クコとイチョウの物語

@higashigawa

鳥になる男の話

どこへ行こう。あの空を飛ぶ影を見ながら、僕は何度となくそう思う。月が何度も満ち欠けしているこの紺色の空の上を白い雲間を抜けていくあの姿に目を奪われる。僕ならば、それからどこへ行こう。きっと何処へだって行ける。どこへ行こうか、やっぱりいつも答えはなかった。

鳥はいつも自由だと言われるけれど、僕にとって彼らは金儲けの手段だ。農夫や商人ではなく、僕は鳥飼をしている。そして売人に売りさばいてもらうのだが、相手はいつも馬で半日かかる悪路を強いられ機嫌が悪い。

「ざっと全部で三九〇って所ですか」

「冗談じゃない安値じゃないか。こんなんじゃ商売にならないよ。もうちょっと高く買い取ってくれ」

僕の扱う鳥は特別高値というわけではない。しかし繁殖も容易ではないし、美しい羽根にも遺伝的な要因がある。彼らを商品として育てるのは簡単じゃない。それを安値でよこせと言ってくる奴らに口が悪くなる。

「今度のやつはうちの地域でしか取れない希少な種類だ。交配も毛艶色彩の良さや鳴き上手なやつで繰り返した上等もん。アンタは価値の見えないやつだと思うね」

「いーや。ちゃんと見せてもらってますよ、鳥飼いさんよ。たしかにいい品だが、この世の鳥は白黒以外にも赤や緑、黄色に青と色々と種類がありましてね。最近はそういうカラフルなものが人気で、正直貴方の所の鳥は人気が落ちてるんですよ」

僕の育てる鳥はミルク色の白い毛並みにチャコール系の黒がグラデーションで羽根先から入る。それが手のひら大の大きさで、僕の腕の中で首を傾げている。よく鳥がする癖。

「......、そう言う事なんで羽毛用や食用を売った方がいいと思いますよ? 観賞用のムーブメントは変わりつつあります」

南の国から入ってきた種類の鳥達は色彩豊かで今の市場では人気が出始めていた。大きさも人の顔よりやや大きいくらいで、羽根を広げる時の様は圧倒的な優美さを持っていた。どちらかと言うと僕育てる鳥は部屋の調度品を邪魔しない鳴き声を楽しませるタイプの鳥だ。さらに悪どいのは生息地域が違うと、鳥が長生きできないから回転率が早くなる。鳥のサイクルが速くなれば、金回りは良くなる。

「その鳥は一羽いくらだ」

売人は両手を使って片方を開いたまま、もう片方を三本手のひらに乗せた。僕はその金額に頭まで血が上った。いつもはこんなに感情的にはならないはずなのに。

「はあ? 冗談じゃない! 倍もあるじゃないか!」

「だってほら流行は追わなければ」

売人は手をひらりと振った。昨日の友は今日の敵だ。鳥達の鳴き声が頭いっぱいに響いてくる。脚にすり寄ってくる水鳥達のくちばしの感触に我に帰る。

「ああ、ああ」

わかってると答えて餌やりに戻る。小屋の扉を売人は乱暴に閉めた。僕はこんなところで鳥達と共に暮らし、彼らを元に生活している。先ほど値段交渉に来ていた売人は暴挙のような金額で鳥達を売買している。そんな事も知らずに鳥達は籠の中で色々な声で鳴いている。

「飯だろ。用意する、用意するよ」

目眩がする。馬鹿みたいだ。毎日同じ事繰り返して、あと何回繰り返したらこんな事をしなくて済むかばかり考えている。周りの家々は少しずつ土地を変えて作物を育てるせいで、僕は気がつけば餌の穀物調達に馬を半日走らせるようになっていた。自分も移ればいいけれど、鳥達の為に建てた小屋が少しずつ肥大化していった今、この森の中の家を捨てることができない。この森の鳥達全てを僕は売り物にしている。そして、この森から出た僕は何もなくなってしまう。そういう悪夢に取り憑かれている。

