22話 初めての気持ち
浄化の祈りはその日の夜に終わった。
光の少女が霧散する様に消えた後、再び祈りを捧げていたイズミは浄化が終わるとその場にふらりと全身の力が抜けたように倒れる。
カイルとイリーナはすぐさまイズミの元へと駆け出して状態を確認する。
イリーナの触診ではイズミの体に大きな問題はなかったが魔力が随分と少なくなっていた。
今回の浄化で想定されていた魔力消費量を随分と上回っている。
原因はおそらくあの光の少女。
イリスの街の時といい、あの光の現象はイズミの魔力を随分と消費するようだ。
消費した魔力の回復と疲労もあいまってこの後数日は寝込むことになるのだが次の予定をあまり遅らせることもできない。
結局、イズミの体調の回復する前に予定通り翌日にはパラムの街を出発した。
幸いにもパラムの街以降、あの光が集まる現象は起きてはいないがどういう理屈で何が原因となって引き起こされるのか皆目検討もつかないのでイズミが祈りを捧げるときには常にイリーナが倒れる準備万端で待機している。
万全な体勢を整えて意気揚々としているイリーナとは対称的で自分が倒れたというのにイズミ様は呑気なものだった
「えー、そんなに心配しなくても大丈夫だよー」
なんて言っているがイリーナは当然許したりはしない。
「ご自分でも予期せず倒れられるのにどうして大丈夫とおっしゃれるのでしょうか?」
額に青筋を浮かべながら微笑むイリーナからは妙な覇気のようなものを感じて何やら非常に怖かった
だがそれ以上に問題なのはあれ以来イリーナ顔を僕がまともに見れなくなっていることだ
なぜか目が合いそうになると思わず逸らしてしまうのだ。
パルムの街でみた彼女の横顔が脳裏にこびりついて離れない。
どうやら彼女も何かを察しているようで僕が目を逸らすと意味深な微笑みを浮かべてこちらを見てくるのだ。
正直どうすれば良いのか全く分からない。
何かを分かっていそうなイリーナに直接聴こうかとも考えたがそもそもまともに目も見れないのにそんな会話が出来る訳もなかった。
「イリーナ、…」
「どうしましたか、カイル様?」
「いや、その、イズミ様の容体はどうだ?」
とまあ、顔もまともに見れずに相談しようと思っていた会話から無難な会話へと無意識のうちに瞬時に切り替えてしまう。
「ふふ、イズミ様なら大丈夫ですよ。
熱も下がってきてますし、この調子なら明日にはいつもの鋭いイズミ様に戻られてると思いますよ」
「…そうか、ならよかった」
「ところでカイル様、なにか私にお話しがあったのではありませんか?」
妖美な微笑みを浮かべて僕の顔を覗きこんで見つめてくるイリーナに心臓が急に速くなってしまう
しかもなんだかからかわれているようで非常に遺憾ではあるのに何故か悪くないとも思ってしまっている自分がいる。
というか顔が近い。
イリーナの急接近に再び顔を背けてしまう自分が情けない
「別に…何もない」
「ふーん、そうですか。
…もう少しですかね」
後半は声が小さくて聞き取ることができなかったがなぜだか悪寒がした。
しかし、このままではまともに仕事もできん。
なんとかしなければならないといつかのように役に立つか立たないか分からない助言をくださる騎士長に相談に向かうことにした。
「そうか、わたしはもう助言する必要を一切感じなくなったのだが?」
「いいえ、もしかしたら役に立つ場合が万が一にもあるやもしれません。
是非助言を頂きたいです」
「…貴様本当に助言が欲しいのか?
ほとんど役に立たないと言っているに同義だということがわかっているのか?
…全く何故貴様は私の前では余計な言葉ばかり言うのだ。」
こんなに真剣に相談しているというのになんということだろうか
これだから部下に信用されないのだ
「だから、何故モノローグを喋る?
ああ、もういい、話が先に進まん。
…それで今度は一体何をやらかしたのだ?」
「なんですかその言い方は?
