魍魎の洞穴
姫は、翔太郎に向かってニッコリ笑う。
なんと愛らしい笑顔だろう。翔太郎の妹真珠は、中学校でこそ、そのボーイッシュな魅力で男子たちに人気を博しているが、兄に対しては生活面をはじめ、特に経済面で厳しく、こういう無条件な愛らしさにはほど遠かった。
「生弓矢は神代の武器、本来は人が使うべきものではないですの。使い方には十分気をつけて欲しいですの」
「あの、なにに気をつければいいか、具体的に教えてください」
電化製品を、気をつけて使えと言われたのに、ロクに説明書も読まずに、直感のまま使ってしまって、取り返しのつかないことになったことが翔太郎には何度かあった。
だいたい、「気をつけて使え」なんて、まったく忠告になっていないのだ。
「簡単ですの」姫が指をたてる。
「超強力だから、そうねえ、天手力男神の帰神を解くなら、一分の引きで十分ですの」
「一分の引き……それって一〇パーセントのことですよね」
「姫は、日本の古式ゆかしい神ですの、だから、ぱーせんととか嫌いですの。でもあえて言うなら、そうですの」
一〇パーセント。弓を引き絞らなくても、そのくらいちょいと引いて撃ったら、一七号を倒せるなんて、とんでもない武器だ。
「わかったですの? ところで、弓の引き方知っていますの?」
弓の引き方なら、ロリっ子に聞かなくても一年生ですでに弓道部のエースとささやかれる那美がいた。
「大丈夫です」
「ああ、忘れてたですの。スクナビコナに弓を使わせるんですの」
姫は、あまりに意外なことを言い放った。
「ええ、バレルじゃダメなんですか?」
「覚えておくといいですの。あなたのロボが生弓矢を使うなんてことがおきたら、たとえ一分の力でも、今の人類は終わりですの。わかったですの?」
この世の終わりなんてことを、姫はまったく平気な顔をしていった。まるで、今の人類が終われば、次の人類を造るといっているように聞こえる。こんな愛くるしい顔で、そんな恐ろしいことを平然といってのけるということは、やはり彼女は人間ではないのだろう。
「わかりました」
「翔太郎くん、作戦タイムは終了よ。そろそろ決着をつけましょう」
背後に、一七号が迫っていた。
どうやら桜子先輩は、こちらの作戦タイムの間、待っていてくれたらしい。これが本当の戦争なら、ロリっ子と話をしている間に重力に押しつぶされていたことだろう。
「バレルが守ります。咲也さん、生弓矢を使ってください」
「いいけれど、そんな弓矢どこにあるってのよ」
咲也は、肩で息をしながら答えた。先ほどの攻撃で大ダメージを受け、猿鳴に帰神を解くように言われたのに、まだロボを操作し続けていた。
とんだ強情っぱり娘なのだ。
「マトモな弓のつがえかたも知らないくせに、態度が大きいわね」
那美も、イヤミを忘れていない。
姫が小さな指で、ツボミのような印を結んだ。
同時に、姫の身体が輝きはじめる。
秘鎖美が、本物の神様だといっただけなので、翔太郎は、姫が本当に神様かどうか半信半疑だったが、こんな超常能力をみせられては、やはり信じるより他はなかった。
やがて、姫は光の玉になって、スクナヒコナの手元まで飛ぶ。
玉は光を増し、やがて巨大ロボットが使用できるサイズの大きな弓になった。
これが生弓矢、大国主命が八〇神を退けた神代の武器。
一七号が腕をクロスさせると、前方に今までのサイズとは桁違いの巨大な黒い球が形成される。もし、球の大きさが威力に比例するなら、この攻撃を受けたら、とてもまともにはすまない。
二体のロボットもろとも、お好み焼きのようにぺしゃんこにされてしまうだろう。
黒い球は、どんどん大きくなる。
これでは、弓矢を撃つ撃たないの問題ではない。
この圧倒的な攻撃を、バレルで凌ぎきって、ヒコナに生弓矢を射させなければならない。今のところ、咲也のヒコナと違って、バレルのダメージはまったく、翔太郎に跳ね返ってきていないが、どんなにダメージを受けても大丈夫なのだろうか。
「秘鎖美さん。バレルがもし潰れたら、ダメージは僕に跳ね返ってくるんでしょうか」
「ヒコナもバレルも、同じ神奈備のロボであることに変わりはないわ。バレルのダメージがあなたにこないのは、バレルが止めてくれているから。でもバレルが壊れたら……わからない」
なるほど、要するにバレルにはダメージを貯めておけるタンクのようなものがあって、今までは、そのタンクがあふれていないから、翔太郎は無事なのだ。もし、タンクが壊れたら、いままで蓄積されたダメージもすべて受けることになるということか。
まるで、スギの花粉アレルギーだなと思った。
今までの戦いの感覚からすると、今回の巨大な黒い球のダメージをそのタンクで受けきることは、まずもって無理だと思えた。