「ヤア。ヤア」

声が聞こえてそちらを見上げると首を傾げながら、木の上で人の真似が得意なやつが鳴いている。僕がいつも挨拶するのを覚えたのだ。全部の鳥に名前をつけないから「やあ」くらいしか言うことがない。

「飯だよ、おいで」

「ヤア、メシダヨ。メシ」

乏しい語彙に自分が何を喋っているのか省みる。もう少し面白いことを話せば良かった。客への受けが良い、品のある芸を仕込むべきだ。その時間も余裕も僕にはない。いつも疎かになってしまう。

「ウルサイ?」

疑問形になってしまったような発音でそう聞かれたら、僕は何もいえなくなる。そんなことないよ、と伝わらずとも言えばいいのに。

「おいで」

餌場に清潔な水と穀物を出して降りてくるように促す。今までの会話を忘れたようにたくさんの鳥達がくちばしで餌を突っつく。僕はそんな様子をスツールに座って眺めた。

毛艶はどれも綺麗だ。頭を餌箱に埋めている姿はいつ見ても愛らしい。触れれば噛みつかれる事もあるが、顎の力はそこまで強くない。威嚇の鳴き声は波打ったように騒がしいが、普段は澄んだ声でカララと鳴ける。羽根を風に向けて伸ばす姿は誰が見ても目を奪われるだろう。透けるほど薄い翼で器用に風を捉えて高く飛び立つ彼らを、僕はいつも地上から見上げている。生まれた時からずっと、ずっと、ずっと。


物心がついた時に両親の商売を手伝っていた。鳥飼なんて流行らない事ではなく、農作物を育てていたのだ。子供の僕が手伝える事といえば、育てた野菜を売るだとかそういう事だった。

僕は市場に行って、野菜売りをしていた。とある都まで出向いた時に初めて僕は鳥の市場に出会った。出店から正方形や筒状の鳥かごが所狭しと並べられ、人の声より鳥の声がそこにはあふれていた。僕はそれに心底感動した。鳥を閉じ込めているというその事実に胸が踊ったのだ。いつも自由に空を旋回し、気まぐれに地上へ降りてきて僕の目の前に姿を現し、また羽を雄大に広げて飛び立っていく彼らを手に入れている人がいるのだ。かたかたと音がなる籠の一つを僕はじっと見入っていた。尾っぽの長い鳥だった。白い毛並みに灰色模様がまだらに入って、細長い身体を止まり木の上で軽快に揺らしていた。今にして思えば元気な生後まもない鳥だった。そいつが二匹籠に入っていた。

「おい坊主、そいつが欲しいかい?」

店主が僕の視線に気がついて話しかけてきた。高い位置にかけてあった籠を路まで下ろして、僕はようやく間近で鳥を見ることができた。

「こいつは一匹ずつ毛色が違うのが特徴でな、綺麗な模様入りはそりゃあ一日中見てても飽きねえよ」

「.....」

僕は店主の言う事をさっぱり聞いていなかった。鳥も鳥で、僕には目もくれない様子だった。それが一番嬉しかったのを僕は覚えている。多分気まぐれで間抜けな感じがしたからだと思う。

それから次の日も、次の日も、僕は変わらず色々な鳥を見に行った。売り子もまともにせずに怠けていたのが、バレないように親には器用に取り繕っていた。そういうことが僕は得意だったし、繰り返しているうちにもっと上手くなっていく。

