vs蛸壺(ボス)2
オワリが、本気の壁ドンを行ったのは、私が知る限り二回だけだった。
一回目は完成した証に、二回目は先程こいつらに、どちらとも腕へ多大なダメージを与え、あの超回復薬がなければ一回目同様長い長いリハビリが必要になるだろう。
それで、放てる壁ドンは壁一枚抜き止まりだった。
……本来壁ドンは三枚、机上の空論を合わせれば四枚、突き破るできる壁があるとされる。
その内容を知る私から見れば、あの縮れ毛を相手にするなら、最低三枚は超えなければならないだろう。
即ち、追い詰められたオワリは最後の切り札として未知の領域へドンしようとしているのだ。
これはさぞかし燃える展開だろう。
だが、現実は甘くない。
この先待ち受けているのは、散歩に見せかけた予防注射、期待への裏切りだ。
そう破滅への道を、それでも進むオワリは美しい。
その一歩を踏み出すべく、構える。
ほぼうつ伏せの姿勢、両足つま先と左手指先のみで全体重を支え、重心は前へ、踵よりふくらはぎ、太ももに尻に至る柔らか筋肉の曲線美、しかしそれは機能美からの美だ。
これまでに見せたことのない姿勢、右腕だけが先程と同じ、極端に肘を曲げ背面へ引き絞り、手首を外へ捻って小指をそのわき腹に軽く添えて構えを取る。
まるでネズミを見つけたロリ猫のように、全身を突進に向けた構え、そそらせるだけでなく、実用性も兼ねていると私は知っている。
それを知らない縮れ毛はまたも音を発しようと口を開いた。
……合図もなくオワリ、弾ける。
電光石火、残像さえも置き去りにする疾走、加えて熾りを見せない始まりに、縮れ毛は虚を突かれて反応が鈍る。
が、それだけだった。
間合いは確かに潰されるも、それでも触手の機動はオワリを上回り、反応後は悠々とその間合いを腕三本分、逃げて見せた。
打撃ならば絶対に届かない距離だ。
だが壁ドンならば届く距離だった。
シュボン!
名を否定する破裂音、打撃よりもやり投げか砲丸投げに近いフォーム、オワリが叩いたのは、空気だった。
……長年傍に付き添って来たからか、あるいは私が天才だからか、全て見えるはずもないのに、その全てが手に取るように分かった。
起点は踏み切った右のつま先、そこから加速の力を足首、膝、腰の骨に伝達し、そこに背骨を捻り加速を加え、余る左腕も退いて反作用を足し、肩、肘、手首の連続駆動で極限に到達する。
即ち、音速の壁、これが第二の壁だった。
……壁ドンの弱点、壁がなければドンができない。
ならば、壁が無いなら壁を作ればいいじゃない。
狂気が常識を踏みにじり、極限に到達した打撃は空気が逃れるより先、即ち音速を超えた。
逃げるより先に押し固められた空気が腕より垂直方向へ押し飛ばされ、ソニックブームとして飛散する。
壁なくてもいつでもどこでもドンして相手の服を引きちぎりいや~んエッチ―できるこの一撃は、成功なれど縮れ毛には届いていなかった。
理由は単純、位置の問題だ。
縮れ毛がいるのはオワリの正面、壁の向こう、だからドンによる衝撃はそちらには飛んでいない。
届くはずがないのは、しかし二枚まで、届くのは三枚目からだった。
そして三枚目を破るのは、五本の指だ。
音速超えて押し固められた空気の壁、そいつをつかみ取る。
無茶に無茶を重ねた最後の一手、残るは極地の真空、虚空だ。
ズオリ、縮れ毛の体がオワリに、引き寄せられる。
空気をつかみ取られ、虚空となった空間を埋めようと周囲の空気が吸い込まれる流れに、触手の踏ん張りが負けたのだ。
これが幻と言われた、壁ドンの中の三枚目突破だった。
だが、それだけだ。
本来これは、相手が本来の位置にいるときに本領を発揮するもの、顔のすぐ横で虚空を作ることで耳の穴から脳をちゅるちゅるして「ご主人様凄すぎですぅ」としか言えない肉人形に変えるための技だ。
その応用、オワリのオーバースペックならばあるいはとも思ったが、やはり現実は非常なようだ。
後は代償を払うだけだ。
パン!
思っていたよりも乾いた音が、オワリの右手から響いた。
代償、それは右手に圧縮された空気だ。
局所とはいえ虚空を作るほど空気を握れば、その圧力は凄まじい。
……過去、一度、成功した先人はその拳を弾けさせた。
これが壁ドンの限界、以降は手首より先を薬漬けにする『ホルマリン手』の時代と流れるのだった。
その最後の伝道者、人間最後の、いや人間の女の最後の右手が弾け飛ぶ。
リョナには興味のない人生だったが、食わず嫌いは良くないだろう。
ここまでの至高、走馬燈がごとく流れて、そして今、時が動き出す。
……だが、吹き飛んだのは縮れ毛男の体だった。
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