第30話 緊迫
下位部隊の偵察隊一行はすでに住宅街周辺を調査していた。静けさが吹き抜ける住宅街相応の狭い道路には水たまりができており、また崩れかけた民家の屋根からは水滴が滴っており、それらは総括して太陽に照らされて絢爛としていた。
「なにもありませんね」
ミノルは見回しながら言った。
「線路の足跡が消えたあたりから追ってきたものだが、瀬戸川がいる気配はまるでない」
寳野はアクを構えながら慎重に見回している。足跡に驚いて飛び出すカラスも、今は只者には見えない。カラスが飛びったったあとの揺れた電線から水滴が落ちてくるさまも、ただの水滴には見えない精神状態である。
「そ、そろそろ車に戻ろう。和泉君を一人で待たせているし、それに瀬戸川はいなさそうだ」
刑部が一行に提案する。刑部のおどけたよう地声は普段だと煩わしいが、こういう時だと癒しというか、そういった類になる。
「ああ、そうだな。別の場所をあたることにしよう」
寳野の声で、一行は駐車してある軍用車両へと歩を進めた。
目を細めて軍用車両の運転席を見たが、そこに和泉の姿はなかった。
「ん、いない?」
刑部は言った。
「ま、まさかな」
寳野はにじみ出る寒気を抑えて軍用車両へと走った。乾きかけた道路が冷たい音を立てた。それと共に緊張感が増してくるのを感じた。
少しだけ息を切らしながら、運転席のドアを勢いよく開けた。
「おい和泉、あ」
「班長、セトガワ……が……」
和泉は肺から絞り出すようにそう言いながら、運転席にぐったりと座席の上で血を流して倒れた。生気は一切なくなった。冷えた手にはハンドガン型のアクが握られていた。
「和泉!しっかりしろ」
刑部たちも急いで駆けつけた。そして和泉の死体を見るなり息を飲んだ。
「で、出たのか、ヤツが」
刑部は和泉のひっかかれた深い傷を見ながら硬い声で呟いた。すぐ近くに瀬戸川が狙っているかもしれないという恐怖で一行は足がすくみそうだった。
「――刑部、斯波隊長に出動要請を出すように連絡を。攻撃を仕掛けてくるということは瀬戸川が宣戦布告している証だ。ヤツは俺らと一戦交わすつもりだ」
「でもなんで」と刑部は声を漏らす。
「いいから早くしろ。あとお前らは、部隊が来るまで車両から一歩も出るなよ」
一行はすぐさま軍用車両に乗り込もうとした。すると後ろから巨大な何かが姿を現した。その何かは水色の空をじわりとかき消すように、ぼんやりと鮮明になっていく。焦げた茶色の、巨大なゾンビだった。
「うわ、なんだ」
「巨大な、ゾンビ型だと」
隊員たちは狼狽しながら口々に言った。
同じく、ミノルや刑部も驚嘆している。
「く、車に乗り込め!」
寶野は叫びながらアクを構える。そしてゾンビ型から軍用車両を掴もうと伸びてくる手に、一発かます。茶色の手は爆破するように液体となって飛散する。ゾンビ型は痛がっているような顔をする。
「寶野、瀬戸川を探し出そう。そう遠くへは行ってないはずだ」
刑部は咄嗟に訴えた。
「車に乗れと言ったろう」
寶野の言葉通り周りには寶野と刑部以外は誰もおらず、車両に乗り込んでいた。
「弦、ヤツは俺らだけで敵う相手ではない……」
寶野は唇を噛みながら悔しそうに言う。
「それに」
寶野はあたりを見回す。
「お仲間もおでましだぜ……」
先程まで閑散としていた住宅街は、巨大なゾンビ型が次空を割るように次々と現れ始めた。
同時刻頃、イブ本部では緊急出動命令が発令された。下位部隊隊長の
『瀬戸川礼、及び複数体の巨大なゾンビ型アメミットが出現した。瀬戸川礼の対処方針は決定会議にて議決された方針でいく。各部隊準備が整い次第出動。場所は静岡県第七島田市』
放送に掻き立てられるように本部内は騒然としながら出動準備を急がせた。予めゆっくりと武器などの資材を車両に詰め込んでいた隊員たちも、手を急がせた。
寶野から伝達された情報を元に上層部は小会議室において緊急会議を行っていた。書類をめくる音や、手と机が触れ合う音などが一体となっていた。