「なあ、坊主。買わねえならどいてくれねえか」

「おじさん。あの白い鳥は?」

数か月後に見に戻った鳥飼いの店にあの白い鳥はいなかった。

「あ? あーっと? どの事だ?」

「一番高いところにくくりつけていたやつだよ。黒の斑点模様が付いてた」

「ああ、あれか。あれはちょいと昔に売れたよ。もう一匹はその時逃げやがった。今あの種類は切れてんだ。欲しいんなら用意してやるけど、どうする?」

店主は子供相手でも商売と分かれば態度を横柄にしなかった。僕は店主の言葉に首を振った。握りしめたコインを袋に仕舞い、僕は鳥市を後にした。

「どんな奴でも売れるんだ」

野菜も鳥も、どんなものでも買われていく。僕はそれを知った時、とてつもなく心臓が震えたのを覚えている。


朝早くから鳥の世話をして、太陽が天中を過ぎた頃に僕はよくうたた寝をする。いつも眠りに落ちてしまうのだ。だから扉の強いノックの音に心底驚いた。重たい頭を持ち上げて、僕はノックした主に声をかけた。

「どちらさまで?」

「旅のものです。道に迷ってしまいまして、よろしければここの土地の事を教えて欲しいのです」

声は若い男の声だった。自分より若い。それだけしかわからなかった。盗人や密猟者のようなものを一瞬だけ警戒したが、「街は近いのでしょうか?」という子供の幼い声も聞こえてその不安はなくなった。

「今開けます」

扉を開けると、金髪長髪を後ろで束ねた若い男とフードを目深まで被った背の低い人がいた。これは恐らく子供だろう。

「......。悪いね、旦那」

僕は旦那と呼ばれるほどの年を取っていたのだとその時不意に思った。あの時鳥に憧れた僕はまだ十と幾ばくかだったというのに。若人は僕と年齢の差を掴めるほどになっていた。

「はじめまして、クコと言います」

「俺はイチョウです」

「立ち話もあれですから、中へお入りください。お茶くらいお出ししますよ」

子供はクコ、若人はイチョウと名乗った。僕は二人を部屋に招いてお湯を沸かす。イチョウはクコを席に座らせ、自身はその横に立った。椅子は自分用の一脚しかないから仕方ない。近くに落ちていた切り株に僕は座るよう促した。本当は木工品用の、削り出す前のものだが致し方ない。

「どちらから?」

「ここよりもっと西の方です」

訛りのない話し方とイントネーションから土地の方は何となく検討がついた。昔鳥飼いのよしみで話したことがある奴と同じ土地だ。

「どちらまで?」

「決めていません。色々な人に会いにいくのが目的です」

「旅というよりは放浪ですね」

相槌を打つと湯が沸いた。お茶の葉をそこに注いで蓋を閉めた。その間にカップを2つ並べる。カップの形はバラバラだ。

「ちょっと前まではここら辺にも民家があったのですがね、肥沃な土地が痩せないようにと土地を点々と回しながら農作業をしているのです。その関係でここには今僕しかいない」

街は静かで森を背に抱えた僕の家だけが残っていた。家畜小屋には数匹の生き物と、鳥小屋には数百の鳥たちがいるだけだった。

「貴方は何を? 作物を育てないのですか?」

「僕は鳥飼をしていてね、ここを離れるわけにはいかないんだよ」

お茶を注いだカップを二人の前に並べて、僕はそばにあるベッドに座り込んだ。

「だからその腕になったのですかい、旦那」

イチョウが鋭い声で聞いた。僕はふと視線が飛んだ先を見た。

僕の左腕だ。白い羽根が少し長袖から覗いている。

「見世物みたいだろう」

僕は腕をまくって左腕を二人の前に出した。手首あたりから二の腕にかけて、鳥の羽根が生えているのだ。イチョウは僕の反応に殊更興味がなさそうだった。

「鳥の......」

「そう。これはおそらく鳥の羽根だよ」

しかも僕が初めて鳥かごで見たあの白い鳥だ。人の毛とは繊細さが違う。あの軽くて空洞化した羽根の骨から僕の皮膚から生えていた。普段は長袖に手袋をはめているからなかなか目にはつかないが、今日ばかりは油断していた。

