第21話 蝕(後編)

 地下にて、腕が裂けそうな勢いでペットボトルの仕分けをしている。

 「はぁ…はぁ…」

 「よし、これで最後」

 千夏はラベルに【富士の天然水】の書かれたペットボトルを引っ張り出し、後の山にポイと投げる。

 「これで、以上です!」

 駿介が体を起こして科学班の隊員に呼びかけた。科学班は「ご苦労さまです」と言って、準備されていたゴミ袋にペットボトルを詰め込んだ。

 選別されたペットボトルだけでもざっと百本近くあり、全てを鑑定するにはある程度時間を要しそうだった。

 

 同時間帯、特別部隊室にて。

 「やはり、監視カメラは確認できないな」

 秀は前のスクリーンに接続されているパソコンを操作する。

 そして秀は乾いた手をパンパンと叩いた。

 「聞いてくれ。今非常に危険な状態であることは承知のはずだ。下手に歩き回ればメジェドに狙われる可能性がある。僕と京次郎、エミリは今から司令室に行ってくる。あとは全員ここで待機していてくれ」

 秀はそう言うと、京次郎とエミリを連れて部屋から出ていった。

 「なんか、落ち着かないね……」

 翔吾は呟いた。部屋は異常なまでに静まり返っていた。この張りつめた空気は目のやり場のないものであった。

 命は椅子にもたれかかり、考え事をしていた。気持ち悪い。何かがずっと引っかかってる。遠征、いやその前からずっと何かが導いているような気がする。イブが乗っ取られてしまったのも、全部テロリストの思惑通りなのだろう。でもそれは駄目だ。あまりに考えるのは窮屈だ。酷い人間になってしまう。

 命は勢いよく立ち上がった。

 (やっぱり、ちゃんとやらないと……)

 これから起こす行動で証明できるなら、やった方が良い。絶望と隣り合わせでもやるしかない。

 命はハンドガンに弾が装填されているか確認した。おそらく、足りないと思ったので後の武器庫から補充する。アクの分解液も足らなくなったらオシマイだ。補充する。

 翔吾や優は置いていこう。苦しむことになるのは、俺一人で十分だ。

 命は「トイレに行ってくる」と呟き、できるだけ静かに部屋を出た。


 プラスチック製の冷え切った机を真ん中に置きかれた静謐な会議室では、各部隊の隊長が緊急会議を行っていた。

 平宮は現在忙しいので、代わりに矢崎が仕切っている。

 「各部隊、どんな状況かね?」

 矢崎は訊いた。

 「下位部隊は現在、十人組な主力となって消火活動を行っています。また、司令室の下の回線が荒らされている形跡を発見しましたので、機械に強い者が解析にあたっています。A03はこの場所から侵入したとのことです。またこの場所は監視カメラが設置されていませんでした……」

 斯波は淡々と書面を読み上げた。

 「第二部隊は、特別部隊の指示を受けてペットボトルの回収を行いました。先程回収が完了し、科学班に譲渡しました」

 高橋の低い声が響いた。

 「特別部隊は三名が司令室に応援として向かいました。どうやら友人から依頼があったようです。それ以外は部屋で待機させています。長時間の拘束でメンタルに師匠をきたしていると思われるので」

 丈は少々焦りながらも、明確に伝えた。

 そして矢崎は、遅い時間帯にも関わらずブラックコーヒーを一気飲みし、気合を入れながら話す。

 「なるほど、各部隊ご苦労だった。第一部隊は危険な監視カメラの破壊を行っている。負傷者を出さないための配慮だ」

 「――また司令部から連絡があったが、イブの機密情報や、アメミットの研究結果、個人情報がどこかに転送されているらしい。この情報が外部に漏れたとしたら、この国、いや全世界が混乱に陥ることになる」

