第8話 幼女と危機一髪
それからすぐに月日は流れる。
冬は春に。
氷は雪解け水に。
谷間に春の霞がかかり、葉は露に濡れて。
夏がきた。
新緑が陽に当たり初夏の風が草原中をなびく。
暑い日差しもいつか冷めて、秋。
山鹿たちが群れを作って野山を駆け抜け、冬。
虫どもも冬眠しブリザードが吹き荒れる。
凍えるような寒さが大地を凍て付かせて、春。
それらが一周。
二周。月日は経ち。
二年。
ハルヒコは記憶を失っていた。
辛くも長い二年だったが、ハルヒコはワープの魔石で飛ばされた名も知らない街で必死に生き延びてきた。
なぜか金は銀行にためてあったので、ハルヒコはそこで現金を受け取ることにした。
だが自分の名前に関してだけは、個人情報だかなんだかを理由に明かされなかった。
転生者の名前は、この大陸に転生した瞬間ここの中央銀行の資産となるらしい。
生前資産預かり制度だかなんだか。転生者の財産を保護するのが目的なのだそうだ。
えらく立派な作りの建物にガランとした作りのロビー。そこに人影はない。
彫刻が掘られた豪華な柱と、このパラミタ大陸を開拓していった代々勇者たちの彫刻。廊下や壁伝いに置かれた勇者たちの胸像。
美術的な価値のありそうな絵画。
みな、どこにでもいそうな普通の人間だった。
エルフ王に騎士の称号を与えられている図。
魔王討伐出征の絵画。
どれも厳かに描かれているが、それらに共通しているのは、特徴的な耳を持つ亜人が、人間を称えているのだ。
「オレは、普通だ」
ハルヒコは自分の耳を触ってみた。亜人たちとは違う、丸くて小さい耳だ。
「これがあなたの受け取り分です」
受付にいるうさぎみみの無愛想な亜人が、麻袋に入った数枚の金貨を渡してきた。
「これが取り分って。もっと色々あるだろう? これだけってことは」
「これだけはこれだけです」
うさみみの亜人はぶっきらぼうに答えた。
「そもそも転生者なら、こんなところに来てないで普通もっとお金を稼いでるものなんですよ。特殊能力、あるんでしょう?」
「だーかーらー、オレにはそういう特別な力なんてないんだって!」
「それは残念でしたね」
「だからさーっ、もっと増やしてくれないの?」
「取り分はそれだけです」
「取り分だと?言っていることがよくわからんな」
「当転生者中央銀行、以下転生銀行は、ここパラミタ大陸に転生されてきた勇者様型のご厚意によって設立された、いわば財産信託運用銀行です。ここに代々預けられた転生者様型の生前のご資産は全て預けられ、それを原資に当行が運用し、利子でもってこの大陸中の福祉をまかなっています。またパラミタ大陸で行われる貨幣取引は当行がその価値を保証し、為替取引もまたその例外ではありません」
うさみみメガネの亜人さんは得意げにそう言った。
で、最後にチラとハルヒコの方を見る。
「当転生中央銀行は先代勇者様のご意向と立法によって定められています。出資に対する利息分の変換は例外的に認められていますが、出資分の全額返還は認められていません」
「ではオレの元の名前くらい教えてくれてもいいだろう!前世でもなんでもいい!オレの名前だ!!」
「名前も当行の資産の一つですのでお答えできません」
うさみみの亜人は新聞を広げながら、さも関心がなさそうに続ける。
「もしあなたが転生者なら、好きな名前を名乗ればいいと思います。誰も咎めませんよ。あなたが転生者ならね」
それでハルヒコは転生者中央銀行にあしげく通って、金貨数枚を手に入れた。
もうすぐ夏も終わり、秋が来ようとしている。
ハルヒコは胸の中に、なぜかずっと自分を突き動かす謎の衝動を抱えていた。
何かの店を持つ。それで誰かが来るのを待つ。
それがなんでそのようなことを思ったのかとんと見当がつかない。
なぜ店を?なんの店を?
そうして悩んでいるうちに、ハルヒコは町のはずれに空き家になった小さなボロ屋を見つけた。
なんの店にするのかは、店構えを見たときに決めた。
世界一、あったまる塩スープの店を作ろう。
店の名前は、『アリスの隠れ家、ラモーエスカランテ』。
名前を忘れたハルヒコは、しばらくエスカランティスと名乗ることにした。
ボロく無様ではあったが、ここが、彼の最初の拠り所となる。
パラミタ大陸随一の街並みである王都の端、スラム街にほど近い立地。
転生者による急激な技術発展と刺激的な経済政策によって大陸は富んだ。
転生者と一部の亜人たちによってこの大陸の富の大部分は独占された。
かつてこの大陸は、貧しくても皆が助け合って生きてきた、平等な世界だった。
だが転生者が来たことにより世界は一転する。
世界は、持つ者と持たざる者、奪うものと奪われるもの、虐げるものと虐げられるものを作った。
ここスラム街は、虐げられるものが集まった町だ。
ハルヒコのラモーエスカランテは、持たない者たちの住む町、奪われ、虐げられ、転生者を恐怖と羨望の眼差しで見るだけだった者たちに建てられた。
当然亜人たちは興味を持った。
そして悟った。この男は、奪うことができるものだと。
長年虐げられてきた亜人種たちが、ラモーエスカランテに忍び寄る。
ハルヒコもとい、記憶を失った元転生者のエスカランティスも襲撃を察知して古い光状兵器を広げる。
そんな小さな武器がなんの役にたつだろうか。
それもこの数に。
店を囲うほどに膨れ上がった、持たざる亜人種たちの暴力に。
元・転生者のエスカランティスはこれまでかと覚悟を決めた。
そのとき。
一台の暴走トラックが、大通りをこちらに向かって一直線に走ってきた。
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