「その毛先も、腕と同じですか?」

続けてクコが尋ねたのは僕の髪についてだった。僕の髪は横髪の片方を長く伸ばしている。伸ばした毛先を僕は紐で束ねているがもう、腰を過ぎた長さになっている。最近は伸びない代わりに毛先から白くなり出している。それから彼らは気がつかなかったが、僕の襟足も羽根の白色だ。

「これはちょっとした因習だよ。僕の村では子供が生まれたら髪を左右対称に一房ずつ特別な髪結いで縛っておくんだ。片側は親の願い、もう片方は自分の願いをかける。叶ったら結んだ結い紐より上から髪を切るんだ」

「それはどちらの願いごとですか」

白髪になり出した右側の毛先をクコは問うた。

「もちろん僕だよ」

だいたいの親は、この不自由な髪型を成人式近くなったら切らせる。だから親の願いは子供の健康を願うことが多い。かく言う僕はいつ左側の親の願いを切り落としたのだろうか。

「叶うといいですね」

クコはそれ以上は野暮になると分かっているのか、問いかけをしなかった。幼いのに賢い子供だ。

「そうだね。そうなるといいと思うよ」

僕の村は今もどこかにある。そこを離れて僕はこの移ろいゆく街に来た。でも僕は街で取り残されて一人きりになってしまった。またいつか戻ってくるのだろうけれど、今一人きりだという事実だけが重くのしかかる。

「それで何をしに行くご予定かな。例えば港に行きたいとか、内陸側に行きたいとか、商人が集う街だとか、工業的な街だとか。希望の一つくらいあれば、それに合わせて提案するよ」

二人は少しの間だけ黙っていたが、クコが被っていたフードをようやく外す。一瞬だけ瞳が星のように輝いた様に見えた。

「貴方の腕は神様の力ですか。私はそれを探していました」

問いかけに問いかけで返される。クコは線の細い髪を少し頭を振って整えた。

「かみさま?」

その言葉を聞いたことがなくて聞き返すことしかできない。

「加護を与える神さまです。......私の国では」

「俺たちは加護を受けた人を探しているんだ。調査と思ってくれていい」

「その調査をどうして君たちは行うんだい?」

「......神さまが与えることに全て意味があると信じているからです。皆に加護を与えるのではなく、選ばれた人には何の意味があるのかを私は知りたいのです」

その選民的考えに僕はとっさに拒絶を示してしまう。

「意味なんてないと思うよ。それに、神さまなんているとか居ないとかそういう曖昧なところもあるし」

「俺たちの神さまはトローレント様のことだよ」

イチョウが間髪入れずに言った。

「トローレントさま」

その口の動きを僕は覚えていた。記憶の引き出しがすっぽりと抜き出される。

「トローレントさまって、あの光の」

「ああ。マークはこれ」

そう言ってイチョウが自分のマントのフードをかぶって見せた。トローレント様のマークが刺繍されている。加護がかかっているものだ。

「そうか。......君たちはトローレント様のところの人達なのか」

そう言われて、ヘンテコだと思っていた服装にも見覚えがあった。砂漠地帯でフードだけでなく袖周りもゆったりとして長く、宝飾品もやたらと身につける国。そこに僕は行ったことがあった。

そこから帰った日に僕は、左の願い事を切り落としたんだ。

「トローレント様のご加護をもらったから、僕は、髪を切れたのか」

僕はささやく様にいった。

「その加護はいずれ旦那を喰らうだろう」

「喰らう?」

「そういう代物なんだよ。トローレント様は旦那を文字通り変えてしまう力を持ってる」

「僕は何に変えると言うんだい?」

今の僕以外になれるのなら、きっと多くは望まない。

「なりたいものだよ」

それが何かを知っているのは僕だけのはずで 、 僕が知らなければ何にもならないのだと思う。

「......もう答えが出そうなところなのかな」

「腕のそれが加護だと言うのなら、そうでしょう」

僕は腕を確かめる。

「あ......ああ」

鳥になりたいのだ。僕はいつかあの見上げただけの空を飛んでいる鳥になりたい。この街でただ一人だけ残ってしまった僕も、鳥になったら街の人たちと同じようにどこかへ行けるだろうか。置いていかれた気持ちを忘れて、みんなを置いて、遠くへ行けるだろうか。

