④月世界願望園・一人目
作りものの太陽が砕かれていく。何が。何によって。
満月が。太陽はもういらない満月は輝ける。
空の色はみな知る青から折り紙を切り貼りされた濃紺へと変わっていく。
叫びが爆ぜ、あちらこちらぶつかり幾重にも重ねられる。
高く位置する満月は浮かばない。満月は貼り付けられている。範疇を超えた大きさに、クレーターは見当たらずデフォルメされた人の顔。右目が潰れ、焼けただれた人の顔。
『月にどうして行けば良い? 月に砲弾飛ばせば良い』
『月に何を持っていく? 月に祈りを持っていけ』
『月に何かが住んでいる? 月にも人が住んでいる』
『月からどうして逃げていく? 月にはもう価値がない』
草も土も石もアスファルトもコンクリートもない、色もない、けれど透明ではない。ただ広がっている何もない地面を左目でにらみつけると、地面はうねうねとうごめきやがて細かい砂利で敷き詰められた広場となった。
広場ができると砂利が風もなく舞い上がり、それが固まって固まって繰り返し北端に立派な凱旋門を作り上げた。そこから長方形の広場を作るようにゴシック、ルネサンス、バロックと一棟ずつデザインが違う建物たちが囲う。
凱旋門から少し前の所がくぼんだかと思えば、水がやってきて丸い池になる。
凱旋門の上が騒がしくなった。どんどん、がんがんとけたたましい作業音がしばらく続いた。音が止んだあと広場と建物のあちこちにひどく数のある、暖色の電気明かりが点けられ広場すべてを闇夜から放つ。
明かりが凱旋門の上にあるものを示した。赤さびた鉄骨で作られた細い三角形の塔だ。てっぺんのすぐ下に展望台がある。鉄骨にも電気明かりが並べられていて、広場に負けないよう光っている。
凱旋門と塔が繋がっている所へあちこちから太いワイヤーケーブルが飛んできて繋がり、ロープウェイが一定間隔で走り始めた。
完成。
ここは月世界願望園。呼ばれし者が引きずり込まれる園。
本日三名様ご案内。
◇
シラセは立っていた。暖色の電気明かりがまぶしいほど照らす、遊園地にも似た雰囲気の広場で。
イリス、みのりも一緒だ。学校の中庭で意識が薄れ、気がつけば三人ここにいた。
「ここは、何だ」
「学校であの音を聞いて」
イリスが耳をすませたが、やはりあの奇妙な音はどこにもないようだ。
みのりが奥を指差す。目の前に広がる、きらきら光るあの丸い池の向こう。付けられた電気明かりで自らの存在を強くアピールする塔。ロープウェイも走る、あのような塔をシラセは知らない。
そしてより目を引くのは塔の真上にある満月。
「何ここ……あと何あのでっかい塔。それに変な形。凱旋門にエッフェル塔が乗ってるみたいな。それに気持ち悪い色の夜空……あの塔の上にある満月もばかみたいにでかいし」
無理もない。よくわからない状況にみのりは怯えている。
そんな彼女を気にかけようとしたとき、突然シラセの体が金縛り、まったく動けなくなってしまう。体の感覚はあるから力を振り絞ってみてもびくともしない。バランスを崩しふらつき倒れ、二人が支えようと近づくが間に合いそうもない。
地面に体をぶつけてしまうという、まさにそのとき。シラセの周りから木材が生え、ある形を作って彼を座らせた。馬だ。アールヌーボー様式のメリーゴーランドの馬に
開かなくなった左目があらわになり、中身を失った詰襟の右袖の前腕部がひらひらと動く。
考えなくてもわかる。この空間には圧倒する魔法の力が満ちている。全身の痺れと鳥肌が止まない。冷たい汗も背中に流れ気持ちが悪い。吐き気もだ。
捕らわれたシラセを二人が助けようとするが、手はシラセの体をすり抜ける。どうやっても触れられない。必死に続ける二人に警告する。
「気をつけて。始まる」
