護衛艦 うずしお

 はり裂けるような砲撃音が、ちいさな港町をふるわせた。

 それはまるで、夜に祭りが開催されることを知らせる昼間の花火のようだった。突然の号砲に、今日は花火大会だったかと、三津浜に住む人々はみな考えた。

 それきり、静寂につつまれる。

 陽光が、海面で踊っていた。 陸から、心地よい微風が吹いてくる。

 宮本三等海佐は、岸辺近くにあるターナー島と呼ばれる小島にちらりと目をやった。ターナーという画家の描いた絵のようだと、夏目漱石が「坊ちゃん」という作品のなかで命名したらしい。

 まだ七月に入ったばかりだが、日ざしは、はっきり夏の到来を告げていた。

 海上自衛隊第四護衛艦隊群所属、たかなみ型ヘリコプター護衛艦うずしおは、一週間まえから松山市三津浜港沖に投錨している。

 うずしおは、基準排気量四六五〇トン、全長一五一メートル。SHー六〇K哨戒ヘリコプターを搭載し、強力な武装はもとより、電子性能、スティルス性能が強化された海上自衛隊のなかでも最新鋭クラスの護衛艦である。

 三津浜港に寄港したことこそないが、呉を基地とする第四護衛艦隊群に所属するうずしおにとって、瀬戸内海はまさに庭のようなものだった。

 風はあるが、凪に近い。瀬戸内海においても、ひときわ波の静かな日だ。

 さっきの轟音が、うずしおの砲撃音だと、誰も気づいていないようだ。いくらなんでも、自衛艦が、陸上にめがけて砲撃を行うなんて、戦後の日本において、そんな事態が発生することはないと、誰しもタカをくくっているのだ。

「ヘリコプターより入電、主砲、対象に着弾。対象沈黙、市街への被害軽微」

 うずしおの主砲からは、薄い煙が立ち登っている。

 艦長の山本一等海佐は、ほっと安堵の息をもらした。

 ヘリの支援とコンピューター制御によって行われるメラーラ砲の精密射撃の性能が、いくら折り紙つきだとはいえ、これは演習ではないのだ。はるか十数キロ先の西南高校運動場にいる、金色のロボと、翔太郎のロボへの精密射撃、一つ間違えれば多数の高校生の命を危険に晒すことになる。

「本艦が、戦後はじめて作戦行動により敵を砲撃した艦になりましたな」

 副長の宮本が口をゆがめてそう言った。

「命令どおりの作戦行動なのだ、致し方ない。宮本くん。目標はどうか」

 いかめしい顔でそう問いかけた。

 モニターに映しだされたヘリからの映像は、砲撃によって立ち登る砂煙によって完全に遮られている。目標のロボットが、運動場に移動したのは幸いだった。街なかにいたならたとえ命中しても、市街地への被害は軽微ですまなかっただろう。

「詳細、不明」

「第二射、用意」

「よろしいのですか? 状況を判断する必要があるかと、もし負傷者がいたら、作戦は中止せねば」

「それもそうだ。すこし熱くなり過ぎたようだな。状況を確認だ」

 山本は、もう一度、ふうと息を吐いた。

 オート・メラーラ砲は速射砲であるから、目標を完膚なきまでにたたきつぶしたければ、思うさまに連射すればいいのだが、街への被害を考えれば、単発の砲撃は仕方のないところだった。

「有事及び周辺事態と判断される場合には、武装使用の判断権限を与えるか……」

 艦長の山本には、重い権限と責任が課せられていた。

 事案に対処するために、武装の使用を決定する権利だ。もちろん、最終の決定権は防衛大臣、ひいては内閣総理大臣にあるが、現在、そのすべての判断が艦長である山本に一任されているのだ。武装の使用を制服組に判断させること自体、指令の特殊性を際だたせていた。

 うずしおの主砲、全自動のオート・メラーラ一二七ミリ六四口径速射砲は、イージス艦に搭載されているものよりも大口径で、コンピューターによって制御される砲の射程は二四キロメートルに及ぶ。また、九〇式艦対艦誘導弾の射程は二〇〇キロあり、その他にも対空、対海中のミサイルを搭載している。松山になんらかの攻撃があれば、即座に痛撃を与えられる充分な武装を搭載していると言えるが、ひとつ間違えば、そのどれを使用しても街へ甚大な被害を与えることになる。

