正義の居場所
黒い山高帽を脱ぐと、ブラックビーストは不敵に笑った。
深く刻まれた皺、印象的なかぎ鼻、長くて白い髪。
年齢は、八〇歳をはるかに超えているだろう。しかしながら、その猛禽類のような眼光の鋭さや、油断のない身のこなしは、衰えゆく老人のイメージからはほど遠かった。まるで抜き身の刃がむきだして歩いているようなものだ。屈強な若者と戦っても、難なく勝ちそうな凄みが彼にはあった。
後ろに、黒いパンツスーツに身を包んだ、鋭い目つきの小柄な女性を連れていた。ブラックビーストの年齢から考えると、孫なのだろうか。
「こいつは、黒猫はんや、ワシが指示をださんとなんもせんから安心しとき」
ブラックビーストは、孫娘を簡単に紹介すると、レジ袋に入った白い箱を無造作に真珠に渡した。
真珠が、正太郎の顔を見る。正太郎はうなずいた。
「ひぎりやき……」
ひぎりやきは、松山名物だ。俗にいう今川焼きなのだが、松山の日切地蔵近くで戦前から売っている店があって、地蔵の名前をとってひぎりやきと銘々している。松山のソウルフードのひとつではあるが、全国的知名度はイマイチで、松山人が買ってくるなら違和感はないが、よそ者のブラックビーストが買ってくるには、あまりに意外な手土産だった。
「心配せんでええ、今日は兄ちゃんの見舞いで来たんや。見舞いの品に毒なんぞ入れんから、安心して食べたらええ」
正太郎は、もう一度うなずく。
長い間、死闘を演じてきた二人だからこそ、相手のことがよくわかるのだろう。
「どや、兄ちゃん、神奈備のロボは強いやろ」
いきなり話しかけられた翔太郎は、すこし驚いた。
「そう警戒せんでええやろ、つい先日も、戦艦の砲撃から、兄ちゃんのロボ、助けてやったんはワシやで。あのとき連発で砲撃食ろとったら、マズかったやろ」
戦艦からの砲撃……金色のロケットと戦ったとき、バレルが受けた攻撃を思いだしている。あの砲撃が一発ですんだのは、この人のお陰だったのか。
確かに、三津港で護衛艦が火災を起こしたニュースを聞いていた。
「なぜ、助けてくれたんですか」
「兄ちゃん、あんたのロボを倒すんは、同じ神奈備のロボやない。ましてや自衛隊の戦艦でもない。このブラックビーストがこさえたブラックネロスⅡ世や、四半世紀前から、そう決まっとんのや」
「ブラックネロスⅡ世……」
翔太郎は、そのネーミングセンスに感動していた。やはり世界を舞台に戦うロボはそういう感じでいかないとイケナイ。
「今日来たんは宣戦布告や、近々、ワシの造ったブラックネロスⅡ世で、兄ちゃんのロボを破壊しちゃるから、覚悟しとき」
コートの袖を鳴らして、ブラックビーストが勢いよく翔太郎を指さす。
「ブラックビースト、お前の敵は私のはずだ。息子に恨みはないだろう」
正太郎が、ブラックネロスをにらみつける。
「確かに、兄ちゃんに恨みはないが、ロボにはあるがな。あのいまいましい神奈備のロボは、必ずワシの手で葬っちゃると、そう誓ったんや」
「恨みで行動しても、虚しいだけだ。あんたも、正義のために協力してくれ。私から、防衛省に話をつけてもいい。今後も神奈備のロボが攻撃してくるんだ」
正太郎の提案に、ブラックビーストが乾いた笑い声をあげる。
「正義やと……忌々しい言葉や。戦いのたんびにお前に聞きよったやろ。いったい正義ちゅうんは何や」
「大切な人を守ることだ」正太郎が間髪いれずに答える。
「なら、ワシも正義や」
「世界征服は、正義じゃない」
「なぜ正義じゃないと決めつける。そんなツマラン理屈でお前は、ワシの世界征服を阻止しよった。結果のでたことは、もうあれこれいわん。問題なんは、それでお前は平和な世の中をつくった言えるんか。大事な人を守ったいえるんか」
ブラックビーストの言葉に、正太郎が唇を噛んだ。
境木家は、かつて世界の平和を守ったスーパーヒーローの家庭だが、けっして裕福とはいえない。そればかりか、世界から貧困や飢餓、戦争やテロは消えていない。おまけに、正太郎が、ロボとの繋がりを放棄してまで連れ添った母は、もはやこの世にはいない。
父のなかには、忸怩たる思いがあるはずだった。
「仮に、ワシが世界征服していたら、全世界の核兵器は廃絶や、核にまわす金があったら、農業や経済、環境にまわす。もちろん地球の温暖化も止めとった。そしたら、ワシの世界征服で犠牲になった何倍もの人の命を救えとったかもしらん」
「強力なロボットを造ったくらいで、世界征服などできはしない」
「なんでもできんと決めつけるな。人生で、一番つまらんことがなにかわかるか。できへん言うて、最初からあきらめて、なにもせんことや。なにもせんことは、失敗よりつまらん」
ブラックビーストは、諭すようにいった。
