第一章 いきなりロボを操りますが、いいですか?
ドラム缶ロボ
心機一転。
中学から高校に進級するとき、誰しもそう考えることがある。
もちろん、三枚目キャラを隠して、イケメンニヒルキャラで三年間を過ごそうとか、初日から眼帯をして登校し、右目は邪眼という設定にしようとか、右腕に悪魔との契約がとか、いくらなんでもそんなのは度を超している。
だが、中学での失敗を繰り返すまいと思うのは、大なり小なり、誰にもあることではないだろうか。そんなわけで、
まず最初に断っておくが、翔太郎はなにか悪事を働いていて、こそこそしなければならないわけではない。
なにより、翔太郎は悪人ではない。
多少気が弱くて、優柔不断で、少しだけ不運なところがあるものの、いたってフツーの男子高校生だ。人並みよりは上であることを人はよく、「中の上」などと表現するが、翔太郎を表現する場合には、「中の中」という言葉が適当だ。
びっくりするほど頭が悪いが、運動神経が超よかったり、体力はないが、怖気がたつほど頭脳明晰だったり、あるいは、未来からネコ型ロボットが助けにやってくるほど、成績も運動もからきしダメだったりしない。
何事も、人並みにできるが、人並み以上にはできない。学力も赤点をとるほどではないが、学力優秀者ではない。イケメンと言われることはないが、ブサイクだと後ろ指をさされることもない。スクールカーストでも、まさに中央ド真ん中に位置する一般平民であり、なにか特段の過失がなければ、どこにでもあるつまらない三年間の高校生活が約束されていいはずの人間だった。
「おーい翔太郎、あんたもなにか部活入りなさいよ」
自転車置き場に差しかかったとき、後ろから、女子が駆けよってきた。
翔太郎は、しまったというように、顔をしかめる。
大きな二重の眼、均整な顔立ち、抜群のプロポーション、つややかなポニーテールの黒髪。中の中たる男子高生に、なれなれしく駆けよってくるには、幼なじみの
まだ一年生なので、西南高校のアイドルと言い切ってしまうと先輩が怒るかもしれないが、夏休み前のこの時期に、もうファンクラブのようなものまで存在すると聞いたことがあった。
アイドルグループのセンターがはれそうなルックスと、明るい性格、スポーツ万能で、男子より女子に好かれるタイプとくれば、学校のモテランキングを、ただただ上位へとひた走るのは仕方ない。
彼女に、唯一の欠点があるとすれば、同級生の翔太郎と幼なじみであることくらいだろう。現在、赤マル急上昇中の学園のアイドルである那美が、人目をはばかることなく、なにかと世話を焼くことが、平民である翔太郎にとって、プラスに働くことはけっしてない。
嫉妬や羨望がないまぜになった視線が容赦なく注がれることになり、時には嫌がらせや誹謗中傷の的になる。脇を締めてかからないと、中学で体験したように、先輩に取り囲まれたり、下駄箱に汚物を入れられるなんてことに繋がりかねないのだ。
だから、できるだけ距離をとるようにしているのだが、当の那美本人はそのことに、まったく気づいていない。いや、むしろなぜか分からないのだが、ぐいぐい距離を詰めてくる。
「部活ったって、得意なスポーツとかないし」
「中学じゃ、書道やってたじゃん、賞も獲ったし。高校でもやればいいのに」
「西南高校の書道部は、書道パフォーマンスの強豪校だよ。書道パフォーマンスの華っていえば女子部員だよ、男子じゃ絵にならないよ」
実は正太郎は、書道部の部長である
もちろん、平穏無事な高校生活を切望する翔太郎が、女子部員のなかに一人で飛び込んで行って、やがて部長になりハーレム生活を送るなんてことを望むはずがない。
だいたい、書道部で水神先輩と仲良くし、弓道部の那美と仲良くしていれば、絶対に
「もったいないぁ、中学のときみたいに一緒に帰ろうよ」
那美が甘えるように腕をつかんでくる。
登下校を一緒にしたり、必要以上になれなれしくしたり、そういうのがマズいのだ。やめてくれと、はっきり言えばいいのだが、はっきり言えるぐらいなら、十五年間も優柔不断をやっていない。