 自衛艦が主砲を自国領土内に撃ったという歴史的な事実に、艦内にはこれまでにない緊張感がただよっていた。

 護衛艦という名が示すとおり、なんらかの戦いが想定される場合、本来ならば数隻が組になった艦隊で派遣されるべきで、うずしおだけに出動命令がおりるのも、また特異だった。

 もちろん、一隻だけとはいえ、うずしおは戦力として申し分はない。護衛艦といえば、戦艦と比べて小型で戦闘能力が劣るイメージがあるが、強力なソナーや各種のミサイルなどを装備し、海上自衛隊においては、対空、対艦、対潜すべてにおいて攻撃力を発揮する主力艦として位置づけられている。しかも新鋭艦うずしおは、策敵能力はともかく、火力においてはイージス艦を凌駕するとさえ言われているのだ。

「街を見たかね、つまらない田舎町だ。なぜ松山なんだ? なぜ攻めてくる?」

 山本は昨日上陸し、松山を視察していた。温泉以外なにもない、ただの地方都市だ。

 外国からの驚異といえば、北ならロシア、日本海側なら北朝鮮、南なら中国。自衛隊では、そんな想定がなされている。しかし瀬戸内海沿岸には、どんな想定もない。

 おまけに、愛媛県には、国家の機能を司るどんな機関も存在していない。

 本土攻撃の足がかりにするには、東京や大阪からも離れすぎているし、百万都市である福岡や広島も海によって隔てられている。海を利用しようとしても、陸地によって囲まれた瀬戸内海は、他国との接続も極めて悪い。新幹線さえ通っていないから、人や物の流れもお世辞にもスムーズとは言い難い。漁業や農業以外に利用価値が低く、戦略的には無価値な土地といっていいだろう。

 占領したところで、橋頭堡きょうとうほにもなりえないし、日本という国の運営にいささかの問題も起こりえない。そのような土地を攻撃すること自体が、どう考えてもナンセンスに思える。

「……確かに、どこかの国が攻めてくるなんて考えられません。想定の外ですね」

「東北地方太平洋沖地震を覚えているかね?」

「忘れようとしても、忘れられるものではありませんよ」

「そうか、君は岩手出身だったね……地震の前、ああいうことが起こることを想定した者がどれほどいただろうか。特に我々自衛官は、常に想定外と隣り合わせで仕事している。そのことを忘れてはいけない」

「あんなロボットが攻めてくるなんて、市谷いちがやはどこからか情報を得ているのでしょうか」

 宮本の質問に、山本は思案げに腕を組んだ。

 防衛省は、新宿区市谷にあるため、自衛官幹部の多くは、防衛省のことを市谷と呼ぶ。業界内での符牒のようなものだ。

「市谷にせよ、官邸にせよ、なにか情報をつかんでいるのは間違いない」

 実は出港前、山本にだけは、ロボットからの攻撃について日時も、ロボットの出現位置も、ほぼ正確に知らされていた。そして、怪ロボットからの国土への攻撃があった場合、即時、護衛艦の全能力をもって、これを撃破せよという指令も下っていたのだ。

「マンガのような話ですが、確かにこれは周辺事態ですね」

 日本が武力による直接攻撃を受けることを有事とすれば、間接的な理由から有事へと進むことが懸念される場合を周辺事態という。そのまま放置しておけば、我が国に武力攻撃が及びかねないような事態のことである。もちろん、戦後日本で有事と判断され、自衛隊が何らかの攻撃を行った例は今までない。

 国民の税金で造った護衛艦が街を壊す。そんな武装の使用は、政権すら揺るがしかねない大きな問題になるだろう。

 もちろん、山本自身の進退問題にもなりかねない。

 予め受けた指令がない限り、おそらく山本は、今でも武装の使用をためらっていただろう。

 困難な仕事も多くこなしてきた。

テロ対策任務で、インド洋に給油に行ったことも、東北地方太平洋沖地震で米軍と大規模なミッションをこなしたこともある。そんな山本ですら、今回の仕事は荷が勝ちすぎると考えていた。

