第13話 荒涼

 触手が飛び込んできた瞬間、命は机の脚を握って持ち上げ、それに思いっきり投げつけた。

 投げつけられたそれは「グギョ……グギョギョグググ……」と乱れた奇声を発した。上半身はやや潰れ、中の真っ赤な肉が丸見えになるも、それは怯むことを知らない。

 すぐに攻撃を仕掛けてくると見きった命は、から一旦距離をとった。こちらもすぐさま対人用のハンドガンを引き抜き、潰れた上半身をめがけて発砲した。

 ダァーン、ダァーン。

 弾が貫いた穴からは血が吹き出した。さっきよりも苦しんでいるように見える。

 (なるほど、外面は分解液が効かないほど頑丈だが内面はかなり柔らかいようだな……)

 特性を突き止めた命はみんなが駆けつけるまで時間稼ぎをすると同時に、それの硬い銀色の皮膚を全てひんむいてやろうと思った。

 (そうすれば、コイツもきっと殺せる!)

 命は手当たり次第に床に落ちているガレキを、それに投げつけ続けた。息は乱れながらも、冷静さを忘れないように攻撃を続けた。

 そして何度も何度も奇声をあげ、皮膚はほぼ全て剥がれ落ち、顔の方はズタズタになっている。まさに満身創痍といったところか。あまり原型を留めていない。

 しかし、その満身創痍な姿が次第に命の精神をついばんでいった。

 命はその場に座り込み、ひりひりと痺れる顔を抑えた。

 「ああ、お、お前は……誰だ、お前は、誰だ、お前は誰だ、お前は誰だお前は誰だお前は誰だ!」

 徐々にこちらに迫ってくる奇形アメミットの姿と、命の記憶の奥底に眠っていた似たような映像が交互に交互に何度も何度もフラッシュする。

 気にならなかった異臭も急に鼻の中に入っできた。とりとめのないほどに気持ち悪い空気が命を包む。

 「嫌だあああぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 耐えられなくなり思わずうつむいて叫んだ。

 「撃て!」

 その時、店のガラスが全て割れた。同時に大量の分解液弾がそれの身体を貫いた。身体からはそれの体液が飛散する。

 そして命の推測どおりに、弱く柔らかい肉体はありありと溶けていった。

 「命さん!」

 懐中電灯を片手に翔吾が命の元へ駆け寄った。命は頭を抑えて、短い呼吸を繰り返していた。

 「命さん!あいつは死んだよ!もう大丈夫だって!」

 翔吾は必死に身体を揺するも、命は翔吾の声がかき消されそうなほど激しく過呼吸をしてしまっている。 

 「ねぇ!命さんが!」

 翔吾は半泣きになりながら助けを求めた。

 「命!」

 異変を感じ取った優は二人のもとに駆け寄り、命の身体を起こして呼びかけた。

 「命!もう大丈夫よ!大丈夫だから!」

 その声は命の耳に大きく響いた。その中から温和な安心感がありありと溢れ出てきた。そして命の過呼吸は次第におさまっていった。

 「はぁ……はぁ……」

 命は我に返った表情で、懐中電灯の漏れた光でぼんやりと照らされた二人の顔を見た。

 「え……っと……」

 命はやつれた表情で口を開けた。目のあたりがまだジンジンと疼いており、モザイクで隠されていた目の前の情報が命の脳を騒がす。

 「命のお陰で、奇形は死んだわ。きっとお手柄よ」

 優は命の肩をパンと叩いた。

 店内に入ってきている特別部隊や第一部隊も安堵した表情を浮かべていた。まさに一件落着と言ったところだ。

 「ん?一人足りないぞ」

 人数を数えていた蟲部がそう言った。たちまち緊張感が垣間見えてくる。

 「え?えっと、さ、猿田さんが居ません!」

 滝村が周りを見ながらそう言った。全員にの言葉が届き、視点が一つに集まる。

 「――猿田が仲間の危機に駆けつけないなど、有り得ない話だ……」

 「もしかしたら彼に何かあったかもしれないですね……。蟲部副隊長」

 滝村は少し焦りながら口調でそう言った。

 「念の為、探しましょう」

 礼は第一部隊にそう提案した。礼の顔はいつよりもディープな表情だが、冷静さは常に抜けていない。

 「分かった。第一部隊で猿田の行方を追う。特別部隊は一階を見てきて欲しい」

 蟲部がそう言うと、一行は店内から出て、それぞれ探索を始めた。

 