「そうだといいね」

生返事をして僕は仕事を取り掛かる準備をする。今日は売人が鳥の買い付けに来る。少しでも良い状態にできるようにしておきたい。

「君たちの欲しい情報は上げられそうにないね。ゆっくり休んで行くといい。それから北西に向かうと、大きな都市があるからそこで話を聞くのがいいかな」

「ありがとう。良ければ手伝いますよ、旦那」

イチョウは手を伸ばして僕が持とうとしたバケツを持ち上げた。僕は代わりに餌の袋を持って、二人を家の裏へ導いた。家の外には井戸があるからそこで水を汲む。イチョウはそれに手間どうから、やはり身分は僕のような庶民とは少し違うのだろう。

「ほら、できた」

小声でつぶやくようにイチョウは言った。

「うん、上手だ」

反射的に僕はイチョウのことを褒めた。年齢的にも不愉快な顔をしても不思議ではないものの、イチョウは少し顔を綻ばせた。笑ったほどもなく、ただ表情から緊張がなくなった。

「ヤア、ヤア」

「........。やあ?」

鳥小屋へ彼らを案内すると、歓迎とばかりに鳴き声が飛んできた。ぎゃあぎゃあととにかくうるさかった。

「挨拶しておくといい。これでも人への警戒心が強い種類ばかりを揃えていてね。僕の商売分野なんだ」

そういう種は人が育てるには生まれた時点での刷り込みを利用する。僕を親だと思って鳥達は生きているのだ。手はかかるが、高値になるし、人に懐きやすくなる。自然で生きているものを捕獲するのは罠も使うし、乱獲は特に嫌われる行為だ。自然に対して人が関わることは許されない。

「鳥がお好きなんですか?」

「ああ。羨んでいるよ」

「空を飛ぶから、気持ち良さそうですものね」

そう言われて真っ青な空に列をなして飛ぶ鳥を僕はイメージした。でもそれを羨ましいと思ったことはない。もっと鮮明に考えていたのは、鳥市で逃げたあの鳥のこと。

あの白い鳥は、籠から出る時に迷いなく太陽を目指しただろうか。帰ってこなかったのだから、きっと良いところに行ったのだろう。自由に羽を休められるところで、カタカタと揺れないところだと思う。あんなに仲が良かったもう一匹を裏切ってでも、飛んでいきたい先があるのだ。きっとちゃんと自分のことを考えていたに違いない。

「餌をやるのを手伝ってくれるかい? 食事に気を使ってやらないとなんでも喰うから、相手をするのが大変なんだ。君たちは生き物の世話をしたことはあるかい?」

「俺はないな」

「私は母さんや父さんの手伝いで少しだけ」

イチョウは思った通り無かった。クコに経験があるのは少し意外だった。どうも身分が違うらしい。この二人はなぜ一緒にいるのだろうか。

「そうか。それは少し勉強してもらうことになるな。生き物は間抜けもいるが賢いやつもいる。怖がりもいるんだ。餌やりも工夫が必要だ」

餌を全員に行き渡らせる必要がある。イチョウには餌を食べられない鳥がいないようにと指示を出す。イチョウは言いつけ通り器用にそれを遂行した。

「イチョウは鳥飼いの才能がある。なんでも器用にこなせるし、鳥にも好かれやすいみたいだ」

肩に乗った鳥を見て僕はイチョウを褒めた。比較的にぶっている鳥だったが、それは黙っていた。

「ありがとうございます」

「イチョウは何でもそつなくこなせるのです」

「それだけだよ」

イチョウは少しつまらなさそうな顔をした。僕にはそれが羨ましい。何をするにも僕は人一倍はやらないと人並みにできないからだ。努力家といえば響はいいが、結果が人並みなら努力のいらない人が羨ましくある。

