第24話 夏の終わり

 司令室ではコンピューターウイルスA03との戦いが大詰めという局面であった。

 命がテロリストのパソコンを壊した拍子に機密情報や個人情報の送信がストップしたと同時にウイルスの勢いも弱まり、さらにそこに京次郎が集めたウイルスをぶつけることによってA03は袋叩きに合っている。

 「ははは、俺の性欲がこんなところで功を奏するとはな……」

 京次郎は口をキリリと上げてそう呟いた。したり顔の京次郎に対して、横で支援をしている晴哉は呆れ顔であった。

 「おい、油断するなよ。まだ終わったわけじゃないからな」

 後ろから秀の声が飛んでくる。秀は後方にある精密機器を操作し、ウイルスによって生じた複数のバグ解析しているところだった。

 秀が操る機器モニターには複雑な文字列があちこちに乱列している。秀は迷うことなくキーボードを鳴らす。

 まだ『イブの脳』にはウイルスがワラワラと蔓延はびこっている。一瞬たりとも集中を切らせば逆転試合も目に見えている。

 秀は歯を食いしばりながら大声を抑えるような勢いでモニターとキーボードに眼差しを向け続けた。

 柳や小鳥遊などのオペレーターは多方面と発信機で連絡を取り合いながら、また回復したモニターに釘付けになり、細かいバグ解析を行ってせわしなく行う。

 「よし、メジェドのバグが直ったぞ」 

 小鳥遊はガッツポーズを作った。そして白い歯をむき出しにしている。

 柳はインカムマイクに手を回して連絡された状況を口にする。

 「下位部隊から連絡です。電力管理ブースの消化が完了した模様です」

 その言葉におおっと歓声のようなものが挙がった。モチベーションが上がる空気が作られた。

 「クソッ!壊せねぇ!」

 京次郎は腹を立てて床を叩いた。溜め込んだウイルスをぶつけるもここにきてビクともしなくなったのだ。この『アメミット《コンピューターウイルス》』は血と肉で構成された生物のように複雑な構造であった。ここまで弱点を露呈させることができたのもある意味奇跡に近いものがあった。あとはパスワードでロックを解除すれば核に入り込み、分解できるという状態だ。

 「京次郎、落ち着け」

 晴哉は口を挟む。

 「ここでミスったら、ここで再生されたら終わりだ……」

 京次郎は頭を抱える。

 「見ろ、パスワードの暗号化されたもののログが残っている。これを解読すればいいはずだ」

 晴哉はすぐ横のウィンドウを開いた。白のバッグに大量の文字列が表示された。空間にはアルファベットが大量に敷き詰められた文字列だった。

 「ウィジュネル暗号……」

 京次郎の額からは焦りが色濃く混ざった汗が吹き出してきた。眩しいブルーライトから生み出されたアルファベットを目に映すと気が動転してくる。

 「晴哉。俺はこれを解読する。お前は解除後にすぐウイルスをぶつけられるように準備しといてくれ」

 京次郎はそう言うと筆箱から黒のマジックペンを取り出し、そしてジャケットである制服を脱ぎ、上半身は黒のタンクトップ一枚になった。 

 「白浪さん、いったい何を?」

 隣にいたエミリが訊いた。

 「はは、これにメモるんだよ。紙なんて準備してる暇ないからな。ホント制服が白で良かったぜ」

 京次郎はマジックペンのキャップをポンと取った。そして画面を見ながらジャケットの背中に数式を書き始めた。その手付きに迷いは微塵もなかった。額から汗が溢れる音に重なるように、布とペンがいびつに擦れるた。その音に緊張を見せつけられる。

 京次郎は汗を拭った。

 (よし、これが良さそうだ)

 晴哉はウイルスを選んだ。横に書かれた保存した日付はまだ大学生活が始まって間もないような日付だった。確か京次郎はバイトをして金を溜め、今目の前にあるパソコンを購入したんだった。スマホしか使ったことがなかった京次郎にパソコンの操作は不慣れだったが、徐々に使い慣れてそういう類のサイトをスイスイと見るようになった挙げ句、コンピューターウイルスに感染し、スマホの知識を応用して時間をかけて捕まえたのがこの強力なウイルスであった。翌日に笑顔で捕まえたことを自慢してきたのだった。いつも「バカだなぁ」と思うが、そういう趣味が役立っていると思うと親友として感慨深いものがあった。

