太陽の使者 BARREL ~ごくフツーの男子高校生が、巨大ロボを操りますがいいですか~

芝浜 酔月

序章

ブラックビースト

―――昭和五十五年。

 雲ひとつ。空を横切っていく。

 一瞬、静寂に包まれた。

 あの雲に乗ってみたいと言ったのは、誰だったか。

 それはきっと、今はもう逢えない人だ。けれども、思い続けてさえいれば、いつかもう一度逢えそうな気がする。人は静かに、そのときを待っているのだ。

 透きとおるような空を眺めながら、境木さかき正太郎せいたろうは、そんな不思議なことを考えていた。

 耳をつんざく轟音をあげ、突然、黒い影が視界の端をかすめる。

 恐ろしい衝撃が、少年を現実に引き戻した。

 一本一本の大きさが乗用車ほどもある鉄の爪が、ビルの屋上に立つ彼のすぐそばに突き刺さってきたのだ。砕けたコンクリートの鋭利な破片が、正太郎を襲う。

 間一髪、おおきな鋼鉄の掌

てのひら

が空から降ってきて、正太郎を護った。

 蒼穹に、もうと土煙が吹きあがる。

「ロボ!」

 正太郎の呼びかけに応え、重いいななきが大地をゆるがせる。

 巨獣のうなり声。

 同時に巨大な影が、鉄の爪を振りかざす怪物に勢いよく衝突した。

 ビルの狭間に立つ、鋼でできた巨人。ロボット。あるいは鉄人。一方は、闇をまとわせたような漆黒、もう一方は、蒼く輝く鋼のロボ。どちらも恐ろしく頑強で、力強い。

 振り下ろされた拳を掌で受ける。反撃のパンチ。ジェット噴射でかわす。そのまま、キック。腕を交差させて弾きかえす。二体のロボの力は、まさに拮抗していた。

 黒いロボが、不気味なうなり声をあげ、今再び、重く巨大な拳をふるう。

 不覚にも、蒼いロボは、その撃を肩口に受けてしまい、雷鳴のような音をたて膝をつく。街が震える。

「少年探偵、境木正太郎! 小学生の分際でわしとここまでよう戦こうた、ほめたる。そやけど、このBK団の総帥ブラック・ビーストが造りあげた究極ロボ、ブラックネロスにはかなわんかったようやな。死にさらせ!」

 黒いロボットの左肩につかまっている中年の男が、さも嬉しそうに声をあげた。

 ロボットの色と同じ、黒い背広に黒いネクタイ。すらりとした長身と、きっちり撫であげたロマンスグレーの髪は、英国の紳士を彷彿とさせる。そんな上品な風貌とはうらはらな、コテコテの関西弁と下品なもの言いに、かなり違和感があった。

「正義は負けない。悪ある限り、僕は戦う!」

 脚が痛かった。さっき膝を擦りむいたのだ。しかし少年は、そんなことはまったく気にせず、強い意志の炎を瞳に灯したまま、ビルの屋上からまっすぐに黒ずくめの男をにらみつけた。何者にも曲げることのできない若い正義のオーラが、身体から立ちのぼっている。

 大人顔負けの頭脳と行動力で、世に降りかかる悪の野望を打ち砕く正義の少年探偵、境木正太郎。彼は世の子どもたちが憧れるヒーローなのだ。

「なにぬかす! この世に正義の栄えたためしはない! ネロス、いてもうたれ」

 ビーストは、黒い杖を正太郎の方へ突きだす。

 この男、ブラックビーストは、悪の組織BK団を組織し、巨大ロボを使って、日本を征服すべく、悪事を繰り返してきた。そしてその度に、正太郎とロボに野望を潰された。満を持した彼は、持てる科学力を結集したロボで、最後の戦いを挑んできたのだ。

「ロボ! ブラックネロスの弱点は脚だ!」

 正太郎は鋭い声ととともに、黒い巨人の下部を指さす。

 蒼い巨人が獅子のように重く吠えた。

 それと同時に、倒れたままの姿勢でブラックネロスの脚に組みつく。流線型をしたブラックネロスは、玩具にして売りだしたくなるほどカッコいいが、確かに、上半身と下半身のバランスが、いかにも悪かった。

 ブラックネロスは、あっけなく地面にうち倒れる。破壊音とともに、土煙が舞いあがった。正太郎のロボは、すかさずその上に乗り、マウントポジションを取る。

「なんやてぇ!」

 ブラックビーストが、甲高い声をあげた。

「パンチだ! ロボ!」

 正太郎の弾ける声とともに、鋼のロボの拳にトゲのあるナックルカイザーが装着される。怒れる拳は、すぐさまブラックネロスの胴体に穴を穿った。パンチの連撃がビルの群れにこだまする。

「決着の時だ! ブラックビースト!」

「まだや、ブラックネロスはこんなもんでは負けへん! オープンネロスや」

 ロボットの肩から落下しそうになったブラックビーストが、奇声をあげると、みるまにブラックネロスの手足や胴がバラバラになる。分離した部品は、ロケット噴射ではじけ飛ぶと、馬乗りになった正太郎のロボの四肢をすり抜け、瞬時に背後でもとの黒いロボに合体し、怒れる拳を振りかぶった。

