第7話 幼女と転生者

 オウド・ハルヒコは真っ白で大きなテーブルクロスを、ブワァっと夕食テーブルの上に広げた。

「これでよし。いやまだ足りないなあ。あ、そっか」

 思い出したように指を立て驚いたような顔をして、町に出た時に買ってきた花屋さんの小さな花を一輪、水差しに入れてテーブルの中心にポンと置く。

 とろっとして温かい一杯の塩シチューに、ローストチキン、今日はちょっとだけ奮発して大きな黒パンを一つ。


「うん、これでいい。アリスが帰ってきたら、きっと驚くぞ、何があったんだって。ああ、そしたらまずは手を洗わせて、よくタオルで拭いたら話してやろうか。今日がアリスとオレが出会った一周年記念だって」


 ハルヒコは満足そうにウンと頷く。

 この地にハルヒコがやってきたのは、今から十年くらい前のことだ。


 今自分たちが住んでいるパラミタは、次元間飛行大陸と呼ばれる異次元世界というものだった。

 詳しくはわからないが、この次元間飛行大陸は、次元と次元の狭間をある周期に則って漂う小さな箱庭世界らしい。


 それで、十年前に自分がもともと住んでいた次元世界とパラミタは数千年に一度の次元大接近をすることになり、そのタイミングで世界からぐうぜん弾き飛ばされた人々は、転生という形ですぐ隣に接近していたパラミタ大陸に引っ越した。



 ハルヒコも転生者組だったが、最初の転生生活はろくなもんじゃなかった。

やれこの世界にはびこる魔王を倒すだの、ドラゴンが溜め込んだ財宝を奪うだの。

 そりゃあどの話題もとても魅力的に思ったのだが、やれギルドだの、王だの奴隷だの、果ては勇者だの大賢者だのと呼ばれることに、まあ慣れていなかったのもあったがどうにもそういう特別視されるのがむず痒くて、ハルヒコはずっと逃げ回ることにした。



 ぼうっとして地方に隠れ棲んで、その地の他の亜人たちの生き方を見よう見まねしてごく普通の生活をしようとして、そのうち後からやってきた他の転生者が、やれ勇者の称号だとか、大賢者だとか、神に祝福された神の子だとか、そういう扱いを受けてみんな出世していくのを見守った。


 ドラゴンが亜人村を襲った時は、村人と一緒に逃げ惑った。

 王国と魔人の戦争があった時は、亜人の村人と一緒に泣いた。

 雨が降らず畑が干上がってしまった時は、やっぱりというか、亜人たちと一緒になってオロオロした。


 そうこうしているうちにパラミタ大陸と現世界が離れてしまい、二度と元の世界に戻れなくなった。

 ハルヒコは、この地に骨を埋めようと思った。

 そんな時に拾った子猫の亜人が、アリス・テレッサだ。


 他の亜人たちは、ねこみみ族はタチの悪い盗族だから手を出さないほうがいいと言ってはいたけど、ハルヒコにとってはそんなの気にすることではなかった。

 亜人だって誰だって、みんな一緒じゃないか。特別視することない。

 そう思って彼女を育て、一年。


「もうこんなにおっきくなっちゃったもんなあー。あの頃なんて、すっごいちっちゃかったのに」


 写真がないので、代わりに壁に釘で線を引いている。アリスの成長記録は、最初は床から立つこともできなかったので数十センチ。十二ヶ月たった今では、もう一メートルを超えている。

 それもこれも、亜人の特異性あってのことか。


「いやいや、オレの愛情があったからだな。ふふん」

 一人しか家にいないので、思っていることをついつい口にする。

 さいきんアリスは、どこで覚えたのかハルヒコに店を作れと言うようになった。

いわく、ハルヒコのシチューはお金をとれるくらい美味しいそうだ。



「まあ、これくらい小さな野望なら持ってもいいかなって。思うこともあるんだよな。自分の店、か。……そんなことより、アリス遅いなあ。どこに行ってるんだろう?」


 窓の方を振り返り、カーテンをあげて窓を開ける。

 窓の外では白い雪が、しんしんと降り続けていた。


 その奥から、だれか三人組がゆっくりと歩いてやってくる。

「お?」

「こんにちは転生者さん」

「えっと、あなたは?」

「名乗るほどのものでも。まあ強いていうなら、ボクもあなたと同じ転生者ってことでしょうか」


 にっこり微笑むと、青年は片腕でマントをひるがえし腰に手を当てた。


 男が着ているマントはそれ一枚だけで相当な魔力を消費するレアアイテムだ。ハルヒコは、転生者仲間で流行っているゲーム用語が瞬時に頭の中に流れた。


 正直、この世界の物や出来事をゲームに例えるのは好きじゃないし、はっきり言ってこの世界に生きる生き物たちに失礼だと思う。だが、そうでも言わないと現実世界から取り残されていった自分たちの現実に、強い衝撃をうけすぎるんだろう。


