第22話 親友
命たちがエレベーターホールから離れた数十分後、駆けつけた三人の隊員から何の連絡もないことを不審に感じ、加茂野と彼の部下である
コマ送りのように流れる廊下の奥にじわじわとエレベーターホールが見えてきた。紅の水たまりがぼんやりと二人の目に映る。
エレベーターホールに足を踏み入れ、二人が近づいた先には蟲部が、ぐったりと横たわっていた。そして蟲部の近くには三人の隊員が気絶し、倒れていた。
「む、蟲部副隊長!」
加茂野は蟲部をゆさゆさと揺らした。しかし蟲部は何一つ反応を示さず、体に関してはまだ温かかった。
「副隊長……副隊長……、しっかりして下さい」
加茂野が揺らす蟲部の横では、久松が三人の隊員の息を確認する。
「三人とも息はあります……!」
久松は叫んだ。しかし、加茂野はその言葉を跳ね返すように固まっていた。
「副隊長の……息がない……」
加茂野は呟いた。
「――一体、誰がこんなことを……」
加茂野の心臓は歯を食いしばる強さと同時に引き締められていった。
真っ暗な廊下からかすかに見える食堂のドアの向こう側は別世界のにおいがした。ドアにはめられたスリガラスの向こうも、真っ暗であった。この場所で遺体が見つかり、そして中に、狡猾なテロリストが待ち構えている。そう考えると一気に緊張や不安がこみ上げてくる。
ここに来る前に丈から発信機で司令室の状況などを伝えられた。丈からは部屋にいろと言われていたので部屋にいるフリをした。多分後で叱られる。
命はテロリストがパソコンを使ってウイルスの操作だとかを管理していると見て、手始めにパソコンを壊してやろうと思った。
命は音をたてないように慎重にドアを、少しだけ開けてアクの銃口と片目のみを覗かせた。
案の定、パソコンの画面の光がぼんやりと浮かんでいる。その青白い光からテロリストの口元、輪郭が綺麗に描き出されていた。
光を頼りに、アクの標準を定めた。この引き金を引いた瞬間から、テロリストとの非情な戦いか始まる。一度深呼吸をし、そして標準を確認し、人差し指で引き金を引いた。
アクから分解液弾が射出され、パソコンめがけて飛んでいった。
パァンと音をたてた瞬間に浮かんでいた光が落下したかのように消え、液体が飛散した音が飛び込んできた。その音と同時に命は静かに食堂に飛び込み、静かにドアを閉めた。
手探りで明かりを点灯するスイッチを探し、見つけた出っ張りをカチッと押した。
食堂は目が覚めたように明るくなり、
命は窓際の奥の方のに座る彼に歩み寄った。
「――本当に、お前だったんだな。残念だよ、信じてたのに」
命はやるせない表情になる。普通に呼び合っていた名前をここで口に出するのが、晴れやかすぎるほど嫌だった。
「――礼」
座っている礼はパソコンを壊され、当たり前だが怒っていた。脇腹に傷口などは消えており、そして右手を背中に隠している。
「め、命、なんてことするんだよ」
礼は口を半開きにする。
「そのパソコンで、ウイルスの操作をしたり、データの仲介を行っていたのか?」
「おい、ふざけるなよ」
礼は釣り上がった目をさらに尖らせた。
「まあ、順を追って説明しよう」
命はこみ上げる感情を抑えて、今までことを思い出しながら話し始める。
「まず、船で滝村に睡眠薬を盛ったことだ。お前は自分で水を買い、注射器かなんかで水に睡眠薬を混ぜた。しかも致死量。その証拠に船で出た空ペットボトルの一つから、大量の睡眠薬の残りが検出されている」
命は京次郎から送られてきた画像を、自分の端末から見せた。ペットボトルの断面図が載っており、睡眠薬がこびりついた部分は青く示されていた。
「でも、これは誰でも可能なんじゃないのか?」
礼は無表情でそう返した。
「――じゃあ何故嘘なんかついたんだ?」
そう言って命はペットボトルの全体の写真を見せた。
「これは地上部の闇市で売ってる物ではなく、地下部の普通のコンビニで販売されている物だ。しかもお前の指紋が異常なまでに大量に付着している」