翔太郎は周囲を見た。誰も気にかけていないように素通りしていくが、絶対にそんなことはない。那美は立っているだけで周囲の注目を浴びるのだ。
「とにかく、高校になったら大学受験もあるから、僕は帰宅部でいくから」
那美の腕を振り払うようにして、帰路につく。
父子家庭である翔太郎一家を、剣嵜一家はなにかにつけて支えてくれた。那美も子供のころから仲良くしてもらっているし、那美に対してこんな態度をとるのは、罰当たりもいいところなのだが、翔太郎にしてみれば、中学時代の黒歴史を繰り返したくない一心のだった。
「んっもう」
那美が、すねたように唇を尖らせた。
翔太郎は、巨大な良心の呵責に押しつぶされそうになりながら、それでも一目散に帰路についた。謝罪は、スマホでもいいし、明日の登校時でもいいだろう。とにかく、現状をこれ以上悪化させないことこそ、最優先事項だった。
ぐいぐいペダルを踏んで、学校を飛びだす。
校門から百メートルほど離れ、いったん自転車を止めた。さすがに自責の念に堪えられなくなったのだ。
ポケットからスマホをだす。
とりあえず、謝るのなら、早いほうがいいだろうか。でも、こんなに早く反省するなら、最初からそんなことするなよと言われないだろうか。そんなことをウジウジ考えていた。
おそらく今頃、那美は弓道場に行き、部活を始めようとしているだろう。翔太郎からの謝罪を読むのは、おそらく部活の帰りになるはずで、タイミングのことをとやかく考える必要はないはずだった。
ようやくその結論に達し、那美に謝罪のメッセージを入力し終えた瞬間、背後からの強い音圧に押されて、バランスを崩した。
大気をつんざくような爆音。
振り返る。
翔太郎は、唾をゴクリと呑みこんだ。
よく、我が眼を疑うという表現があるが、それはあくまで比喩的表現だと翔太郎は思っていた。見えたものは、見えたものであり、それはそのまま信じるしかないはずなのだ。
しかしながら、その瞬間だけは翔太郎は、文字通り我が眼を疑うしかなかった。
高校の校舎に、金色のロケットが突き刺さっていたからだ。
これが爆撃や爆発のようなものであれば、たとえば、外国から発射されたミサイルとか、科学部の謎の実験ということも考えられるだろう。しかしながら、今、突き刺さっているロケットは、なんとも異常なことに、まるで子供の玩具をそのまま巨大化させたようなプックリとしたまさに漫画のような形状をしていた。
しかも、信じられないことは、それだけでは終わらなかった。
ロケットが、変形をはじめたのだ。ロケットから、足がはえ、腕が伸び、見ている間に二本の角を持つ、金色の巨大ロボに変形していく。
翔太郎は、スマホを持ったまま、口をあんぐり開け、ただその光景を見ていた。
そうしている間にも、ロボは校舎から体を抜き出し、立ち上がろうとしている。なにかの冗談のようなその光景に、ほぼフリーズしていた翔太郎の脳細胞が再起動し、活動を開始するには数十秒の時間が必要だった。
「那美!」
怪ロボットの脚元付近に、那美がいつも練習している弓道場があった。
自転車を漕ぎ出す。
自分が、行ってどうなるもんでもないという思いがあったが、このまま踵を返して逃げ去る選択ができようはずがなかった。
「!」
翔太郎が学校に突入しようとしたそのとき、藤色のツーピースを着こなした女性に進路を阻まれた。思わずブレーキを握る。
「探したわよ、翔太郎クン」
細い眉にきりっとした眼が印象的な、意思の強そうな美人。きっと二〇歳は超えている大人の女性だ。美人であることもさることながら、バストの大きさが、ハンパない。胸の大きさを強調するために、わざとワンサイズ小さめの服を着ているんではないかと思われるほどの胸だった。
こんな緊急自体でなかったら、翔太郎もその胸を二度見することを免れなかっただろう。
「私は
言いながら、タブレットほどの大きさの板を差しだしてくる。