「そう、君には君の都合があるのだね」

左腕がむず痒かった。

「頑張りは人に認められないと意味がないのは辛いものがあるよね。評価は他人が下すものだし、結果は他人の目からのものだ。僕はそういうものが大嫌いだけど、それで世界が出来ているのも充分わかっている。偏屈を続けていると、僕のようになってしまうから気をつけて」

歳をとると若人に説いてしまうのかもしれない。

「そういうことから逃げて来たんだ」

「利口だとは言えないことをしたのだね」

「旦那だって、わかってくれるだろう?」

そう言われて僕は何も言えなかった。ただ同じなのかもしれないと思ってしまった。

「いつか向き合わなくてはいけないよ。きっと君はそういう為にいるんだよ」

僕は逃げたのだろう。でもきっと君は違う。そう言いたかった。そんな気がする。イチョウは全ての答えを知らなくてはならない。鳥市から逃げた鳥がどこへ行ったのか、僕は知らないけれど、イチョウはきっと見つけるのだろう。それを見て何かを感じるのだ。

「ああ、きっと」

それ以上は話さなかった。行きずりの人にそこまで自分のことを話したりはしないものだろう。僕は気まぐれだから、話したりもするけれど。

「ごめんよ、君はあまり素直にならないようだから、口うるさくなってしまった。忘れてくれ、何をしていても答えは時間だけが運んでくる」

僕はそれきり作業に集中した。イチョウはそれを手伝ってくれたし、クコは鳥達の遊びに混じっている。ひとしきり作業を終えると、僕は手を伸ばして鳥を手元に止まらせた。肩にも止まって、頭を髪に擦り寄せてくる。そういう求愛だった。

「あの人はあまり感情的ではありませんか?」

クコは僕の手の鳥をじっと見つめて尋ねた。僕は答えると同時に手から鳥を離して、クコの元へ飛ばした。

「あの人?」

「イチョウです」

クコがそんな話をしたのはきっとイチョウが井戸まで水を汲みに行ったからだろう。

「心配かい?」

「取り繕うのだとか、そういうことがとても上手な人なんです。私はきっとあの人の望みをわからない気がします。でも、ずっと、あの人は私の望みがわかるから、私はあの人に少しだけ近づきたいのです」

子供にしてはやはり難しいことをいう子だ。

「クコがもう少し大人になるとわかるよ」

「......、私に時間はあるのでしょうか。これは問うても良い事ですか」

僕を見返したクコの瞳がキラリと輝いた。大人が子供に向かってぼやかしを使うことをちゃんとわかるほどにクコは大人だ。

鳥がクコの元から全て飛び去った。僕の肩にいたやつも警戒して喉を鳴らす。クコが驚いた様子でいるのを見て、僕は手早く鳥達をなだめた。硬質な嘴を無理やり閉じさせる。

「君たちはなぜ一緒にいるんだい?」

「私にはあの人が必要なんです。それを上手に伝えるためにそばにいます。私は私のことがよくわからないから、教えてくれる人がどうしても必要です」

「彼を使うのだね」

嫌な言い方をしてしまったと、口走って後悔した。

「それでもいいから、人を独りにしてはいけないのです」

理由づけはなんでもいいから、大切なことだけは違えないようにクコは答えた。

「懺悔です」

神さまに仕える子どもはどこまでも子どもらしくない表情で僕を見た。こんな表情をさせるイチョウは罪深い。そして、そう言わしめるクコのした事はなんであれ許せないことなのであろう。馬鹿げた二人組だと思って、僕は嘴に乗せた手を離して威嚇した。グルァァと喉を痛めるような鳴き声が共鳴している。