「……」
「睡眠薬入の水を滝村に与え、飲ませた。思惑通り滝村は船の部屋でそのまま眠り、死ぬのを待っていた。そんな中俺たちが部屋に入ってきたので動揺し、ペットボトルを捨てに行った」
「――はぁ……」
礼はため息をついた。
「捨てに行くついでに、指示どおり甲板にRT菌をばら撒いた。誰の指示なのかは知らないが日記の文体から見て命令を受けて動いているようだな」
「そして俺がアメミットを倒し、部屋に戻ったお前は、起きていた滝村を見てヤケに驚いていた。その後急に真面目な顔になっていた。滝村が死ななかったことに腹を立てていたんだろ?」
そして話は遠征の出来事へと入っていく。
遠征当日、浜松駅の前に立った礼は、昨日のメールで提示されたことを思い出した。
一つ目は駅はアメミットの巣になっているということ、二つ目は建物がやや老朽化しており、衝撃を与えれば崩れやすいということ、三つ目は駅構内で轟音をたてたとき、外の親アメミットが反応し、一斉に巣へと戻ってくるという内容だった。これらの与えられた情報を活かし、計画の邪魔を処理しておきたい。
第一に滝村、第二に羽月である。この二名は勘が優れていたり、しかも近くについて回るので早く消しておきたい。
駅の中は想像以上に暗かったが、これはかえってありがたい。
「この暗さで下手に動くと危ないかもしれないです。音を立てておびき寄せて、一階で戦った方がいいかもしれません」
――蟲部という男はこの言葉を意外とすぐに飲み込み、実行に移した。リーダーが割と飲み込みの早い人間で助かったと思った。
アメミットの足音でかなり振動している。この揺れで脆くなった壁面が崩れ、上手い具合に出入りを塞いでくれるはずだ。そして手榴弾による爆音で、親アメミットがこの駅を四面楚歌にするはずだ。
計画通りに出入り口は荒々しくはあるものの、しっかりと塞がっていた。このタイミングで持ち込んでおいた電波遮断器を使い、外部との連絡を完全にシャットアウトさせれば監禁状態となる。
親アメミットが太陽光を差し込ませて攻めてきた時、まさにそれは生き地獄であり、特別部隊も一班も全員死ぬだろう。最後にアメミットに紛れて、自分のアメミットを使って逃走すれば何の問題もない。
しかし、想定外のミスが起こってしまった。九龍瀬という男の発信機が鳴り、何の異常もなく連絡をとっているのだ。
ポケットに手を突っ込んだ。しかし掴めたのは暖かい空気のみ。おそらく二階で落としてしまい、その拍子にスイッチがオフになってしまったのだ。外部の状況を伝えられたら単純に面倒くさい。しかし拾っているところを見せる訳にはいかない。
「ヤツは大量の触手を持っています!もし固まっていたとしたらまとめて殺されます!」
目の前で
礼は手頃な階段の裏に隠れ、一旦隊員たちの足音が止むのを待った。十数秒ほど経過し、二階全体は気持ち悪いほど静まり返った。
礼はできるだけ足音をたてないように、そして足元に気を配りながら電波遮断器を探す。目は慣れているがこの暗闇となると目玉が
左耳から、奇形が暴れまわっている音が聞こえてきたがそれどころではない。奇形は所詮雑魚なのですぐに羽月に殺られるはずだ。
重なって隊員たちが騒音の方へと走っていく音も聞こえてくる。
(どこだ……どこだ……)
その時前の角から猿田が飛び出してきた。彼はおもむろに不意にこちらの方を見てきた。しかし足は止める気はないように走っている。
礼は
猿田は何も言わずに倒れた。抵抗すらもしなかった。イブの隊員はそんなに鍛えられてないのかと、
礼は猿田の右手に握られた電波遮断器を取り上げ、さっきまでの普通の顔つきに戻して一行のところへと向かった。
それからガレキを押しのけて外の隊員が突入してきた時には失敗を予期した。
結果的にターゲットを殺すこともできず、矛盾が生じるとミスを犯してしまったことは恥ずると共に、恨みが増幅した。
「そうかそうか、それが君の推理なんだね」
礼は普通の顔で冷淡に返す。償えとかそういう次元ではなさそうであった。
