⑤二人乗り

 サーベルが一つのきらきら星に戻り、シラセの胸の中に戻っていったとき、彼の跨るメリーゴーランドの馬の前に一本の照らされた道筋が現れた。前には池があったはずだがなくなっている。


「怪物倒したし、これで出れるってわけ?」


 みのりがやや困惑した様子で声にすると、彼女の姿が消えていた。


「何っ!? 何っ!?」


 くぐもった声が聞こえ、その方向、シラセが後ろを振り向くと跨った馬につながった馬車があった。外から中がまったく見えない馬車にみのりが座らされているようだ。どんどんと扉を叩く音が聞こえた。


 彼女を外に出すため馬から降りようとすると、瞬きの間もなく小さな背中が目の前に現れた。イリスだ。彼女も馬に跨って二人乗りになっていた。彼の目の前に鮮やかな桃色の髪とたぬきの耳、鼻をとろけさせる香りが来た。


 振り向いた彼女とお互いに驚きながら目を合わせていると、馬が道筋に進み始めた。本物の馬のような動きで。明かりが道筋しかない薄暗い中を馬は加速していく。その加速とともにシラセの鼓動が早くなる。


 イリスと体が触れているだけではないたかぶり。胸が痛く感じるほどの鼓動。

 落ちないように手綱をしっかりと握ったとき、違和感を覚えた。右手があったのだ。触覚があり力が入り作り物ではない右手が。視界もだ。いつもより左側の視界が開けているのは、左目が戻ってきているからだ。


「シラセ、髪」


 右手を手綱から離し、頭を触る。


「色」


 一本抜いて見てみると、毛は桃色になっていた。ただ星渡りの色と比べると淡く薄い。本来はイリスのような鮮やかな色になるはずだ。


「右手と左手、いつなくしたの?」


 目を合わせたまま彼女がきいた。くりくりとした二重の瞳がシラセを逃がさない。

 今きくべきではないことだ。けれど彼女もシラセと同じようにたかぶっているのか、やや息が乱れている。


 お互い、鼓動の痛みが相手への気持ちを開けさせた。


「右手はリテラトの次の世界だった。だから十四歳のとき。世界の国々同士が大きな戦争をしていた世界で、みんなを逃がすために一人で銃弾と砲撃と魔法の集中砲火を受けてなくした」


 馬はまだ目的地へとたどり着かない。手綱に戻っていた右手に、彼女の右手が重ねられる。かじかんではいなかったのに、ひどく暖かさを感じる。言葉は止められなくなった。


「左目はつい最近。ひとつ前の世界。リテラトによく似てた世界だった。王子が魔法で狙撃されたのをかばって。とっさだったのと相手がやり手で、王子は守れたけど防ぎきれなかった」


「もっと厳しい戦いをしてきたんだね」

「でも死ぬつもりなんてない。俺はやるべきことをそこで見つけて、やってきて、帰りたい。とうさん、かあさん、みんながいるところに」


「今でも痛い?」

「たまに。だけど」


 なくした時のことははっきりと覚えている。痛みは確かにすごかった。喉が焼けるほど叫んでのたうちまわった。痛みから逃げる方法だけを考えた。しかし自分の右手の切片が雪の上に落ちていたのを見つけると、それよりもとっさに拾いに行くことを選んだ。拾って握りしめてもそのような感覚はやって来なくて。


 右袖の前腕部の中身が再びなくなっていた。手綱と、重ねられていた彼女の手の感覚はなくなり、進む風で右袖がなびいている。思うことはある。それでも今の彼は探しには行かない。振り向きもしない。左手だけで馬を操り、再び右目だけでただ前を見据えていた。


「これでいい」

「私、ここで初めてそのなくした姿を見て、とても怖くなった。きっとこうなるのじゃないかってどこか思っていたけど、本当になっていて、こういうこと思うものじゃないって思った」


 彼女は触れようとしている。背中にいる少年と確かに触れようとしている。


「ただシラセが傷ついていくだけなら、私は嫌。助けられた私たちだけど、その世界のことはその世界のみんなでやらなくちゃいけないことなのだから」


 自分の気持ちを素直に伝えることは、あらゆる意味が乗り込んで必ずしも良いとは限らない。けれどその人に近づきたいと、触れ合いたいと、心を見せあいたいと思うならば挑むしかない。


 彼女はそれができる強さを持っている。


「どうしても。あとほんの少しの力があればってとき、あるだろう?」


 ならばその強さに応えようと決めた。


「それが俺だ。みんながすごく頑張って押しても押しても動かない荷馬車を、俺も押す。俺は腕とか目とかなくしたけど、色んな人も俺とか誰かのために命までなくしてる。だから荷馬車は動かせてきて、俺が手を離しても動いていけてる。イリスが来れたんだ! 俺だけが傷ついてきていることなんて、ない。みんな、みんな傷ついてる。記憶は置いてきているけど、それだけは確かだってわかるんだ」


 一つ繋がった。繋げていけば束になり、束になればなるほど解(ほど)けづらくなる。


「本当、いくつ世界を渡ってきたの?」

「いっぱい」

「そこでもみんなと仲良くなってるんだ?」


「選ばれたからって、すごい力を使えたからって、色んな人たちが住んでるんだから」

「そうか、そうだよね。シラセ、もっと素敵な人になったのだね!」

「だろ?」


 お互いに笑顔を見せあった。遠く離れ、二度と見せ合うことのないはずだった笑顔。温かな風が二人を包む。


「でも、記憶を置いてきているから仕方ないけど、もうちょっとは思い出して欲しかったな」

「なんか不思議な感覚はあった、あったんだけど……」


 色の良い唇ととがらせ、いたずらな笑みを浮かべた。


「嘘、嘘、それでも良いからまた会いたかったんだ。ずっと、ずっとまた会えたらって」


 この穏やかな笑みで助けられてきたことは多かったはずだと、シラセは心穏やかになる。イリスが軽く、体重をシラセへと預けた。激しく拍動する心臓の音が聞かれてしまう。それでも構いはしなかった。


 彼女の目じりに溜まっていた涙を、手綱を離し指で拭う。


「俺はイリスのこと忘れてしまってる。でも、だから、またよろしく」


 びっくりしたように目を真ん丸に見開き、やや顔を赤くする。


「まったくそういうこと……急に手綱離してもう、私がやるから掴んでいて」


 前を向いたイリスが手綱を操ると、馬は加速した。彼女はうまく御しているらしい。落ちないよう彼女の服を掴み、一緒に進む先を見つめる。明るいものが見えた。近づいていくうちにあれは、外の風景だとわかる。見慣れたシラセの世界の風景。あの音を聞いた学校の中庭の風景だ。


「あそこしかないのだからあそこに行くよ!」

「ああ、行こう!」


 馬は勢いを落とすことなく風景へと飛び込んだ。

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