まるで僕が「いいから早く言わんか」
…そんなに聞きたいなら仕方ありませんね」
「私は別に聞かんでいいのだがな」
「…そのですね、実は…イリーナの顔が見れないのです」
ようやく始まったカイルの仕事にならないという相談内容に思わず頭が痛いと言った風に眉間を抑えてしまう。
「全く会話ができないというわけではないのですが、彼女の目を見てしまうと
その、何故か考えがまとまらなくなって、とにかく以前のようにまともに目を合わせられないのです」
「……それは何か、イリーナの事を考えると胸が苦しいとか、ドキドキするとか
そういうこともあるのか?」
「おぉ!流石は騎士長!良く分かりましたね!
あと私見ですが、騎士長がドキドキとかいうと非常に気持ち悪いです。」
「おそらく私でもなくとも分かると思うがな。
それと、貴様は私の心に少しは配慮した発言をしろ、私見でなくてたまるか。」
それにしても厄介だ。
確かにここ最近のカイルはどこかソワソワとしたような雰囲気を出すこともあったがよりによってイリーナに恋心を抱くとは、しかも本人は自身の抱く思いがなんなのか分かっていない。
そもそも何故そんな相談を私にするのだ。
アルティメスは33歳となった現在でも残念ながら未だにそういった相手が出来た事はない。
だが、カイルのように恋心を理解できないほど初心ではもちろんない。
故にカイルがイリーナにどういう思いを抱いているのかは理解できる。
しかし、このあまりにも純粋すぎる悩みにどう対応するのが正解なのかアルティメスにはさっぱり分からない。
頭を抱えて蹲ってしまい衝動を抑えながら、アルティメスは慣れない思考に頭を働かせてふと気づく、そもそもカイルは聖女にそういう思いを抱いていたのではないのか。
「…カイル、聖女様とはそういうことはないのか?」
「イズミ様とですか?
いえ、イズミ様とはそのようなことになったことはありませんが…」
この男、プロポーズ疑惑の騒動まで起こしておいて聖女には全く懸想していないということか。
しかし、そうなるとカイルの初恋はイリーナということになるのだろうか。
あれだけ、聖女を慕っている様子を見せながらその実、聖女付きの侍女に恋していましたなどそんなことがあっていいのだろうか、仮に女性騎士にでも伝えれば何をするかわったものではない。
素直にそれは恋だと教えるべきか。
それとも本人が自分で気付くように誘導したほうがいいのか。
アルティメスとしてはその手の話に経験が深いわけでもないむしろ誰かに相談したいレベルなのだ。
とはいえ、カイルも相当に悩んでいる様子、部下を大切に思う上司としては無碍にもできない。
「…カイル、それはおそらく恋という人間の持つ1つの感情だ」
悩んだ末にアルティメスは素直にカイルに教える決断をした。
年頃の彼がこの手の感情に疎いその原因は当然今までの生活環境にある。
気づくという行為はある程度の知識がなければできないのだ。
だが、目の前の青年はその人生のほとんどをどんな命令でも素直に聞く人形として過ごしてきた。
恋愛感情などそのようなものはおそらく最も彼から遠かった感情のはずだ。
故にカイルには周りくどい言い回しよりもシンプルに教えた方が効果が高いと考えたのだ。
「…恋?…僕が恋?」
恋?恋とはあの恋のことだろうか
確か人が人を愛することを表しているはずだが、僕がイリーナの顔がみれなかったり、うまく喋ることができなくなるのはイリーナを僕が懸想しているから?
「騎士長、僕のこれは…恋なのですか?