「そして、お前は何食わぬ顔で俺たちと合流した。そして矛盾を晴らすために、
遠征後の夜、礼は軽々しい足取りで入間の自室へと向かった。
事前に内通者を置いておくので、必要な場合に上手く利用しろという事は言いつけられてはいたが、まさか使うことになるとは思いもしなかった。
遠征終了時には必ず建てるという、アメミットを妨害する電波はヒトガタである自分にも降りかかった。そのせいで相当な頭痛が生じたが、滝村の持っていた薬で何とか治まった。しかし、まだ少し痛いような気もする。
「失礼します」
礼はノックを二回し、焦げ茶色の木製のドアを開けた。前方には入間が座っている。
「ああ、君か」
入間は言った。この入間勘三郎という男の経歴は知らないが、こちらの陣営において多大な信用を得ている狂信者だった。
「申し上げにくいのですが、遠征中に電波遮断器を落としてしまい、それを見た猿田頼彦を殺したことにより、ヒトガタの犯行であることが考えやすくなってしまいました」
礼は少し顔をゆがませて言った。しかし、入間の方は一切動じずに高そうな煙草をふかしていた。
「なるほど、状況は察したよ。じゃ、それを上手く隠蔽すればいいんだな。何をすれば良いのだ?」
入間は微笑しながら言う。
「同じ班に貝塚新という隊員がいます。猿田頼彦とは不仲な印象で、なおかつ証拠も十分ですし、彼が私怨で殺したということにすれば問題ありません」
そう言って礼は微量のRT菌が残っている注射器を目の前のテーブルに置いた。テーブルとガラスがぶつかり、無機質な音を立てる。
「これを貝塚新の私物に紛れ込ませて下さい」
その言動には迷いはなく、機械的で目は死んだ魚のようだった。
入間は咳払いをしてその注射器を手に取る。
「分かった。付け足しに、後で解剖班の塩村を呼びつけて脅しておく。明日の報告会議で貝塚らしい証拠を出してもらえば完璧だからね」
入間はほくそ笑んだ。人をただの駒のように扱っているのか、その表情は常人には理解しがたいものだった。
「では、失礼します」
礼は会釈をして、ドアまでスタスタと歩くが、入間が思い出したかのように礼の足を止めた。
「あ、礼君」
「何でしょうか」
礼は振り向いた。
「君は羽月命を殺そうとしているのか?」
「まあ、そうですけど」
「ヤツは半殺しにしろ。そして管理塔に連れて行く。これはご勅命だ」
入間の顔が急に険しくなる。礼はなんとなく、この顔が苦手であった。
「――分かりました」
「あと、ウイルス入りのUSBだ。明日渡す予定だったが、今日渡しておこう。手順は君のパソコンに送られるはずだ」
入間は枯れた木のような足で立ち上がり、礼に近くまで歩き、赤いUSBメモリを渡した。
礼は命の推理を聴いているのが億劫であったが、せめて最後まで喋らせてから半殺しにしてやろうと思った。あえて自室に日記帳を放置したのも、発見者に精神的苦痛を与えられたらと置いておいたものだった。それを覗いたのが命だったと考えると、結構趣深いものだった。
命が今、憂鬱にまみれた空間で苦痛を味わっていると思うと笑えてくる。
「そして最終的に、お前は滝村を殺した」
塩村の汚職、入間の自殺という驚嘆な展開で、夜遅くにも関わらずてんやわんやになっている第一部隊の事務所はいつも以上に足音や人の声などが一つの音となっていた。
昨日、会議終了後に特別部隊の部屋に行き、監視カメラが設置されていない場所を頭の中で割り出すことができた。そのタイミングが分からないが、仕事用の白いUSBを忘れてきてしまったが、マズい中身ではないので問題は幾分もない。
礼は息を殺すような足取りで事務所の外へ出た。滝村から見られているような気がする。左手には赤いUSBを握り、サブバッグの中には爆弾を抱え、口封じ用にサバイバルナイフも持っていった。
地下にある電気設備の集中管理ブースに爆弾を仕掛けた後、礼は司令室の下のあたりへと足を進めた。配線が複雑かつ、監視カメラがない場所という点で、
