②みんなが彼を見る理由

 何度か鐘が鳴って学校は昼休みになる。シラセは中庭のベンチに一人腰掛け、のんびり弁当を食べていた。この気にせずのんびりと母親の作ってくれた弁当を食べる時間がシラセは好きだ。そしてそのあとの昼寝も。


 ベンチは木陰に入っている。ぽかぽか暖かい気温に、弁当を食べつつ眠気がうとうとと。食べきる前に眠るわけにはいかない。左手で持っているフォークを何度かぽろりと落としそうになる。


 食べ終える。母親の弁当はいつもおいしい。時間の都合や手間の関係もあって冷凍食品も使っていているが、それの有無で愛情を比べてはいけない。気持ちや愛情は積み重ねだ。それはシラセ自身よくわかっている。母親と一緒に作る時間も好きだ。


 片づけてふう、とお昼寝タイム。時間があれば寝ておきたいのが彼だ。その前に詰襟を脱いで、ワイシャツ姿になる。クリップ式のサスペンダーでスラックスを吊っているのはこの学校で彼くらいのものだ。


 いくぶん楽になった。星渡りの装飾が施された煌びやかなコートと細身のズボン、マントのほうが重そうで動きづらそうに周りには見えているだろうが、実際詰襟よりも楽だ。


 わずかに左目も風に当てる。これもまた気持ち良い。


 さてようやくまぶたを閉じようかというとき、彼の前を見知った少女たちが通りがかった。


「あ、王司くん」


 クラスの学級委員の少女と、イリス、みのりだった。女子三人組。どうやら昼休みを利用して校内の案内をしている途中らしかった。彼女のことだ、担任に頼まれようがそうでなかろうが案内しただろう。


「や、校内の案内?」

「そう。うちの学校迷いやすいじゃない?」

「分けられてるとはいえ、中等部もあるもんね。俺もいまだに迷うし」

「ねー」


 そんなやりとりをイリスとみのりがじいっと眺めていることに気づく。


「どう、この学校わかりづらいっしょ?」

 イリスとみのりはそれぞれ、

「うん、こんなすごい学校、初めて」

「ほんと、すごいとこ通ってるね」


 彼女たちはこのときもシラセのことを気にし続けているようだった。ちらりちらりと外していることがあるから、なおさら気持ちがわかる。良い機会だと思った。ここでようやくシラセは自分のことをよりしっかりと紹介する。


 彼女たちの気持ちを動かすためではない。啓蒙するためでもない。ただ同じ空間で過ごしていくのだから、お互いにのんびりと気楽に過ごしていきたい、そんな気持ちだけ。


「ああ、改めて言おうと思ってたんだけど、やっぱ気になるよね。この体」


 自分の左目を指さしたあと、シャツの袖をまくって右腕の肘のあたりまで外に見えるようにする。


 眼帯と義手。


 左目は何も見ることができなくなっているし大きな傷跡も残っている。右手はもう爪も伸びなければ体温もない。


 義手はいつも長袖の服で隠しているので、彼を初めて見る人はだいたい眼帯で覆われた左目に驚いて、ついぎょっとしてしまう。そしてそれに彼が気づくと目を逸らすし、挨拶をしてもぎこちなく返される。


 二つとも星渡りの旅で失ったものだ。


 別の世界であったことは、現実でも同じだ。星渡りの間はどれだけ時間が経とうとも現実では夜のひと眠りの間だ。一晩明かして目覚めれば、現実は変わっている。両親も現実で起こった何かによって目と手をなくしたと認識するようになっている。


 星渡りは渡っていた世界から帰るときに、多くの記憶をそこに置く決まりがある。けれど本当のなくした理由ははっきりと覚えている。感覚、気持ち、すべて。


 けれどそれは自分だけのもの。ここではみんなの認識通りの説明が良いのだから、それにのっとって説明する。どのように認識が変わるかはシラセもわからないので、いつも帰ってくるとこれを探らないといけないのがちょっと大変だ。


「小っちゃい頃に事故にあっちゃってね、それでこうなっちゃった。慣れることはないかもしれないけど、色々お願いすることがあるかもしれないけど、改めてクラスメートとしてよろしく。あ、俺もできることがあったら言って。こう見えてみんなより動けるし」