 駅北口、ほぼ全てのアメミットが分解液を浴び、ドロドロに溶けていた。その様は地獄絵図であり、異臭を放っていた。

 「あ、危なかったぁ……」 

 隆太はそう言ってしゃがんでマシンガンを地面にぽんと置いた。

 「なんとか全滅は免れたな……」

 駿介も同じく安堵している。無線では南口も全て討伐できたという趣旨の連絡が入り、緊張感はいっきに解けていた。

 「よし、これで入れるぞ!」

 北口のガレキを撤去していた本多たち下位部隊は大声を挙げた。

 「やったぞ!」というような声がたちまち飛び交いった。

 そして人が三人ほど同時に入れそうな隙間の奥の暗闇から足音が聞こえてくる。特別部隊たちが顔を出した。

 「と、特別部隊の皆さん。ご無事で。怪我はありませんか?」

 と石堂が丈に訊いた。

 「ああ、私達に問題はない。しかし隊員が一人行方不明なんだ。事後調査も兼ねて、捜索にあたって欲しい」

 数時間ぶりに太陽の光を浴びながら目を細めてそう言った。

 「了解しました」

 石堂はそう言ってから周りの隊員たちに呼びかけた。下位部隊の隊員たちは必要な道具を取りに行ったりとせわしなく動き始めた。 

 特別部隊はガレキの隙間から外に出た。前方にはアメミットの死骸が荒々しく並んでおり、霧のような煙をもやもやと発していた。

 「うわーぁ眩しぃ」

 かすれた声で風太が背伸びをしながら言う。それに続いて出てきた秀やくるねたちも照りつける傾きかけた日光に目を細めた。

 「とりあえず、南口側の二人と合流しましょう」

 秀がそう言うと、特別部隊は南口の方へと足を進めた。


 駅構内は下位部隊が所持している大型の光源装置によって、暗闇が隅から隅までかき消された。明るさだけは営業時と同じような状態になったが、明るくなったことにより構内の散らかり具合が浮き彫りになった。

 南口の方からも第一部隊が構内へ入り、事後調査が開始した。

 二階では十人組の一人、唐松仙太郎からまつせんたろうの中心に、二階を光源装置で照らす準備を進めていた。

 「よし、ここで良いだろう」

 スイッチを押し、ドゥンという機械的な音とともに光源装置が光を放った。

 「少し様子を見よう。行くぞ」

 唐松は三人の部下にそう言って、二階の探索を開始した。

 「唐松さん、あっちの通路の方から」

 「ん?」

 部下の一人が指さした方向からは何やら声が聞こえている。

 唐松たちは話し声が聞こえる方向へとスタスタ歩いた。

 そして角を曲がった先には、

 「猿田さん!猿田さん!」

 と一人の隊員が仰向けになった隊員に必死に声を掛けていた。その周りには礼や滝村が下を向いて立っており、蟲部はやるせない表情でぼうぜんとしていた。

 猿田は胸から腹にかけて強靭な爪痕から血を流し、顔は目と口を大きく開いて石像のように固まっていた。灰色になった目は僅かに涙ぐんでいた。

 「い、いったい何が」

 唐松は近づいてそう言った。

 「さ、猿田は、俺の大切な部下だった……」

 蟲部は固まった口を開いてそう言った。瞬きを忘れた蟲部の乾いた目は、猿田の無惨な遺体へと向けられていた。

 「む、蟲部さん……」

 唐松はそう言うと蟲部は肩の力ががっくりと抜けて、膝を付いた。

 「俺が、俺が、もっとしっかりしていれば、二人の部下も、猿田も死ななかった!」

 蟲部は我を忘れて紛糾した。床には彼の涙がポタポタと落ちていった。

 

