男子高校生が地獄に転生する件

 七月とはいえ、もはや夏の太陽が中天にさしかかっている。

 翔太郎は、額を流れる汗をぬぐった。

「話を整理しましょう。一七号をあの穴に放りこめば、穴がふさがる。しかしながら、一七号の禰冝となった女性が、穴に引きこまれてしまう。翔太郎くんは、その結末は納得できない。こういうことですね」

 紺色のスーツに身を包んだ猿鳴は、涼しい顔で状況を分析した。どんなに暑くてもナイスミドルを崩さない筋金入りの紳士っぷりだ。

「そういうことです」翔太郎はいつになく強く返事した。

 自分に告白してくれたとか、人生で初めておつきあいできるとか、そういう浮ついた話は抜きにしても、同じ学校の先輩を地獄に投げこむなんて、ゾッとしない話だ。平穏無事を願う人間のやることではない。世界は救われるかも知れないが、一生良心の呵責に攻め苛まれることになるだろう。

 翔太郎は、ヒーローなんかではない。偏差値五〇、準風満帆ではなく、平穏無事を願う凡庸がウリの高校生なのだ。

「ならば、方法は一つしかない。鎮魂帰神で一七号と女子高生の繋がりを解き、その後、穴に放り投げればいい。そういうことになりはしませんか」

 猿鳴が秘鎖美を振りかえった。

「鎮魂帰神は、真言宗の最高秘術の一つです。場所を整えないと……そんな、十分やそこらでほいほいできるものじゃありません」

 秘鎖美が厳しい顔で答える。

「それでも、一人の少女の命が懸かっている。違いますか。我が部隊も協力を惜しみません。やれるだけのことはやってみましょう」

 いつの間にやら、例の黒ずくめの自衛官たちが、戻ってきていた。自分たちの仕事が終了したらしく、隊員は、運動場に一人、また一人と帰還している。

 うだるような暑さのなか、全員黒ずくめの防護服やゴーグルを身にまとい、暑そうにするそぶりはまったくない。まったく人間味を感じない鉄人っぷりだ。

「成功、失敗はともかく、他に選択肢はないということでしょうね。急ぎましょう」

 秘鎖美は、懐から数珠を取りだした。

「奇妙だわ」

 隊員たちと共に、桜子先輩のもとに走っていく秘鎖美を見送りながら、那美がぼそりとつぶやく。

「なにが?」

「秘鎖美さん。神道の力を使っているって言ってたでしょ」

「ああ、言ってた」

「今、真言宗って言わなかった。しかも数珠をだした。あの人、仏教徒なの?」

「それがなにか?」

「翔太郎、神と仏はまったく違うのよ、神道は天照大神を中心とする日本古来の信仰、仏教はお釈迦様がひらいた世界三大宗教、なぜ、仏教徒が神道の力を使うのか。奇妙だわ……まだなにか、私たちに隠しているのよ」

 昔から、なにかしらお願いするときには、カミサマホトケサマと念じてきた翔太郎にしてみれば、神でも仏でも、さして変わりはない。そんなのどうでもいいと思うのだが、那美にとってはそうではないようだ。

「翔太郎くん、一七号が動けないように拘束しておいてください。そして、鎮魂帰神終了とともに、穴に放りこむんです」

「わかりました。バレル、一七号を捕まえるんだ」

 胴体に大穴を空けて倒れている一七号を捕まえることなど、造作もないと思えた。バレルが、一七号に手をかけ、持ちあげようとしたまさにその時、一七号が腕を動かした。

 バレルの手を握り返してくる。

 まずい、そう思ったときには、一七号はその巨躯からは想像もできない速度で起きあがり、バレルと組みあった。そのまま、二体のロボは、まるでプロレスラーの力比べのように、両手を握りあって力比べをはじめる。

「馬鹿な、禰宜が意識を失っているのに」

「暴走ですね。だが、やっかいな力場は消滅しているようだ」

 猿鳴のいうとおり、確かに見えない防御壁は作動していない。だが、ただそれだけだ。相変わらず力は恐ろしく強い。押しても小揺るぎさえしない。

「負けるな、バレル」

 一七号の体には、列車が楽々通過できそうな風穴が空いている。

 この状態で、腕のへこみを除いて、ほとんど無傷のバレルと力比べを演じられるのは、やはり神奈備のロボは神の依代であって、なかにメカが搭載されたロボットではないということなのだろう。

 二体のロボの腕の軋みに呼応するかのように、ひときわ大きないいななきとともに、黒い洞穴がさらに広がった。それとともに、なかから、黒くて大きなボロをまとった何かが、奇声を発しながら飛んできた。

