第32話 人質

 「クソッ、、なんてこった!これでは動けない」

 寶野は再生する巨大なゾンビ型アメミットたちを見ながら叫び、そしてありったけの力を込めた拳で軍用車両の見張り台に付けられた柵を叩く。柵は影がくっきりとなるほど、拳のサイズと同じくらいに窪みができてしまった。

 アメミットたちは次々とドロドロに溶けた身体を何事もなかったかのように取り戻していく。失われた肉の細胞をミチミチと引き出すようにして獰猛な怪物が作り上がるさまは絶望そのものであった。

 「巨大なゾンビ型の時点で只者ではないのに、再生能力まで持っているなんて」

 刑部は不安をそのまま口に放り込んだような声でボソボソと言った。

 現在偵察隊の戦力として分解液弾はもう底を尽きる一歩手前と言ったところか、抵抗しようものなら返り討ちにされかねない状況だった。このような状況下では動こうにも動けず、おまけに車の燃料が雀の涙ほどしかないので、ただひたすらアメミットの数が減少していくのを待つしかないのだった。

 「し、もう、死ぬ」

 津村は紫色になった唇を尖らせて、大して寒くもない気温の中ボロ雑巾のような毛布にくるまっていた。 

 「津村……」

 隣で座っていた辰巳は声をかけるが、安心を添えるような言葉は見つからなかった。

 「こんなところ、もうごめんだ!」

 毛布を放って津村は勢いよく見張り台を降りて車内に入ったかと思えば、そのまま軍用車両の重たい扉を開け放って外へと走り出した。その様子は群れからはぐれてしまった働き蟻のようだった。

 「おい、津村待てよ!どこへ行くんだ」

 刑部は叫んで引き止めようとするがその声は届かない。津村はひたすら走って向かいの車道を横断しようとした。

 すると黒いスーツを着て、無機質な白い楕円形の仮面をまとう騎士エージェントがその先のビルの影から姿を現した。騎士は津村に拳銃の重たい銃口を向けた。

 「はっ……誰だお前は」

 津村は肝を抜かれあように目を開く。津村を目で追っていた隊員たちも同様の反応であった。

 「両手を上げて、そのまま車に戻りなさい」

 騎士は銃口を向けたまま機械音のような男の声で言い放った。

 「何を」

 「この銃が見えませんか」

 食い気味に騎士は言い返した。

 「わ、分かった。戻るから撃たないでくれ……」

 汗ばんだ手を上げて方向転換し、車へと戻ろうとした。しかし津村は腰から自分の拳銃を引き抜き、その銃口を騎士へ向けた

 「し、死ね」

 引き金を引こうとした瞬間、津村のちょうど心臓あたりから血が吹き出した。体全体から力が緩んだ津村はイカの天日干しのようにそのまま倒れた。倒れた場所に血の水たまりがジワジワと広がった。

 「抵抗するとこうなります。大人しくして下さい」

 騎士は軍用車両に乗っている隊員たちに言った。か細く抑揚のない声だが、耳に向かってストレートに響く声は隊員たちを畏怖させた。

 そして騎士が右手を挙げて合図をすると、さらに二人、同じ風貌の騎士が出てきて軍用車両を囲むように配置をとり、ライフルを構えた。

 「なんなんだこいつらは」

 寶野は見張り台に転がっていた緊急時用の遠距離ライフルに手を伸ばしながら、そう唸った。

 「今からあなた方は人質です。我々の命令に従って頂きます」

 寶野はしばらく考えた。相手はたった三名だが戦闘能力は極めて高い。ここで抵抗すればみな殺されてしまうかもしれない。

 そしてライフルに伸ばしていた手をゆっくりと戻した。そして苦渋な表情で

 「――要求は、何だ」

 と言った。

 なぜだか無意識に両手が挙がっていた。寶野がとてつもない無力感に苛まれ苦しいあうのはもはや言うまでもないだろう。

 しかし、丸腰で捕まるわけにはいかない。目に見えない抵抗は容赦なくさせてもらうのだった。

 寶野は腰の後ろあたりにつけている携帯発信機を、腰につけたままオンにした。

 「刑部、今俺の発信機を司令部に繋げた。腰につけたまま連絡してくれ」

 寶野は前を向きながら小声で、かつ早口で刑部に言った。

 「わ、分かった」

 刑部はそう言うとよろけるふりをして、寶野の腰の位置にまでしゃがみこんだ。寶野の愛用している光沢感のあるメリケンがちらついたがそんなことを考えている時間はない。

 「下位部隊三十八班および偵察隊の刑部です。人質に取られました。敵は三名、武器を所持――」

 「おい、なにしている」

 最初に現れた騎士とは別の騎士が荒々しい男の声で叫んだ。なお風貌は全く同じである。

 「いや、足を休めてただけだ」

 「立って両手を挙げろ」

 「はい、はい」

 刑部は半ば呆れたように、もしくは諭すように返事して両手を挙げた。他の隊員もまばらに手を挙げた。

 三人の騎士は軍用車両に乗った。一人は運転席に、もう一人は車内で座っていた隊員を立たせ、さらにもう一人は見張り台へと向かった。

 「ここにいるので全員ですか」

 最初に現れた冷静な口調の騎士は寶野に訊いた。もしかしたら援軍を呼ぶために逃げ出している可能性もあるからである。

 「ああ、全員だ」

 「――分かりました。では武器など身につけている所持品を全てここに置いて下さい」

 そう言いながら騎士は見張り台の床を右足でトントンと鳴らした。この見張り台に所持品を置けという意味である。

 寶野や刑部、ミノルたちは拳銃やアク、発信器を自分の身体からひっぺがして床にばたはだと捨てていった。

 「もうないですか、少しでも下手な動きをすれば殺します。次に車内に入って下さい」

 銃口を向けながら言った。

 逆らう術もないのではしごを下り、全員車内に入った。

 車内では、座っていた隊員も所持品をひっぺがし、騎士に渡していた。騎士はそれを持ってはしごを登り所持品を見張り台の床に投げ捨てる。そこには拳銃、アクが無造作に散乱していた。もちろん、寶野お気に入りのメリケンもだ。

