第4話 故郷へ
「な、何でこんな所に!?」
と礼は言った。翔吾のように大粒の汗を流している訳ではないが、その顔つきからは複雑な焦りが感じられる。
しかし、手は少し震えているが命はあまり動じていない。
「この大きさなら、素手でやれるかもしれない」
と言うと命の目つきが一変した。
「やめろ!返り討ちにされるぞ!戻って上官に伝えた方が――」
命は扉をくぐり抜けて、アメミットの方へ歩いた。穏やかな潮風は、さっきより痛々しく感じた。
(大丈夫だ。東京に現れたヤツより全然小さい。さっきの繁華街の男と同じ要領でやれば問題ないはず……)
命は自分に言い聞かせた。
そしてその瞬間、一匹のアメミットが襲いかかってきた。強靭な牙には乾いた血がついていた。
命はその鰐のような口を両手で抑え込んだ。アメミットは構わず首を振って抵抗する。その動きとともに命の歯はキシキシと揺れる。そしてアメミットの力が少し抜けた瞬間を狙って命はアメミットの腹を弾丸の如く蹴り入れた。
倒れかかるアメミットに対して今度は目に向って拳で勢いよく突いた。グチャァという生々しい音と同時に目と目の周りからどす黒い血が吹き出す。さらにその顔を思いきり踏んづけ追い打ちかけた。アメミットの顔は変な風に歪んでしまった。
「あと二匹!」
命は強めの声でぼやき、残ったアメミットを睨む。そしてアメミットも睨んだ瞬間、本能に従って襲いかかってくる。
命は走りながら転がっていた鉄パイプを手に取る。そのパイプを横に持ち、押すようにアメミットに噛ませる。牙と金属が擦れ合う嫌な音をたてた。アメミットは鉄パイプを人間と勘違いしているのか、ガチガチと鉄パイプを壊そうとする。
そのスキを狙って命は両手を縦に合わせてアメミットのゴツゴツとした頭を殴った。
ピクピクと痙攣して死んだ。
その間、もう一方のアメミットは礼に馬乗りになり、礼を喰い殺そうとしていた。
礼は必死にアメミットの強靭な前足を抑える。
「ひぃぃ!やめろ!この、クソが!」
礼の声が届くことはなく、アメミットは暴れ続ける。礼の目先には隊員の遺体がある。その腰についた拳銃に手を伸ばす。腕が切れそうなくらい震えている。
「うう……」
その時、馬乗りになっていたアメミットがバアンと体を曲げて飛ばされた。反対側には命が足を上げて立っている。手には歪んだ鉄パイプを持っている。
命は飛ばされた間合いをとってアメミットに近寄り、鉄パイプでアメミットの頭を殴る。尖った口は逆に曲がり、どす黒い血がありありと流れる。
「はあ……はあ」
「は……羽月?おい」
と礼は息を切らす命に言った。
「だ、大丈夫か?礼」
と言いながら命は礼の方を向いて手に持った鉄パイプをするすると手から離した。床と金属がぶつかりカランと清浄な音をたてた。
「あ、助かったよ…ありがとう」
そう言いながら礼はゆっくり立ち上がった。その表情には焦燥が広がっていた。
甲板にはアメミットの
バタンと船長室の下の扉が開く。太った中年男性の隊員と若い男性隊員が二人、辺りを見回しながらどたどたと走ってくる。
「君たち、これは?怪我はないか?」
中年の隊員はしゃがれた声で言った。制服の襟にはオレンジ色の刺繍で【YAZAKI】とあった。さらに胸にはいくつか勲章がついている。
「はい、僕は大丈夫です。ですが怪我人はいます」
命は答える。
「分かった。事情は後で訊こう。まずは二人とも部屋に戻りなさい。おい
矢崎は後ろの隊員に指示を出した。
加茂野は命に包帯を渡した。白く柔らかな包帯である。
命は礼を支えながら、別の扉から部屋へと戻っていった。
横瀬は遺体の身元を確認するために遺体の襟を確認する。遺体と対峙した横瀬は影が濃く、深みのある表情になっている。
「り、亮二!おい、おい!」
刺繍にあった【NISIE】という字を見た瞬間を、横瀬は泣き出した。横瀬は上半身だけになった西江亮二の亡骸を揺さぶる。ボロボロになったオールバックの髪は冷たく揺れる。
「亮二!うぅ……う……」
