③響き
約束通りの放課後中庭。日が影を長く伸ばして、中庭はすっぽりと入ってしまっている。授業が終わったあと、二人はぱっと教室から出ていったので、シラセは昼間と同じベンチで一人座って待っていた。
校舎を挟んで向こう側のグラウンドからは部活動が響いていて、また別の向こう側では下校する生徒たちの楽しそうな声がしている。そんな音の中一人ぼうっと座り続けて待っている。
ある程度覚悟を決めたおかげで、授業はちゃんと耳に入れることができた。眠気も飛んでくれたおかげでいつもより集中できた。ノートだってしっかりと写している。魔法の気配もなかった。慌てない慌てないのんびりとのんびりと。元々そんな性格だったが、星渡りになってさらにその性格が強くなっている。
口が寂しかったので飴を舐め始める。味わっていると遠くで声が聞こえ、そちらに首を向けてみるとイリスとみのりの姿が見えた。ようやく来た。右目を細めて様子をうかがってみると、どうやら道に迷っていたらしい。二人そろって。
この学校いつか誰かを遭難させるかもしれない。それは言い過ぎだが。
走っているせいで少し息を荒げている姿にシラセはちょっとおかしくなった。彼女たちに気づかれる前なら良いだろうと思い、顔を背けて小さく声を出して笑った。魔法を乱用するつもりはない。それがわかった。
「お、おまたせ……」
おかしい気持ちをぐっとこらえて、到着したイリスに手を上げて応えた。
「今来たとこ。迷わず来れたみたいで良かった」
「まあね」
強がるイリスに、わざと言っているだろうという非難めいた視線を飛ばしてくるみのり。少し汗をかいたのか、眼鏡をくいっと上げる。
シラセは飴を噛み砕いて飲み込み、立ち上がってベンチを二人に譲る。三人でも座れるが、話すのに面倒なのと、挟まれる形は当然、端っこでもどこか気恥ずかしさがあった。
二人はありがとうと言って、すすめられるがままにベンチに並んで座る。遠慮しないのが良い。ベンチに二人、その前に立ってシラセ。何も言わずに二人の息の戻りを待つ。ある程度落ち着くのにひどく時間は掛からなかったので、普段からある程度体を使ってきているのだとわかる。
「シーラがやったように私たちも改めて自己紹介するね」
進行役はイリスだ。隣のみのりはまだもう少し息を整える時間が必要で、大きく呼吸をしながら彼女に進行を任せていた。
「わかっているかもしれないけれど、私たちは別の世界からやって来たの。私はリテラト。みのりちゃんはヤシマからやって来た。星渡りならどこか覚えがあるのじゃない?」
あっという間にシラセは理解する。その世界、国の名を覚えていたからだ。
リテラト。ヤシマ。
二つとも渡ったことのある世界だった。特にリテラト。そこは星渡りになって初めて行った世界だ。
しかしその名前を覚えてはいるが、イリス、みのりのことはまったく覚えていない。置いてきた記憶の中に彼女たちも含まれているからだろう。
ただ感覚というのは面白いもので、二人を見たときに抱いたあの不思議さは、かつての記憶の残り香と言えた。脳だけではないどこかが二人のことを知っているのだと、シラセに教えてくれていたのだ。
「リテラト、ヤシマ。そっか、二人は俺が渡ったことのあるところからやって来たのか。それで俺は二人と仲間だったんだな」
反応はなかったが、瞳が肯定している。
けれどどうして二人はやって来たのか、そこに興味が移ったとたん、シラセには嫌な予感が沸き上がってしまう。
「まさかまた大変なことが起きた?」
わざわざ星渡りのいる世界にやって来るということは、何か重要なことがあるに違いない。そう考えられるから心配とともにじわりと冷や汗が出る。
けれどそれはあっさりと否定された。
「ううん、何もない。シーラがいなくなってからもリテラトはみんな頑張っているよ。魔物たちともちゃんと話し合っている」
「あたしのところも星人(ほしびと)の大きな襲撃はなくなったし、だいぶん落ち着いたなあ」
魔物、星人。その名称もぼんやりと覚えている。それぞれの世界で戦い、話をした相手だ。簡単に言えば敵だが、それで済ませてはいけないという気持ちがどこかある。記憶はなくとも経験はすべて彼に宿っている。
「じゃあなんで?」
ここで二人は同じく少しの間答えに詰まった。この間は一体何なのだろうかとシラセは気になるが、とりあえず答えを待ち続けた。交互に二人の目を眺めながら。
「……っ、遊びに来た。ただそれだけ!」
「……!? え、あ、あたしもそゆこと!」
イリスがそう答えると、みのりも舌を甘く噛みながら続いた。同じことを言った割には、みのりだけ一瞬眼鏡がややずれるくらい目を真ん丸に見開いていたが、シラセはそれに気づかなかった。