左腕が熱を持って熱い。


一通りのことを手伝ってもらい、もう一度お茶でもとの誘いを二人は断った。僕も空の様子を眺めて、それを承諾する。日が木々の中に埋もれるとまもなく鳥の売人がやってくる。それから南に大きな港街があることを告げた。そちらならとにかく色々な話を聞くことができると思ったからだ。そこに行くためには治安の悪い南口門から入らなければならないことだけが気がかりだったが、それを僕は黙って見送った。

「君たちの旅路に幸あれ」

「旦那も」

通例のように言葉を交わす。僕は心地が悪い言葉だから嫌いだ。お互いに二度と出会うことがないのを知っているのだ。自分の軽薄さが見える気がする。

「......」

一人でいると口数が減る。鳥達がいる分、相槌はするが、それ以上は特別何もしなかった。僕は部屋に戻って、窓の外で小さくなっていくあの旅人達を眺めた。少ししたら木の陰で見えなくなった。

「明日の今頃はどこを行くのだろう、なあ」

不意に呟いては思い知る。

僕は明日の今もここにいる。そしてこれからずっとここにいるのだろう。そして何よりもそんなことを望んではいなかった。僕はどこへ行けるのだろうか。

「あ」

感情は焦燥。

吹き出し口を作らなければ、自分が破裂しそうだった。それをわかった僕は痺れを切らして涙をこぼしていた。もう駄目だ。僕はどうしてこんなにも駄目なのか。若者を羨む自分も、他人を卑下する自分も、鳥に囚われた自分も、そんな事に悲しくなる自分も、本当にどうしようもない。他人にとっては大したことないとしても、僕は誰よりも僕を覚えているのだから何に苛まれることも無理はないのだ。

こんな自分を誰に向けても見せられない。しかしだれかが僕を見て、この手に触れて、自らのそれを重ねて、それでも良いよと許してくれたらどんなに良いだろうか。そうしてほしいと願う僕の隣には鳥しかおらず、僕はだれもいないところでただ人を待つだけの馬鹿げたやつなのだ。それでも一人になる恐怖から逃げられなかった。置いていかれる前に全てを置いていってしまいたい。涙を抑えるために自分を保つのをやめると、肩を上下させてただ感情に従った。今だけは、僕すらも僕を見つけないでおくれ。

「ヤアヤア」

鳥が言った。僕はそれをしゃくりあげながら見上げた。木の上で僕を見下げて鳴いている。

「オイデ?」

なんだか頭がぼんやりとして熱い。熱に浮かされる。心臓の音が騒がしい。泣くとこんなふうになったのだろうか。不意に足元に羽毛が落ちた。僕の腕がますます鳥に侵食されていく。僕は確かめるように首元に触れる。鱗のように生えた羽根はさらりと手に触れた。ますます首元を隠す服を着なくてはならない。涙を顔に擦り付けて、深呼吸をして僕を取り戻す。どんな自分も僕だから、僕は嫌いな自分になる。毎日を徒労のように繰り返し、そこから喜びと悲しみを僅かに得ている。なぜそれでも生きていられるのかがわからない。僕はもう駄目だ。

「スグリさん。いらっしゃいますか、スグリさーん」

強めにドアがノックされて、売人の声が聞こえた。僕の名を気だるげに呼んでいる。先日は他の売人に散々ケチを付けられているから、気を引き締めなければならない。僕は熱でぼうっとする頭を抑えて、ドアを開けた。

「やあ、待っていましたよ。小屋へ行きましょうか」

「おや、ご病気ですか?」

「少し熱があるみたいです」

「これはこれは間が悪いみたいですね」

売人は気を使ったようなことを言うが、いつもの口調で心がないのはすぐにわかった。僕達はそういう関係なのだ。

「今日はどんなやつをご所望で?」

「それがですね、先日仕入れた鳥を数を倍に。それから赤や青、黄だとか派手な色の鳥は扱っております?」

「最近はそういうのが人気なんだってね。紅色だとか、混合色だとか。白ならいるけれど」

もともと生物は身体の色彩に意味を持っている。保護色を鮮やかに見つかりやすくしてどうするというのか。外国からやってきた鳥と僕が森で育てる鳥とでは育成環境がまるで違う。聞くだけ無駄だ。