その泣き声に加茂野も反応した。
「亮二、お前…クソッ…」
と加茂野と顔をしかめてうつむいた。
別の遺体の身元を確認していた矢崎も二人のもとにそっと近寄った。
「加茂野、横瀬。西江は今日までお前らと戦えて幸せだったはずだ。西江とここで亡くなった友の分も、私達が大切に生きよう」
二人の悲痛な泣き声は命の耳にも届いた。
命は彼らを救えなかったことにやるせない気持ちになり、顔をしかめた。
二人は部屋に戻った。ドアを開けると滝村が大きなあくびをしながら起きていた。
「滝村!」
「あ?なんだよ礼。そんな驚いた顔して」
「あ、すまない。まだショックが抜けなくて」
と礼は言い、胸を抑えた。
「礼。とりあえず座れ。翔吾、お前包帯は巻けるか?」
と命は訊いた。
「いや巻けるけど、礼さんどうしたの?」
「アメミットに襲われてしまったんだ。だが軽い怪我で済んでよかった」
「こちらこそ、命がいなければ死んでいたよ。ありがとう」
礼は真面目な顔で言った。
翔吾は礼の腕に包帯を巻いた。
「てか、なんなんだよ。この二人はよ」
と滝村は礼に言った。
「お前が寝ている間に入ってきた同年齢の志願者だよ」
「ああ、俺は
「よろしく。俺は――」
それから部屋で会話がしばらく続いた。
甲板の隅では加茂野と横瀬がぐったりしながら休んでいる。また、甲板には隊員が大勢出てきて隊員の遺体をブルーシートで包んで運んだり、アメミットの死体の調査を行っていた。
「矢崎部隊長。これらのアメミットは全て素手でやられています。」
と、黒髪の隊員は死体を指差しながら言う。
「当然志願者なので分解液は持ってないはずです。素手でやったことは確実ですが、とんでもない力ですよ」
もう一人の茶髪の隊員が続けて言う。
「確かにそうだな。アメミットを『アク』を使わずで殺した事例は確認されている中ではない。むしろアメミットに素手で立ち向かうこと自体、相当な勇気がいるしな」
矢崎は髭を触りながら不思議そうな顔で言った。何か思い立ったように矢崎は立ち上がる。
「試験後に彼に詳しく訊く予定だ。しかし現時点でとんでもない戦闘力を持っていることは揺るぎないことだ。彼を上手く使えば『日本奪回』も夢ではないかもしれない」
「しかし部隊長。まだ日本奪回には多くの課題が――」
と茶髪の隊員は言った。黒髪の隊員も頷く。
「彼には何か感じるんだ。何かがな」
と矢崎は強い口調で言った。
「おーい、ちょっとこっち来てー」
と遠くの方から黒髪と茶髪を呼ぶ女の声が聞こえた。
「すみません。失礼します」
お辞儀をして二人は立ち去った。ゆっくり歩きながら二人は呼ばれた隊員の元へ向かう。
「やっぱ第一部隊の隊長が言うことは変だよなぁ。そりゃ異例の自体だけどさ」
と黒髪は笑いながら大きすぎない声で言う。
「まあ部隊長なりのアイデアがあるんじゃない?どっちかっていうとあの人天才志向だし」
二人を呼んだ女もまたアメミットの死体を覗き込んでいた。
「ん?どうした?
と茶髪は訊く。
「それがね隆太見て。ここの傷口がさっきよりも浅くなってるんだよ」
千夏は傷口を指さした。傷口は命に殴られた場所がくぼんでいる。
「ホントだ。少しだけだけど浅くなってる」
と茶髪の隆太は目を丸くして言った。確かに傷だらけなのだが、全体的に前よりも傷が大人しくなっている。
「もしかしたら新種かもな。再生する奴の情報など聞いたことがないしな。早めに分解液を打ちこんで様子を見よう。他の場所にも伝えてきてくれ」
黒髪は注射器を取り出しながら言った。
「わかったわ駿介」
それから船は日本列島に到着した。
夏の静かな御前崎港にはカモメが飛んでいた。それはどこか寂しげで、行く宛のないような様子に見える。
命は窓の外の景色を見た。僕らの故郷がそこにはあった。
新しい場所での緊張のせいからか、様々なものがこみ上げてくるのだった。
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