4人の少女たち

①緑の瞳の少女

 中庭に戻ってきていた。三人一緒だ。眼帯も義手もある。


 空はまだ明るい。シラセが時間をスマホで確認する。あの音がした時間をはっきりと覚えていなかったが、それでも終業時間から一時間も進んでいないことがわかる。あの空間は現実とは時間の流れまでも違う。


 馬も馬車も消え、イリスも髪の色が元の栗毛に、星渡そらわたりの服装も学校の制服に戻っている。けれど彼女の頭と腰には毛並みの良い獣の耳と尻尾がそのままにあった。


「あ、そうか、これも覚えていないものね」


 耳をぴょこぴょこと動かし、尻尾をふぁさりと回した。


「リテラトでは一部の人が獣の耳と尻尾を持っているの。私はかか様から。この世界で言うところの、たぬきの耳ときつねの尻尾というのが近いって君が教えてくれたの」

「すっごくかわいい」


 みのりが飛び出して褒めていた。シラセも同じ感想を抱いたがタイミングを逃してしまう。


「そ、そう?」

「うん。よく音も聞こえるの?」

「獣の耳がない人より聞こえるよ。だからさっきの音はすごくつらかった」


 彼女は一人聞き分けられていた。それは「高い音が遠く。低い音が近く」

「ちなみにね、この耳があるときはほら」


 イリスが髪を上げて人の耳があるところを見せる。するとそこには耳がなかった。耳たぶだけではない、穴もそもそもないのだ。見せたままに彼女は獣の耳を頭からなくしてみせる。すると何もなかったところに人の耳が作られる工程なく一瞬にして現れた。


「おおー」


 みのりとシラセが声を合わせ、拍手した。ただただすごいものを見たと。


「ふふっ」


 イリスが小さく笑った。


「シラセ、初めて見たときと同じ反応」

「へえ、そうだったんだ?」


 そんなことを言われても覚えていないので、何となく照れくさくなって頭をかくしかなかった。


「やっぱりシラセはシラセだね」

「すごいくすぐったいんだけど……」


 のどかに会話だけをしている場合ではなかった。シラセは話を変える。恥ずかしいからではなかった。多分。


「月世界願望園とか言っていたあれ、どこか覚えある?」


 二人とも首を振る。


「わからない。そもそもこの世界に魔法はないって話ではなかった?」

「あたしもそう聞いたけど。シラセも知らないだけとかないの?」


 星渡りであるシラセの魔法を感じる能力はすさまじい。それは彼が魔法に愛されているからだ。星渡りはあらゆるものに愛されている。世界、魔法、不思議、自然、だからこそ呼ばれ、救うことができている。


 シラセはこの二人がどれくらい魔法を感じることができるのか忘れてしまっているが、それでも彼よりは確実に数段落ちるとわかる。そのような彼でもこれまで生きてきて、この付近で魔法を感じたのは今日の事以外なかったが。


「ここで魔法を感じたのは今日が初めてだった。けれど秋山さんの言うとおり、どこかで魔法を研究している人がいてもおかしくない。そういう歴史だってある」

「あたしも君が来るまで魔法なんて知らなかったんだから」


「あの魔法、幻ではなくて空間そのものを作り上げていた。それにシラセが星渡りであることを知っていて、力も私に移してみせた。相当、魔王でできるくらいの相当な魔法だよ。そういうものがこの世界で、シラセに気づかれず組み立てられるものなのかな……」


 イリスが尻尾をゆっくりと振りながらぶつぶつと言っている。するといきなりがくんと膝を落として地面にへたりこんでしまう。


「大丈夫っ?」


 こくりと頷いたが、表情に疲労感がある。彼女はまたゆっくりと立ち上がって、笑顔を作った。


「すごく疲れたみたい。星渡りの力を借りたからだろうけど」

「そりゃああれだけのことしたんだもんね。そうもなるよ」

「ああ。今日はもう帰ろう。今日の事はまた明日にでも」


 笑顔だが相当に疲れている様子を隠せてはいなかった。動きが重い。あの空間で本来使えないはずのあの力は、彼女にかなりの負担を強いていた。月世界願望園は続く。シラセはどこか確信していた。その時、またイリスが星渡りにならなければならないのであれば、その体は数を重ねるたびに疲弊していくだろう。


 それは避けたい。どうにかシラセが戦える方法を。


 気づいた。


 二人に言って少し離れ、自販機で飲み物を買いに。しばらく歩いて自販機の前に着き、ポケットの中の二つ折りの財布を左手だけで出し、そのまま小銭を探していると、ちゃちゃっと小銭を入れて飲み物を買う人が現れた。