僕はイリーナを好きになっているということですか?」
「ああ、おそらくな。
胸がくるしくなったり、ドキドキしたり、うまく喋れなくなったりとそういう症状が出る。貴様のそれは恋心を抱いた典型的な例であろう。」
…そうですか。
そう言ったカイルの表情も声色も予想していたものより随分大人しい。
アルティメスの予想していたものとは随分違う。
もっと盛り上がって手のつけられないことになるのではと思っていたのだが
妙におとなしい、その上何やら神妙な空気を醸し出している。
「どうしたカイル、なぜ気持ちを落とす必要がある?」
「…騎士長、僕はイリーナを幸せにすることが、出来ないです。
これはどうすれば良いのでしょうか?」
非常にぶっ飛んでいる。この部下の理論は飛躍しすぎている。
普通の青年なら女性に恋心を抱いているということに気づいたらもう少し気分を上げていくだろう。
若者ならおおよそ目の前の幸せを妄想して喜ぶところのはずなのだがこの青年の反応は苦悩と不安に満ちている。
「…カイル、その、なんだ、なぜ貴様はイリーナを幸せに出来ないと思うのだ?」
「ご存知でしょう、僕はそこまで長くないことことなど。
…よくて半年から1年と言ったところでしょうね
化け物になることがわかっているのに彼女に好きだとは、言えないです。」
想像を超えてもはやビッグバンが起こる領域で話が重い。
確かに彼の今の状態を見るにあまり芳しくない方向に事態が動いていることは察していた。
だが、そこまで具体的に明確な期限が迫っているということを自覚までしているとは思わなかった。
目の前の青年は普通の青年ではない、初めての恋に浮かれて周りが見えなくなるどころか、自身の状況から相手の未来のことをしっかりと考えることができてしまっている。
「…それほどまでに時間がないのか?」
「はい、おそらくそれよりもはやく枢機卿は僕を浄化しようと試みるでしょう。
もちろん僕にはそれを拒否する気などありません。こうなることは分かっていましたし被害が出る前に食い止めようとするのは当然のことですから」
珍しくカイルが見せたその微笑み諦観の念に満ちていた。
目の前の彼には生きようと足掻く気がない、そんな気など起こされては枢機卿としてはたまったものではない
だろうがアルティメスとしてはそうではない。
彼の思いも自由も何もかもが制限され、聖教国の為だけに生きることを許容されてきた彼がようやく命令を聞く人形ではなく人間としての感情に目覚めつつあるというのに、ここに来てもはや生きることすら許されないというのか。
それはあまりにも惨いはなしではないか。
いっそ人の感情など知らなければ、人形のまま逝かせた方が彼の苦しみは少なかったのではないか。
そんな考えすら過ってしまう。
「騎士長、ありがとうございます。
恋というのがこんなにも心暖まる感情であったとは知りませんでした。
自覚するだけで随分とスッキリしました。
…この想いを知ることができてよかった。」
だがそうではない、その様な考えが目の前の青年に対して如何に不適切なものであるかアルティメスは思い知らされる。
今まで散々と酷使され限界が来れば危険物として処理される。
このようなことをあと何度この国はこの世界は続けていくのか。
聖女はカイルを信頼しているし、心の拠り処としている節もある。
その拠り所を自らの手で壊さなければならない、拒否することは許されないし
何よりもそれをカイルが望んでいるのだ。
カイルにその想いを伝えて残りの時間を過ごそうという意思もない。
これまで通りに、過ごして、最期を迎えようという悲壮な決意をカイルはしようとしている。
結局、アルティメスにはここより先の答えは出せない。
しかし、答えではなくとも道を示すことはできる、これまで通りに。
気がつくとカイルの頭の上にはアルティメスの大きな手がのっていた。
その大きな手がわしゃわしゃとカイルの頭を乱暴に撫でる。
「…カイル、人の幸せというのは他人が見て判断することではない。
貴様がその想いの正体を知って、良かったとそう言ったようにイリーナがお前の気持ちを知らないことが必ずしも幸せであるとは言えない。
彼女の幸せを勝手にお前が判断してはいけない。
どれだけ短い時間であろうともお前と一緒に過ごす時間が何よりも幸せであったと、そうイリーナが思う可能性もある。」
今までされたこともない経験にカイルは唖然としてアルティメスを見上げながら彼の話を聞く。
「お前がどのような答えを出すのかはお前次第だ。
だが、彼女の幸せを理由にお前がその答えを出すのは高慢に過ぎる。
イリーナはお前が思っているほど弱い女性ではない。
彼女の幸せの答えは彼女自身が出す、貴様は貴様自身がどうすれば幸せかそれだけを考えて答えを出せば良いのだ」
諭すような優しい声色で、カイルの頭を撫でながらアルティメスは彼に道を示す。
カイルの心に不思議な高揚感が溢れる。
大きな手にはたくさんのコブがあって皮膚も硬い。
撫でかたも荒々しいし、髪がぐしゃぐしゃになりそうだ。
でも、不思議と嫌ではなかった。
妙な安心感があるし、なんだか心が暖まる。
今まで騎士長がこんなことをしてくれることはなかった、というより誰かに頭を撫でられること自体初めての経験だ。
実の父親にすらされたことのないその行為に気がつくとカイルの瞳からは涙が出ていた。
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