 運転席を確認していた騎士は車内に降りてきたことを確認するとぶっとい縄を取り出して、こちらへと歩いてきた。

 「全員座って、手を後ろに組め」

 甲高い男の声の騎士は言った。そして手分けして隊員たちが身動きとれないようにきつく縛った。

 「それで、お前らの要求はなんだ」

 寶野は訊いた。

 「羽月命をこちらに引き渡して下さい」

 即答するように、無機質な声で答える。

 「――お前らは何かと羽月命にこだわっているが、彼をどうするつもりだ。何が狙いだ」

 「それは答えることができません。ですが引き渡した場合にはあなた方を解放します」

 全員を縛り終えた騎士はゆっくり歩きながらそう言った。そして縛られ、座り込んでいる隊員たちを見渡す。

 「時間を決めましょう。日没までに引き渡さなければあなた方の生命いのちはありません」

 

 刑部からのSOSを受けた本部の司令室は大荒れしていた。

 「まさか瀬戸川礼以外にも敵が潜伏していたとは」

 溝呂木晴哉はモニターを見ながら言った。そしてキーボードの上に乗っかった指を忙しなく動かしていた。

 「偵察隊の現在地は確認できますが、アメミットが手に負えない状況で、今救出するのは困難ですね……」

 柳咲良は歯ぎしりをしながら晴哉に言った。

 柳のモニターには地図が表示されており、青色のピンが軍用車両の現在地を指し示していた。

 すると、その青色のピンが思いついたように動き始めたのだった。

 「て、偵察隊が動き始めました!」

 柳は驚いたようにそう言った。

 「一体どこに向かうんでしょうか」

 小鳥遊廉が横から覗き込みながら言った。

 軍用車両はかなりのスピードが出ているようで、真っ先にどこかの場所へと向かっているような素振りであった。

 「というより、あっち側は要求はなんなんだ。人質を取るってことはなにかしら条件が付いてくるはずだが」

 中年の隊員、渦木田亮うずきだりょうが後ろから指摘をした。彼らは「確かに……」という空気になった。

 「推測できるのは、羽月命関連だろうか。入間勘三郎が羽月を管理塔に送るように瀬戸川に命じていたらしい」

 と渦木田は言う。

 「あ、偵察隊が発信機を使ってます」

 柳が言うように、発信機を管理するモニターには偵察隊が所持する発信機のうちの一つが特別部隊に向けて連絡を行っている状態になっていた。

 司令部は隊員が携帯する発信機でどのような連絡を行っているのか傍受できる権限があり、不正な連絡や誤解を未然に防ぐためのものである。

 「これ、傍受して」

 渦木田は言った。柳は発信機の音声が聞き取れる状態に手元のキーボードを操作する。

 少しのノイズの後、音声が飛び込んでくる。それは機械的な声であった。

 『今から言うことをよく聞いて下さい。またこのことは他の部隊に漏らさないようにして下さい』

 特別部隊側の相手は丈だった。

 『何者だ。人質を取るなど汚いぞ』

 丈は動じずに冷静な対応をしていた。

 『瀬戸川礼の部下とでもいっておきましょう。要求はただ一つ、日没までに羽月命をこちらに引き渡して下さい。また羽月には一人でこちらに向かうように指示して下さい』

 『……』

 丈は少しだけ黙り込んだ。

 『場所は未来が丘記念公園です。ではお待ちしております』

 場所を伝えた後、通信を切られてしまった。

 「羽月命の引き渡し……。やはりそうか」

 渦木田は顔をしかめて言った。渦木田は腕時計に視線を落とした。時間は十五時を指していた。今は九月上旬であることを考慮するなら日没はだいたい十八時頃。

 「とりあえず、日没まであと三時間ぐらいだ。なんとかしなければ……」

 渦木田はそう言った。

 先程まで司令室の上のブースに居た平宮は降りてきて、渦木田たちの群がる場所に歩いてきた。

 「――由々しき事態だな」

 平宮は言った。

 「ええ、このようなことは初めてです」

 渦木田はため息をつくようにそう言った。

 「柳。このことを他の部隊に報告を」

 渦木田は柳に指示したが、後ろに控える平宮は待ったをかけた。それと同時に渦木田たちの動きもピタリと止まる。

 「本来であれば他部隊に報告し、応援等を要請するのが鉄則だ。しかし人質というレアケース、また他部隊はゾンビ型に苦戦しているため混乱を招きかねない。人質は司令部と特別部隊だけで対処したい」

 「え、いいんですかそんなこと」

 渦木田は訊いた。確かにさまざまなレアケースが重なりまくっているが、さすがにそれはぶっ飛んでいるのではないかと。

 「それに相手は他部隊に漏らさないように言っている。必要以上に話が広がれば作戦に綻び出るかもしれない」

 平宮はそう言うと語気を強めた。

 「人質を安全に解放し、羽月も引き渡さない。必ず成功させよう。お前たちなら出来る」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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