20話 描いた理想
やっと涙の治ったイリーナを見てカイルは安堵にため息を吐く
「すまない、その、泣かすつもりはなかったのだ。
そんなに強く握ったつもりはなかった」
朝から女性を泣かせてしまったとあたふたと焦るカイルを見て
イリーナは子供のようだと苦笑してしまう。
(先程までの凛としたカッコいい騎士からの落差が凄いですけど
これはこれで可愛いものですね)
腕を強く握りすぎたかと勘違いしたカイルがイリーナの腕を診ようと
手を掴んだ時にその悲劇は起きる。
これはある意味で当然の流れだ。
思い返せばカイルはいつも間が悪い。
イズミに騎士の誓いを説明した時といい、狙ったかのようにそれは起こる。
故にこれは必然だったのだ。
「ただいまー、2人ともそろそろ……」
タイミング悪く、いつもより早くイズミが朝食を終えて戻ってきてしまった。
扉を開いたイズミは朝食を食べに行った時に何故かダウンした2人を
迎えにきたような感覚でノックもなしに軽い気持ちで扉を開けたのだ。
ところがイズミの目に飛び込んできたのはダウンした馬鹿2人ではなく、泣いた後のように目元を赤くした自身の専属の侍女が、これまた自身の専属の騎士に腕を大事そうに握られているという明らかに何かあった、あるいは最中でしたという感じの光景だったのだ。
つまりイズミ視点で見るとカイルが強引にイリーナに迫って、それに対してイリーナが泣いて嫌がっているようにしか見えないのだ。
「…カイルー、君は何をしてるのかなー?もしくは何をしたのかなー?」
背景に炎が見えるような普段よりも数段低い声色でイズミが問いかける。
「……イズミ様、部屋に入る時は来訪の旨を知らせるノックを「ここは私の部屋なんですけど?」……。」
なるほど確かに。
この状況からなんとか脱出しようと起死回生を狙ったカイルの言い分はイズミの一言によって最後まで言うまでもなく一瞬で撃沈された。
「何を言いくるめられているのですか、貴方は」
一瞬で撃沈されたカイルにイリーナは溜息混じりに呟く
「面目ない、だが正論だと思ってしまったのだ」
「正論ではありません。
良いですか、イズミ様。
部屋の主人であろうが不用意に部屋の扉をご自分で開けてはなりません。
開けた瞬間にお亡くなりなってしまう可能性がございます」
「怖っ!この世界怖っ!なんで部屋の扉を開けただけで死ぬことになるのよ!」
「部屋の中に刺客が入り込んでいる可能性がありますから。
まずは護衛に扉を開けさせて、中を確認してから入室をするように心掛けてください。…よろしいですね?」
先ほどまでの様子とはうって変わって侍女として、しっかりと位の高い者の態度を教え込むイリーナにカイルは感心して頷くが扉の外に護衛として立っている騎士としてはツッコミを入れたい気持ちでいっぱいである。
何故ならイリーナの注意事項は完全に暗殺者目線の注意だからだ。
少なくとも若い普通の侍女が注意する内容ではない。
まあイズミがその違和感に気づくことはもちろんない。
「はーい。……じゃない!
今はなんでイリーナが泣いた後みたいに目元を腫らしてるのかを聞いてるの!」
「ちっ。」
だが、当然それで話を流されるイズミではない。
先ほどまで追求していた筈なのにいつの間にかこちらが注意されている不思議な状況にイズミは慌てて話を戻そうとする。
巧く話を逸らしたと思っていたイリーナとしては当然この流れは頂けない。
完全に振り出しに戻ってしまった会話にイリーナはうっかり舌打ちをしてしまう。
「ああ!今舌打ちした!私にはやるなって言ったのにイリーナがやった!」
「あら、なんのことでしょうか?イズミ様、朝からお疲れなのでは?」
舌打ちにのってきたイズミに巧く話を逸らせそうだと考えたイリーナはすかさず
話題を逸らそうと話始める。
「落ち着いてください、イズミ様。
イリーナも主人に対する態度ではないぞ。
それと先ほどの話ですが、あれは事故です。
少々お互いに行き違いがあっただけなのです」
2人のヒートアップしそうな話し方に、状況が読めていないカイルが仲裁に入るが
なんとこの男、先程の話題で最も不味い立場だというのに自らイリーナの逸らした話題を戻して、どう聞いても苦しい+勘違いを与えるような言い訳を始めたのだ。
(…あぁ、厄介な阿保がもう1人いたのを失念していました。
なんで私が逸らした話題を貴方が戻すのでしょうか)
完全に味方だと思っていた筈の人物の裏切りにイリーナは肩をおとして溜息をはく。
どうやらこれ以上、誤魔化すのは不可能なようだ。
早朝から始まったこの論争は結局アルティメスが聖女に今後の予定を伝えに来るまで続いた。
「それで、朝からこの状況という訳か。」
「はい、非常に遺憾ながらその通りであります。」
「遺憾なのは私の心境の方だ、馬鹿者どもが」
非常に疲れた声色でアルティメスは呟く。
昨日の襲撃騒動のもみ消し、もとい事後処理で一晩中忙しく動きまわっていたのだ。ことの次第の報告に加え、関係者への口止め、遺体の清掃などやるべきことなどいくらだってある。
忙しい合間を縫って聖女に今後の予定を伝えにくればこの有様だ。
どっと疲れが押し寄せるのも無理は無い
自分が後始末に奔走しているというのに手伝うどころか問題ばかり起こす
この馬鹿3人にどう対処すれば正解なのか判断が全く付かない。
「もういい、聖女様に昨晩の報告と今後の予定をお伝えしたいのだが?」
このメンバーに付き合っていては時間がいくらあっても足りない。
話を収集させるのは困難と理解したアルティメスは無理矢理話を逸らすことにした。