 どう見ても、根の国で穏やかに暮らしている人には見えない。

 黒い穴のような目と口をもったなにかは、そのまま飛び去ろうとする。

「早く、勝負を決めなさいな」

 咲也の声とともに、想像上の死神にも似たその黒いカタマリは、白銀の槍に貫かれて塵になる。ヒコナの攻撃だ。咲也も、さすがに今回の一件には罪悪感があるらしく、全面的に協力してくれるようだ。

 今のが魍魎なのだろうか。この穴を開けっ放しにしておくと、こういうのがどんどん出てくるとしたら、これほど始末に負えない事態はない。

 ヒコナが対応できている間に、勝負を決めないと大変なことになる。

「マズイですの」姫の声が震えている。

「具体的にいってください。なにがどうマズイんですか?」

「天手力男神と力勝負で、勝てるわけがないですの」

「で、負けるとどうなります」

「あなたのロボは、根の国に堕とされますの」

「でもやってみないと」

「無理ですの、力の神に力で勝つことだけは、絶対に無理ですの」

 そうだ。今までバレルが風の神のスピードに対応したり、超重力攻撃を受け止めたり、チート能力で活躍してくれたので過信していた。確かに、力の神に力で勝負を挑むのは、いかにも無謀な気がしてきた。

「じゃ、これって……ヤバくないですか」

 姫は、一七号を根の国への洞穴に放りこむと、桜子先輩も引きづりこまれるといっていた。ならば、その逆もありだろう。バレルが穴に放りこまれれば、翔太郎が根の国に引きづりこまれてしまう。

 バレルは、一七号との力比べに屈して、穴の方にじりじりと押されていく。

「バレル頑張れ!」

 その声はむなしく空に消えた。

「翔太郎!」

 那美が叫んだときには、時、すでに遅しだった。

 必死に堪えていたバレルではあったが、ついに穴に押しこまれようとしている。

「抵抗しろ、バレル!」

 自分より力の強い相手が、力づくで穴に放りこもうとしているのだ。抵抗する術はなかった。翔太郎の叫びも空しく、バレルは黒い穴に、ゆっくりと落ちていく。

 その場にいる全員がおし黙った。

「ええと、あの……なんて言ったらいいか」

 今から、地獄に落ちることが確定した場合に、なんと言ったらいいのか。翔太郎には言葉の用意がなかった。今までお世話になりましたっていうのも、他人行儀だし、地獄に落ちてもよろしくっていうのも、おかしな気がした。

 根の国には、郵便もネット環境も整ってはいないだろう。いや百歩譲って整っていたとしても、地上のスマホでは受信できないに違いない。

「一七号の、鎮魂帰神が終了したようです」

 猿鳴が報告してくれたが、時すでに遅しとはこのことだった。

 もう、一七号を穴に突き落とす手段はない。というか、翔太郎もこれで一巻の終わりである。

 考えてみれば、これといって良いこともないパッとしない人生であった。

 ほんの数日前から、バレルを操るようになり、自分も他人のためになにかできるのではないかと思えるようになった。ケガレのせいとはいえ、桜子先輩に告白してもらえて、人生初のモテ期がきたのかと喜んだ。このままいけば、冴えないながらも、ヒーローの端くれのようなことができるかも知れないと心の隅で考えた。

 その途端、地獄に引きずりこまれる事が決定した。

 なんとツイていない人生だろうか。

「姫、翔太郎が引きづりこまれちゃうわ。なんとかして」

 那美の懇願に、姫はゆっくりと首を左右に振った。

「あの……那美、今更なんだけど、最後かも知れないから言っておくよ」

「最後とか言わないで、あきらめたら、そこで試合終了よ」

 那美は泣きながら、翔太郎の手を強く握って引っ張った。

 彼女が引っ張った力くらいでは、おそらく、地獄の力には勝てはしないだろう。

 翔太郎は、観念して目をつむった。

「常世に帰ってこいと、ロボにそう命令すればいいんですの」

 姫が突然、とんでもないことを言いだした。

「でも、さっき、落とされたら神は天上に帰るしかないって」

「それは、神によるでしょう。バレルの神が、どんな神なのか、天上に帰りたがっている神なのかどうか。そんなの、わからないですの。なんでも言ってみればいいですの」

 姫の主張にも一理あった。

 というか、今はすがれるモノなら、藁でもなんでもすがる思いだった。

「バレル、そこから常世に帰ってこい。穴に、一七号を突き落とすんだ」

 一呼吸待った。翔太郎の指令に、なんの反応もない。

 残念だが、最後の敗者復活戦も敗退のようだ。

 地獄に堕ちたとしても、おそらく、自分には地獄で生き延びる才覚はない。あんな死神とか、鬼が次々に襲ってくる世界では、おそらく瞬殺されるだろう。だから、スピンオフ小説「フツーの男子高校生が地獄に転生した件」の主人公を演じることは数秒くらいしかできそうもなかった。

