手強すぎる交渉相手

 ありがたいことに、次の日は土曜日だった。

 随分寝坊して翔太郎が起きだすと、那美がリビングの椅子に座っているのがみえた。

 いち早く起床し、境木家を訪問してきたのだろう。両家は、お互いの家の行き来を気兼ねするような仲ではなかった。那美は、口を真一文字に結び、みるからに険しい顔で空の一点を見つめている。きっとなにか、文句を言うつもりに決まっている。

 こういうときの那美は、かなり面倒くさい。

 父子家庭の境木家にあって、お隣の剣嵜家にはひとかたならぬお世話になってきたわけだが、那美は、自分が翔太郎の保護者であると思い定めているフシがあった。

 那美に責められていると、母に怒られているようで、なんとも複雑な気分になるのだ。

 那美の美人っぷりに、ファンクラブをつくって、彼女をちやほやする連中に、目を三角にして説教をする姿を、ネット生中継してやりたい。正太郎はつね日頃からそう思っていた。

「あっ、兄ちゃん起きてきた」

 階段の下から、妹の真珠まじゅの声がする。

 真珠は、正太郎の妹ながら、ショートカットの似合う中学三年生で、引退するついこの間までテニス部のキャプテンをしていたほどのスポーツガールだ。小さな丸顔と、ツンと上を向いた鼻が魅力的で、よく南の島のお姫様のようだと言われる。

 翔太郎は、溜息をついた。

 未成年が、防衛省に協力するとかしないとか、そういう判断は保護者に相談して決めるべきという那美の主張は、しごくまっとうだとすんなり聞き入れられ、翔太郎たちは、驚くほど簡単に解放された。

 必要とあれば、強制や強用を行うブラックな団体ではないようだ。

 家には、例のワープではなく、車で送られた。比較的早く帰宅できたが、あまり眠ることはできなかった。確かに、ひょんなことから巨大ロボを動かし、街を火の海にした日に、ぐっすり安眠できる高校生など、日本に数えるほどしかいないだろう。

 意を決して、居間に入る。

「おはよう兄ちゃん、だいじょうぶ?」

 妹の真珠が、気づかうように翔太郎の顔をのぞきこむ。真珠は、しっかりしていて、中三ながら、境木家の切り盛りを一手に引き受けている。竹を割ったようなさっぱりした性格で、後をひかない気持ちのいいやつだ。しかし、那美はそうはいかない。ある意味、謎の巨大ロボより、理詰めでじとじと文句を言ってくる那美の方が、何倍もやっかいなのだ。

「おはよう」那美が強く挨拶してきた。

 ここは、父の正太郎に助力を請いたいところだが、背を向けてテレビを見ながら歯を磨いている。

 テーブルには、地方紙の愛媛新聞がおいてあった。

 トップ記事は、当然巨大ロボット同士の戦いだと思っていた翔太郎は、意外な記事に眉をひそめた。松山の各所で、火災が発生し未明まで燃えたという記事がトップを飾っていたのだ。

 この火災により、四百以上の家屋が全半焼し死者も二〇名を超えている。しかも四国霊場八八箇所の、五十一番札所石手寺が火災になり、数多くの文化財が失われたらしい。

「あのロケット、石手寺に落ちたのか……」

 翔太郎のロボにぐちゃぐちゃに殴られた金のロボは、ビルの向こうへ墜落していった。そこに石手寺があったのか。

 どこに落ちてもいい気持ちはしないのだが、お寺に落ちたと聞くと、なおさら悪いことをした気持ちになる。確かに、石手寺の方向を考えると黒煙があがった方向と一致する。ロボット関係の記事を求めて新聞をめくるが、どこにも見つからなかった。国の重要文化財や国宝が焼失したのは、確かに大きなニュースだが、巨大ロボットが暴れ回り、街を破壊した事件がまったく扱われていないのは明かにおかしい。

「朝のテレビニュースでも、ロボットバトルのことは報じられてないわ。マスコミは、昨夜、臨時ニュースでロボットが現れたと報じたけれど、その後、街の被害を地震と火災の被害にすり替えてる。ロボットのことは、ネットでは話題になっているけど、不鮮明な写真しかないし、ことが愛媛の松山で起こった事件だから、だんだん都市伝説のようにおぼろげなニュースになってるみたい」

 那美が静かにそう言った。

「地震? 昨日のあれを地震だと?」

「直下型地震とそれに伴う火災だと、そこに書いてあるでしょう。それだけじゃないわ、自衛隊の護衛艦が、昨日三津港沖で火災を起こしたらしいんだけど、こんなに小さく扱われている。エンジンの故障による爆発事故だそうよ。そんな、今年の十大ニュースにあげられそうな事件がつぎつぎに起きて、マスコミはそれを正しく伝えようしていない」