「未来に十万人救える可能性があるからって、今目の前にいる一万人を殺していい理屈にはならない」
「お前が、抵抗せんかったら、死ぬ人もずいぶん少なかった。ちゃうか?」
ブラックビーストの言葉は、すべてが自分にとって都合のいい言葉だけをならべた詭弁のように思える。だが、少年の頃、夢みたような世界をつくることができなかった正太郎にも、負い目があるに違いなかった。
「大切な人を守るんが正義、正太郎、今お前はそう言うたな。では、大切じゃない人は守らんのか。たとえば、家族と他人、どっちかしか救えんとき、家族を救うんが正義なんか? それは、差別ちゃうんか」
大切な人を守りたい。その気持ちが差別だというのか。
「差別っちゅうんはそうゆうことや、戦って敵を倒すんは、正義かも知らん。しかし負かされた相手にとっては、それは悪や。大切な人と大切ではない人を区分する。そして大切な人のために正義の力を使う。そういう差別をもった正義は、その反対側に同じだけの正義をこしらえて戦いを呼び寄せることになるんや。正太郎、お前の言うとんのは正義やない。どうしても正義や言いたいんやったら、アメリカ製の正義、ジャスティスとでも言うたらええ」
翔太郎には、ブラックビーストの言っていることはわからなかった。ただ、違うと思った。正義というものが、もしこの世にあるとするならば、もっと大きく、もっと強いものだ。
「……バレルは太陽の使者です」
思わずいってしまった。
「どういう意味や、兄ちゃん」
「太陽と同じなんです。輝くことに代償を求めません。いや、太陽には自分がいいことをなしているという認識さえないんじゃないんでしょうか。だから、いい人も悪い人も、どのような身分の人も等分に、分け隔てなく照らす。太陽が輝くことにまったく恣意がない。それが太陽、そして太陽と同じことをなすのが太陽の使者です」
翔太郎は、憑かれたようにしゃべった。
「良き人も、悪しき人も等分に照らすやって、そんな神さんみたいなことが人間にできるんかいな。たとえば自分の家族を殺したもんも、同じように守るんかいな。たった一人の人間が、そこまでの公平性、強さをもち続けることなどできんのや、兄ちゃん」
「ブラックビーストさん。あなたはできないと言ってあきらめることが最もつまらないと言ったじゃないですか」
翔太郎の反論に、ブラックビーストが鼻白んだ。
「兄ちゃん。それ誰からの受け売りや」
「受け売り?」
「太陽の使者のクダリやがな。誰からそれを教えられたんや。わかっとんやで」
「いえ……誰からも、今。考えたことを言いました」
ブラックビーストは、翔太郎を品定めするかのようにまじまじとみた。
「……ふん、血は争えんちゅうこっちゃな」
どういう意味なのか、翔太郎に血の繋がった誰がブラックビーストに太陽の使者の話をしたというのか。
「前に誰か、僕と同じことを言った人がいたんですか」
「夜須美のガキやがな、兄ちゃんの母ちゃんやろ」
「あなた、母さんを知っているんですか?」
「夜須美は防衛省のエージェントやで、正太郎より、ワシとの腐れ縁の方が長いがな、今も行方不明なんやろ。クソあつかましいわ。どこでどうしとるか、わかったもんやない」
母は行方不明ではない、病気で亡くなったと父から聞いていた。
「母は亡くなりました」
「嘘や、そんなことありえへん、行方不明や。あんな始末に負えん女見たことなかったわ。アレがあっけなく死ぬわけない。仮に、死体があっってもワシは信じやへん。あいつは、そういう女やで」
「どういうこと。正義がどうのとか、そんなお経みたいな話どうでもいいわ。お父さん、母さんはホントに行方不明なの?」
真珠が会話に入ってくる。長年彼女は、料理、洗濯、家の切り盛りを一手に引き受けてきた。母さんがいなくて最も苦労したのだ。母さんが生きている話を心穏やかに聞いていられないのだろう。
「いや……その……」
「質問を変えるわ、母さんは本当に死んだの?」
正太郎は、短く息を吸ったっきり、返答しようとしない。
「返事がないということは、イエスではない。そういうことなのね」
さすが真珠だ。父親に対する質問の仕方を心得ている。正太郎は、真っ正面から質問されて、平然と嘘をつける人間ではない。
「母さんが、行方不明……」
とんでもない話だった。もしそうだとするなら、どこに行ってしまったというのか。
「なんや、いっぱしのドラマみたいになってきたやないか。おもろいのお」
人の家庭をかき回しておいて、満面の笑顔でブラックビーストが笑う。
「ブラックビーストさん。教えてください。母さんは、今どこにいるんですか」
「ギブアンドテイクや」
ブラックビーストが指を立てる。