 矢崎の言葉に場が静まり返った。心臓の鼓動がはっきり伝わるような感覚になる。

 「――各部隊、最善を尽くしてくれ。最悪の場合も想定しておくんだ」

 矢崎の言葉と共に会議は終了した。


 司令室には秀、京次郎、エミリが到着した。京次郎は頑丈そうなアタッシュケースを抱えている。

 「晴哉はるや、待たせたな」

 京次郎は溝呂木みぞろぎ晴哉に声をかけた。晴哉は京次郎の大学時代の友人であり、京次郎とは真逆で真面目な性格である。

 「ああ、京次郎。待ってたよ」

 晴哉は強張っていた表情筋が崩れ、やや安心した表情に変わった。

 京次郎はアタッシュケースを近くにそっと置き、床に広げたパソコンを操作し、状況を確認する。

 「――なるほど。気持ち悪いウイルス《アメミット》だな。かなり手強そうだ」

 京次郎は眉間にシワをよせる。

 「なんとかなりそうか?」

 晴哉は京次郎に訊く。すると京次郎はアタッシュケースを開け、中から黒い箱のような物を取り出した。【BIOHAZARD】と書かれていたり、至るところにバイオハザード記号のが貼ってある。

 「この中に、俺が大学時代から集めたコンピューターウイルスが入ってる。コイツらとこのアメミットを戦わせるんだ」

 京次郎は得意げに話すとそれをパソコンに接続した。ウィンドウには大量のウイルスデータが表示されている。

 「うわ……これまだ持ってたのかよ……」

 晴哉は呆れながらそうぼやいた。

 「お前一体こんな数のウイルスをどこから集めたんだ?」

 秀は訊いたが、京次郎は無言だった。

 「京次郎、よくアダルトサイトで画像収集とかしてるから、その時感染したウイルスを捕まえているんだと思います。ワンクリック詐欺にも頻繁に引っかかってましたし……」

 晴哉はため息混じりで説明した。秀とエミリはやや引いてしまっているが、今はそれどころではないと襟を正した。


 走って走って宿舎に着いた。これから緊張と対峙するというのに息を切らしてしまった。命は自分に耐力が残っているかどうかが不安になった。

 (確かここか……)

 命は慎重にドアを開けて入室する。そしてヤツの部屋カプセルまで足を進めた。明かりは怖くて付けれないので薄暗い、それが余計に恐怖を駆り立てた。

 ヤツの部屋カプセルは人間味がなかった。生活感はまるでなく、ロボットが寝泊まりしているようなイメージだった。奥の方に革製のカバンが一つ、くたびれていた。

 そのカバンを引っ張り出し、慎重に開けた。その瞬間、背筋がびっしりと凍りついた。

 (嘘だろ……)

 中には大量のサバイバルナイフ、注射器、RT菌入りの瓶、睡眠薬や爆薬などな物騒なもので敷き詰められていた。

 その中には黒い表紙の日記帳が転がっていた。早くやる拍動を抑え、日記帳をゆっくりと開いた。

 【猿田って奴が邪魔すぎる。顔見られたが殺しておいたので問題なし。副隊長がただの無能で助かった。あと羽月死ね。】

 【やっと滝村を殺せた。あいつの体質面倒くさい。自分が邪魔者だという自覚がないのが気持ち悪い。あとは羽月。早く死んで頂きたい。】

 【塩村殺せって言われたがチャンスがない。まあもう終わらせて逃げるから良いけど。】

 命は口を抑えた。この狂気じみた字を追うたびに吐き気が止まらなくなった。日記帳は床にパタンと落ち、命は顔を埋めた。出口のない部屋に閉じ込められたような、そんな気分に苛まれた。

 日記帳は予定表のようなページを開いて、こっちを見ている。一番新しく書かれた部分には【→食堂】とあった。この通りに行動しているとすれば、今食堂に居る。

 命はドアを開けて廊下に出た。信じたくはなかったが、知らず知らずのうちに全部操られていた。全て計算された計画的な行動だった。

 発信機が鳴った。相手は秀だった。

 どうやらペットボトルの分析結果が出たらしい。

 秀の話は命の中の前提と完全に矛盾していた。もう目を背けることは出来なさそうだ。

 

 

 

 

 

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