 やがて、洞穴からさっきより、大きな呻き声が轟く。

 穴から巨大な影が飛びだしてくる。ヒコナが油断なく槍を突く。あんな禍々しいヤツにいずれは自分もとって食われるのだ。絶望のあまり目の間が真っ暗になりそうな気がしていた翔太郎は、ありえないモノを見ていた。

 魍魎に放った銀の槍は、強い力でつかみ取られた。それは、魍魎ではなく、バレルだった。

「バレル!」

 あろうことか、根の国に投げ落とされたバレルは、再び常世に帰ってきた。

「本当に、なにを帰神させているんだか……ですの」

 姫が笑いながらそういった。

 おそらく、姫はバレルに帰神している神を知っているにちがいなかった。

 肉食獣の声が響く。今一度、バレルと一七号が再び組みあう。

 力の神と、何度力比べをしても、結果はみえていた。だが、何度負けてもあちらから戻ってこれるなら話は別だ。しかし、今度の結果はまるで逆になった。

 バレルが逆に一七号を持ち上あげたのだ。

 信じられない。

 なぜ、力の神に力負けしなくなったのか。根の国に堕ちてパワーアップしたのか。

「幽世のケガレですの。体についたケガレを力に変えているんですの」

 バレルが、百獣のいななきをあげる。

 一七号の腕が、あらぬ方向へ曲がり、そのまま力を失った。

 力を失った力の神に、抵抗する能力は、もうなにも残されていない。一七号は膝を屈し、そのままの姿で、沈みこむように洞穴のなかに消えていった。

 鯨の鳴き声のような一七号の声が、周囲に響く。

 姫のいったとおり、一七号の落下とともに、徐々に穴が塞がりはじめた。天之手力男神は、穴に突き落とされて、帰ってくる力はなかったようだ。

 翔太郎は、長いため息をついた。

「状況終了。各自、被害状況を報告してください」

 猿鳴の声に、例の黒づくめ隊の隊長らしき男が敬礼する。

「えひめ飲料のビルは無事です。一般家屋の被害は調査中。ただ、四国八八箇所霊場五二番札所、太山寺。五三番札所、円明寺。破壊されました」

「また、八八箇所のお寺に被害がでたの?」

 那美が鋭く問い返す。

「敵は、神道の力を使っているから、仏教を攻撃しているのかも」

 そう言ってはみたものの、神道の力を使っているから、仏教を攻撃するなんて、なんとも奇妙な話だ。そんなカンジで一方的に仏を攻撃していると、大仏ロボが現れて対抗してきそうだ。

「秘鎖美さん。説明していただけますか?」

 那美の言葉には強い決意があった。

「なにを説明しろというの?」

「あなた、神道の力を使うとかどうとか言っていたけど、仏教徒じゃないの?」

「突然、なにを……」

「さっき、鎮魂帰神が、真言宗の最高秘術だって言っていたでしょう? 真言宗は神道じゃないわ。仏教でしょう? それになにより、鎮魂帰神法で数珠を使った。今ぐぐってみたけど、数珠は仏教の法具で、神道とはなんの関係もない」

 いいながら、スマホの画面を見せる。

「翔太郎くんも無事だったんだ。この際、神でも仏でもどっちでもいい……」

「敵が八八箇所をすでに三箇所破壊していることと、秘鎖美さんが真言宗教徒であることが偶然だとは思えない。秘鎖美さん、いえ、あなたたちまだなにか隠しているでしょう? 翔太郎は死ぬところだったのよ、ちゃんと説明すべきよ」

 那美が猿鳴の言葉をさえぎる。

「あなた鋭いわね」

 秘鎖美が肩をすくめて、猿鳴を見る。猿鳴は静かにうなずいた。

「空海大僧正と言うより、四国では弘法大師様って言った方がいいのかな。弘法大師様は、今のような事態を千年以上前に予見され、四国を護る力となるように様々な対策をうっていたの」