 冷たいカフェオレ買ったのはみのり。少しジトっとした目でシラセを見た。


「そうだろうとは思ったけど、言ってくれればいいんじゃない? 片手しかないんだし」


 詰襟の中にいつも折りたたんで仕込んである手提げ袋を広げて見せる。


「ったく、かわいくないやつ。左目までなくしちゃって」


 文句を言われつつ、シラセは小銭を入れていく。ここでイリスに何を買うべきか悩み、ボタンを押すのに指が止まる。


「くせのない飲み物、あとあったかいのと冷たいのと二つ買えば? カフェインも入ってない方がいいでしょ。カフェイン酔いするかもしんないし」


 それもその通りと思ったので、カフェインレスと書いてあるお茶を、あったかいものと冷たいもの二つ買った。大きくなく小さい容量のものだ。それを手提げに入れようとしたがほいほいとみのりが取っていった。


「あたしのところもここもみんなカフェイン大好きすぎなのよね。わかるけど」


 イリスはあったかいお茶を選んだ。実際に飲んだことはなかったらしいが、一口入れると好みだったらしく、続けて何口も飲んでいた。猫舌とは遠い舌の持ち主だ。


 ほっと一息ついたあと、三人でイリスの家まで送った。休んだおかげか途中ふらつくことはなく、休みも取らずに到着した。高校から徒歩五分程度の住宅街にある二階建てのきれいなアパート。近くにコンビニやスーパーも駅もある良い所だ。


 シラセはまったく知らなかったのだが、高校の学生寮だった。遠くから入学してきた生徒のために用意してある。けれど基本は通える距離にしか生徒がいないので、ここの存在は生徒にほとんど知られていないとのこと。だから余っている部屋は先生の寮にもしている。みのり談。


 かなり夕日も傾いている時間だったが、明かりがついている部屋はない。イリスの部屋は二階で、そこまで送るとみのりも彼女の隣の部屋の扉を開けた


「お隣さんだったのか」

「そゆこと。イリスのことはあたしが見るから、君はもう帰んな。君スケベだから」

「す、スケベじゃないわい!」


 そう言われるようなことをしてきているつもりはない。星渡りのときもそうであるはずだ。からかっている。みのりが適当なことを言ってからかっているだけなのだ。イリスも呆れた目をしているが、動揺してはいけないいけない認めることになってしまう。


「じゃあ俺帰るから。また明日」

「うん、ありがとうね」

「ありがとう、シラセも気をつけてね」


 二人が部屋に入っていって、明かりがついたのを確認してからシラセは離れた。心配な気持ちはあるが、かといってずっと一緒にいるわけにもいかない。それに二人は異世界からやって来たので、今はまだスマホなどの端末でやり取りすることもできない。


 楽天的な考えだろうが、あの魔法を間隔短く発現させることは難しいはず。ならばまた起こるとしても今日中ではなく、数日後になるはずだ。


 二人は家に帰ったが、シラセはまだ帰らない。見ておきたいものがあった。それはあの映像に映っていた、建物の壊れる様子。怪物があの空間、月世界願望園で壊した建物が現実でも壊れていた映像。あの辺りは見覚えがあるから、行くことに決めていた。


 市営のバスに乗ってそのエリアまで。運賃を払う。片腕がなく、手帳があるから本当は割引を受けられるのだが、現実でなくしたものではないという気持ちからいつも彼はそのままの運賃を払っていた。


 スマホで確認してみるが、特にニュースにはなっていないようだった。起きてそう時間が経っていないからだ。あの映像、観光地と繁華街に近いが、古ぼけて現代から置いていかれた雰囲気の建物が多いこのエリアで間違いはないはず。あちこちのひびが補修された建物、シャッターで閉まり切ったアーケード。


 とにかく人が集まっている所を探し、目指す。


 するとやはりだ。大通りから少し入ったところに人だかりができていた。すでに警察が規制していて、報道関係者もちらほらいる。


 忘れ去られていたようなビルだ。五階建て。築何十年も経っているようなビルがぼろりと崩れ半壊状態になっていた。破片が地面へと落ちていて、まだ撤去の見通しも立っていないようだ。


 騒然とした現場の中に立ち、冷たい汗が流れていく。


「いきなり壊れたんだってよ」

「いくら古いったってそんなことあんのかよ」

「やとしてもあんなん壊せんぞ」

「誰も巻き込まれてはないみたいなのがラッキーやな」


 すでに酔っぱらっているおじさんたちの話が本当かどうかはわからないが、少しばかりほっとする。けれどもっと人通りの多いところで同じことをされていれば、間違いなく大惨事になっていた。拳を作る。


 手がかりを探ろうとしてみる。人だかりと規制でなかなか難しいが、それでも何かあればと視線をあちこちに移していく。まぶしい夕日に当てられながら。崩れて何もない中があらわになったビル、アスベストらしきものが見えている破片、粉々に砕けたガラス、どこかで見た姿。