 「おい晴哉、何ぼおっとしてる。解読できたぜ」

 京次郎はもうパスワードを打ち込んでいた。彼のジャケットは計算式で真っ黒になっていた。

 【ロックが解除されました。】

 「晴哉!」

 晴哉は選んだウイルスを送信した。

 上手く合致したらしく、大量のウィンドウが開いた後に画面がパアっと元に戻った。

 それに伴い、司令室の様子も元の静謐な状態に戻っていった。

 司令室はしばらく静寂と沈黙が続いた。

 「――や、やったぞ!」

 一人の隊員が声を挙げると一斉に「やったぞ!」と口々に叫びながら書類を空中に撒き散らした。後ろで見守っていた平宮は安堵の表情を浮かべるのだった。

 「ああ……疲れた……」

 京次郎はその場に倒れ込んだ。

 「お疲れだよ京次郎」

 「お疲れ様です」

 晴哉とエミリは微笑しながら言った。

 司令室の冷え切った床には撒き散らした書類がパラパラと積もっていた。


 「命、あのアメミットは何者なんだ?」

 翔吾は命に訊いた。命は割れた窓の隙間から吹く風に当たりながらうつむいている。

 「テ、テロリストと接触したの?」

 翔吾はまた訊いてきた。心配そうな表情であった。

 「命。何かしらの理由で言いたくないのは十分承知だ。だが、いずれそいつを追うことになる」

 丈は立ち尽くす命に近づいて声を掛けた。

 「――あのアメミットは、礼です」

 命は口をほぼ閉じたような状態でボソリと言った。いずれ言わなければいけないのは分かっていた。しかし、迷惑を掛けたくないという気が下。

 「礼……礼っまさか……」

 優は驚いた顔になる。同時に翔吾はたちまち吐きそうな顔へと変化した。

 「――瀬戸川……礼です。彼が犯人でした……」

 命は急に目の周りが痒くなった。そして流れるように涙が溢れてきた。そのまましゃがみこんだ。

 「――嘘」

 翔吾はぼそっと呟いた。

  

 それから夜は開け、朝日が昇り始めた。この事件の後処理や事務作業を済ませた第一部隊は、事務室の各テーブルから着席し、前に立っている矢崎の方へと目線を向けていた。

 「非常に、残念な知らせがある。静粛に聴いて欲しい」

 矢崎は険しい顔をしている。通常であれば隊長の横に副隊長が立っているが、今回はそこが空いていた。

 「えーまず、今年から第一部隊に所属し、一班に配属されていた瀬戸川礼についてだ。彼は、一連の、事件の、えー主犯であることが、特別部隊のある隊員の調査で分かった。また瀬戸川礼はヒトガタであることも、同時に判明した」

 矢崎の言葉に部屋はどっとざわめいた。足を浮かさて全員ふらふらとしている。

 「静粛に。まだ話は終わっていない」

 矢崎はそう言って咳払いをした。

 「また、この部隊の、副隊長として日々、責任感を持って奮闘してきた蟲部アクト副隊長が、先程、亡くなった」

 事務室は静まり返った。他人の喉をゴクリと鳴った音が聞こえるほど気味悪く、静まり返ったのだった。

 そんな中、部屋の奥からは貝塚が半泣きで矢崎の立っている前まで走ってきた。

 「や、矢崎さん……。ま、待ってくださいよ……副隊長が、死んだって……」

 貝塚は荒々しく抑揚のついた声でそう言った。貝塚の手は冷え切っており、もぞもぞと動いていた。

 「残念だが、本当だ」

 矢崎はこらえるような声で言った。矢崎はそのままうつむいた、

 「マジ……かよ……」

 貝塚はそのまま膝を床についた。

 そして静まり返った事務室に、貝塚のすすり泣く声が全体に響いた。


 それから二日後、外は爽やかな快晴であった。講堂にて、蟲部アクトの葬儀式が行われた。講堂の座席は喪服を着た隊員たちがところ狭しと並んでいた。

 連合自衛隊時代から優秀だった彼は、イブに移転後、すぐに班長を経て副隊長に任命された。少し流されやすい性格が顔に出ているのか、映し出された遺影は温和で柔らかい表情で笑っていた。

 そんな性格だった蟲部は、あまり自分の意見を言えずに悩んでいたが、同じ班の部下である、無鉄砲で猪突猛進な貝塚に憧れたという。

 大切な部下の一人であった貝塚を守るために、あの時自然と手が出たのだった。

 棺の窓から見える蟲部の顔に悔いはなく、達成感に満ちた明るい顔つきであった。

 出棺間際、準備で会場がわらわらとしているのを尻目に、貝塚は壇上に置かれた棺の場所まで行った。

 貝塚は棺の窓をそっと覗き込んだ。涙が溢れてくるのだった。

 「蟲部副隊長。あなたの分まで生きてみせます。そして猿田や、他の仲間の分も」

 貝塚は静かに手を合わせた。


 隣の小さな会場では滝村の葬儀式が行われていた。命、翔吾、優も喪服を着て、並んで座って手を合わせていた。

 前には滝村の遺影があるのだが、命はそれを見ることができなかった。ずっと顔をしかめてうつむいていた。

 別れ花の儀式でも、その死に顔を見ることができなかった。籠に積まれた小さな花を足元に収めることしかできなかった。滝村の棺には殆ど隙間がなかった。そのため少ししか花が収まらなかった。滝村の身体が大柄でたくましいままだった。

 

 命たちは外に出て、霊柩車の代わりとなる中型の軍用車両を見送った。このまま専用の火葬場へと向かうらしい。

 入隊して間もない頃から知り合った二人の仲にはもう戻れないらしい。片方は死に、片方は殺人犯だった。命はどう折り合いをつければ良いのかまだ分からなかった。しばらく考えてみるしかないのだ。

 昼間の光に照らされ、命はおもむろ目を覆った。震える唇を噛み締めながら、礼と滝村の顔を思い出した。



            Season1 END


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