「昨晩ってやっぱり何かあったのですか?」
かくしてアルティメスの思惑は成功した。
イズミとしてもずっと気になっていたことだ。
カイルが昨日の夜から姿を見せなかったことといい普段とは違う護衛に漂うピリピリとした空気、おおよそ何もなかったとは思えない。
「やっぱりという仰りようでは聖女様には何か引っかかる点でもございましたか?」
イズミの物言いにアルティメスは疑問符を浮かべる。
昨晩の情報統制は徹底していたし、周囲に気取られないようになるべく隠密的に動いてきた筈だ。
当然目の前にいる少女への報告もこれから行う物以外は一切情報を与えられていない。
「引っかかるっていうか、なんだか空気がいつもと違うと思ったので、
それにいつもいるカイルがいなかったし」
なるほど、やはりこの少女は周囲の微妙な変化に異常に敏感だ。
昨夜の彼女の護衛には襲撃の可能性を教えていた。
おそらく彼女が感じ取ったのは彼らの周囲への警戒心だろう。
そしてカイルの存在の有無。
確かにここ数ヶ月はカイルがイズミの側にいることが多かったが彼女にとってカイルがそばにいないことがおかしいと、そう思わせるまでになっている。
カイルがイズミの専属の騎士となったのは最近の話だ、この短期間で既にそこまでの信頼関係を2人は気付き上げている。
「なるほど、確かにカイルには昨晩、不審な集団への対処を任していましたので」
「…不審な集団?」
何かトラブルがあったのだろうということはイズミとしてもわかっているつもりだった。
ここにカイルやアルティメス騎士長がいる以上騒動は既に解決したのだろうとも
「はい、事前の情報収集によって聖女様の命を狙う集団がいることはわかっていました。
諜報員の証言でその集団が数年前に起きた粛正を間逃れた異端者達だと判明しましたのでカイルに昨夜、集団の殲滅を命令致しました」
「…殲滅。
……その言いようではもう終わったということですか?
全てが解決したから私に報告しているということですか?」
イズミは少し表情を暗くした様子でアルティメスへと問いかける。
「はい、カイルの任務は無事に終了しました。
集団の殲滅は確認できていますので残党の心配もありません。
聖女様にはことの次第と昨晩、貴方の専属の護衛騎士を勝手に動かしたことに
お詫びを申し上げようとお話しさせていただいておりますが、今回の件は非常に秘匿性の高いものですので、安易に口に出されないようお願い致します」
「…生存者は、生きている人はいますか?」
「今回は殲滅を優先したため、生存者はいません」
「…そう、ですか。…分かりました。」
生存者がいたとしてそれを聞いて彼女がどうするつもりだったのか、それは分からない。
もしも彼女が感傷で動くだけのような人間ならカイルが騎士の誓いをたてることはないはずだ。
沈痛な面持ちで顔を下に向けるイズミをアルティメスはじっと見詰めながら話を続ける。
「昨晩の任務については以上です。
それと今後の予定ですが明日の昼には浄化の儀式の準備は整います。
時間がありませんので聖女様には準備が完了次第、儀式を始めていただきます。
2日後には出発の予定となりますので儀式の長引き方次第では終了次第出発となります。
ここまでで何かご質問はありますか?」
「……」
今後の予定を心ここにあらずと言った様子で聞くイズミにアルティメスは一度話を切ってイズミの反応を見る。
だが意識を思考に割いて遠くに飛ばしているようで、イズミはアルティメスの言葉に反応しない。
手のかかると溜息を吐きそうになりながら口を開こうとしたその時、今まで黙って話を聞いていたカイルがイズミへと言葉をかけた。
「イズミ様、彼らは彼らの想いで行動していました。
イズミ様の想いやりは美徳ですから続けていただいて構いません。
ですがそれを理由に思考を止めることは彼らの死への侮辱です。
貴方を生かすために彼らを僕は殺したのです。
それに彼らを殺したのは僕ですがその想いを終わらせたつもりはありません。
彼らの想いは身勝手ながら僕が持っていきます。
なので貴方は貴方の想いを、貴方が託された想いを果たしてください。
そうすれば僕は彼らの想いをはたせます。」
思いの外出た厳しい言葉にアルティメスは一瞬目を丸くする。
カイルはイズミを甘やかし過ぎる傾向にあるように感じていたが存外、線引きはしっかりできているようだ。
「…そうだね、ねぇカイル。
カイルが昨日あった人達は、どんな人達だった?」
そして、彼女もカイルの忠言を素直に受け入れることのできるだけの器がある。
「無念の想いにその身を焦がした者達でした。
消えない思い出に生きてきた者達、最後の最期で未来を見た者
皆貴方と同じように嘗てあった全てを奪われた者達です。」
「そっか、…なら明日の祈りは余計に頑張らないとね」
そこにあるのはある意味では理想的ともいえる主従関係。
互いに信頼し合う関係だからこそ受け入れられる助言。
嘗てアルティメスが目指した主人と騎士の姿がそこにはあった。
自身には得ることのできなかったそのあり方に一瞬、カイルへの嫉妬心が芽生えてしまう。
しかし、同時にそれがないものねだりの理不尽な気持ちであることもアルティメスには分かっている。
だから、彼らのために今の自分にできることをする。
戻れない過去ではなく、目の前にある嘗て描いた理想を守るためにアルティメスはその小さな夢に蓋をして前を見る。
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