地響き。それが笑い声だと気づくのに時間がかかる衝撃。びりびりと空間すべてを震わせて、空に貼り付けられた満月がぺらりと裏返る。現れたのはデフォルメされた人の顔の満月。右目が潰れて全体が焼けただれた顔に、思わずイリスとみのりが怯えた声を出してしまう。
「月に顔があって、シラセの世界でも月は見たけど、満月だとああなの……?」
「あんな気持ち悪い月、シラセの世界にもない! 模様もなくてぐっちゃくちゃで! ほんとここ何なの!? 何がしたいの!?」
「俺を抑え込んで、空間を作るここまでの魔法……現実で発揮させるなんてとんでもないことだぞ……。っ、俺のことはいい、月、月なんだ」
満月が深い黒の左目で下にいる小さな三人を見やると、溶けて部分部分がくっついている口を小さく開けた。ひどく聞きづらい声が出てくるのかと思いきや、それはとても透き通って誰の心にも波立てず注がれる声だった。
『月にどうして行けば良い? 月に砲弾飛ばせば良い』
『月に何を持っていく? 月に祈りを持っていけ』
『月に何かが住んでいる? 月にも人が住んでいる』
『月からどうして逃げていく? 月にはもう価値がない』
口は開いているが、最後の一言は満月の声ではなくなった。
『月世界願望』
一通り言葉を発し終えたかと思うと、今度はどこからかやって来た
「自分を痛めつけた……?」
開けられた左目の中には何もない。
その何もない左目の奥から黒くとがったものがずるりと落ちた。砲弾だ。
それは落ちていく中で何度か爆発を起こし、煙をまき散らしながら池へと着弾する。中で大きく爆発し、池の水を飛び散らせて霧になった。霧の中、黒く大きな影をシラセは見た。
吐き気がだんだんと強まっていた。するといきなり押さえつけられ胸と腹をメリーゴーランドの馬の首に叩きつけられた。縛られたままでは受け身もできず、衝撃がそのまま伝わりたまらず嘔吐してしまう。
「シラセ!」
胸の圧迫で息がしづらい、口と喉に残るざらざらとした気持ち悪さ。涙で視界がうっすらとぼやける中、下に見えたのは砂。砂を吐いていた。
しかし彼にとってはそれよりも、彼を心配するイリスとみのりへの警告を続けることが最優先だ。
「俺の力は使えない……来る、池から、来る」
霧がはれた。影はローブを着た怪物だった。高さは10mくらいあるが、太い胴に対し気味が悪いほど腕と足が枯れ枝のように細い。背中は曲がっていて、人のような頭には少し巻かれた長い長い白髪とひげが垂れ下がっている。その毛に顔は隠れてしまっているが、老人であることがわかってしまう。
一番目立つのは頭に被っている三角形の帽子。とんがり帽子だ。怪物だが、魔法使いのようにも古き学者なようにも見える。
金属がこすりあったような
怪物がすぐ近くの古い西洋様式の建物を腕の一撃で簡単に壊してみせた。すると落ち着き、三人に襲い掛かってはこなかった。紙の質感がある濃紺の空に大きな白い紙が貼り付き、どこからか映写機の光が当てられて映し始めた。
映されたのはビルが倒壊している映像だった。シラセには見覚えがあった。住んでいる街の景色だ。あの怪物が暴れれば、現実にも影響が出ることを教えているのだ。つまり戦わなければならないという現状を突きつけてきているわけだ。
「よくわからないけど、あの魔物とは違う怪物を何とかしなければいけないわけだね」
「
怪物が指を一本だけ立て、三人に見せつけた。そのままこちらを襲ってこず、じいっとしている。
意図をはかりかねていると、空に貼り付けられた人面満月が言った。
「ようこそ月世界願望園へ。一、一人、誰だ、誰が『こっちに来る』?」
「俺だ……俺が行く」
間髪をいれずシラセが答えた。あれは誰が相手だときいていると理解した。吐き気はおさまっていたが、星渡りの力を発揮、金縛りから逃れる方法は思いつかないままに答えた。つまり彼はまったく考えずに答えてしまったのだ。無鉄砲な。
満月は彼がそう答えることをわかっていた。だからこう言う。