「どうして大昔に生きてた弘法大師が、神道の力と関係があるの? しかも二一世紀に起きる巨大ロボットの戦いを予言していたっていうの?」

「両部神道。私たちの間では、そう呼ばれている。真言宗は、神道を仏法で解釈し、積極的にその力をとりこんだ。このことは、神道を信じていた者を仏教徒として取りこむためとされていたんだけど、本当は、弘法大師様は、神道について誰よりも深い造詣があったの。両部神道は明治時代の廃仏毀釈や神仏分離の流れて廃れていくけれど、弘法大師様の指示により、高野山内部で守られてきた」

「それで、空海はなにを予見したの」

「七七四年に讃岐国(香川県)で生まれた弘法大師様は、密教八祖の一人、不空の生まれ変わりとも言われる神童でした。都にのぼり大学で学んだけれど、やがて密教に傾倒するようになる。そして非公認の僧侶である私度僧として、四国の山中で捨て身の修行を行うようになったの。簡単に言うと、出世コースをかなぐり捨て、辺境の地でストイックな修行の日々に明け暮れるようになってしまった」

「でも、最終的には、けっこう出世しているじゃない」

「修行をしていたとき、弘法大師様は高知県の室戸岬で、口のなかに明星が飛びこむという神秘体験をして悟りを開いたと言われています。そして再び京に上り七年後、遣唐使に同行し、ついには高野山で真言宗の開祖となる」

「口のなかに明星が飛びこんで悟りを開くねえ」

「本当に明星が口に飛びこんだかどうか、証明する手段はない。それに、いくら弘法大師様が優れていたとはいえ、一介の私度僧になった者が、再び出世コースに復帰し、エリートになれたことにすこし謎がある」

「真言宗の人が、弘法大師に疑問を呈していいの?」

「じつはね、弘法大師様は、密教の修行中に、四国でとんでもないものを見つけてしまったのよ。それを我々は求聞持

ぐもんじ

と呼んでいる。求聞持を発見し、その秘密を知った弘法大師は、その力と恐ろしさを都に報告した。その功によって、遣唐使に同行し修行を積んだと言われているわ」

「求聞持ってなによ? ありがたいお経かなにか? 三蔵法師が取りにいったような」

「そんな平和的なものじゃない。巨大ロボットを動かすもとになるものと言われているわ。バレルを動かしているものを、言霊と呼んでいるけれど、実は言霊は求聞持のエネルギーを導きだす方法のひとつに過ぎない。言霊であれ、教典であれ、この世界にはないエネルギーとの通路をつくり、それと交信するための手法に過ぎないのよ。求聞持は人間が使用すべきものじゃない。それが弘法大師様の教えなの」

「敵の目的は、その求聞持だということなの」

「そうね、だから弘法大師様が遺したお寺を破壊しているのでしょう」

「お寺を破壊したら、なにかいいことがあるの?」

「間違いなく、八八箇所と求聞持には密接な関係があります。それ以上はわからないわ」

「それで、あなたは、その求聞持を利用する手法――バレルをどうしたいの?」

「平和のために、そのすべてをこの世からなくしたい」

「じゃあ、バレルもすぐに消滅させてよ」

「そうはいかないわ。この世には同じものが十個あり、今のところそれを倒す力になるのはバレルとヒコナだけ」

「バレルに残り八体……いえ、あと六体のロボットを破壊させた後、バレルも破壊する。それがあなたがたの目的、そういうわけね」

「あなたとの利害は一致している。そう思っているんだけど」

「猿鳴さん……防衛庁はどう考えているのよ。ロボを壊されていいの」

「バレルや一七号はひとつの現象に過ぎない。我々が欲しいのは、その理論です。たとえば、コンピューターを造る技術され手に入れれば、一台一台のコンピューターを集めることにそれほど意味はない。我々は、情報を集めることによって、最終的には、翔太郎くんのロボの量産を考えているのです。どんな強力な兵器でも十個しかできないなら、意味などない。ましてや、自分たち制御できない今のような力は、核兵器より性質が悪い。扱えないものは消してしまえばいい」

 猿鳴がゆっくりと説明した。私見や感情の入っていない猿鳴の言葉には、強い説得力があった。

「わかったわ、バレルを破壊する。それはいい。でも翔太郎に残り八体のロボを破壊させるってのが気に入らないのよ。その間に翔太郎になにかあっても、あんた、お経あげるくらいしかやってくんないでしょう?」

「うまいこと言うわね」

 秘鎖美が笑った。この女性はこんなに冷たく笑えるのか。

「最低だわ」

 難しい話だった。

 翔太郎には、その話にどういう意味があるのか、よくわからなかった。

 ただひどく疲れた。そう思っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る