「ドリルだ! ロボ」

 正太郎の叫びに、鋼のロボが拳を激しくスピンさせる。

 それとともに、まるで空気が拳にからみつくように、腕がドリルに変形していく。正太郎のロボは、ドリルに変わった腕を、ブラックネロスの攻撃に交差するように突きだした。

 狂おしく回転するドリルが、ブラックネロスの拳を巻きこみ、その頭部に突き刺さる。

「ぬぬぬ! また神奈備システムかいな。正義、正義とやかましいわりに、なんとも卑怯なやっちゃ!」

 言っている間にも、大きなドリルが、ネロスの頭部をじわじわと粉砕していく。

「なぜ神奈備が卑怯なんだ!」

 祖父の遺したロボを、卑怯もの呼ばわりされるのは、正太郎には我慢ならなかった。その怒りを宿したように、ドリルがなおも回転を加速させる。

「空気からドリルを発生させる。まるで魔法やないか。男の勝負とはおもえへん。正義を振りかざすんなら、もっと正々堂々勝負したらどうや! 第一そのロボは第二次世界大戦のとき、アメリカさんを攻撃するために造られた兵器なんやろ、人殺しの道具や、正義の味方とちゃう!」

「ちがう、ロボは戦争の道具なんかじゃない!」

 正太郎は、ロボの操縦装置、磐座いわくらを振りかざす。

 石板が、不思議な赤い文字を浮かびあがらせた。

 ロボは、操縦者の意志で神にも悪魔にもなる。ロボが悪いのではない。いつだって間違うのはそれを操る人間だ。

「お前は、今の日本の進んどる方向が正しいと思うとるのか! 戦争に負けたとたんに手のひら返してアメリカの猿真似、なにが自由や、なにが経済や、そんなもんはき違えや、日本人はカネと引きかえに一番大事なモンを捨ててしまいよった。今はええかもしらん。しかしな、このままでは日本はたいへんなことになっていくで。わしが正しい方向に導くしかないんや」

「だからって、戦いを続けるのは間違ってる! 戦いはなにも産みださない! 罪もない人をまきこむのはゆるさないぞ!」

「戦後に生まれたお前なんかに、なにがわかる!」

 そうしている間に、ブラックネロスの顔は完全に粉砕されてしまった。その途端、今まで、力づよく戦っていたネロスが、まるで木偶人形のように力を失う。

 ブラックビーストは、口惜しそうに歯をむいた。

「お前の負けだ。観念しろ! ブラックビースト!」

「あほぬかせ、観念せえ言われて、観念する悪党がどこにおる!」

 ブラックビーストが、もはや動かなくなったブラックネロスの肩の取っ手を引き抜いた。そこから、一人乗りのヘリコプターが出現する。

「今頃、お前たちのアジトは警官隊が包囲している。もう逃げ場はないぞ」

「ほう、ええ情報をありがとうな、正太郎。そやけど、これで勝ったおもたら大間違いや、わしは必ず再び現れ、この昭和の世の征服者になってやる。そのときは、お前もロボも間違いなく地獄行きや、それまで勝負はお預けやで、正太郎!」

 ブラックビーストを乗せたヘリコプターが、宙に浮かび上がる。正太郎は悔しそうに右往左往するが、どうあがいても、空中のブラックビーストを取り押さえることはできそうもなかった。

 頼みのロボもブラックネロスの残骸に組みつかれたままで、すぐさま立ちあがることはできない。

「今日のところは引き分けや、覚えとき、引き分けやぞ!」

「ブラックビースト、何度おまえが復活してきても、僕とロボの正義の力で、必ず悪の野望を粉砕してみせる。悪事は絶対にゆるさないぞ!」

 燃えさかる正義を心に宿し、正太郎少年は揺るぎない決意とともに、ブラックビーストを指さした。

 黒いヘリコプターは小さくなって、空にとけこむように消えていく。


 こうして正義の少年探偵、境木正太郎の活躍で、世に言う『ブラック・ビースト団事件』は終演をむかえた。正太郎に復活を誓って逃亡したブラックビーストは、国際指名手配されたが、その後の消息は不明である。

 正太郎とロボの、その後を知るものもいない。

 同じ年、世界保健機構(WHO)は天然痘の根絶を宣言し、イラン・イラク戦争が勃発、ジョン・レノン銃殺事件が起こることになる。

 日本はまだ、輝かしい未来を信じ経済発展の道を突き進んでいた。ジャパンバッシング、円高不況、バブル景気、そしてその崩壊。第三次石油ショック、アメリカ発の金融危機リーマンショック、中国の台頭。東北地方太平洋沖地震。

 未だこの東洋の島国は、そのどれも体験してはいなかった。

 そして、四〇年余の時間が流れていった。

 昭和の時代を征服すると豪語していたブラックビースト団は、昭和はおろか平成の時代になっても姿を現すことはなかった。

 日本じゅうを巻きこんだロボたちの死闘も、やがては語られることがなくなり、人々は正義の少年とロボのことを忘れ去った。ただ流れていく平和な時間を、あたりまえのように享受しながら、いつの間にか、日本は老人のような国になった。

 あの日、正義に身を燃やしていた少年は、どこに行ってしまったのだろう。

 正義や平和は、もはや水や空気のようにあたり前のものになり、もはやこの国には、正義だ悪だと、ことさらに主張する者さえいなくなった。

 そして、物語は、はじまる。

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