「なにか欲しいもんがあるなら、そのために代償を払わにゃならん。それが世の中の道理っちゅうもんや」
「じゃあ、あなたと、戦います。それが代償です」
ブラックビーストの目が、ギロリと光った。
「あなたが、バレルと戦って勝つといくら言ってみても、僕が戦う気にならなかったら、戦えないでしょう。僕は、バレルの帰神をいつでも解いて消せるんです。教えていただけるなら、正々堂々、あなたのロボと戦うことを約束します」
「よういうた。約束やで。商談成立や」
ブラックビーストが親指を立てる。
「男に二言はありません」
「夜須美はな、磐座を起動させたんや」
正太郎が、いかめしい顔でブラックビーストをにらんでいる。
「母さんが、磐座を……じゃあケガレで……」
「兄ちゃんも知っとるとおり、磐座にはアタリハズレがあるんや。アタリつまり、ケガレが大きいほど、強い力をこの世に具現する。じゃが、強すぎると、バレルみたいに顕現するのに、三代もの時間がかかる。夜須美は、とびきりのアタリを引き当てたんや」
「まってくれ」
正太郎が、ブラックビーストの言葉をさえぎった。
「続きは父さんから話そう。神籬が武神博士を追跡して手に入れた磐座は、スクナビコナともう一つあった。ヒコナは簡単に起動したが、もう一つの磐座は特別なものらしく、誰が試みても起動しなかった。神籬は、多額の報酬を約束して、もと神籬のエースたる母さんに、起動を試みるよう依頼してきた。断ったが、おまえ達の命を脅かすという脅しに屈し、最後には磐座を起動し、それがもとで消えてしまった」
「消えた? 蒸発ってこと」
「文字通り消えたんだ。光に包まれ、目の前からいなくなってしまった」
「それってじゃあ……生きている可能性があるってことなの」
「可能性なら、なんでもある。本当に消滅した可能性。どこかに飛ばされた可能性。一時的に消えているだけの可能性。ただ今ここにある事実は、母さんは特別な磐座を起動させたために消え、もう十年以上も帰ってきていないということだ」
「俄然、戦う理由ができたんちゃうか。兄ちゃん。やけど母ちゃんを取り戻す戦いも、正義の戦いやあら……」
いきなりだった。
息をつく暇もなかった。重い音とともに扉から侵入してきたなにかが、まるで特急電車のような重さとスピードをもってブラックビーストに突っこんできたのだ。
真剣同士が衝突したような高い金属音が、病室に響く。
「ここは病院やで、いちびりすぎや、猿鳴はん」
ブラックビーストを確保しようとした猿鳴のタックルは、ブラックビーストの横に控えていた黒猫と呼ばれた小柄な女性によって、難なく止められていた。黒猫は、右腕から鉄の爪をだして、猿鳴の拳を押さえている。
猫を彷彿とさせる小さな丸顔の、可愛いらしい女性。だが彼女は、猫は猫でもヒョウやトラの類のようだ。長い犬歯をむいて、猿鳴を威嚇する。
「ほう、
よくみると、猿鳴の左拳は、光る金属でできていた。その拳で、鉄の爪を弾き返したらしい。今まで、ナイスミドルの紳士っぷりを見せてきたが、彼もまたゴリゴリの武闘派なのだ。
「ブラックキャット、ずらかるで」
その指示を受け、黒猫は、小柄な体ではとうてい考えられない動きをみせた。ブラックビーストをひょいと持ちあげると、そのまま、病室の窓を突き破り、空中へダイブしたのだ。
「ほな兄ちゃん、約束を忘れたらいかんでー」
その台詞と、ガラスが割れる音を残して、ブラックビーストは騒々しく退散していった。
「ここ、五階ですよ」
桜子先輩が、いいながら外を見たが、もはや完全にブラックビーストは消えていた。
「昔から、逃げ足だけは、世界一だったからな」
正太郎が、あきれたようにつぶやいた。
「ともかくも、翔太郎くんの目が覚めたのですね。なによりです。そんなときにする報告ではないのですが」
猿が、左腕をそっとズボンのポケットに入れる。
出会ったときから、違和感があった。なぜ、彼は左手を机上にださないのか、そのことがずっと気になっていた。あの金属の拳をずっと隠していたのだろう。
「なんですか。また怪ロボですか?」
「だったらいいのですが」
敵が現れたら、こっちは、命懸けで戦わなければならないのだ。だったらいいとはなんという言いぐさだろうか。
「咲也くんが、行方不明になりました」
那美が、フンと鼻を鳴らした。
それはそれで、深刻な事態だった。そんなふうに鼻で笑う話ではない。
咲也のロボは貴重な戦力で、いなくなられたらたいへん困る。翔太郎はそういおうと思ったが、那美からいい答えは返ってきそうもないので、やめておいた。
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