「遊びに来た? それだけ?」
ぽんとイリスが小さな手を叩く。
「落ち着いたから、星渡りの、シーラの住む世界をを見てみたくなったと、それだけの話! リテラトの神官として社会勉強! 魔法がなくて雷の力を使っていて、王様だけでなく民みんなも政(まつりごと)に混ざっているというのが気になっていたの!」
「神官、社会勉強」
シラセとしては、救いを求められているわけでもなければ、この現実で悪さをしようとするわけでもないと確認できただけで充分だった。午前中感じた魔法もどちらかが使ったのだろう。
そういうわけなので、ぽんぽんとイリスの肩を叩くみのりの意図するところはどうでも良かった。
「そっか、そういうことならようこそ。色々見ていってよ。でもここに来るのに結構な魔法だったんじゃない? 星渡りでもそう簡単に使えないやつだけど」
「まあ……みんなで頑張ってなんとか」
「俺のぼんやりとした記憶だと、リテラトは魔法がとても広く使われてたけど、ヤシマはそうじゃなかったような」
話を振られると、彼女は腕を組んでどや顔になる。
「そこはすごい科学の力よ。博士たちの。覚えてないだろうけど、ここより色々発展してるんだから」
「そう言われると確かヤシマてすごい未来感あった気がする。じゃあ二人以外にも?」
「ううん、あたしだけ。リテラトもイリスだけだって」
「そっか。せっかくだし色々案内するよ。俺もそっちの世界だと案内してもらっただろうからさ」
二人には複雑な気持ちもあるだろうが、シラセは改めて仲良くなりたかった。
「うん、ぜひ。面白いこといっぱいありそう。こんな不思議な材質の建物、石とも違うし、それに教会とか貴族の館みたいな立派で大きな建物もあちこちにあるし、どこも人だっていっぱい。すごいよここ。シーラ、嘘ついていたのかと思っていた」
「イリスのところはそんな感じだったんだ。あたしのところは大体似てるから、まあこんなもんかって感じ」
「みのりちゃんもすごいところに住んでたんだね」
「リテラトもすごい気になる! すっごいきれいな風景があって建物もおしゃれで! ヨーロッパて感じなんだろうなあー」
「本当? じゃあいつか来てよ。案内するから! だから私もみのりちゃんのところ行ってみたいな」
「うんぜひぜひ! 来て! おもてなしするから!」
一人置いてけぼりで話が盛り上がる。疎外感はない。過ごしてきた世界が違う二人が仲が良さそうにしゃべっているのを見ているだけでも心が落ち着く。星渡りをしてきたかいがあるというもの。それぞれの世界は良い方向に進んでいるのだろう。
ほいほいと別の世界に遊びに行って良いのかどうかとか、悪用しないようにとか、そういうのを気にするのは野暮だ。世界はいっぱいあって人もいっぱいいるのだと実感できれば、とてもおもしろいのだ。
「ただの観光で良かった。魔法を使われたときはすごく気になったけど。で、それで朝のやつは一体なんだったの?」
「え?」
二人は顔を見合わせた。
「朝って?」
「朝の授業中に使ったでしょ?」
「え?」
食い違いにお互いが気づいたとき、それは起こった。ノイズ交じりのひどく歪んだ響きが鳴り始めたのだ。眉間に強くしわを作り、地面が揺れていると感じてしまうほどの耳障りにイリスは頭を抱え、みのりは耳を塞ぐが、
「小さくなんない! 直接響いてきてるっ?」
耳が良く音に敏感なのだろう、イリスが特に苦しそうにしている。冷や汗を流し、全身を震わせている。うめき声も上がり始めた。
シラセだけ耳を塞がずあたりを見回す。先生、生徒たちが苦しみ混乱している様子はない。つまりこれはこの場の三人だけに届いていることがわかる。
音の出所がわからない。一つの低い音と一つの高い音が混ざっているのはわかるが、それだけだ。
「と、遠くと……近く……」
呻きながらイリスが小さくつぶやいた。魔法を使っているのだ。音に負けず声が聞こえる。
「高い方が遠くから、低い方が近くから……」
聞こえ方が少し変わった。二つの音が別の音に変わり始めていた。二つの音はさらに大きな音で、しかし歪みのない一つの音に飲み込まれつつあって、シラセはどこか聞き覚えのある音だとは思えたが、一体何の音なのか思い出せない。やがてその音が耳の中、頭の中をすべて覆ってしまったとき、意識がかすみ、視界もかすむ。
4
意識が薄れつつある中、シラセは見た。ぼやけてかすんだ視界の中で、イリスでもみのりでもない制服を着た誰かが、こちらに走って来る。襲い掛かって来るような、ブルネットの色。
4
そこで意識は途切れた。音は消えた。
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