第23話 怒り

 「うう……」

 命の右手に握られたアクの銃口を、半分ほどアメミットと化した不気味な礼の腕に突き出した。ためらいつつ引き金を引き、分解液が飛散したと同時に、礼の腕も泥水入りのバケツをひっくり返したかのようにブシャアと消え、命の首を絞まりも同時にほどけた。

 「キェェェェェ」

 と甲高い声で絶叫する礼は後ろへとよろめいた。

 だが、礼の勢いは止まることを知らず、制服は破け、身体はメキメキと音を立てて徐々に巨大化していき、三メートル程になったところで完全に人型アメミットと化してしまった。そして失っていた腕も生えてきて、チュパカブラのような獰猛どうもうな顔へと変貌した。

 「クソッ!!」

 命は礼を見上げながら、アクの引き金を引く。被弾した部分はわらわらと湯気を立てるが、溶ける気配はまるでない。

 礼は足でテーブルや椅子を蹴り飛ばし、手の爪を伸ばして命を引き裂こうとする。

 「ぐわぁ……!」

 命は身体を丸めて転がった。そして歯を食いしばりすぐさま礼の方へ目をやった。大粒の汗が額を駆け回った。

 こちらへ迫ってくる礼には人間味など微塵もなかった。命の頭の中では今まで親しくしてきた彼の姿は幻想と変貌してしまっていたが、かすかに残る礼の顔を照らし合わせると、手が震えてくるのだった。

 「礼!目を覚ましてくれ!」

 命は叫ぶ。届かないことなど分かっているが、思い出というか、記憶が邪魔をしてくる。ただ元に戻って罪を償って欲しいだけだ。理由なくどうしても心残りな部分があるのだった。

 「礼!お前には何があったんだ。こうなった理由くらいあるだろ」

 命の声は一切届かず、礼は手を広げて高速で走ってきた。どのアメミットよりも俊敏だった。

 命は攻撃を交わしたが、テーブルに頭を強く打った。虚ろになる目をなんとか開けて礼を睨む。

 (礼のやつ、多分まだ本気を出していないな……。俺を確実に殺すつもりではないのか?)

 礼は膨れ上がる力を抑え、入間に言いつけられた命令を守っている。本気を出せば八つ裂きに殺せてしまうので、なんとか自我を保たなければならないのだ。

 命は礼を食堂から出してはいけないと思った。コンピューターウイルスで手一杯になっているところに礼が大量殺戮を行ったとすれば大混乱になりかねない。それこそこの組織の終わりを意味しているようなものだ。

 命は立ち上がり、厨房の方へと走った。ここで少しでも時間稼ぎをするのだ。頑丈な業務用の冷蔵庫が盾になってくれるだろう。

 厨房では冷ややかな空気で澄み渡っていた。それらが目の前にある緊張感と混ざり不穏な空気感となって命を包んだ。

 「礼!こっちへ来い!俺を殺すんだろ」

 何度かはたらいてきた命の中にある本能的な『贖罪しょくざい』というような概念が、動き始めた。

 礼は厨房へと侵入してきた。メタリックな冷蔵庫の壁を荒々しくかき分けて命の姿と声を追いかける。

 命は奥へ奥へと走る。

 (とにかく時間稼ぎだ……。礼は、今の俺の敵う相手ではない……)

 命は走る。そして突き当りを左に曲がってこの厨房を一周するのだ。

 突き当りの目の前にある冷蔵庫には乾いた血がこびりついていた。

 正真正銘、滝村のだと思ったとき、命の眼前がダイヤモンドをひっくり返したかのように光った。

 「アアッ!」

 

 閑散とした真っ黒の空間に、命の背丈ほどの長方形の鏡がそびえていた。気づけば命はその鏡の前に立っていた。

 その鏡には命と顔と背格好だけがよく似た、銀髪の青年が一瞬だけ写った後、急に滝村の姿が写り始めた。滝村は寂しそうな顔だった。

 「礼は、何で俺を殺したんだ……」

 滝村は乾いた唇を動かして語りかけてくる。命は何か答えようとするが、金縛りと似た感覚で口を一切きけない。

 「命、教えてくれ……。俺はなんで死んだんだよ……!」

 未練が溜まったような苦い表情の滝村は命に必死に訴えてくる。気持ちは痛いほど分かる。そしてそれに寛容に応えるべきなのだが、どうあがいても口がきけないし、全身が軽く痺れているのだ。

