第3話 化物
「おい、こいつ俺らとやる気だぜ兄貴」
「ちぇっ!ガキが生意気なんだよ。さっさとやっちまおうぜぇ」
男たちのリーダーがそう言うと一斉に殴りかかってきた。四本の分厚い拳が命の顔めがけて一直線に降りかかってくる。
しかし、命は動じずに一人の男の腹を勢いよく突いた。
「ぶぐわぁぁ!」
その男の腹はパアンと鳴り、その場に仰向けで倒れこんだ。
「あ、兄貴ィ!」
残った男の一人は焦りに焦りを重ねた表情で命の顔を潰そうとする。
命は男の屈強な拳をさらりと受け流し、今度は足で腹を突いた。そして後ろにいた男とドミノ倒しになった。
一人になった男は外へ逃げ出そうとした。
「ひぃぃぃ!」
男は千鳥足でトイレの入り口のドアまで走った。そして出ようとした瞬間、肩を鷲掴みにされる。男は目を大きく見開き、驚いている。
「逃げんなよ…」
命は男の脇腹を蹴り飛ばした。その勢いで壁に頭を打ち付けてぐったりと倒れてしまった。
それから便所のドアを開ける音がした。やや疲れ切った表情で青年は便所から出た。
「えぇ…」
青年は目を丸くして驚いた。そこには大柄な男たちが白目をむいて倒れていたからだ。命はゆっくりと青年のいる方に戻ってきた。
「こ、これ全部君が?」
青年は少し混乱しながらも命に言った。
「まあね。意外と弱かったよ。ところで気分は良くなった?」
命は柔軟な表情で青年に言った。
「うん、良くなりました。ありがとう」
「よかった。じゃあとりあえず列に戻ろうか。だいぶ先に行かれちゃったかもしれないし」
命は少し笑って青年に言った。
二人は入り口のドアを開けて外に出た。路地裏を抜けて通りに出て、港がある方へ目をやると人混みの間のかなり先に志願者の列が見える。
「すみません。僕のせいで遅れちゃって」
青年は申し訳なさそうに命に言った。
「気にすんなよ。まあゆっくり港へ向かおう」
二人は遠くに見える列を見失わないようにてくてく歩いた。命はポケットに手を突っ込んで人混みにも動じずに歩く。
「さっきはありがとうごさいました。でも強いんですね。あんな大きな男を相手に勝つなんて。小柄な僕にはとても無理です」
青年は下を向いて言った。慣れない場所なので少し怖気づいている。
「あはは。昔から体力には自信があってね」
「そういえば、お名前を聞いてなかったです。なんていうんですか?」
「羽月命。鳥の羽に、月日の月、めいは『いのち』って書く」
命は少し照れくさそうに言った。自分の名前を人に言うのはなんだか慣れない気分だと思った。
「僕は
「ああ、よろしく」
しばらく歩いていると港に着いた。巨大な船が停泊していた。先に到着していた志願者たちは既に船に乗り込んでいた。
二人は乗り場の前に立っているイブの職員に事情を説明し受験票を見せて大急ぎで船に乗り込んだ。船内はガタンガタンと波で揺れていた。そして張り紙に自分たちが列島に着くまで過ごす部屋が記されていたのでそれに従って部屋へ向かった。
二人は船の窮屈な廊下を歩く。
「部屋は同じ年齢の人同士で固められてるみたいですけど、同じ部屋ですね。僕たち同じ年なんですね」
翔吾は言った。
「ああ、なかなか奇遇だな」
「てっきり命さん年上に見えたんで」
二人は部屋の前に着いた。ドアを開けたるとそこには二段ベッドが二つある簡素な部屋だった。そしてその部屋に同い年の男子が二人いた。一人はベッドでいびきをかいてうたたねしており、もう一人はスマホを眺めていた。
「ん?あーこの部屋のもう二人の人ね」
と、持っていたスマホをベッドに放り投げた。ざっくばらんながら
「遅くなってすまない。こちらこそよろしく。下位部隊に志願した羽月命だ」
「えっと、同じく相馬翔吾といいます。よろしくお願いします」
二人はきっちり挨拶をした。
「僕は第一部隊に志願した
と言って、命と翔吾と握手を交わした。二人の姿が映る礼の瞳は、静かながらも闘志や勇気に溢れている。