「嫌いだ」
馬の首に倒れ込んでいたシラセの体を起き上がらせる。
「『お前は来るな』 残り二人のどちらかだ。が、すでに決まっている。声が届き言葉が浮かびすでに言わずにはいれなくなっている」
「そう。あの月の言うとおりだよ。シラセ」
満月に選ばれていたのはイリスだった。彼女はシラセに向けて力強く頷き、怪物へと力強いまなざしを向けた。シラセは彼女を忘れてしまっている。彼女はシラセをよく知っているが、シラセにとっては今日初めて出会ったあまり知らない少女だ。
けれど目の前にひどいものが立ちはだかろうとも、毅然とした態度を崩さない姿にひどく懐かしさを覚え胸が熱くなる。
「本当、自分でやろうとするのだから。ここは私の番。私が行く」
彼女の頭に毛並みのきれいな獣の耳が現れ、腰に尻尾も出てきた。その人とは違う姿にもシラセはまったく驚きがない。覚えてはいないが、イリスはこうであるのだと知っているのだ。
信じる。
「……イリス、お願いだ、俺の代わりに戦ってくれ!」
『お願い』をすると、彼女は満月からの言葉を叫んだ。
「満たない星々にその光を!」
イリスの体が透明な球体に包まれる。シラセの吐いた砂が舞い上がり、無数のきらきら星となった。星々は球体を囲み、中にいるイリスを光でめった刺しにする。光の針で刺されたまま彼女の姿が変わり始める。
背中まで伸ばしている、まっすぐな栗毛の髪が鮮やかな桃色へと毛先に向かって染められていく。
細くスレンダーな体を覆っていた、セーラーの要素が混ざるブレザーの制服から、金属や刺繍の装飾があちこち多く施され、あやめ色を基調とした煌びやかなコートとシンプルな膝丈上のパンツへと瞬時に着替えさせられた。磨かれていたローファーも、なめらかな黒の、上げられたヒールのないショートブーツへと履き替えさせられる。
刺さっていた光が体からすべて抜け、きらきら星は一つの塊になって彼女の胸の前に浮かぶ。ためらわず優しく抱きしめた瞬間、透明な球体は弾け、きらきら星は一振りのサーベルとなって小さな手に握られた。
頭のたぬきのような耳、腰のきつねのような尻尾がぴょこんと跳ねる。
「星渡りは願いを受けてここに立つ! 私はリテラトのイリス!」
サーベルを天高く掲げ。
「一つ目の星!」
名乗りを上げると、その瞬間だけ彼女の体からあふれ出た光が電気明かりを塗りたくった。目を殴るほどの明るさであるのに、周りにいた者たちの目をいじめない。
軽やかにサーベルを振り回す。素人でもなければシラセの技でもない。彼女もまたリテラトでシラセとともに戦い抜いてきた少女なのだ。
「力を借りているとはいえ、祈りをささげるだけの神官ではないことをお教えいたしましょう」
星渡りの力を借りたイリスと、満月から生み出された怪物とが池を挟んで対峙する。
先に仕掛けたのはイリスだ。大きな跳躍で池を飛び越え、落下の勢いを加えて怪物へとサーベルを振り下ろす。何とかといった様子で避けた怪物は慌てて距離を取り、首を落とし、被っているとんがり帽子を彼女へ向けた。
【真偽! 正解!】
そのように聞こえる咆哮をあげ、イリスの身長くらいはあるとんがり帽子を砲撃音とともにイリスへと撃ち出した。
【間違えてなどいない! 間違えてなどいない!】
とんがり帽子をサーベルで切り倒す。すると怪物は諦めることなく何発も何発も、間隔を縮めて撃ち続けてきた。それらすべてを避けず逸らせずサーベルを振るっていく。彼女の周りに、切られ力をなくした帽子が増えていった。
「あたしたちがいるから避けられないんだ」
みのりも気づいていた。邪魔はしたくない。しかし今も続けているがどうやってもシラセに触れることができない。先ほど怪物が建物をいとも簡単に壊したところから考えて、あれが当たってしまえば星渡りではない二人だとひどいことになる。