「……なにがどう攻撃してきたと思う? 宮本くん」

「これは、ほんの戯れ言ですが……昔、人型兵器を使用し、日本を恐怖のドン底に陥れた奴が一人いましたが」

「ブラックビーストか……」

 四〇年前、人型ロボットを操って、日本征服を企んだ男。伝説の人物だった。

「くだらん、そんなものは過去の亡霊だ。今は、かろうじてジェット戦闘機を飛ばしていた時代とはわけが違う。ハリボテロボットなど、本艦の前に現れたら、一撃で粉砕してくれるよ。宮本くん」

「当然です」山本の笑いにあわせて、宮本も笑う。

 中継映像が、じわじわと砂煙を受けない方向に移動しているが、なかなか視界が晴れようとはしなかった。宮本は、いらつくように、窓から見える陸地に目を向けたが、もちろん目標が見えるわけもない。

 三津浜は、道路や鉄道の整備が十分でなかった時代、愛媛県の海の玄関としてたいへんに栄えた土地柄らしいが、今ではただのうらぶれたちいさな港街だ。

 ゆきかう住民も老人ばかりが目立つ。それ以上でも、それ以下でもない平凡な街。こんな田舎でなにが起ころうとしているのか。

「煙が晴れました。目標……」

 中継されてきた映像を見て、宮本が息を漏らす。

「目標イの本体に亀裂が認められますが、二体とも沈黙していません!」

 映像のなかで、巨大ロボがむくりと起きあがるのが見えた。

「直撃したのだろう? なぜ動けるんだ」

 うずしおは、世界に誇る強力な護衛艦だ。その主砲、オート・メラーラ砲の半徹甲弾の直撃を受ければ、どんなにブ厚い戦艦の装甲であっても、たやすく貫通するはずなのだ。

 どういうことなのか。敵は魔術や魔法のたぐいでも使っているというのか。

「とにかく、効果がないわけではない。速やかに次弾を発射するんだ」

 宮本が、指示を復唱しようとしたが、その試みはうまくいかなかった。逆に艦内から連絡が入ったからだ。

「どうした」

「甲板員から報告。周辺海域に、多数のイワシの死骸が漂っているようです」

 通信士が、山本の顔を見あげる。

「イワシなんかのことで……」

「妙だ……そう思わんか。宮本くん」

 緊急時に、間の抜けた報告をしてくる通信士を叱責しようとした宮本の言葉は、山本に遮られた。

「海鳥は見えるか?」

 確かに、艦長の言うとおりだった。イワシがいるなら、海鳥がいても不思議はない。

 宮本が、窓まで走る。

「目視で確認、まったくいません」

 振り返った宮本の顔には、はっきりと動揺があった。今の時点では、なにがどう不安かはっきりとは言えないが、なにかが起きている、あるいは起きつつあるというのが、二人の共通認識だった。

「すべてのレーダーを起動させろ」

 その瞬間、緩やかな震動が、艦橋をおし包んだ。

「どうした」宮本が鋭く質問する。

「わかりません。周辺海域に問題はありません」

 レーダー技士が、機器をのぞきこんでいる。

 また震動。今度は、はっきりとした揺れ。

「なにが起こっている。宮本くん」

「奇妙です。レーダーが、なにも捕らえていない以上、なにもないはず……」

 宮本が、額に手をあてる。

「どうした?」

「そんな、まさか……潜水艦……」

 海に目をこらすが、さすがに艦橋から目視で確認することはできない。

「ヘリを呼び戻せ」

 海上自衛隊の対潜水艦作戦能力は、同じ規模で戦った場合、世界一と言われている。しかし、それは敵潜水艦がいると想定して、水中にソノブイを降ろすなど、十分な準備を行ったときの話だ。

 三津浜港の水深は、潜水艦が潜むほどの深さはない。仮に潜んで近づいてきても、目測で発見できるに違いない。

 結果的に、その油断がアダになったのかも知れない。

「ありえん。こんな喫水線ぎりぎりの海底になにが潜んでいるというんだ。宮本くん」

 確かな振動が、艦橋を揺さぶる。

「とにかく、ソナーを起動させろ!」

 護衛艦には、対潜ソナーを含め、様々なレーダーが装備されているが、それらすべてが二四時間作動しているわけではない。現実には、対潜水艦戦を想定した有事でなければ、起動されることはないのだ。