「そんなことしても、現場の映像をネットにアップされたらおしまいじゃないか」

「誰かが介入している。ロボの戦いをもみ消しにかかっているのよ。なんらかの恣意をもってね」

「誰かって?」

「国……防衛省でしょうね」

「そんなことが……」

「報道協定や報道自粛、いくらでも方法はあるのよ。テレビ局の許可をだしているのは、国だってことを忘れちゃいけないわ」

 確かにそのとおりだ。那美の言うことはいつももっともなのだ。

「危険だから、もう戦わないで、翔太郎」

 せっぱ詰まった声で、那美が言った。

 大きな目が、すこしだけ潤んでいる。

「那美……」

 そんな目で、アイドル高校生に懇願されたら、ほとんどの男子高校生なら二つ返事で言うことを聞くだろう。だが、幼なじみの翔太郎は、この世に数少ない、那美の言うことを無条件で聞かない高校生だった。

「父さん、黙ってないで、なにか言ってくれよ」

 歯を磨いていた父親に声をかけた。昔、ロボを操ってブラックビーストと戦っていたのが、父である正太郎ならば、有用な情報を持っているに違いないのだ。

「まあ、戦うのは父さんも反対だ」

 洗面所から、父が返答する。

「じゃあどうすればいい?」

 昨晩、ロボットを使って戦ったこと、神籬という組織から協力を要請されたこと、すべてを父である正太郎に話したのだが、正太郎はさして驚きもせず。そうかと言っただけで協力しろともするなとも、まったく意見を述べなかった。

 どう食い下がってみても「明日話す」の一点張りだったのだ。

「そんなコワイ顔をするなよ……秘鎖美さん……」

 正太郎の呼びかけに、部屋の奥から、紫色のツーピースが印象的な、ダイナマイトボディのお色気魔神が姿を現す。昨日に続いてのいきなりの登場に、一瞬、なにがどうなっているか分からなくなった。

 親父の正太郎は、今年で四一歳になる厄年まっさかりの中年男だ。

 厄年だからって、男を捨てたわけじゃないだろう。シングルファーザーだが、もう一花咲かせたいと考えても不思議ではない。もしかして、秘鎖美さんと再婚の話でも持ちだすのではないだろうか。彼女が姿を現したタイミングは、そのくらい微妙なものだった。

「なんで、あんたがここにいるんだよ」

 無用の考えが頭をもたげ、翔太郎はついむくれたように言う。

「翔太郎、秘鎖美さんは、おまえのおばさんなんだよ」

 おばさん? こんなグラマラスボディのうら若き女性を、おばさん呼ばわりするとはなに事なのか。父親が、ハラスメントではなく、血縁関係を説明していると翔太郎が理解するのに、数十秒を要した。

「母さんの旧姓は御堂 夜須美やすみ。秘鎖美さんの姉さんだった」

「なぜ、僕のおばさんが、神籬なんて組織にいるんだよ。ワケわかんないよ」

「母さんは、父さんが当時持っていたロボの操縦装置、磐座を奪うために、国から派遣されたスパイだったんだ」

 翔太郎の脳裏には、黒いライダースーツに身を包んで銃を持っている女スパイが浮かんでいた。もちろん、そんなのはマンガのなかだけなのだが、高校生のイメージでは、それが限界だった。

「母さんがスパイ?」

 真珠が、びっくりしたように指で鉄砲の形をつくってみせる。真珠もだいたい同じくらいの想像力のようだ。

「ええっ? じゃあ、父さんはスパイと恋に落ちたわけ? イカスじゃない。ダサ親だと思ってたけど、最先端行ってんじゃない」

「真珠、今大事なのはそういうコトじゃないわ。その時、夜須美おばさまが所属していた組織が神籬ってことなのね」

 さすがに、那美は自分の親のことではないので、落ち着いている。

「そうだ。政府は戦後、ブラックビーストを退けたロボの活躍により、磐座の価値に気づいた。そしてこれを兵器として利用するために、神道の力を受け継ぐ者を集め、神籬を組織したんだ。そして私の磐座を奪い、他の磐座を探しだそうとした。もし巨大ロボを兵器として活用できれば、日本にとって大変な力になるからね」

「防衛省の人は、父さんから磐座の提供を受けたと言ってたよ」

「おまえたちに言うのは、いささか気はずかしいんだが。父さんと母さんは、出会いがどうあれ、本当に愛し合っていたんだ。母さんは父さんと一緒になるから、神籬を辞めたいと願いでた。神籬は、母さんが組織から抜けるには、父さんの持つ磐座を差しだせと言ってきた」

「それで、渡したのか」

 正太郎はうなずいた。

鎮魂帰神法ちんこんきしんほう。それが操縦者とロボとの繋がりを完全に断ちきる秘術だ。母さんはそれを行い、今お前が持っている磐座を神籬に渡した」

「母さんの自由と引き替えに」

「そのとおりだ」

 正太郎は深くうなずいた。

「だからって、なぜ翔太郎が巻きこまれなきゃいけないんですか? 神籬が防衛省の組織なら、それこそ自衛隊員が使って戦えばいい」

 那美が厳しい口調で言う。

「ロボを最初に機動させた者を禰宜ねぎと呼ぶんだが、一度、禰宜になってロボを動かしたら、禰宜が死ぬか鎮魂帰神を行うかしか、ロボとの繋がりを断つ手段はない。繋がりがなくなった後、再びロボを動かしたかったら、起動の権利を受け継げるのは禰宜の子孫だけと言われている。私には、もうロボットを使う力はなくなってしまったんだよ」