 たしかにこの世界は、なんとなくゲームに似ていたが。


「ずっと前からズームアイできみのこと見てたんだけどさ。やる気なさすぎじゃない?」

「うん?」

「街にいる他の転生者とたまにきみのこと話すことあるんだけど、ここまで何もしない転生者ってきみくらいしかいないらしいよ。ギルドにも入らないで」


「オレは一人でトレジャーハントするのが好きなんだ」

 ハルヒコは強がってみせた。


「それもずっと昔の話じゃない」

 転生者の青年はため息をつく。

「十年以上前の話だよね。ギルドの報告書にはそう書いてあった」

「だからってあんたに何か言われる筋合いはない。オレはオレが生きたいように生きて、ここにいるんだ」

「ハハッ、そりゃそうさ。こんな田舎で老人みたいに引きこもって、モブの亜人たちと仲良く暮らして。それでも」


 青年の目が嘲笑の目から、一瞬で冷ややかな目になる。


「そのモブキャラを焚きつけて犯罪をさせるのは許せない。きみは一線を超えた」

「は? 一線? 一体何のことだ?」

「とぼけてもムダだよ。すでに調べがついている。ついさっきそこで強盗事件があってね」

「知らん。一体何のことだ?」

「強盗を犯した亜人の一人が自白したんだ。ここに住む、オウド・ハルヒコが自分たちに強盗をさせたってね」

「はあ?」


 ハルヒコは驚愕の表情を浮かべて青年と、その連れの二人組を見た。

「嘘だろ?」

「事実だ」

「アリスが……いや、あいつがまさかそんなこと……」

「強盗一味はすでに全員逮捕され、今は警察と転生者ギルドに保護されている。警察は転生者に手出しはできない。手を出すことが重罪になるからな」

「……それで?」

ハルヒコはゴクリと唾を飲み込んだ。


「誠に遺憾だが転生者に許されたスキルの一つ、プレイヤーキルで、きみはボクに殺されなければならなくなった。同じ転生者としてとても不愉快だ。モブとは言え、あんないたいけな子供に犯罪をさせるだなんて……っ!」


 青年の目が青い炎のように燃える。「ちょ、待ってくれ! それは誤解だ、オレはただあの子達が無事に帰ってくるように……」

「問答無用だ、オウド・ハルヒコ! おまえはここで、罪を償うために死ぬ!」


 青年の手のヒラから光の剣が突き出し、輝く伝説の剣のようになって大きく展開する。

 光の武器、光状兵器か!

 ハルヒコも同じ光状兵器をとっさに展開し、青年の振るう光の剣を受け止めた。だが、剣を受け止めた瞬間に鱗粉のような白い粉が宙を舞い、ハルヒコはその粉をもろに吸い込んでしまった。


 光状兵器とは、光でできた物質兵器である。

 初期型のそれは、技術的な問題で使用者の特技に合わせた物質武器一つを発生させるのが限界だったが、技術改革とパッチアップ、バージョンアップを繰り返して発生できる武器の数がだんだんと増えていき、今ではほぼ無限個数の光状兵器を発生することが可能になっていた。


 武器一つ一つを小さくすることができれば、それこそ光状兵器の嵐を呼ぶことができるのだ。


「風よ、吹け!」

 異世界転生者の青年が柄だけになった剣を振るう。その動きに合わせて、細かい光状兵器たちは渦を巻くようにハルヒコの家と家財、ハルヒコの肌、吸い込んだ肺をめちゃくちゃに傷つけた。

「グホッ!?」


「せめて苦しまないように殺してやる。次の世界では真っ当に生きるんだな!」

「オレは、やってな……」


 言い終わらないうちに青年の二振り目がハルヒコを襲う。

「ヴッ…………」

 鼻や口、穴という穴から血が吹き出す。

 もうダメかと思った矢先、ハルヒコたちの住んでいた木造の家の奥で何かが輝きだした。



 アリスの寝室。絨毯の下に隠されている小さな宝箱が、内側から激しく発光している。

 大きく狂ったように箱は震え、衝撃に負けてバカリとその口が開くと光は一層強くなった。


「あれは、どこかのモブ村にあるワープの宝石!?」

 驚いた転生者の青年が、光をじかに目に受け腕だけで光をさえぎろうとする。


「おのれ、逃げるつもりか!!」

「オレは、やってない……!」


 消え入りそうな意識の中で、ハルヒコは彼女の名前を叫んだ。


 アリス。アリス。オレのかわいい、アリス。

 もう一度どこかで会えたら。会えるのなら。アリス。

 声にならない声でハルヒコは呟くと、すうと身体中の力が抜けていくのを感じ た。

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