なんだろう、タブレットで遊んでいるうちにみるみる英語の実力が付く的な、新手の教材の販促員だろうか。そう考えると合点がいく、その目に毒な巨乳を活かして、数十万もする教材をバンバン販売していそうだ。
「すんません、今、取りこんでますんで」
彼女をかわして、校内に侵入しようとする。
「行ってどうするつもり、あのロボをどうにかする力が、あなたにあって?」
そのあたりまえな問いかけに、自転車を止めた。
「でも、那美を助けないと……」
「だからあなたも、巨大ロボットを使って戦うのよ」
翔太郎は、一瞬、彼女が何を言っているかわからなかった。仮に、あの巨大ロボに対抗するためには、同じようにロボを使うしかないとして、そんなものがどこにあるのか。
まさか、このロボと同じように、空から飛んでくるとでもいうのか。
「説明は後、とにかく戦うのよ、翔太郎クン!」
例のタブレットを押しつけてくる。
受けとると、タブレットと思っていたそれは、黒い石版だった。表面は鏡のようにつるつるしているが、電源スイッチもついていないし、バッテリーも入ってなさそうだ。
「どうやって使うんですか?」
「この磐座に命じるのよ、あなたの命令に、きっと答えてくれるはずよ」
このお姉さんのいっていることが、本当かどうかまったく判断がつかない。だが、大切なことは、那美を助けることであって、いまここで、言葉の真偽を確かめている場合ではなかった。
磐座を、自転車のカゴに放り込んで、走り出す。
「お待ちなさい」
「なんですか!」
「最初に起動するとき、依代が必要になるわ。金属製の丈夫そうなモノよ。それをロボに変身させるの。ただし、ロボの形は、最初の依代になったものに、左右されるから、慎重に選ぶのよ」
秘鎖美の言葉をロクに聞かず、翔太郎は自転車を走らせた。後になって、事情をよく聞いておけばよかったと後悔することになるのだが、この時点では那美を救うことに必死だった。
ほどなく見えてきた弓道場は、翔太郎が想像した何倍も大変なことになっていた。
金のロボが、弓道場に半ばめりこむようにして立っていたのだ。建物はおおきくひしゃげ、射場と呼ばれる弓を射る場所が、完全に潰れてしまっていた。
那美がどうなっているかはわからないが、一刻も早くこいつをどけなければならない。
絶望的状況に、翔太郎は思わず唸った。
カゴの石版を見る。
あのお姉さんが、嘘つきなのか、ペテン師なのかわからない。
でも巨乳に免じて、一回くらい言われたことを試してみてもいいかも知れない。現状、選択肢はそう残されていないのだ。
石版をとる。
確か、金属製の丈夫な依代が必要と言っていた。周囲も見回すと、校舎裏にドラム缶が転がっているのが、目に止まった。確か冷暖房機に使う重油を貯めておくやつだ。
今付近にある金属製のものといえば、あのドラム缶と乗っている自転車だけだ。丈夫な方といえばドラム缶一択になるだろう。
やがて金のロボは、弓道場に突き刺さった足を力任せに抜こうとしはじめた。あの状態で、無理矢理足を抜いたら、間違いなく弓道場は倒壊する。もし、内部に逃げ遅れた者はいた場合、命はない。
「弓道場から逃げ遅れた人を救うんだ」
たまらず、翔太郎は板に向かってそう叫んだ。
「聞こえているのか! 那美を救うんだ!」
叫びとともに、すべての事象がスローモーションになったように思えた。
その時。
なにか、目には見えないものが、目前を駆け抜けていったような気がした。
空間がゆるやかに歪む、そして、誰かの歌声がどこからか響いてきた。どことなく懐かしい、おそらくは女性の歌声。声は、春の夜空に吸いこまれて消える。遙か天空のうえで、女性が歌を唄っている。
「お姉様……」
その光景を、少し離れた場所で見ていた秘鎖美が漏らすようにそう言った。
優しくもはかない音の繊維が、弓道場から移動しようとする金のロボを、絡めとっていく。一体、なにが起ころうとしているのか。
白い風が巻き、一瞬の旋風を巻き起こす。
あまりの風に目をつむり、そしてもう一度明けたとき、ロボはすでにそこにいた。
