第10話 打ち切り候補
自宅兼職場であるアパートの居間で、ちゃぶ台を間に挟んで向き合う、ミンキャンの作者と担当。
最後の章になるかもしれない、文化祭のネームの良し悪しを、真剣に話し合う。
「あの……」
先生が正座したまま、もじもじと身じろいだ。
「編集部のほうからは、私の作品は、なんて……」
「はい?」
「なんて、評価されてたんですか? 私、悲しくなるから世間の評価は、その、あまり見ていなくて……」
「本当に、お聞きになりたいんですか?」
膝に手を乗せて前のめりになる山田くんに、先生は唾を飲み込んで、うなずいた。
「先生の美麗なイラストには、ファンがとても多いです。だからこそ、これ以上先生に、黒歴史を作らせるわけにはいかない、というのが、編集部が下した決断です。まだ打ち切りが正式に決定したわけではありませんが、うちは一度決まりかけたら、そのまま通ることの多い会社なので」
「望みは、薄いと……わかりました」
新人賞受賞後、掲載された一話読み切り漫画が大好評で、それが連載につながった。
しかし、回を重ねるごとに浮彫になってきた、作者の感性の致命的なズレ。駄々すべり満載の無個性な青春ストーリーに、売り手側も、ファンすらも、困惑を隠せなかった。
ここ最近では彼女の熱心なファン層以外、ネットのまとめサイトで話の流れだけ把握して、単行本を購入するには至らない状況が続いていた。
人気も知名度も高いのに、これは初めての事態だった。
先生は、目頭が震えそうになるのを、必死で抑えて笑顔を作った。
「わかりました。アンリたちを、笑顔で……それと、二階堂くんとアンリを、両想いにするエピソードも盛り込みます」
「先生……僕も、なんとかならないか上のほうに掛け合ってみます」
「でも、望みは薄いんでしょ? 悔いの残らないように、私、やってみます。最終話で、必ず二人を幸せにします」
先生の最後の、意地であった。じつは、二階堂くんは当て馬ではなく、ちゃんと報われる展開が用意されていたのだ。
彼の空回り気味の想いが実るまでの、長い長い道のりを、読者とともに見守ってゆく、猫柳ハチべえ先生は、アンリたちの青春とともに歳を取る覚悟でいたのだった。
そして、その思いは、三年半ほど担当だった相棒の、山田くんにも届いている。
(先生ならやれます。話はきっと最高にダサイだろうけど、二階堂くんが幸せに泣く姿は、きっとファンの胸に残り続けます)
担当の山田くんは、先生の思いを受け止めた。打ち切りが決まってしまった時点で、山田くんが抵抗できる分野は、ほとんど無い。それこそ、運命がひっくり返るような幸運でも、舞い込まない限り。
それでも、ちゃんと主人公が幸せに終われるのなら。この先生をここまで引っ張ってきて、良かったと思えた。
山田くんが帰ってゆく。先生は彼の靴を履き替える音や、ドアを開閉して歩き去ってゆく気配を、じっとうつむいたまま、耳にしていた。
「アンリと、二階堂くんが、打ち切り……」
すぐには、心が受け止めきれなかった。ダサイ古いと言われても、この先もっとひどい感想が飛んできたとしても、ファンの声援のかぎりペンを握り続けるつもりだった。
ずっと夢だったから。好きだった先輩をモデルに、恋愛漫画を描くことが。
「はあ……どうしたら、いいの……」
本当にもう、手遅れなんだろうか。諦めなければいけないと頭では理解しているのに、大声をあげて涙を流す自分が、心の底から主張している。
でもショック過ぎて、涙どころか感情すら、顔に出なかった。ふらふらと安定しない視線が捉えたのは、本棚にぎっしり収まった、月刊誌。
青春ミントキャンディが掲載されている、ヤブヘビ出版社の月刊誌だった。
三年前の4月号の背表紙を指で掴んで、そっと引き出した。表紙絵を飾る、アンリの恥ずかしげな笑顔。春の花をふんだんに使った、ブーケみたいな花束を片手に抱きしめている。
『連載始まったね。おめでとう!』
大学の同窓会で、漫研仲間からシャンパンでお祝いされた。高校時代から憧れていた先輩も、来てくれた。
『ねえ聞いた? 先輩、双子の女の子のパパになったんだって』
『え……?』
失恋は、突然に。このときから猫柳先生は、ヒロインと結ばれる男子を、不良のヒデから二階堂くんに変更した。
二階堂くんは、好きだった先輩がモデルだから。
誰も知らない、先生だけの裏設定。突然の設定変更にも、応じてくれたのが、担当の山田くんだった。以来、先生は山田くんをとっても頼りにしている。
どんなに意見が、ぶつかろうとも。
「ん……? なに、この細長いの」
ぼんやりとページをめくってミンキャンを読んでいた先生は、背景に小さく、言われなければ気づけないほど小さく描かれた、ナゾの細長い物体を見つけて、指でなぞった。
太いペンで描いたものを、縮小してくっつけたような、画風的にも浮いた存在が、目立たないようにコマの
「なんだろう、これ……徹夜でペン入れしてたから、ヘンなもの描いちゃったのかも」
ますます落ち込んで、しょんぼりと本棚に戻したのだった。
「ハァ、今夜は眠れる気がしないなぁ……」
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