「敵は」
中央の八坂は訪ねた。そして平宮が立ち上がり、口を開く。
「約十メートルのゾンビ型が二十体ほど出現したそうです。目標は突如姿を表したとのことです」
次いで小野寺が立ち上がる。
「また隊員一名が死亡。死に際に『瀬戸川』と言ったこと、隊員の手にアクが握られていたことから、瀬戸川礼も交戦してくる可能性が高いです」
「巨大なゾンビ型というのは、日本においての出現は初か。世界各国ではどうなんだ」
古賀が神妙に尋ねる。
「初の出現だそうです。対処に関しては普通のアメミットと変わりありません。またこのアメミットはヨーロッパで一度、不完全な状態の個体が確認されています」
平宮は手元のノートパソコンに裏ネットのニュースを映し出し、記事の内容を手短に要約した。
「なるほど、完全体としてものは、これが初だな」
古賀は言った。珍しく議会の面々も緊迫した顔つきであった。その空気感が会議室に飽和していく。
「――平宮」
八坂は重々しく言い放つ。その声に平宮は「はい」と言い顔を向ける。
「瀬戸川礼を人間に戻し事情聴取するというのはあくまで手段の一つとして考えてくれ」
「――手段」
「万が一の場合は殺害もためらうな。そう伝えておけ」
平宮はぐうっとつばを飲む。
「――分かってます」
貝塚新は屋外から矢崎と連絡を取り合いながら、隊員たちに指示を出している。
「ニ班、三班、七班の準備が遅れているそうですので、はい、急ぐよう伝えます」
手を急がせているのは特別部隊も同様であった。
「準備はできているな」
丈は車両の前に揃った隊員たちに呼びかけた。
「アクを含めた煙幕弾、睡眠弾共に車両への積み込み、完了しています」
風太はレ点マークが打たれた書類を片手に言った。
「よし、心して行くぞ」
丈の言葉とともに特別部隊は軍用車両に乗り込んだ。
命はこの軍用車両の埃っぽいにおいが、今日はやたら煩わしく感じた。確実に、いつもとテンションがちがうことを認識した。
命は自分の手を見つめる。煙幕や睡眠弾を使った作戦が必ずしも実行できるとは限らない。もしそうなったとき、礼をやむなく殺すことになるとしたら、躊躇せずにやれるだろうか。普通の人間に戻したところで、普通に話を聞き出すことが出来るほど、彼は正気を保っていない。何が起こるか分からないこの戦いに翻弄されないように、命は拳を強く握りしめた。
下位部隊の偵察隊は、じわじわと迫りくるアメミットから必死に逃走していた。たった一歩にも関わらず大きな距離を詰めてくるので、スピード落とせば車両ごと潰されるのは目に見えていた。
「ひぃぃぃ!」
津村は半狂乱となっていた。
「落ち着け津村」
辰巳は目を横にやりながら諭す。ガタガタと不揃いに揺れる軍用車両に動揺してはいけないし、目の前にいる化物にも動揺してはいけない。集中と車両の水素燃料を切らせば死を悟らなければならいのだから。
「弦、あとどれくらい走れる」
寶野はハンドルにしがみつくように運転する刑部に訊く。刑部は水素燃料のメーターに目を向けた。
「もって三十分くらい、かな」
「マジかよ……」
「もし切れたら、どうする?」
刑部は訊く。
「――高めの建物を意識して探してくれ。そこから食い止めよう、可能な限りな」
寶野は運転席を離れ、後方の荷台で待機している隊員に呼びかける。
「お前ら、いつでも戦えるように準備しておけ。絶望的な状況だが、最後まで抗おう」
するとミノルは反応する。
「さ、最後って、僕たち死ぬんですか」
口をもごもごさせてあたふためいている。寶野は言葉足らずだったことを少しだけ申し訳なさそうにしながら、しかし威勢込めて返す。
「――馬鹿野郎、本団が来るまでの最後だ。それまで耐えるしかない」
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