 しかしながら滝村の声からは入り混じった感情がテレパシーのように伝わってくる。

 動揺、悲しみ、悔しさが入り混じった複雑な感情である。そして後から怒りが自分の中から湧き出てくる。

 やるせなさ、罪悪感、後悔が一体となって礼への怒りへと変貌していく。滝村のために何かしてやれないかと考えた挙げ句、それは礼を殺すという結論だった。

 礼はもう人間ではなく、アメミット《殺人鬼》である。嘘をついて騙し、罪のない人間を容赦なく苦しめた上に殺した。

 礼が首を絞めてきたとき、あの距離なら確実にアクで頭をふっ飛ばすことができた。でも、もう駄目だ。許容などしていられない。それにその許容でこれ以上彼の犠牲者が増えたらどうするのだ。

 覚悟はできた。死ぬ準備もできた。仇討ちをするのだ、殺された人のために。

 命は重い口をギチギチと開く。

 「礼……は、人間、じゃない……。彼は、罪、のない……人を……大勢、殺した……」

 命の言葉に鏡の向こうの滝村は愕然とした表情となった。

 「考えたく、ないけど、もう……手、遅れ……なんだ。だから、もう……殺るしか、ないんだ……」

 命の目からは涙が溢れてきた。滝村はうつむいて歯を食いしばっている。目の前にいる命の顔を見ることが出来なくなった。

 「命……すまない……」 

 滝村は言った。涙を流しながらぐったりとしゃがみこんだ。


 気がつけば意識は厨房へと戻っていた。後ろを振り返れば狂気じみた礼が走ってきている。そして命は逃げようとしていた。

 命は背いていた足を礼の方へと向けた。命の紅い眼は礼に向けた。風で命の黒髪がひらひらとなびく。

 「この、人殺しがぁ!」

 命は礼の顔面に分解液弾を撃ち込んだ。その瞬間礼の顔は半壊する。さらにいとまなく胸部に弾を発射する。そして足、腕、腰と追い打ちをかけ続けた。

 「グギギギ……」

 礼はうなりながら命に飛びつく。しかし命はそれを交わし、流れるように支給品であるナイフを取り出した。そしてズブリと胴体に刺した。

 「ギェェェェェ」

 礼は後ろに倒れたが、暴れるように命を突き飛ばした。

 「うわァァ!」

 命は横の冷凍庫にぶつかった。

 その時、食堂のドアがバタンと開いた。

 「命!どこだ!」

 丈の声であった。その後ろには司令室に行った三人以外の特別部隊のメンバーが揃っていた。

 丈は辺りを見回し、厨房の異変に気づいた。厨房には明らかに人間ではない何かがうごめいていたのだ。

 「何だ。アメミットか!」

 丈はアクを取って構え、早歩きでアメミットに詰め寄った。

 後ろで見ていた優は、その倒れているアメミットの横のあたりに命が倒れているのに気づく。

 「あっ!命!」

 優はそう叫んで命のもとへと一目散に走っり、迷うことなく厨房に入っていった。礼はそれにすぐさま反応し、優の足を捉えるなり強靭な爪ではたいた。

 「あっ……」

 優はつまずき、体勢を徐々に崩した。優はいっきに青白い顔に変わっていった。

 命はうつろな目で優の姿を捉えた。そしてその先には礼が待ち構えているようだった。

 「優!危ない!」

 命は立ち上がって倒れそうな優に飛びかかった。二人は抱き合うような体勢になり、その勢いのまま転がった。

 厨房の入り口あたりは特別部隊がアクを構えて取り囲んだ。

 礼は厨房とカウンターが繋がったあたりを突き破り、食堂の広い窓ガラスの方へと走った。

 (まさか、逃げるのか!)

 命は身体を起こし、追いかけようとしたがもう遅かった。礼は窓ガラスを割り、外の植物を押しのけて逃げ出していった。その様は俊敏であり、弾も当たらないような速さだった。

 「逃げるなぁぁぁぁ!!」

 命は手遅れと知っていたが、礼が逃げた方向へと走り出そうとしたが、優はそれを抑える。

 「命……。もう無理はしないで……」

 優はギチギチと命の裾を掴んで離さなかった。命は我にかえった顔でぐだんとしゃがみ込んだ。

 外の植物は礼の身体が当ってた反応で揺れていた。そして割れた窓ガラスの穴からは夏の涼しげな風がひょうひょうと流れていたのだった。

 

 

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