「んんん! なんとかこんなとこでなくて!」
「ごめん、まったく動けそうにない……」
「君がどんなときも頑張るのは知ってるから、悪いのは全部あのきもい月なの!」
満月を指差す。にやにやとイリスと怪物の戦いを見続けていたが、みのりに指差されるとそれに気づき、視線を向けてきた。
「どうした? 見ているだけではヒマか? 飲み物でも出そうか? 何が良い?」
二人の前に紙が現れた。そこにはドリンクメニューとより強くデフォルメされた満月のイラストが載っていた。
「おちょくるな!」
みのりが怒りをそのままにぶつける。満月はふわりふわりとどこからともなくやって来た湯気の立つコーヒーカップに空から落ちてきた角砂糖を多く入れ、ついてきていたスプーンがかき混ぜたものを口に付けた。
「君たちは月世界願望園のお客様、遠慮するな。それに君たちはのんびりしているだけで良いのだ」
「その月世界願望園とかもわけわかんないこと言って」
塔のてっぺんが光った。それが一筋の閃光であることに気づけぬまま、二人は防ぐこともできず当たった。かに思えたが、閃光は当たる直前に何かによって防がれて散らされてしまっていた。
みのりは何が起きたのか今でもまったくわかっていなかったが、シラセはかろうじて把握できた。だから満月の言う意味がわかる。
「あなたは何がしたい?」
シラセが尋ねたのと同時に、イリスがとんがり帽子の一撃をもらっていた。あの閃光が二人に飛んで行ったので気を取られたのだろう、小さな体は吹き飛び池の中へと背中から落ちてしまう。思ったより浅く、すぐに立ち上がった。深さは彼女のすねあたりで、全身を滴り落ちるしずくを拭うこともせず再びサーベルを構える。
「イリス、こっちを気にしてなくていい! 俺たちは満月に守られている!」
伝えると彼女は首を横に向け小さく頷いた。そしてまた飛んできたとんがり帽子を今度は逸らしたかと思えば、水の上をスケートのように滑りだし、水しぶきを上げながら怪物との距離を詰めていく。
【私は正しいのに! 認められない!】
逸らされても諦めず怪物はさらにとんがり帽子を乱射し続けるが、それらすべてをイリスはサーベルでたやすく逸らし、もしくは柔らかな動きで避けた。そのまま勢いを増し続け池の端までたどり着きそうになったイリスは乱射の隙を盗んで一瞬、くるりと反転して左足一本で滑り出し、後ろに上げた右脚を振り下ろしつま先で踏み切って反時計回りにジャンプした。
【絶対! 絶対!】
「もっとちゃんと伝えたい言葉を探したほうがいいよ!」
回転の力を加えた斬撃が刃から飛び、怪物の胴体を真横に真っ二つにした。ぐらりと崩れ落ちた怪物は理解できないまま狙いも定めずとんがり帽子を打ち続け、華やかに着地し止まったイリスの後ろで爆散した。跡形なくなるとあちこちのとんがり帽子も消えていく。
戦いは終わった。満月が生み出した怪物は見事、星渡りのイリスが倒した。
満月が言う。
『月にどうして行けば良い? 月に砲弾飛ばせば良い』
悔しさがないのか、それを隠すためなのか。現れて最初に言っていた詩らしきものを再び。
『砲弾は飛ばされ刺され抜けず取れず食い込んで』
コーヒーカップが力を失って塔のてっぺんへと落ち、割れた。飲み干していないのにもかかわらず中には何もなくて塔はコーヒーを浴びることはなかった。
『私も砲弾に。月世界願望』
園を照らしていた電気明かりがすべて消える。満月の姿も消えた。ひどく暗い園内で星渡りだけが光り輝いている。
彼女は軽々と池を飛び越え、馬に乗せられていた少年と選ばれなかった少女の元へと戻ってきた。
「任せて」
イリスがシラセにサーベルを向け、優しく切っ先を胸に、心臓のあたりに当てた。痛みなく体の自由が戻る。
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