時に枯れ葉が小屋の中に吹き込まれるように入ってくる。男は自分の身支度をさっと済ませ、出会った時の様に風貌を隠したマントを着る。

「本当に秋は良くないね。焼いて帰ろうと思っていた所なんだ」

男は馬の支度をして、クコをすぐさま乗せた。その後ろに男が乗り、イチョウに手を伸ばし引き上げる。重たさに狼狽した馬を男はなだめると、手綱を強く振り下ろす。イチョウとクコもマントのフードを被った。

「良い子だ」

森を一直線に馬が駆け出した。馬の腹まで上がってきている枯れ葉を掠めながら一直線に道無き道を進んでいった。何となく木々が少ない場所を通っているから、おそらく落ち葉が無ければ道だったのだろう。

「おっと」

男が不意に後ろを振り向いた。

「そんな!」

クコも僅かに首を動かして横目で駆け抜けて来た方を見た。それにつられてイチョウも振り向き、声を同時に上げた。

「火だ!」

「森焼きの火だよ。大丈夫、ここまではまだ来ないよ。風も向かい風だ。ちょっと予想外に火が早いなあ」

遠くに炎の煙が見える。イチョウが男の様子に察しをつけて大声で聞いた。

「この火はあんたの仕業か! 何考えてる!」

「すまない。後にしておくれ。僕の不注意だったよ。あんまり慌てると馬が暴れる。もうすぐ森の入り口だよ」

成すがままイチョウ達は男の馬で火を背に走り抜けた。


「キリ、キリ!」

森を抜けてしばらく行くとイチョウ達も見覚えのある小屋まで男は馬を走らせていった。それから小屋の戸の前で木こりの名を呼んだ。少しした後、小屋の裏から老人が目を丸くして現れた。

「あんた達! 死んだと思ったが生きていたんだな」

馬から男は降りて、身体中の枯葉を払いながら答える。

「僕が助けたんだ。少しだけ場所を借りてもいいかな。馬を休ませたいんだ」

「使ってくれ。あんた達も小屋の中で休んでくれて構わねえ。老いぼれの家だから綺麗とは言えねえけど、一通りのものは揃ってる」

「感謝するよ」

イチョウはその行為に素直に応じなかったが、クコは緊張の糸が切れたようで、小屋の中に入っていった。

「早くおいで」

男にそう言われてイチョウは重たい足を運んだ。鉛のように重たい体だ。疲れが緊張が切れたと同時に溢れ出した。大量の枯れ葉をかき分けて進んでいたせいで全身が疲労困憊だった。

「さっきは失礼したよ。お茶を入れよう。ミルクや砂糖はいるかい?」

「たくさんください」

男は席を二人分用意して座らせるとお茶の準備を始めた。

「いいね、甘さは誰にでも優しく、何にでも必要だ。ただぴったり似合うのは疲労だけだよ」

男は手慣れた様子で暖炉の火を付けて、薪を乱暴にくべた。火の粉が小さく舞い上がる。金具に水を入れたポットを引っ掛けた。それからカップと砂糖にミルクを用意して、椅子に腰掛けた。長テーブルに向かい合うようにイチョウとクコ、そして対面に男は座った。

「まずはこの度の森焼きにて、一緒に燃やされず済んだ事を祝おう」

男は両手を広げて、爽やかに話し出す。それにイチョウは理不尽とばかりに声を荒げる。

「危うく死ぬところだった! あんたの森でないなら尚更、森に火を放つなんて勝手な行為だ!」

「確かに。ごもっともだ。だがもうこの森は彼によって狂ってしまった。もう手遅れなんだよ。 完全に完璧に徹底して彼のものになっている。わかるかい? いずれもっと大きなものも飲み込んでしまうかもしれない。落ち葉は止む事を知らないから森から溢れてしまう。僕は彼の作品を愛しているが、額縁から溢れ出るものを芸術とは言い難い」

「その芸術家さんはどこに? お話からはこの落ち葉の森の元凶のように聞こえます」

「彼を元凶と言うのはいい草としてはあまり良くないね。いった通り、彼は森なのだよ」

それから男は彼について話し始める。

「彼はもともと森に住む芸術家だった。森には小さな町があったがそこで慎ましく暮らしていた。慎ましいというのは良い言い方で、小さな町で芸術を愛するような人はおらず、農夫も猟師も大工もできない彼は食って行くのは簡単でなかった事だろう。大きな町に出て貴族に経済的援助を受けるべきだった。しかし彼はそれをしなかった。彼が出入りしていたとされる貴族の邸宅を何件も回ったが、彼が描いたとされる絵は全体の半分も満たなかった。素晴らしい芸術家だよ。他人が望んだものを形作るのではなく、内から湧き上がるものを自らとして表現するのだから。そういう存在こそ芸術家だ。他者に理解されずとも、誰に臨まれたわけでもなく、自らについて表現を繰り返す。生き方は上手と言い難いが、彼は唯一の芸術家だ」

クコやイチョウには理解の及ばない行為だろう。芸術家といえば金持ちに雇われて、絵を描いたり、彫像を彫る人のことだ。

「しかし、彼が芸術家であるとわかる者はあの町には誰もいなかった。つまり彼の自己というもの、表現方法には誰も興味がなかった。彼は町ではのけものだし、唯一の援助者であった貴族も自分自身ばかりを見つめていた。それでも彼は作品を作り続けた。僕が見た限り、残されたそれはどれも駄作だった。どれもこれも芸術家の苦悩が読み取れる世の中に溢れ、救いようがない作品ばかりだった。決して下手くそだとかそういっているのではない。彼は技法や手法は一通り網羅している。人物画や風景画はよくかけていた。町で家族絵を描いてもまあ、商売に充分できただろう。しかし、どれも彼らしさがないんだよ。出来栄えとはまた違う話だ」