鈍く青銅色に輝く身体。巨木のように太い腕、太い脚。そして、明かに、ドラム缶をモチーフにしたと思われる、ずんぐりむっくりしたプロポーション。
「も……」
今日は、いろいろと信じられないものを見る日だが、これはその極めつけだった。
「もう少し、デザイン、なんとかなからなかったのか……」
翔太郎は、通販で送られてきた物品が、想像していたのと違う時のような顔で言葉を漏らした。
悪をくじき、正義を守る。困っている人を助け、その力をもって平和の象徴となる。
巨大ロボといえば、そんな男のロマンである。
それが、こんなドラム缶を少し人型に近づけたようなカンジでいいのだろうか。いや、絶対によくない。これがネトゲなら、このキャラを消して、もう一度チュートリアルからはじめることができるのだろうが、持っている石版には、キャラの消去どころか、戻るのアイコンすらない。
形はともかく、ドラム缶ロボの動きは俊敏だった。
潰れかけている弓道場の射場に手をかけると、部員が閉じ込められているだろう部分をこじ開ける。果たして、中には数人の部員と顧問の先生が閉じ込められており、その脱出口から、一斉に外に飛び出してきた。
一群のなかに、那美もいた。
翔太郎は、ほっと息をついた。
部員達を攻撃しようと、金のロボが脚を動かそうとするが、ドラム缶ロボが、もう一つの腕で、動きを阻止する。
「よし、いろいろ言いたいことはあるけど後にして、とりあえず、その金色を運動場にぶっ飛ばせ!」
那美たちが、避難し終えたのを確認し、翔太郎が石版に次の指示をだす。
いきなり、ドラム缶ロボの腕の形が変化する。まるで巨岩のような鉄の拳が出現したか思うと、金色ロボに重い一撃を叩きつけ、運動場にはね飛ばした。
衝突とともに、金色ロボの関節から、火の粉が、鮮やかに飛び散る。
それと同時に、百獣の王のような、圧倒的な鳴き声が、大地を震わせた。
「あの技は……ハンマーパンチ……」
秘鎖美がつぶやくようにそういった。
「キックだ」
その呼びかけに、ドラム缶ロボが反応する。獅子のようにひと吠えすると、パンチにより運動場に尻餅をついている金のロボに、太い鋼鉄の足を叩きつけた。
地面に打ち据えられる金のロボ。
桁外れのパワーだ。
ドラム缶ロボがさっと身を引く。
その後を追うようにして、金のロボの鋭利なチョップが空を切った。
なぜだかよく分からないが、ロボ自体が戦い慣れている。
翔太郎は、勝利を確信した。
なんかよくわからないが、金のロボと、自分のドラム缶ロボは、明かにスペックが違うようだ。まるでガンダムとZガンダムが戦いを見ているようなカンジなのだ。
それにロボットの操作方法が、まるでスマートスピーカーに話すように、ざっくり指示できるのがいい。もしレバーや操縦桿を操って精密に動かすタイプの巨大ロボなら、翔太郎は今頃半べそをかいていたに違いない。
「ロボ! トドメをさせ!」
翔太郎は、大きな声で指示をとばした。
人間を大きく二つのタイプに分けるとすると、なんでもトントン拍子にいく人間と、イイことかあって調子に乗ると、すぐに不運に見舞われる人間に分けられる。翔太郎は、絶対後者のタイプであって、前者ではありえない。平穏無事な人生に憧れるようになったのも、この十五年の人生で、幸運が連続してやってきて、順風満帆、意気揚々なんて状態についぞなったことがなかったからだ。
いきなり、目の前で、二体のロボは火球に包まれ、爆発を起こした。
巨大ロボを操る正義の少年という見出しで、明日の愛媛新聞の一面を飾ることを少しでも夢見た自分がバカだった。思えばツイていない十五年だった。
爆風に吹き飛ばされながら、翔太郎は絶望した。
歴史文学と温泉のまち松山。のんびりした田舎であるという以外、とりわけて特徴のないひなびた地方都市で、恐ろしい戦いの火蓋が、今ここに切って落とされた。
巨獣の叫び声が、天を揺るがす。
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