 その後、猿田の遺体と、奇形に刺された隊員の遺体は回収され、事後調査も終了した。出入り口からは続々と作業を終えた隊員が出てきた。

 そんな中、軍用車両の前でくだらない言い争いをしている。

 「えぇ!これ俺たちの車両なんだが!」

 京次郎は下位部隊の隊員たちにそう叫んだ。下位部隊の隊員たちは布団的な物でグランドピアノを運んでいた。

 「白浪さん、これも仕事なんで」

 下位部隊の一人がそう返す。

 「待ってくれ、じゃあ俺たちはどうやって帰るのか、教えろぉ!」

 「他の部隊の車両に乗ればいいと思いますが」

 秀は冷静にツッコミを入れた。下位部隊の隊員たちはやや呆れつつある。 

 「ねぇ!そのピアノどうするの?弾いてもいいの!?」

 風太は子供のように訊いた。

 「いやあのね、『文化保護令』ってのがイブにはあるじゃないですか」

 下位部隊の隊員はそろそろ手が限界に近づいてきた。

 「すみません、この車両に乗せていただいて大丈夫です。すみませんでした」

 丈は軽く一礼して京次郎と風太をそのまま連れ出した。特別部隊は空いてそうな軍用車両を探し始めた。

 「優さん、文化保護令ってなに?」

 翔吾は優に訊いた。

 「ああ、遠征先で文化的な代物があったらイブが一時的に保管するルールよ。例えば浜松は楽器が有名でしょ?だから今回は例としてピアノを預かるの。未来にかけがえのない文化を残すための重要な仕事よ」

 「へぇ、すごいですね」

 すると丈はまだ数人ほど乗れそうな軍用車両を見つけた。

 「じゃあ、命と翔吾と優はこの車両に乗りなさい。私たちはもう少し空いてそうな車両を探すから」

 三人は承諾し、軍用車両の空いたスペースにしゃがんだ。三人が座ったところでちょうど満員になった。

 「あ、礼に滝村」

 命は目の前に座っていた礼と滝村に声を掛けた。二人は命の方を見るも、あまり表情を変えない。

 「行方不明になってた、猿田さんは見つかったんですか?」

 優は二人にそっと訊いた。すると礼が口を開いた。

 「猿田さんは……、亡くなったよ」

 三人はその言葉に唖然とした。散らばって隠れていた短い時間に姿を消し、しかも死亡したからだ。

 「アメミットに襲われたんだ。爪痕が……生々しかった」

 「でも瀬戸川さん、二階にはアメミットは居なかったよ!」

 翔吾は思わずそう返した。二階にはアメミットがおらず、襲われるなど青天の霹靂へきれきな出来事である。少しのの沈黙の後、

 「で、でもこれが現実なんだ!まさか、ありもしないことが起きてるんだ!」

 と礼は叫んだ。

 「猿田さん、誰よりも俺たちに親切にしてくれたんだ。信じられないよ……」

 滝村はやるせない顔でつぶやいた。

 どんなに短期間であろうとも、世話になった人間の突然の死を突きつけられて、道に迷っている様子である。

 「滝村、確か薬持ってたよな?頭痛がするんだ」

 おもむろに礼は頭を抑えた。そして薬を二粒受け取り、飲み込んだ。

 「あ、いけない、飲むの擦れるところだった」

 滝村も薬を取り出し、五粒の錠剤をごくりと飲み込んだ。


 話をしているうちに軍用車両はガタゴトと揺れていた。

 駅の横あたりに、電波を放出する電波塔が建てられていた。電波塔は遠征終了後には必ず建てられるらしく、アメミットの侵入を妨害するものである。

 それはもの寂しげに、夕日を前にした静かになったビル街に溶け込んでいた。

 

 

 

 

 

 

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