男が熱く語る彼はどれほどの人物だったかとすれば、どこにでもいる絵描き程度のものだったのだろう。何が男を魅了するのか、何一つとして彼は持ち合わせているようには見えない。

「そして彼は死んだよ。きっと。短命な命だった。悩み苦しみ、人々の前から姿を消した。だからきっと死んだのだよ。そこからだ。彼が芸術家になったのは」

「つまり、森に異変が起こったと?」

クコの問いに男は興奮気味に「ああ!」と答えた。

「異変というのは森の落ち葉の量だ! 秋の落ち葉に異変だと思った者は少なかったそうだ。その後冬が来ても落ち葉がなくならないことも、木々が葉をつけている違和感で収まった。しかし、春、夏、そして秋。止む事なく葉をつけては葉を落とす事に町に住む人々は森の狂いに気がついた。町中で異常の原因を考えた。森の守り神や精霊、果ては動物にも祈りを捧げた。だがどれも駄目だ。町は全てを置いてここを出て行った。誰もいない町でただ一人男は今も芸術を作り続ける。生み出すのはか弱い葉。薄く日を地に落とす。それも力なく風に吹かれ舞い落ちる。それでも飽く無く葉を作品を作り続ける。誰の目にも触れないものを永遠に。そして、ここは彼の森となった」

物語は終焉を迎えた。

暖炉で沸かしているお湯はとっくの昔に泡を吹き出している。男は語り終えるとようやくお茶を淹れた。二人の前に少し煮出し過ぎたお茶が用意される。湯気で煙を巻いて色は分かりにくいが濃い茶色で、口をつければ味が飛んでいた。

「作り話には思わないが、いくつか聞きたいことがある」

イチョウが少し思案した後に男に問う。

「彼は死んだのか?」

「そうだな、恐らく死んだ。ある時期を境に姿を見たものは誰もいなくなったからだ」

「その彼が森の原因だとどうしてわかる?」

「町で唯一消えた人物だからだ。森の異変は一種の呪いだと思う。これは僕、個人というより町人達の総意だ」

クコは黙ってお茶を飲んでいたが、じっと男を見つめた。それからゆっくりと口を開いた。

「町人の? 貴方は町の住人ではないのですか?」

「ああ、そうとも。僕は全てが終わった後にやってきただけの、彼の芸術の愛好家さ。それで色々と探って行くうちにこんな森に行き着いた。町の住人達の話を聞くのは特に骨が折れたよ。色々な町にばらばらに別れてしまって、彼について記憶している人も少なかった。東奔西走とはまさにあのことだった。真の原因が彼であると言った存在は指折りだが、辻褄はぴたりと合っていた」

「......、呪いというものはあると思いますか?」

「さあね。現に起こっているのだから、あるのだろう。でも呪いだという証拠はないよ。町の人達のが彼が原因だと言ったのも、彼が異国民だったからだ。目の色と髪色が違ったらしい。確か、君みたいな」

そう言って男はちらりとクコを見た。クコは栗毛に色素の濃い茶色の瞳だった。クコとイチョウの国ではかなり一般的な容姿で、イチョウの名に恥じぬ髪色が異質なくらいだ。

「私達の国の人だったということですか」

男は首を振って答えた。

「すまないけれど、彼がどんな国出身なのかには興味がないんだ。僕はあくまで芸術家の彼を好いているんだ。もちろん、知っていたら教えてあげたけどね。彼は謎が多い。いつか彼がいるこの森を枯れ葉の邪魔なく調べられる機会を待っているよ。そうなれば彼は芸術家では無くなってしまうだろう」

「それで森を焼いていたわけか。そんな乱暴な事をしたら、その彼の痕跡まで消えるだろう」

イチョウの忠告に男は笑った。

「確かにその通り。最初は結構勇気がいることだった。全部燃え尽きたらどうしようかとね。でもそんなことは杞憂だった。彼の力は凄まじいものでね、どんな炎も鎮火しきるんだよ。膨大な枯葉で燃焼できなくさせてしまう。偉大な森だ」

話はこれで終わりと言うように、男はそれ以上何も語らなかった。一息ついて休憩するとイチョウ達に今晩の宿を提供するために木こりに話をつけに行った。これが火事に巻き込んだ償いの最後だそうだ。

「トローレント様の加護でしょうか?」

「それだと、芸術家は死んでいない。話が矛盾する」

クコはそれに身を構えた。

「死んだ後に何かになった例は無いのでしょうか」

なりたいものになるのだから、そんな事はあり得ない。でもイチョウは頭ごなしに否定しなかった。

クコの感情を優先する。

「わからない。この森がトローレント様の加護かも、また別の何かかも、わからない。どっちの証拠もないんだ。彼が何を考えていたのかを俺たちは想像することしかできない。そして答えは聞けないから、分かりきったような気持ちになってはいけないんだ」

どんな答えも、必ず意外性を持つ。自分と他人の差を埋める作業は困難を極めて、いつも改めるのは主観であるべきだ。

芸術家が苦悩していた結果がここにあると言い切る術を誰も持ち合わせない。芸術家がなぜ枯れ木になったのかを知るのは所詮彼しかわからない。

「私は何になるのでしょう」

だから、この問いの答えもクコしかわからない。もしクコもわからないようならば、まだ答えは無く、それを決めるのはクコ自身以外誰もいないのだ。

「......」

イチョウはそれを知っていたが、黙っていた。

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