第9話   二階堂くんの作者

 今日は背景の練習に、丸一日使う。アシスタントさんたちにも、事前にそう伝えておいたから、今日はアパートに一人でこもって、ちゃぶ台にトレース台をのっけて、シャーペンと消しゴムで、ひたすらに描き写してゆく。


 トレース台に散乱する、消しゴムのカスを、羽箒はねぼうきでぱっぱっと払い落とした。練習用で買ったトレース紙なのだから、手で払ってもよいのだが、ついクセで、手の油が紙に付着しないように警戒してしまう。


 とてつもなく長い髪も、作業中は頭のてっぺんでかんざしを使ってお団子ヘアーに。壁一面を埋め尽くす大量の動物のぬいぐるみは、イラストレーター時代からの、ファンからの頂き物。彼女は自信を喪失しかけるたびに、この部屋にこもっては、また元気をチャージするのだ。


 ふと正面の壁を見上げ、これもファンからの頂き物である、お腹に時計の付いたクマちゃんで時刻を確認する。三時間ほど、集中していたことに気が付いた。お腹もすいたし、何か食べないとだけど、


「……うーん、でも、もう少し練習しようかな」


 迷いに迷い、結果カップラーメンにポットのお湯を注いで、三分と待たずにまた背景の練習をし始めて、十五分以上たったのびのびの麺をすする羽目になった。


 生ぬるい麺を口いっぱいにほうばる最中でも、彼女の目は、トレース台の周りに散乱する、遊園地の写真に釘付け。地元の小さな遊園地から撮影許可を取って、自分の資料用として撮影した写真や、それを拡大プリントした物だった。


 おなじみのテンション上がるジェットコースターに、ついつい回し過ぎてはしゃぐコーヒーカップ、ロマンチックなメリーゴーランド、いつもと違う景色が待つ観覧車……その中に混じる、枯れかけた花が放置された温室の写真、そして老朽化が進んで立ち入り禁止になったゴーカート乗り場の、寂しい色合い……。


『楽しげな雰囲気と、キャラたちの思い悩んでる心情を、だんだんとリンクさせて、寂しい感じに持って行って、それで最後は演劇のモチーフを、現代版シンデレラにしようと決まって、悩みが解決して、彼らは心から遊園地を楽しもうとするんです。最初は、アトラクションもぜんぜん目に入らないほど思い詰めてたアンリだったけど、二階堂くんとヒデくんのアドバイスで、三人ともが幸せに向かってゆくシンデレラみたいだなーって話がまとまり、周囲の楽しそうな雰囲気にも気がついて、アンリたちの顔が明るくなってゆく。よし、固まった! これでいきます!』


 彼女の提案に、料亭を予約して取ってくれていた担当さんたちも、大賛成してくれた。期待の新人マンガ家にして人気イラストレーター、この女性こそ「話がクソダサだけど絵がキレイで好き!」「ダサ可愛い!」という不名誉な好評価でじわじわ知名度を上げている『青春☆ミントキャンディ!』の作者、猫柳ハチべえ先生である。


「うーん……なんで、ダサイって言われるのかな」


 両腕のアームカバーをはずして、うーんと、背伸び。自分の腰への負担を軽減する角度をつけた背もたれの座椅子いすで、座ったままのけぞった。


 ピーンポーン、とドアチャイムが鳴った。


「先生、今いいでしょうか」


「あ、はーい」


 担当の山田くんだった。大声を出せば部屋からでも会話ができる薄い扉を開けて、


「不用心だな、鍵ぐらい掛けてくださいよー」


 と、ぶつくさ言いながら玄関から上がってきた。その険しい表情と、片手にした大きな茶封筒を見て、猫柳先生が眉をひそめる。


「どうか、したんですか?」


「どうもこうも、今日届いたネームについてなんですが……」


 山田くんは、部屋いっぱいに散乱している紙類で足の踏み場もない状態でいる先生と、練習に練習を重ねた遊園地のあらゆる構図の多さに、しばらく言葉が出てこなかった。


「あ、遊園地の背景の練習を、されていたんですね」


「はい。アンリたちが文化祭の出し物について、悩みながら成長する場所ですから、しっかりと描きたいんです。各キャラとの関係も、心情も、大きく変化するシーンですから、それに合わせたくて、こだわっています」


 散らかった部屋が今更に恥ずかしくなって、せめて山田くんが座れるようにと、紙を拾いだす。


 せっせと片付けてくれるお団子頭の女性の背中に、担当の山田くんは、気重そうにため息をついた。


「……その、背景はともかく、今回のネームなんですが……」


「あ、はい」


 担当が小脇にしていた茶封筒から、取り出したるは分厚い書類。全てネームだった。まだ背景はなく、コマ割りとキャラと、キャラが乗っているアトラクションだけが、大まかに描かれている。