 どこかで見た姿。


 人ごみの中で目を引く姿があった。少女だ。おそらく年上の。


 170cmのシラセと同じくらいの身長で、女性にしては長身。ブルネットの髪を緑のリボンで結んで首筋を隠すくらいのおさげにしている。顔はここからだとよく見えない。しかし彼女はシラセと同じ高校の制服を着ていて、さらにあの髪色だ。あれに覚えがある。


 月世界願望園に連れ去られる寸前、意識が途切れる寸前に襲い掛かろうと近づいてきたあの姿の髪色と同じなのだ。


 事件の犯人、関係者が現場に戻ってくるという話をよく聞くが、まさか本当に。


 シラセは心を落ち着かせ、人ごみをかきわけ相手へと近づいていく。


「何か?」


 おかしい動きをしたつもりはない。けれどすぐに気づかれ視線が合い、さらに声までかけられてしまった。


 強い意志を感じる太めの眉と夕日の影の中で浮かぶ緑の瞳、白人の、圧倒的な雰囲気を持つ美人ではあるが、どこか人を寄せ付けなさそうな印象を受ける。海外からの留学生だろうか、言葉がしっかりと使えているが。


「ビルを見ようと近づいただけです。気を悪くしたならごめんなさい」

「それは……こちらこそ申し訳ない」

「あの、いきなり崩れたらしいですね、これ」

「そのようだ。破片はすべて道に落ちたが、誰も巻き込まれていないのは幸運だった。周りの家に落ちなかったこともそうだが」


 その通りだ。幸運だ。しかしシラセは彼女に不審の念を抱いている。


「まるでそうなるようになったというような言い方じゃありませんか?」

 おかしい人と思われても良い。

「そんなこと、あるわけないだろう。たまたまだ」

「ですよね、あるわけない」


「次は、ない」


 えっ、とシラセが思ったとき、すでにそこに彼女はいなかった。魔法の気配はない。慌てて人ごみの中から飛び出すと、走り逃げている背中があった。追いかける。


 星渡りの力は使えなくとも足には自信がある。速く、特に長く走る能力には。間違いなく何かを知っている。ここで逃がしたくはない。


 大通りに出ると、少女は赤信号お構いなしに合計四車線の車通りの多い車道へ飛び出した。クラクションをひどく鳴らされる中、走って来る車をうまく避けて横断していく。動作に迷いがない。できて当然という自信のある動きだ。


 わずかにためらったが、シラセも同じく車道に飛び込む。制服のおかげであの高校の生徒だということがばれるだろう、停学の二文字が頭に浮かぶがやってやるしかない。眼帯をしている左目の視界がないので特にその方向に気をつけながら、彼も彼女と同じようにクラクションを浴びながら進む。


 横断し終えると彼女はそのまままっすぐ別の道に入っていった。ここで気がつく。行先は近くの繁華街だ。あそこには人が多い、紛れてしまえば探すことは難しくなる。それまでには何とか追いつかなければならない。


 すぐそこにある、この地域で特に有名な観光地に入らなかったのを見ると、あまりこの土地を知らないか、もしくはエリアが狭くてあまり逃げ道に適さないことを知っているのか。観光客もいるが、道がうまるくらいにいるわけでもない。


 その観光地にある白くて大きな塔、展望台としての機能しかない塔を左に見ながら、まっすぐに走る。特に遮るものもない緩やかな上り坂、ただ純粋に足の勝負、足比べだ。


 こうなればシラセの方が圧倒的に有利だ。相手を見くびっているわけではない、星渡りの力によらない、体の鍛錬も怠ってはいない。


 しかしどうして。まったく距離が縮まらない。むしろ離されていっている。月世界願望園の疲労はあるが、それでもいつもと比べてひどく遅いわけではない。彼女が速いのだ。


 隣の動物園の敷地から野良猫が彼女の目の前に飛び出した。ぎゃっと驚いて体を硬直させた猫に、悪いと思いつつもシラセは感謝する。だが彼女はまったく減速せず避けもせず、野良猫を拾って抱きかかえた。


 シラセの前にも猫が飛び出してきて、思わずびたっと急停止してしまう。


 前を行く彼女は少し体を捻り、後ろの彼に涼しい顔で猫を撫でる様子を見せつけた。


 やがて繁華街に入ってしまう。彼女の姿は人ごみの中に紛れて消え、完全に見失う。完全に息を壊しながら、しばらく繁華街の中を歩いてみたが見つかることはなかった。


 ここまでだ。これ以上適当に歩き回っても見つかる可能性は限りなく低い。

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