司令室の下は薄暗く、コンビナートの夜景のように、聖域に似つかわしい空気感であった。イブの脳ミソは人間の脳ミソのように小宇宙的な何かを連想させる。
礼はすぐさまに壁の鉄板を外した。中には血管のように禍々しい配線が大量に組み込まれていた。パソコンのメールにあったように配線を取り出したり、組み替えたり、付け替えたりしてUSBを接続可能な状態まで持っていく。
「――礼、お前何やってるんだ?」
誰もいないはずの後ろから声が飛んできた。礼の嫌いな声だった。そこには滝村が不思議そうな顔をして立っていた。
「な、何ってこれは」
「お前、ちょっと最近変だぞ。なんかコソコソとして」
滝村は近づいてくる。
「いや気のせいだよ」
「俺は礼の親友だ。高校にいた時の礼と全然違うことくらい分かる」
「……」
「何か悩んでるんだったら言ってくれ。しんゆ――」
滝村は口を塞がれて後ろへ勢いよく倒れた。その上に豹変した礼が馬乗りになる。
「親友だかなんだか知らないが勝手なレッテル貼りやがって!邪魔なんだよお前はいつもいつも!」
礼は不格好にサブバッグからサバイバルナイフを取り出した。その様子に滝村はわけもわからずもがいている。
「死ね」
迷うことなく礼は滝村の腹にナイフを刺した。大人しい効果音とは裏腹に傷口から血液が大量に溢れ出てくる。床を汚すわけにはいかないのでこのまま息絶えるまで待つ。呼吸しにくくなるように首を起こして気道を塞ぐ。
とても、苦しそうだった。
しばらくして滝村は一切動かなくなった。邪魔者が消えて心の中では笑顔が浮かんだ。
そしてすぐに作業を済ませ、爆弾のタイマーと同じくらいの時間にセットし、鉄板をはめた。
横たわった滝村を起こし、自分の背中に乗せた。誰かに見られたら怪我をしたと誤魔化せばよい。ゴミの焼却場に捨てても良いのだが、なんとなく食堂の業務用冷蔵庫に押し込むことにした。
礼は驚いた。命の推理は細かい動作などを除いて全て当っている。こっちの陣営が目をつけているだけあると思った。
「おめでとう。全部正解だよ」
礼は拍手をした。
命はぶるぶると震えている。右手には握りこぶしを作っていた。
「なんてことを……」
命は涙を流した。
「ははは、何を泣いているんだ」
礼はその様子を見て嗤う。
「罪もない人間を殺して、何が面白いんだ」
「そして滝村が……滝村がどんなに苦しんで死んだと思っているんだ……。親友だと思って信用していた人間に、なんの理由もなく殺された苦しみを、お前は分からないのか!」
命は声を荒げながら前のテーブルを叩く。テーブルには手で拭った涙が飛び散る。
「理由がないだと。正義を執行したまでだ」
「黙れぇ!」
命は礼の顔へと一直線に拳を振りかざした。しかし礼は左手で静かに受け止めた。さらになだらかに礼は立ち上がった。
「俺ヲ見くびらナイ方ガいい……」
礼は、隠していた右手を見せつけた。そこには手首から続く手がなくなっていた。
礼はヒトガタである。分解液の作用で溶けたのである。
「良いコトを教エテあげよう……。ヒトガタニンゲンとアメミットのハーフダ……。遺伝子はニンゲンとアメミット半分半分だカラ、分解液が効きにくいンだよ……」
優越感に満ちた顔で礼は右手を、命の首へと伸ばした。死なない程度に首を締める。
「それニ俺ハ再生能力ノアルアメミットのRT菌ヲ投与シタ……」
礼の肌の色はどす黒い茶色へと変化し、目は緑色に変わり、口が物理的に尖ってきている。そして着ている制服がギチギチと悲鳴を上げていた。
「ツマリ……オ前ハ俺ニ勝テなインダヨ」
礼は笑っている。彼の今まで見た中で、最高の笑顔だった。狂気的で諧謔的な笑みを不敵に浮かべていた。
命は腰につけたアクに手を伸ばした。このままでは確実に死ぬ。もう目の前にいるのは信じていた『瀬戸川礼』ではない。
全人類の敵だ。
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