「先生は筆が早いので、いち早くチェックができて助かります。次の、文化祭での出し物をする演劇部の話、我々がまだ話題にしていないのに、アイデアをまとめられたときは、とても驚きました」


「ありがとうございます。あ、お茶を淹れますね」


「ああ、大丈夫です、お構いなく。それでですね先生、ネームの段階で問題点を修正すれば、すんなりオッケーが入ると思うんですよ、今回も」


「え……あの、今回も何かダメだったんでしょうか」


 片付ける手を止めて、先生が不満そうに、顔を曇らせた。集めた紙を、しゅんと抱きしめる。


「前回、山田さんからいただいたアドバイスの通りに、してみたんですけど、まだ何かが足りませんか?」


「僕はですね、もっとアンリたちの日常に、楽しい感じの変化を入れてほしいとお願いしたんです」


「はい。ですから、アンリたちが演劇部の出し物のために、遊園地で語り合いながら交流を深めてゆく展開にしたんです。いろいろなアトラクションにも乗って、ヒロインが男の子たちと息抜きをしながら、自分のやりたいことを再確認してゆくという展開に……」


「僕はその話を料亭で聞いたとき、たしかに、ゴーサインを出しました。しかし、実際にうちに届いたネームは……」


 担当は座り、ネームの束を何枚かめくって、先生に見えるように、ネームの問題点を指差した。


「キャラクターたちが真剣に、話し合っているシーンが続くだけなんですよ? 観覧車の中で会話するのは、まだわかりますよ。でも、お化け屋敷に、ジェットコースターに、コーヒーカップで高速回転しながらでも、真顔で相談しあう三人が延々描かれているんです」


「ええ、普段はバラバラなことを考えてて、いまいち足並みが揃わない三人ですが、ここぞという時には、一致団結するのだというギャップを狙ってみました」


「団結し過ぎですよ。ジェットコースターと、コーヒーカップのシーンは、さすがにやりすぎです。しかも、ずっと真顔だなんて、遊園地に来た意味がないじゃないですか」


「そうですか? 青春を過ごせる時間は短いから、丁寧に過ごしてほしいという気持ちを、読者に伝わるように描いたのですが」


 本気で不安がる先生と、呆れ顔で内心イラついている担当。二人の話は、噛み合わない。


 ここまで噛み合わないと、背中に寒いものが這いずってくる。担当は今日もまた宇宙人とコミュニケーションを図るために、頭をひねる。


「先生、うちは月刊誌です。読者にとっては、まるまる二ヶ月、キャラがこうして話し合うシーンばかりが続くことになるんですよ。もうちょっと、こう、動きが欲しいといいますか」


「人は集中して考え事をしているときって、あんまり動かないような気がしますが」


 担当の目から光が、消えてきた。連載したての頃から、もうずっとこんなやり取りをしている。しかも変に頑固な先生は、なかなか直さないし譲らない。


 しかし、折れるわけにはいかない。今回のひどすぎるネームでは、絶対に通らないからだ。このままでは、先生も漫画もダメになってしまう。


「あの、僕、先生がイラストレーターだったときから、ファンでした。漫画を描いてみませんかと、声をおかけしたのも、僕です。先生が新人賞を受賞したときは、僕も嬉しくて泣きました。だから、漫画を描くたびに先生がネットで叩かれる、そのたびに、責任を感じずにはいられなかった」


「そんな。あなたのせいじゃ……ないと思います」


「いいえ、僕が未熟なあまりに、先生を育てることが、出来なかった」


「私の作品、そんなにひどいんですか?」


 ネットの評価を見るとへこむから、なるべく避けてきた。こと最近の世間からの評価は、担当というフィルターを通してしか、知らなかった。


「先生、今回の文化祭までのアンリたちの道のりを、できる限り笑顔で、歩ませてほしいんです」


「でも、悩むシーンが多めになりますし、根が真面目な三人ですから、ずっとニコニコは、難しいです」


「それでもです。どうか、綺麗にまとめてください。これが、最後になるかもしれないので……」


「最後? どういう、意味でしょうか……」


 先生が不安そうに、担当を見つめている。いつもそういう視線を向けられるのが、地味に彼のストレスだった。

 けれど、投げ出そうと思ったことは、一度もない。


(ああ、先生とのこんなやり取りも、もうすぐ、無くなっちゃうのかもな……)


 打たれ弱く、繊細な芸術家を気遣い、山田くんは尽力してきた。しかし、最終的に振り下ろされてしまった厳しい審判を、彼は今、口にしなければならない。


「じつは、先生の作品が、打ち切りリストに入っているんです」


「ええ!?」


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