 座礁すら心配される海域で、潜水艦からの攻撃を想定することは、常識で考えらない。

 だが、瀬戸内海に有事を想定して、海上自衛隊の護衛艦が出動すること自体が、最初から常識を逸していたのだ。

 山本は、歯ぎしりをした。 

「なにをしているんだ!」

 自分の指示が、まったく実行されないことに憤慨してふり返った山本は、次の瞬間、目前にとんでもないものを見ていた。

 突然、うずしおの左側面に、水柱が吹きあがった。なにかしらの攻撃なのか。

「宮本くん」唸るように言う。

「海中からなにがが……サイズからすると……潜水艦?」

 パニックに陥りながらも、レーダー技士が報告する。

「馬鹿な、ここは瀬戸内海だぞ! どこの潜水艦だ。それより、なぜ敵艦に気がつかなかったんだ! 目視で確認できなかったのか!」

 水柱のなかから、巨大な黒い影がその姿を現す。

 相手が潜水艦だとしても、その動きが腑に落ちなかった。もし、うずしおを破壊するのが目的だったら、適当な距離で対艦魚雷を発射すればいいのだ。肉薄するほどの至近に近づき、浮かびあがってくる必然性がない。

 なにか他に目的があるのか?

「敵艦と交信しろ。国籍と所属を聞け」

「返答ありません」

 海底から急速に浮かびあがってきた艦が、勢いよく海上に跳ねあがるのが、艦橋から見えた。

「甲板員から連絡、潜水艦が変形」

 やがて、黒い影はまるで悪夢のようにゆっくりと起きあがり、その鎌首を艦橋にもたげてくる。  

「変形? どういうことだ」

「チョップ……?」

「今なんと言った」

「『空手チョップ』と、そう聞こえましたが……」

 通信士の理解不能な言葉の意味を、もう一度問い返そうとした瞬間、山本は空手チョップの意味を完全に理解していた。なぜなら、天頂方向から艦橋にむかって巨大な空手チョップが落下してきたからだ。

「待避だ! 総員……待避」

 自衛隊の誇る最新鋭の護衛艦が、空手チョップに沈められるのか。自分は、戦後初めて撃沈された護衛艦の艦長になるのか。

 山本が最期に思ったのは、そんなことだった。

 護衛艦うずしおは、目標イ・ロに対して、第二射を行うことができず、沈黙した。

「アーッハッハ、ワシのライバルをきままに撃たさへんで。境木 正太郎を倒すんは、いつだってこのブラックビースト様やと決まっとんのよ」

 一呼吸おいて、ひしゃげた艦橋部分から黒煙が立ち登る。

「なん千なん百億円の戦艦かしらんが、さすがの戦艦もわしのブラック・ネロスⅡ世の敵ではなかったようやな。ネロスⅡ世は、ワシが長年の研究によりつくりあげた水・陸・空どこでも戦える最強のロボなんや」

 八〇歳をとうに超えていると思われる真っ白な長髪をした、黒いトレンチコート姿の老人が、埠頭に立っていた。あれから四〇年以上の月日が経っているが、その姿は、昔、世界征服を標榜して暴れ回ったブラックビーストにその人に間違いなかった。

 もし、山本艦長が健在ならば、この艦は戦艦ではなく、護衛艦であると自衛官として主張したことだろう。しかしながら、もはやうずしおの護衛艦としての能力は、刻一刻と失われつつあった。

「自衛隊か戦艦かよう知らんけど、サンシタは黙ってみとけばええんや」

 ブラック・ネロスⅡ世は、情け容赦なく、うずしおに両拳を叩きつける。

 何人もの自衛官が、海上へと投げだされた。

「さあ、正太郎。このロボとどうやって戦う? お前のロボを倒す兵器もじゅうぶんに装備しとるで!」

 ブラックビーストは、ステッキを振りまわしながら埠頭の先ではしゃぎまわる。

「今度こそ、いてもうたるで!」

 ブラック・ビーストの笑い声が、陽光に輝く湾内に響いていた。

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