その時には、今までのダメージが全部、翔太郎にふりかかることになる。
ダメージが、毎回毎回リセットされるならまだいいが、前回の戦いや、それ以前の父の戦いのぶんのダメージまでツケを回されたら、それこそ、翔太郎自身もお好み焼きになってしまうかも知れない。
ついに、ロボの大きさまで膨れあがった黒球が、一七号から放たれる。
「バレル、こっちも重力で反撃だ。相手の攻撃を止めるんだ」
勝算があって、そう命令したわけではない。
ただ、なんとなく敵の必殺ビームを、主人公ロボが同じくらいのビームで押し返すという、よくあるアニメのシーンが思い浮かんでそういっただけだ。
命令とともに、バレルは、右腕をドリルから拳に戻して、左拳に打ちつけた。拳と拳がぶつかり合い、火花をあげる。ガンガンと打ちつける度に、右拳が徐々に、大きく黒く膨れあがる。そして、最後に拳は、自分の体ほどに膨れあがった。
それをそのまま、黒球に叩きつける。
衝突によって発生した衝撃波が突風となり、運動場に砂嵐を発生させた。
「!」
翔太郎は、前方からぶつかってきたあまりの圧力に声にならない声をあげる。
「拳に重力をまとわせているのね。グラビティ・ハンマーパンチと言ったところかしら」
秘鎖美が、バレルの技にすかさず名前をつけてくれた。名前のセンスは微妙だが、今はツッコみを入れている場合ではない。
「咲也さん。弓をお願いします」
技の名前のセンスはともかくとして、バレルの攻撃と一七号の攻撃はなんとか拮抗し、そこに踏みとどまっていた。このチャンスを無駄にすべきではない。
「わかっているわよ! 言われなくても」
さっき、翔太郎はバレルに、相手の攻撃を止めろと命令し、バレルは命令どおり、相手と同等レベルの攻撃により、攻撃を止めた。もし、相手を倒せと命令していたら、どうなったのだろう。
翔太郎は、ふとそんな事を思いながら磐座を見ていたが、次に顔をあげたとき、口から内臓が出そうなほど驚いた。
咲也が、弓を引き絞っているのだ。
「ダメです、咲也さん、弓の引きは一〇パーセントで……」
「うるさいわ。大は小を兼ねるって言うじゃない」
翔太郎は、しまったと思っていた。咲也には、ヒコナで今まで活躍できずにいたフラストレーションが溜まっていたに違いない。ここで強力な兵器を手に入れたのは、まさに千載一遇のチャンスなのだ。
今まで溜まっていたストレスを、ここで一気に発散するつもりに違いなかった。
「筋金入りの大馬鹿ね。あなた、人からの忠告は聞きたことがないの? あきれた」
那美が冷たく笑う。
「なんですって! あんた……」
「大人からもらった玩具をすぐ壊す子供と一緒だって、そう言っているの。まあ、あなたにつける薬はなさそうだから、それで射てみればいいんじゃない」
那美は冷笑とともに、咲也に水をぶっかけるような言葉を投げつけた。後になって考えてみれば、この時の那美の皮肉は超スーパーファインプレイだったというしかない。
咲也はギラつく目で那美をにらみながらも、弓の絞りをもどす。
「ホントにこんなんでいいの? 効果なかったら許さないわよ!」
生弓矢から、光の弓矢が放たれる。
勝負は一瞬で決まった。
本来、どんなに強力な光が空間を進もうが、けっして音はしないものだ。SFアクション映画でレーザー光線に音がつけられているのは、あくまで演出なのだ。
それにもかかわらず、生弓矢から放たれた光は、空間をつらぬきながら、高い金属性の音をたてて飛翔し、一瞬のうちに一七号を貫いた。
今まで、重力フィールドだ、全てをねじ曲げる鉄壁の防御だといっていたのが嘘みたいにあっけない幕切れだった。
一七号は、胴体に風穴を開けたまま。百メートル以上ぶっ飛ぶと、そのまま動かなくなった。
「桜子先輩っ!」
桜子先輩は、運動場からほど近い瓦礫の上に投げ出され、動かなくなっていた。出血しているように見える。この状況で、無事であるとは思えなかった。一刻も早く助けないと、命にかかわる。
同時に、声がした。
低く重い、地の底から響いてくるような呻き声が、耳を通り越して、頭のなかに直接響いてくるような気がした。
何かが、起きている。
音の方向を見た翔太郎は、自分たちが致命的なミスを犯したことを痛感していた。
咲也は確かに、百パーセントの力で射なかった。だが、一〇パーセントかと問われればそうではない。むくれて、雑に弦を戻して矢を放ったから力の加減をしたと勝手に思っていたが二〇パーセントくらいは使ったかも知れない。二〇パーセントは弱そうだが、一〇パーセントの倍なのだ。
光の矢は一七号を貫いて吹き飛ばし、背後のビルに突き刺さった。
そして、そのビルには、黒い洞穴が開いていた。
ビルの厚さよりもはるかに深い、くらい暗い洞穴が、そこに穿たれ、洞穴の奥から、重苦しい呻き声が聞こえてくるのだ。