「植栽も人気がありましてね、その中でも特に熱帯林をモチーフにすることが密かな動きとしてあります。この環境では濃い緑が鬱蒼とした森、じゃんぐると言いますけれど、それをイメージしてあるのですよ。そこのは鮮やかな鳥達が良く映えるのでございます! スグリさんにも是非とも市場の動向を考え今からでも外国の鳥を育てていただきたい」

木の幹のような色、乾いた木の葉の色、曇りの雲間のような色、光に照らされた小川の水色、丸く削られた小石の色、幼い木々から芽吹く新緑の薄い緑色、鳥達が持つ色だった。劇的な味をさせるような果実の赤色を持たないのは、この森がそんなものを持っていないからだ。僕が生きるこの森にはそんなものはどこにもない。森が持たなければ、そこで生きる鳥が見たこともないものを持ちうるはずもない。だから僕は持ち得ない。

「残念だけれど育成環境がここでは整えられないな。買う鳥は今のやつだけかい? 肉食鳥はどうだい? 狩りだけじゃなくて鑑賞にも充分だ」

「そうですか。ならば結構です、肉食鳥も。今時夜行性の飼育なんてのも客から突っ返される原因ですからね」

憤りを感じる。どうして生き方一つで他人に文句を言われる筋合いがあるのか。そういう生き様を見ることこそ意味があるのではないか。人と違うものを見ることで理解すべきことがある。なぜそれがわからないのか。

「理解のない奴らばかりで嫌になるよ」

「ええ、全くです」

小屋の戸を開く。鳥達がうるさくわめき出した。何をするのかわかっているのだ。賢くて嫌になる。

「元気な商品ばかりですね。こんなところにいたら頭が狂いそうです。貴方の様にね」

「あ......、ああ。そう」

嫌味だったのはわかった。けれど僕は狂っているのだと言われた事にこんなにも苦しくなるのか。肺が詰まった。喉に異物があるように呼吸しても深く息が吸えない。掠れた声になる。

「精悍な顔立ちのものをお願いしますね。無駄に鳴きわめくのも困りますし、人馴れしてない臆病者はなおさらです」

「......」

鳥達がこんなにも罵倒される筋合いはない。全ては持ちうるものではないか。

「どうして」

生まれも色も見た目も性格も、全て定めではないが積み上げてきた確かなものなのだ。なぜそれを否定される必要があると言うのだ。生きた過去はどんなものでも尊いはずだろう?

「はっ.......、ああ、ああ!」

「どうしました? スグリさん」

腕も身体も熱い。

肌がむず痒く総毛立つ。

「もう、駄目だ」

涙が溢れる。

きっと誰よりも僕は矛盾した心を持つ。自分を否定されたくないと思いながら、自分を否定し過ぎた。こんな自分ではいられない、いたくない。僕はもうこんな所に居られないんだ。

「ひぃ! スグリさん?」

売人は悲鳴をあげて、その場に腰を抜かした。身体の熱と硬質な鱗模様と柔らかな羽毛が全身から溢れ出す。

「な、何がどうなってる! スグリさんが! なんだこれはあ!」

身体が言うことを聞かずに動かされ、全ての骨格から変形していく収縮を繰り返す。

指が消える、柔らかな肌を無くす、物言う口が尖る、全てを見た瞳が乱れる。背が、肩が、脚が、全てが僕の形を保たない。

「ピルルルルル!」

「クァアア!」

「ギー! ギー!」

「ビィビィビィ!」

「キュルルウウウウ!」

「.......。嘘だろ、人が.......」


小屋に鳥達の声が響いた。どの声もスグリを歓迎しているようだった。

男は鳥になったのだ。そしてすぐさま小屋の中から、外に向かって飛び立った。

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