「秘鎖美さんでしたっけ、だからって、翔太郎に戦わせることはないでしょう? すぐ鎮魂帰神法ってのを行ってください」

「でもね、那美さん。翔太郎くんに子孫はいないから、鎮魂帰神を行えば、もう二度と、ロボは動かせなくなる。いえ、正確には、正太郎君が子供をつくるまでだから、少なくてもあと十年以上は、ロボが動かせないのよ。その状況でもし残りのロボが攻めてきたらどう戦うの?」

「そんなのいいです。あの戦争好きの女子高生に頼めばいいでしょう?」

「ちょいまち」

 腕組みをしつつ、難しい顔で真珠が話に割りこんでくる。

 事情をすべて呑みこんではいないだろうが、こういう時の妹をナメてはイケないのを翔太郎は知っている。小学校の頃から、境木家の家計を一手に引き受けてきた真珠を、中学三年生だと思って、甘く見ているとひどい目に遭う。

 真珠は極めて短時間にものの本質を見抜いて判断することができる。彼女に損得勘定をさせたら、右にでるものがいないと言っていいのだ。どうやら今、彼女の灰色の脳細胞は、どうすれば得をすることができるのか、高速演算をはじめたに違いない。

「話はだいたいわかったわ。話に横から入って大変失礼しやす。つまり話はこうね。兄ちゃんは巨大ロボを動かせる。その力を使って昨日戦った。まだまだ敵が攻めてくる可能性があって、引き続き愛媛を守れと頼まれているけど、兄ちゃんのことが心配な那美姉ちゃんは、戦うのに反対と……お父さんも……」

「反対に決まっている。だから今日、秘鎖美さんと話してだな……」

「じゃあ、わかったわ!」

 すっ頓狂な声をあげて、真珠がいきなり手をたたく。

「なにがわかったっての」

 那美に真珠が邪悪な笑顔をむける。

「兄ちゃん、戦いなさいよ」

「どう考えれば、そういうことになるの?」

 いかめしい顔でにらみつける那美に向かって、そんなことも分からないのとでも言いたげに、真珠はひとさし指をワイパーのように振ってみせた。

「お父さんと、那美ねえちゃんは、兄ちゃんが安全なのが一番なのよね」

 二人がうなずく。

「確かに、鎮魂帰神ってのをやって、兄ちゃんがロボを使えなくするのが一番っぽいけど、これから敵ロボが攻めてくるのわかってるのに、わざわざそのなんたらって組織が、手元の戦力を削ぐようなヤバいことしてくれるかしら。おばさま、答えてくださる?」

「しないわ」秘鎖美が短く答える。

「ここで問題です。鎮魂帰神もしない。組織に協力もしない兄ちゃんは、果たして安全な高校生活を送れるでしょうか?」

 那美が、悔しそうに口を歪める。

「組織に守られることもなく、ロボを送ってくる謎の敵にも狙われる。もしかすると、ロボの力を欲している別の組織があるかもしれない。これってスゲヤバくない?」

「じゃあ、真珠ちゃん、どうするのが正解だっていうの?」

「ギャラよ、ギャラ交渉。協力するんなら、ギャランティの交渉は当然すべきよ。きちんと契約書もこしらえてね。この世界で敵を倒せるロボを動かせるのは兄ちゃんだけ、これはいい交渉材料になるわ。もちろん待遇面も交渉するわよ。兄ちゃんも含めた、我が一家の安全。那美姉ちゃんも守ってもらわないとね。国が守ってくれるんでしょ。危険なことは当然ダメ。契約違反したら、鎮魂帰神を行ってもらうことは、書面をもって約束すべきよね」

 全員、言葉をなくして黙りこむ。

「他によいご意見のある方は挙手のうえ、ご提案よろしく」

 真珠は、はちきれんばかりの笑顔で、正太郎と那美の顔を交互に見る。

 小学生のとき、学校一の暴れん坊を、言葉だけでやっつけて、最後には、自分の手下にしてしまった。そういう種類の武勇伝が、真珠にはいくらもあるのだ。

「以上、なにか質問は?」

「一つだけ、いいかしら」

 秘鎖美が、おずおずと手をあげる。

「はい、なんでしょう」

「あなた、本当に私の姪?」

 正太郎が強ばった顔でそうだと言う代わりにうなずく。

「おば様。そういうわけで、兄は組織に条件付きで協力します。条件の交渉はすべて私、境木 真珠が行いますから、よろしくね」

 真珠が丸い顔をかしげてかわいく笑ったが、秘鎖美の顔は、謎のロボの攻撃を目の当たりにしたときの二倍は強ばっていた。

「私もお年頃じゃない。今どき、スマホもってない中三女子なんて、カタミ狭かったのよね。なあにおば様、ギャラって言っても、スマホが買えるくらいでいいんだから、安心して」

 手強すぎる交渉相手タフ・ネゴシエーター

 真珠が、後に神籬でそう呼ばれるようになることを、このときは誰も知るよしもなかった。

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