あの穴は、どこに通じているのか。
「間違いありません。根の国、つまり
秘鎖美が色をなくしている。
「幽世ってなんです」
「生きている者の暮らす正解を
「じゃあ、死者の暮らす世界……、なかから聞こえているのは、オバケの声ってことですか」
那美が、声を震わせる。実は、無敵を誇る女子高生アイドルの最大のニガテが幽霊であることを、翔太郎は知っていた。
「正確には違うわ、死者の声よ」
「やっぱ……オバケじゃない……」
何がどうなっているかわからなかった。生弓矢の力で、あの世とこの世が繋がってしまったとして、どうしたらいいのか。翔太郎にはまったく想像がつかなかった。
ロボを使って、そのあたりの瓦礫を投げこんでみたが、どうやら、そういう土木工事的手法では、この穴は閉じる気配すらない。
「まったくまったくもう。あなたには、反省して欲しいですの。一分の力でいいと言ったのに、二分、いや三分の力で弓をひいたですの」
いつの間にか、姫が戻ってきた。咲也を指さしてかなり怒っている。
「だって、あんな状況じゃ、仕方ないじゃん」
咲也はむくれて言った。
「加減はしたわよ」
「人の世が終わるとあれほど注意いたしましたの。人類が滅びたらあなたのせいですの」
「でも、しょうがないじゃん。目盛りとかないし」
強く反論する咲也だったが、自分がしでかしてしまったことの大きさに、明らかに動揺している。
「このままじゃ、あの穴が広がって、この世とあの世が繋がってしまうですの」
「繋がったらどうなるんです?」
「そうねえ。死者が幽世から返ってこれるようになり、生きている者と死んでいる者の垣根がなくなってしまいますの。そうなれば、亡くなった人にも会えますの」
幼い頃死んでしまった、母さんに会えるのかも知れない。そんなことを思った。
「ああ、それから根の国には、死者以外にも怪物がいると言われてますの」
確かに、死者の国だというのだから、オバケの一匹や二匹は当然いるのだろう。那美がヒッと短く悲鳴をあげた。
「それは、どんな怪物ですか」
「根の国には
「魍魎って、
「心安らかに亡くなった死者は、根の国でも穏やかな生活を続けますの。でも、もし恐ろしい怨念や恨みをもって亡くなった死者の魂は、魍魎という怪物になって人を喰らうとも言われていますの。時々、その一部がこの常世に迷いこんで、悪魔や鬼の伝説になっているんですの」
恨みをもって亡くなった死者が、鬼や悪魔に変貌するのだとしたら、今まで、無念の思いをもって死んだ人の数だけ、穴の向こうにはそれがいるということになる。それが今まで亡くなった人の一割だとしても、それこそ億を超す魍魎がいてもおかしくはない。
「じゃあ、あの穴が開ききったら、なまはげたいに、鬼や悪魔に街角できままに出会える世界になるってことですか?」
「なまはげはよくわからないけれど、そういうことですの。人間はスナック代わりに頭からかじられますの」
これって、街で巨大ロボが暴れるよりタチが悪いのでないか。自分たちは事態をかえって深刻にしただけではないのか。翔太郎は、全身に鳥肌が立つのを感じた。
「どうすればいいですか」
「こんなになってしまえば、もう人の力ではどうしようもないですの」
姫は、今の人間は終わり、次の人間に期待しましょうとでもいうように、淡々と答えている。人類の危機なんて、神様にとってはそのくらいの事件なのかも知れなかった。
「じゃあ、もう方法はないと」
「話は、最後まで聞けですの。人の力で無理なら、神の力をもって閉じればいいですの。幸い、そこに、アマテラス様が籠もった大岩さえこじ開けることのできる、馬鹿力の持ち主が転がっているんですの」
「天岩戸をこじ開けた神――天手力男神!」
「あいつを洞穴に放り込んでやればいいですの。根の国というのはとてもケガレた場所ですの、あそこに行って平気な神なんて数えるほどしかいないですの。ちなみに、タジカラオは、踊りの神、
「わかりました。でも、一七号をあの穴に放りこんでしまったら、桜子先輩はどうなります?」
「一七号の禰宜も、一緒に根の国にひきずりこまれるに決まっているんですの」
姫が、そんなこともわからないのかといいたげに、腰に手をあててまくしたてる。
「そんなこと……僕にはできない」
「世界の滅亡と引き替えですの。女と世界どっちをとるのか、よく考えてみるですの」
女と世界のどっちをとるのか。
令和の時代だというのに、この神様は、昭和の歌謡曲のようなことをいう。
翔太郎は、食い気味に「女」と答えそうになる自分を必死で抑えていた。
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