礼は握手をやめるとベッドで寝ている熊のような男をゆさゆさと揺さぶる。
「おい、滝村。起きろ」
しかし滝村という男は構わず大きないびきをかいて寝ている。
「まったくしょうがないな。あれほど早く寝ておけと言ったのに。すまないね。ルームメイトがこんなので」
礼はため息をつきながら言った。
「とはいえ到着まで一時間もあるわけだからその間に起きるだろ」
「ははは」と命は苦笑いしながら言う。
滝村の足の先にあるテーブルには彼が飲んだ空のペットボトルが置かれていた。今にも寝返りで蹴り飛ばされてしまいそうである。
「滝村さんとは同じ出身なんですか」
と翔吾は礼に尋ねた。
「出身は違うが同じ高校でね。僕がイブに志願したらこいつも行くって言い出して。しかも第一部隊に。まあなんつーか憎めないやつだよ」
と礼は滝村の寝顔を見ながら少し呆れたような表情で言った。
「ちょっとペットボトル捨ててくるついでにトイレに行ってくるよ」
礼は空のペットボトルを持ってドアを開け、廊下へ走っていった。
すると入れ替わるように現職のイブの隊員が入ってきた。制服であるカーキー色のジャンバーを着て、オールバックの髪型が綺麗に整っており、腰には銃を装備している。
「講義で使用するテキストです。目を通しておいてください」
隊員はテーブルに電子テキストを置いた。少し長めのチョークのような形をしていて、横にスイッチがある。隊員は会釈をしてまたドアを開けて部屋から出ていった。
命はふと海を見た。朝日を浴びて波の輪郭が優雅に揺れている。しかし、海の色はマリンブルーや群青色の清らかな色ではなく、緑がかったどす黒い色だった。三年間海を見ない間にすっかり変わり果ててしまった海は、命に衝撃を焼き付けた。命は部屋の小窓から覗き込むようにもう一度海を見た。近くで見るとより一層不気味に感じるのだった。
繁華街の男たち、そして知らない海の姿、管理政府。それらの記憶がどこまでもついてくる。管理塔の中だろうが外だろうが目に見えない不条理さは拭えない。
「わああああっ!」
船の甲板の方で張り裂けるような叫び声が聞こえた。
「な、何だ!」
命は血相を変えて立ち上がった。翔吾は肩をすくめて驚いている。一方滝村は気持ち良さそうに寝ている。
「ちょっと見てくる。部屋から出るなよ」
命はドアに向かいながら翔吾に言った。
ドアを開けると左の方から礼が走ってきた。
「礼!大丈夫か!」
「トイレに居たら悲鳴が聞こえたんだ。一体何事なんだ」
「分からない。今から確かめに行くところだ」
「危険だ。やめておくべきだ」
礼は手を命の前に広げて言う。命に焦りを感じさせない冷静な静止をする。
「大丈夫だ」
命は礼を軽い力で押しのけ、甲板の方へ駆け出した。そして後ろから礼もついてくる。
「こういう時に単独行動は禁物だ」
命と礼は早足で廊下を歩く。波で揺れる閑静な廊下に荒々しい足音が響き渡る。
長い廊下を駆け抜け、甲板へと続く重々しい金属の扉の前に立った。
「ここ、だな」
と言うと命はドアノブを固く握った。ゆっくりとその扉はこちら側に開く。そして生暖かい何かがドサリと手前に倒れてきた。
「あ…!」
二人の顔は一瞬で冷たくなった。そして首、背筋、脚へとその冷気が伝わった。
下半身を荒々しく喰いちぎられ、上半身だけになり、驚いたように腕を上げたオールバックの隊員だ。その髪は乱され、彼の鮮血が身体のあちこちに生々しく散っていた。
「お、おい、まさかアメミットが――」
潮風が吹き抜ける広い甲板に目をやると、そこには飢えた獰猛な化物、アメミットが
甲板の床にはあちこちに血痕がべっとりと広がっていた。そしてアメミットと交戦していたイブの隊員たちは、捨てられたように死んでいた。
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