 おおげさにはならないくらい、自分なりの笑顔で気持ちを表す。大きな眼帯の奥の傷跡の残るまぶたもそうしている。


 シラセが失ったものは大きい。比べて多くの人たちが一生でなくすことのないものを失っている。けれどみんな、周りからは見えづらく気づかれにくくとも何か失って生きてきていると、シラセは星渡りをしてきてそれを知っているから、みんなの中で一緒に生きていきたいと決めていた。


 イリスが左手を差し出してきた。それは握手。違わない。シラセの話の途中、彼女は顔をこわばらせることなく、柔らかい表情で迎えた。


「失礼なのは知っている。だけどこっちの方がいいでしょう?」


 彼女からワンテンポ遅れてみのりも出してきた。彼女は少し違って、顔をほんのりと赤くしていた。なんだかそのような反応をされるとシラセも少し気恥しくなってしまう。


「こちらも右手は感覚がないんで左手で失礼」


 冗談を入れ、順番にイリス、みのりと握手をした。確かな体温と、また不思議な感覚。二人が挨拶をした時とまったく同じ、シラセは握手が終わった手を眺めた。


「時間取ってごめん。案内続けて」


 クラスメートに連れられて、イリスとみのりはシラセから離れていく。昼寝を忘れているわけではない。ほっとした気持ちでまぶたを閉じる。


「今日終わったあと、ここで待ってるから」


 浮遊感と痺れ。弱いが、午前中と同じ魔法の気配。慌ててまぶたを開けると、誰もシラセに話しかけてはいない。


 けれどもうわかっている、この声はイリスだと。先ほど聞いたばかりだから間違えるはずがない。彼女は案内を受けるために離れていって、顔もこちらに向いていないが、声が聞こえてきている。


「話があるの。悪いことじゃないから、約束ね」


 この魔法、イリスだけではなさそうだった。彼女と一緒に行くみのりもこれを認識しているらしかった。彼女がちらりちらりとシラセの様子をうかがっていたからだ。


 唾を一つ飲み、シラセはこくりと二人へ向けて頷いた。それをみのりに教えてもらったのだろう、イリスはまた、

「ありがとう。質問はそのときにね」

 と語りかけてきて、やがて姿はこの中庭から消えた。


 昼寝どころではなくなった。大きく息を吐いて、大きく息を吸う。何度か繰り返して弾んだ拍動を落ち着かせていく。


 イリスとみのり。現実にはない魔法を使い、認識する二人。考えられるのは、現実でも使える人がいた、もしくは別の世界からやって来たということか。自分も世界を渡っているから、どこからかやって来たということの方が可能性は高く感じられた。


 どちらでも良い。とにかく話があるということだ。彼女たちを信じるなら、悪い内容ではないということだし、それを信じたい。ぼりぼりと頭をかいてなるようになるかと腹をくくる。


 ベンチに座りながら前かがみになり、あごを左手で支える。そうすると目の前に白を基調に胸と背中に灰色が混ざった小鳥が、尻尾をぴょこぴょこと動かし、細い足でてくてくと歩いてやってきた。


 広場とか駐車場でよく見るその鳥の名前を思い出す、ハクセキレイ。


 かわいらしい姿をシラセが見つめていると、ハクセキレイもじいっと彼のことを見て動かなくなった。しばらく続くと今度は軽やかに飛び、彼の右肩の上に乗った。顔と顔が近づいたそこでハクセキレイはまあるく黒い目でシラセのことを見つめ、そのあと器用に左肩へと歩いていく。


 野鳥の割にやたらと人懐っこい姿にどこかの飼い鳥ではないかとシラセが首を傾げたとき、ハクセキレイは羽を伸ばして彼の左目の、頬にも掛かる大きな眼帯を一撫でした。そんなことあるはずないかもしれないが、彼はそう思ったのだ。


 白く人懐っこい小鳥はちちっと鳴き、肩から飛び立ってしまった。


 幸せの青い鳥がいるならば、幸せの白い鳥がいてもおかしくはない。


 シラセは吉兆だと信じて、放課後に向けて気合をいれたのだった。

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